共和制ローマから帝政ローマへ
ローマ帝国の歴史は、年表上では至って簡単です。
「共和制ローマ」から「ローマ帝国」だけです。
しかし、大事なお話は多いので油断はできません(笑)
パトリキとプレブス
この項の内容は、前記事の「エーゲ文明その後」とよく似ているので、そちらも思い出しながら読み進めてください。
イタリアでは紀元前6世紀末にラテン人の都市国家ローマが、先住民族エトルリア人の王政ローマを追い出して共和制ローマをしきました。
とは言っても、初期の共和制ローマでは、最高政務官であるコンスルや最高機関である元老院の議員になれるのはパトリキ(貴族)だけでした。
ギリシャのポリスでも、初期は身分が貴族・平民・奴隷の3つで、当初は政治に行くのも戦争に行くのも貴族でしたよね!
しかしアテネと同様、重装歩兵として戦争に参加し力をつけてきたプレブス(平民)が政治への参加を求めたため、平民会が設けられます。
平民会からは、元老院の決議に拒否権をもつ護民官が選出され、その後もいくつかの法律によってプレブス(平民)の権利は強まりましたが、実質的な権力を握っていたのはやはりパトリキ(貴族)でした。
ポエニ戦争(前264~前146年)
ローマが地中海への進出を目指したとき、そこで勢力をもっていたカルタゴと衝突することになります。
(カルタゴ・・・(。´・ω・)?)恐らくほぼ誰も覚えていないのでは?
紀元前3000~前1000年編でも書きました、あの「カルタゴ」です。
カルタゴについて「大丈夫、覚えてんで」という方は下↓をすっ飛ばしてもらっても構いません。
» カルタゴの説明again
フェニキア人は前1300年頃、シリアやパレスチナなど東地中海沿岸に進出すると、シドン、ティルスといった都市国家を建設し、地中海貿易を行いました。
また、(後にローマ帝国と激しく争う事になる)北アフリカのカルタゴなど、
地中海沿岸に植民都市をつくったほか、紅海を通って西南アラビアやアフリカとも交易しました。
さて、以上を踏まえて下の画像をご覧ください。
↑図中の赤線で囲まれた「フェニキア人」から赤線が北アフリカのチュニジアに向かって伸びています。
フェニキア人はここに「カルタゴ」という都市を築き、このカルタゴが勢力を強めて共和制ローマと戦います。
↑図中の紫色がカルタゴの勢力で、北アフリカの沿岸部と(現在のスペインの)イベリア半島に分布していますね。
これを理解したうえで、再び年表↓を見ますと
ちゃんと、カルタゴが「チュニジア」と「イベリア半島」に存在し、紀元前100年になる前に共和制ローマに敗れて滅亡したのがわかります。
» 折りたたむ
そのカルタゴとローマの3回にわたる戦いがポエニ戦争です。
第一回ポエニ戦争(前264~前241年)は、ローマが勝ってシチリアを属州にし、
第二回ポエニ戦争(前218~前201年)は、カルタゴのハンニバルがアルプスを越えてローマに迫りますが、ザマでローマの将軍スキピオに敗れ、
第三回ポエニ戦争(前149~前146年)は、ローマ軍がカルタゴを滅ぼします。
その後ローマはギリシャやマケドニアも征服し、地中海を支配するようになります。
没落平民
第二回ポエニ戦争後に、ローマでは、貴族パトリキや有力平民によるラティフンディア(大土地経営)が発達し、ポエニ戦争などに重装歩兵として参戦した平民はローマに帰れず、彼らの土地は買い占められていきます。
せっかく重装歩兵として自分で武具を買ってまで戦争に参加したのに。帰れないうえに自分たちの土地が買い占められていくなんて。ヒ、ヒド過ぎる・・・
また、属州から安い農産物や奴隷がもたらされ、土地を手放す農民も増え、平民は没落していきます。
こういった平民を没落平民と呼びます。
グラックス兄弟は、大土地所有を制限し、貧民に土地を与えて自作農をつくることを試みますが、兄の暗殺と弟の自殺で実現しませんでした。
紀元前1世紀になると、属州の各地でローマの支配に対する反乱が続発し、イタリア半島でも同盟市戦争や、剣奴スパルタクスの反乱などが起こります。
同盟市戦争
前91~88年、ローマに服属していたイタリア半島の同盟市が市民権を求めて蜂起した戦争。
戦争は平定されたが、イタリアの全住民にローマ市民権が付与されて終わった。
剣奴スパルタクスの反乱
前73年に剣奴スパルタクスが指導してが起こしたローマ史上最大の奴隷反乱。前71年にクラッスス、ポンペイウスらによって鎮圧された。
政治では元老院中心主義の閥族派と平民派が対立、平民派のマリウスと、閥族派のスラは、没落平民を私兵として雇って争うなど、混乱が続きます。
三頭政治
前60年、有力な軍人・政治家である、
ポンペイウス
クラッスス
カエサル(シーザー)
の3人が政権を握りますが、この第1回三頭政治はクラッススが死に、ポンペイウスとカエサルが対立して解消します。
カエサルがガリア(現在のフランス・ベルギー辺り)に遠征して同地方を征服すると、ローマ市民の間でカエサルは圧倒的な人気をもつようになります。
彼は最高機関である元老院からインペラトル(最高指導者)の称号を与えられるとともに、終身ディクタトル(独裁官)になります。
しかし、カエサルはその独裁を恐れた親友のブルートゥスによって暗殺されます。
紀元前48年、エジプトに侵攻したカエサルはクレオパトラを自分の愛人とし、彼の後押しでクレオパトラがエジプトの女王になりました。
その後
オクタヴィアヌス
アントニウス
レピドゥス
による第2回三頭政治が行われますが、エジプトの女王クレオパトラと結婚したアントニウスを、オクタヴィアヌスがアクティウムの海戦で撃破し、ローマはエジプトを併合して地中海を統一することになります。
クレオパトラと結婚したアントニウスに嫉妬したんだな、わかる、わかるよその気持ち。オクタヴィアヌスよ!
ローマ帝国の始まり
紀元前27年、オクタヴィアヌスはプリンケプス(第1の市民)となりながらも、元老院からアウグストゥス(尊厳者)の称号を与えられ、実質上の独裁者となりました。
これ以降ローマは帝政となり、ローマ帝国の始まりです。