インダス文明 歴史

古代インドの歴史~紀元前500-前27年~

インドの動向

世界史

さて、インドの歴史で言えば紀元前600年~前500年の間は「十六王国時代」でしたが、遂にインド北部にマウリヤ朝が興り、インド半島では「チョーラ朝」と「サータヴァーハナ朝」が起こります。

前回までのあらすじ(紀元前3000~前500年)

インダス川流域に興ったインダス文明は、高度な文明として栄え、代表的な遺跡にハラッパーやモヘンジョ・ダロがあります。

しかし原因不明ですが滅亡し、代わってアーリヤ人がインドのパンジャーブ地方に定住し、バラモンを宗教的指導者として勢力を強めました。

その後、パンジャーブ地方からインドのガンジス川流域に都市国家を多数つくり発展するが、身分差別の強いバラモン教を批判する形でジャイナ教仏教という2つの新たな宗教が生まれる。

アーリヤ人がインダス川からガンジス川へ進出する過程で、彼らの農耕社会は成熟し、生産力が向上して商工業が興り、貨幣が普及しました。

その中で、インダス川からガンジス川にかけて多くの都市国家が生まれ、前4世紀末にマウリヤ朝が統一するまで十六王国と呼ばれる諸国に分裂しており、その中でも特に有力だったのがガンジス川中流のコーサラ国とガンジス川下流にかけてのマガダ国でした。

マガダ国(前6~5世紀)

ガンジス川流域に数多く生まれたアーリヤ人の都市国家のうち、コーサラ国マガダ国の2つ↓が強大となり、やがてマガダ国がコーサラ国を併合します。

十六王国時代

先ほど勉強した通り、この時代はアケメネス朝ペルシアのダレイオス1世がノリノリで帝国の領域を広げていた時代です。(↓インドに注目)

アケメネス朝ペルシア

マガダ国では、同時期に生まれたジャイナ教や仏教を保護しました。

そしてマガダ国にはナンダ朝↓が興り、強大な軍隊を持ち、貨幣を発行し、ビルマやセイロンとも交易を行いました。

インド

また西方にアケメネス朝ペルシアがパンジャーブ地方に侵出してくると、イラン文明の影響を受けることになりました。

マウリヤ朝(前317~前180年)

さて紀元前317年、元々マガダ国生まれのチャンドラグプタという青年がいました。

マケドニア王国のアレクサンドロス大王がアケメネス朝ペルシアを倒して、大帝国を築こうとインドのパンジャーブ地方にまで進撃してきた時にこれを迎え撃ったのがチャンドラグプタです。

世界史

(⑤番の退去開始以降)

チャンドラグプタはマケドニア王国を迎え撃って追い払い、その勢いでマガダ国やその他の周辺王朝をどんどん壊滅させていきました。

こうしてチャンドラグプタが興したマウリヤ朝は、インドに残ったギリシャ人を追い出し、マガダ国などのガンジス川流域の都市国家を征服し、インド史上初めての統一王朝となりました。

イプソスの戦い

» イプソスの戦いと象の話(興味があれば)

チャンドラグプタがインドを統一した頃、シリア王セレウコスがインダス川を越えて侵出してきたので、チャンドラグプタはそのシリア軍を撃退し、講和条件として両王家のあいだに婚姻関係を結びました。

チャンドラグプタはセレウコスの皇女を妃としたらしいですが、詳細はわかっていません。

これによりチャンドラグプタはセレウコスの占領地4州を手に入れ、その代わりに象500頭をシリア王に贈りました。

セレウコスは後にこの象部隊を使って、イプソスの戦いでアンティゴノスに勝利することになります。

» 折りたたむ

マウリヤ朝は前3世紀、アショーカ王のときに全盛期を迎えます。

マウリヤ朝

アショーカ王は仏教に深く帰依したことで知られ、第3回仏典結集を行ったほか、仏教を伝えるために王子をスリランカへ派遣したと言われています。

また、政治理念を洞窟(磨崖碑)や石柱(石柱碑)に刻ませて各地に建立しましたが、アショーカ王の死後、マウリヤ朝は弱体化し分裂します。

仏典結集

シャカの死の直後、彼の教えを正しく伝えるために、弟子たちが集まって確認し合ったのが第1回。

その後、仏教が広まるにつれて分かれていった教義や解釈を、統一したり文字に残したりするために行われたのが第2回以降

サータヴァーハナ朝(前1~後3世紀)

世界史

再び年表に戻りますと、マウリヤ朝は全盛期にインド半島もほぼ征服しているので「アジア北部」と「インド半島部」の両方に被ってもいいと思いますが・・・

マウリヤ朝滅亡後、インドは混乱の時代となりますが、南インドではドラヴィダ族によるサータヴァーハナ朝(アーンドラ朝)が成立し、1世紀の初めに北インドへも領土を拡げます。

サータヴァーハナ朝

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