旅を始める前の話【2015】

RYOです

今回は2015年の旅を簡単にまとめました。

都市によって長い短いがありますが基本は一都市一投稿で行きたいと思います。

2015年は2月24日~3月18日までヨーロッパに行ってきたのですが、今回は華の都パリやブリュッセル、マッターホルンの麓の町ツェルマットに初めて行くのでかなり興奮していました。

正直↓「知らんがな」の話なので興味がよっぽどある人以外は読まない方がいいと思います(笑)

完全自己満記事です。

親友と共にヨーロッパへ

今回のヨーロッパ旅は小学校からの親友(通称さわ)と2人で行ってきました。

小学校の時はお互いめちゃくちゃ仲が良いわけではありませんでしたが、まあ普通の友達?てな感じ。

しかし同じ中学校に入るとKも含めてお互い急接近し、中学3年間で完全に親友になりました。

高校時代もお互いよく会ってたし、さわの家での集まりも多く九州から四国から北陸など国内旅行は基本この3人で行っていました。

Kは職業的にまとまった休みが取れずにさわと2人で行くことも多かったけど・・・

またさわは登山にもすごく入れ込んでおり、ぼくが大学2回生になる頃から頻繁に近場の滋賀県の比良山系を登り始めることになります。

その後休みを利用して日本全国の山を登り始める。

でもそれぞれ就職すると住む場所が離れたので、実際会うのは半年に一回?くらいになりました。

けど親友には変わりない。まじで人生で心から笑った瞬間の7割は3人でいる時かなと思うし、なんせ3人の呼吸がばっちり過ぎてお互い黙ってても何を考えてるのかとか全てわかる感じ。

初めは3人でヨーロッパ行く予定やったけど、Kはやっぱり長期休暇は厳しいって事で断念。

今回の旅はそんな親友、さわと2人で行ってきたんです。

2015年のヨーロッパはとても危険だった

旅は独り

皆さんは覚えているでしょうか?

2015年1月7日に起こった、イスラム過激派テロリストによるシャルリー・エブド紙襲撃事件を。

また2015年1月23日~2月1日にかけて、シリアでISILに捕まり殺害された二人の日本人湯川氏と後藤氏の事件を。

このナイフは後藤だけでなく、どこであろうと日本人を殺し続けるだろう。日本にとっての悪夢の始まりだ

という声明をISILが出したのが2月1日、安倍首相の反ISILの態度に激怒した結果でした。

ヨーロッパから中東あたりが激しく荒れていたこの時期、多くの日本人旅行者が航空券をキャンセルしました。(まあ当然そうするべきやけど)

外務省が出している海外安全情報ではヨーロッパもオレンジ色(渡航中止勧告)、所により赤(退避勧告)という状況。

もう航空券買ってるし、という理由だけでヨーロッパ行きは中止しませんでしたが、もちろん最近の現状を踏まえたうえでさわとは事前にある一つの取り決めをしました。

これマジです↓

もしテロリストに捕まりそうになったら、自分の命優先で!

逃げれるなら自分一人で逃げること、な!

下手にお互いを助けようとするのは無し。

結局命の危険はありませんでしたが、さすがに緊張感をもって旅してました。

留年覚悟のヨーロッパ旅

まず、ぼくは滋賀県立大学工学部のある研究室に配属される予定の学生で3回生の秋から仮配属されている身でした。

同じ研究室の先輩達はもう卒業論文を完成させ、数日後には工学部の教授たちの前で発表し質疑応答を経て卒業するという段階まできています。

3回生はその先輩たちの卒論発表を聞いて、レポートを提出する事になっていました。

その卒論発表の日程が2月23, 24日でした。2月24日~3月18日までチェコのプラハー関空間で既にチケットを予約していたぼくは

え?(;・∀・)

もう3か月も前からヨーロッパ行きの航空券取ってんで?卒論発表とかぶった?ヤバい・・・

と思い、確か出発2週間くらい前にまずは研究室のボス"M教授"に相談しました。

おれ「あのー、実は24日から小学校からの親友とヨーロッパ旅することになっておりまして…1日目の卒論発表は出れるのですが、2日目が出発日になっておりまして欠席させて頂け・・・」

M教授「それは君の都合でしょ?そんな勝手なことされてもぼくは知らんよ(-ω-)/」←ごもっとも!笑

おれ「どうしても2日目休ませて頂けな・・・」

M教授「そんなん勝手に休んだら卒業は1年待ってもらうよ?当たり前やけど」

と言われてしまった。

さすがに「留年かーもう既に1年休学している俺にとっては別にいいねんけど」という考えにはならない。

留年と休学は全くもって違うからだ。

どうしようか悩んでいるうちに23日になり、もちろん卒論発表1日目はしっかりと出席しレポートを提出する。

しかしこの時すでに肚は決まっていた。

明日はぶっちするしかない

1日目のレポートは同じ研究室の友達I(一年休学していたので一つ下の代の子たち。正直どっちも敬語で話すくらい他人)にお願いしてM教授に渡してもらう事にした。

翌日、親友のさわと当たり前のように会って大阪の関空近くのカラオケ屋でその日の夜を過ごす、出発は翌未明、もう引き返せへん状況に自分を追い込む。

ここから旅が始まります

後日談

ヨーロッパから帰国した当日、まずはM教授の研究室に電話しました。

やはりM教授はカンカンで「とりあえず明日の13時に研究室に来い」と言われました。

翌日絶対に遅刻してはいけないと緊張感を持って大学に行き12:58くらいに教授の部屋をノックしました。

コンコン

M教授「はい?」

ガチャ

おれ「失礼します」

キイィ

M教授「お前かあぁぁ、まだ13時ちゃうやろおおおぉぉ!!!!!コーヒー飲んでる邪魔するなあぁぁ」

おれ「え?」

M教授「また明日同じ時間に来い!!!!13時きっかりや」

と、ほんまに怒鳴られるだけ怒鳴られて翌日もう一度同じ時間に行きました。

コンコン

M教授「はい?」

ガチャ

おれ「失礼します」

キイィ

M教授「そこ座れ」

おれ「はい。。。」

M教授「で、言いたいことは何や」

おれ「ぼくは卒論発表を勝手に休んで友人と2人でヨーロッパに行っておりまして、一昨日帰って来ました。留年は覚悟しておりますが、一言お詫びだけさせて頂こうと(本音)・・・」

M教授「何で勝手に何も言わずにヨーロッパに行ったんや?」

おれ「はい、、、正直な話、、、怒られるのが怖くて、絶対にOKもらえないだろうなと思い勝手にヨーロッパ行きを決定しました(本音)」

数ラリー後・・・

M教授「とりあえず、明日もう一度来い。助教授のY先生と准教授のY先生も呼ぶからそこで三人で処分を決めるから」

おれ「分かりました(´Д⊂グスン・・・」

結果、全て正直に話をしたところ「マイナスからのスタートやというのを忘れるな」と一言もらって許してもらいました。

いま思うと本当にM教授に助けてもらった。( ノД`)シクシク…

本当にありがとうございました。

ではそんな旅の始まりです↓

チェコの首都、プラハ旅行記【1/10】

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