中国の歴史

古代中国の歴史~紀元前500-前27年~

中国の歴史(紀元前500~前27年)

これは古代中国のお話です 

中国

さて、中国では紀元前400年頃に「東周/春秋時代」を終え、遂に戦国時代に突入します。

世界史

そして紀元前200年少し前に「戦国時代」が終わり、「」の時代を迎えますがすぐに終わりを告げ、「前漢」時代に突入します。

前回までのあらすじ(紀元前3000~前500年)

黄河流域に多くの都市国家が生まれ、黄河文明が興りました。

その都市国家を初めて統一した伝説の王朝を滅ぼした(いん)の遺跡”殷墟(いんきょ)”からは、漢字の原型である甲骨文字などが発見されました。

その殷を滅ぼしたのが(しゅう)の武王で、周王は各諸侯に独立して領地を治めることを許す代わりに周王に対して軍役と納税の義務を負わせるという封建制度をとりました。

周の都は異民族の侵入により東に遷都したので、前者を西周、後者を東周と呼びます。

東周の時代に周の力は衰え、代わって実力のある諸侯が争うようになりますが、この時代はまだ各諸侯が周王を尊敬していたので大きな争いはなく春秋時代と呼ばれます。

また、この時代に諸子百家と呼ばれる、孔子の儒学や墨子の墨家など様々な思想や学派が生まれました。

そしてとうとう、中国に戦国時代が訪れます。

戦国時代(前403~前221年)

春秋時代の覇者(有力諸侯)は

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斉(せい)
晋(しん)
越(えつ)
呉(ご)
楚(そ)
秦(しん)
宋(そう)

の七ヵ国になりますが、やがて晋が(かん)・(ぎ)・(ちょう)に分裂し、これに斉・楚・秦・燕(えん)を加えた七雄が争う戦国時代が訪れます。

戦国時代

戦国時代には、鉄製の犂(すき)を牛に曳かせる牛耕農法が普及し、農業の生産性が飛躍的に向上しました。

秦による統一(前221~前206年)

戦国の七雄のうち、(しん)は咸陽(かんよう)を都とする中国西方の国でしたが、紀元前4世紀から法家思想を取り入れて富国強兵をはかり、中央の官吏が地方を治める郡県制などによって中央集権体制を整え力を蓄えます。

31代目の秦王である(せい)は、他の6つの国を滅ぼし、中国を統一しました。(スゴ過ぎる・・・)

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政は、これまでの「王」に代わって「皇帝」という称号を用い、みずから始皇帝(しこうてい)と名乗りました。

始皇帝は戦国時代に各国が使っていた文字や貨幣を統一したり、燕や趙が北方の匈奴(きょうど)対策として築いた長城を改修して繋ぎ、万里の長城を完成させるなど様々な改革を行いました。

中国の世界遺産

(万里の長城)

特に始皇帝は徹底した思想・言論の統制を行い、農業・医学・占いに関するものを除くあらゆる書物を焼き捨てさせ、400人以上の儒者を穴埋めにして殺したとされます。

これを焚書・坑儒(ふんしょ・こうじゅ)といいます。

こうした改革は民衆に重い税や賦役などの負担を強いたため、始皇帝の死後、中国史上初となる農民反乱陳勝・呉広の乱(ちんしょう・ごこうのらん)を始めとする農民の反乱が各地で起き、秦は始皇帝の中国統一からわずか15年で滅びました。

漢王朝の樹立(前202~後8年)

秦の滅亡後、楚の名門出身の項羽(こうう)と農民の出の劉邦(りゅうほう)が勢力を競い、5年の戦いの後に劉邦が勝利し王朝を開き再び全国を統一しました。

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劉邦は高祖(こうそ)ともよばれます。

6代目の景帝のときに諸侯による呉楚七国の乱が起こるもすぐに鎮圧され、これ以降諸侯の土地は削減され、次の武帝の時代には漢の最盛期が訪れます。

武帝は北の匈奴↑を攻撃し、西方の大月氏国↑(だいげっしこく)と挟撃を目論み使者を送りましたが、この試みは成功しませんでした。

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ここから中国が朝鮮半島を支配する時代が訪れます。

漢は領土を広げて西域に敦煌(とんこう)など4郡、朝鮮半島に楽浪(らくろう)など4郡、南越(ヴェトナム)に南海など9郡を置きました。

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上図の朝鮮半島を見ると、高句麗や衛氏朝鮮、三韓などがありますね。

この後、漢では皇帝の側近である宦官(かんがん)と、皇帝の母方である外戚(がいせき)が勢力を争うようになり、やがて外戚の一人・王莽(おうもう)が西暦8年に自ら皇帝となってを開きます。

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