ギリシア建築 わかりやすい

わかりやすい【ギリシア建築③】~ヨーロッパ行ってから後悔しないために~

はじめに

RYOです

ギリシア建築を少し詳しい部分まで掘り下げようという狙いで、今回はアルカイック時代について説明します。

※明言しますが、西洋建築の勉強をしてからヨーロッパに行けば無学で行くより100倍楽しめます。5回にわたってヨーロッパ30ヵ国以上を完全無学で周ってきた僕が言うので間違いありません(笑)

参考文書:【カラー版】西洋建築様式史

↓こちらを前提に話を進めますので、まずはこちらを読んでください↓

西洋建築を理解するための前提概念

記事中の線の色について↓

 超重要なワードは赤線

重要なワードは緑線

一般的な強調は
文の場合:黄色線
単語の場合:太字

で表しています。では始めます。

もし興味があれば先にこちら↓をお読みください、きっと役に立ちますから!

【世界史】キーワードで追う紀元前 ー紀元前3000~前1000年編ー

アルカイック時代(前600~前480年)

金属加工や陶器生産などの手工業の顕著な発達とそれを取り扱う交易の発展によって、ギリシア世界は次第に貨幣経済に支配されるようになりました。これにより、血統ではなく経済力のある者が台頭し、市民として都市の防衛にも力を発揮することになり、平民階級が台頭し始めました。

グラディエーター

当時は戦争に参加できるのは貴族だけでしたが、平民が自分で武具を買って戦争に参加するようになり、平民も徐々に力を付け始めました。

その当然の結果として、貴族階級と平民階級の抗争が生じ、その対立の隙間を埋めるように各ポリスでは(スパルタを除き)僭主(せんしゅ)が統治する場合が多くなりました。

僭主(せんしゅ)

僭主とは、貴族階級と平民階級が対立している時代に市民に迎合して権力を握った非合法な独裁者のこと。(別に悪者とは限らない)

その過程を経て、前6世紀末にアテネで古代民主制が完成し、都市がアゴラ&アクロポリスといったように明快に区別されるようになりました。

アゴラ:行政、商業、公共の施設が広場の周りに集積した場所

アクロポリス:要塞と神域を兼ね備えた場所

※アクロポリスの他にも崇拝のための神域などもあります。

まず神殿建築では、前7世紀の中頃から切妻破風(きりつまはふ)の三角形部分になんらかの装飾を施すことが始まりました。

またこれまでの木造の柱・梁にテラコッタを貼り付ける神殿の構法から、前600年頃を境に石造の建築へと次第に移行していきました。

テラコッタ(terra-cotta)

イタリア語で「素焼き」の意味。要するに土偶とか埴輪とか陶器とか、粘土を焼いて作った細工物

このようにして神殿建築は4周に柱を巡らす周柱式が最も一般的な形式となり、その平面形式の定型がほぼ完成し、さらに神域の構成も整えられるようになりました。

コリントのアポロ神殿

コリントのアポロ神殿はドリス式神殿の最も典型的な最初の完成された例で、後のギリシアの神殿建築の規範となる役割りを果たしたと言えます。

その要素を羅列したので一度確認してください↓

・石灰岩造のスタッコ仕上げ

・4段の階段(3段が最も一般的ですが)

・正面6本、側面15本の一本石からなる円柱

・柱の高さは下部直径の4.15倍でエンタシスの強い形をしている

・梁に相当するアーキトレイヴとフリーズは分厚い

・柱頭の意匠は丸みを帯びて横への広がりの大きな形をなす

・全体としてシャープさに欠けた極めて鈍重なプロポーション

・列柱で囲まれた内部の室はプロナオス、2つのナオス、オピストドモスの4つに分かれる

・ナオス内には円柱の列が2列あり、屋根をささえる。

ではこいつらを一つずつ解説していきたいと思います。

石灰岩造のスタッコ仕上げ

まずスタッコについてです。

スタッコとは建築材料で、建物の外壁に塗るモルタルと考えてください。しかし「モルタル」もあまり一般的な単語では無いと思うので、もっと簡単に言います。

それは「セメントの粉に水と砂を混ぜたもの」です!

こんな感じの表面ザラザラの建物見たことありますよね?

実際のアポロ神殿で見るとこんな感じです↓

こいつらはスタッコ仕上げがなされています。

4段の階段(3段が最も一般的ですが)

コリントのアポロ神殿の円柱は4段の階段の上に立っています。

しかし、後のギリシア建築では3段が最も一般的です↓

正面6本、側面15本の一本石からなる円柱

そして、アポロ神殿を平面図で見てみると↓

正面6本、側面15本の細長い形をしているのが分かります。

(もしかしたらこっちは側面やったかも・・・)

柱の高さは下部直径の4.15倍でエンタシスの強い形をしている

さて、ギリシア建築を理解するにあたって重要な要素が「比例」です。この時代、数学者ピタゴラスが「万物の根源は数である」と言ったほど、世界は数の法則で成り立っていると考えられていました。

なのでギリシア建築の建物は全て、恐ろしいほど数学的に精確な比例を用いて設計されました。そのような比例的統一を作り出すために、ギリシア人は「モドゥルス」と呼ばれる基準単位を用いました。

モドゥルス

柱身の底部の直径(ときとして半径)を1モドゥルスとし、建物各部の寸法はその整数倍あるいは分数倍として定められた。

そしてエンタシスの強い形をしています。

エンタシス

柱の中心部にもたせたわずかな膨らみのこと。エンタシスを施した柱を下から見上げると、真っ直ぐな円柱よりも安定して見えるらしい。

梁に相当するアーキトレイヴとフリーズは分厚い

まずは「梁(はり)」について。梁とは、建築用語で柱の上に載る水平帯のことです↓

ギリシア建築

こんなんとか、

ギリシア建築

こんなんです。何となくわかりますよね!

ではアーキトレイヴとフリーズとは何か?まずは下の画像を見てください↓

つまりアーキトレイヴとフリーズは、円柱の上に載る水平帯の部分ということです。

※これらにフリーズを加えたものがエンタブラチュアです(←実は超重要ワード

こんな感じです↓

ギリシャ建築 オーダー

では、実際のアポロ神殿で確認してみましょう↓

まあ今から2500年以上前に造られたものですので、↑みたいな感じでフリーズは残っていません。しかし重厚なアーキトレイヴはまだしっかり確認できます。

柱頭の意匠は丸みを帯びて横への広がりの大きな形をなす

では柱頭を見てみましょう↓

柱頭とは円柱の頂部を指し、鉢型のエキノスと直方体のアバクスからなります。

この柱頭が、丸みを帯びており横への広がりの大きな形をなしているという事です。

全体としてシャープさに欠けた極めて鈍重なプロポーション

これはもう、各自の主観になるのですが、全体としてシャープさに欠けた極めて鈍重なプロポーションをしています。

列柱で囲まれた内部の室はプロナオス、2つのナオス、オピストドモスの4つに分かれる

ナオス、プロナオス、オピストドモスについての説明を忘れた方もいると思うのでもう一度説明します↓

ナオス:神像をおさめた神室(聖なる部屋)

プロナオス:ナオスの前の前室で玄関ポーチ的役割を果たす(聖なる部屋の前室)

オピストドモス ナオスの後ろに位置する後室(宝物を貯蔵する部屋)

ナオス内には円柱の列が2列あり、屋根を支える

どうしても当時の写真が見つからないので、こう推測するしかありません↓

まあとにかく、これらがドリス式神殿の最も典型的な最初の完成例なのでした。

アエギナのアファイア神殿

全体として最も丸みを帯びたやや重苦しい感じのアルカイック時代のドリス式神殿が最も洗練されたものがアエギナのアファイア神殿↑です。

その要素を羅列したので一度確認してください↓

・3段の階段の上に正面6本側面12本の円柱が立つ周柱式

・石灰岩造のスタッコ仕上げ

・柱の高さは下部直径に対して5.33倍で、コリントのアポロ神殿に比べやや細くなったが、柱頭の意匠はまだずんぐりした形をなしている

・軒にあたるシーマや破風などの建築装飾を施すところには大理石が使用されている

・三角形の破風(はふ)飾りはトロヤ遠征を題材とし、左右対称に配した彫刻群から構成される 

ではこいつらを一つずつ解説していきたいと思います。先ほどと被る部分も多いのでサッと進めていきます!

3段の階段の上に正面6本側面12本の円柱が立つ周柱式

石灰岩造のスタッコ仕上げ

柱の高さは下部直径に対して5.33倍

さて、大事なことなので先ほどと同じことを繰り返します。

ギリシア建築を理解するにあたって重要な要素が「比例」です。この時代、数学者ピタゴラスが「万物の根源は数である」と言ったほど、世界は数の法則で成り立っていると考えられていました。

なのでギリシア建築の建物は全て、恐ろしいほど数学的に精確な比例を用いて設計されました。そのような比例的統一を作り出すために、ギリシア人は「モドゥルス」と呼ばれる基準単位を用いました。

モドゥルス

柱身の底部の直径(ときとして半径)を1モドゥルスとし、建物各部の寸法はその整数倍あるいは分数倍として定められた。

コリントのアポロ神殿に比べやや細くなりましたが、柱頭の意匠はまだずんぐりした形になっています。

軒にあたるシーマや破風などの建築装飾を施すところには大理石が使用されている

まず軒(のき)ってわかりますか?

屋根の、建物外部に張り出した部分のことです↓こんな感じ

そして破風(はふ)って、アポロ神殿でやったんですけど覚えてますか?この部分です↓

つまり一枚の画像で表現するとこうなります↓

「軒にあたるシーマ」とありますが、要するにシーマとはこの軒の形の一つなんです↓

日本語で言えば「波刳形(なみくりかた)」と言いますが。とにかく、この軒と破風の装飾に大理石を用いていたらしいのです。

※遺構からはシーマの形は確認できませんが・・・

要するにこの↓破風と軒の部分が大理石でできていたんですね。破風は何となくで描きました。

このように大理石は建築装飾を施す部分にまず取り入れられ、次第に建物すべての材料として用いられるようになりました。

三角形の破風(はふ)飾りはトロヤ遠征を題材とし、左右対称に配した彫刻群から構成される 

破風に彫刻を左右対称に配置するのは、コルフ島のアルテミス神殿やコリントのアポロ神殿に見られるように、アルカイック期の特徴です↓

確かに左右対称に見えますね。しかしもう少し拡大してみましょう↓

平面形式

このようにアルカイック期のドリス式神殿は周柱式で、周柱で囲まれた内部はプロナオス、ナオス、オピストドモスを備えていました。プロナオスとオピストドモスは壁の間に柱が2本立つ場合が一般的であり、プロナオスの前面全体にわたって柱が立ち並ぶ形式を取ることはありません。

また、神室の壁の中心線と周柱の柱の中心線はほとんど一致していません。

縦方向は中心線と一致していますが、横方向は中心線がずれています。なぜなんでしょうか・・・

アファイア神域ではアルカイック時代の神域の構成がよく表れています↓

全体を周壁で囲み、神殿の真正面に祭壇が置かれ、プロピュロン(神域への門)はこの神殿と祭壇の中間に直角方向に配置されます。つまり訪れる人々は神殿と祭壇の両者を対等にかつ立体的に眺めつつ、さらにその両者に挟まれた空間を意識するようにプロピュロンから神域内に導かれるのです。

こうした神域の配置構成はギリシアの神域で継承されていきます。

イオニア式巨大神殿

この頃イオニア地方で3つのイオニア式巨大神殿の建設が始まりました。それが

・サモスのヘラ神殿

・エフェソスのアルテミス神殿(前5560ー前550)

・ディディマのアポロ神殿 

です。

これら3つの巨大神殿にはいくつかの共通する特徴がみられ、それはこれまでのドリス式神殿に見られないものです。すなわち↓

・二重周柱式であること

・オピストドモスがないこと

・壁の中心線と周柱の柱の中心線がほぼ一致すること 

です。

二重周柱式であること

いずれも周囲に二重に柱を巡らせる二重周柱式↓です。

見てください、とんでもない大きさでしょう?笑

先ほどから勉強してきた(一重)周柱式の神殿とは明らかに格が違うって感じです↓

いずれも正面に8柱、背面に9柱、側面に21本の円柱が立ちます。(エフェソスの神殿は背面8本側面20本の可能性あり)

一つ疑問なのが、二重周柱式の捉え方です↓

二重周柱式とはいえ、2通りの捉え方ができますよね。

ぼく的には左の方が正しい認識だと思いますが、テキストには何も載っていません。

オピストドモスがないこと

また、内部はナオスとプロナオスのみでオピストドモスはありません。

ヘラとアルテミス神殿:正面幅50m以上、長さ100m以上

アポロ神殿:正面幅38m、長さ85m

ヘラ神殿ではナオス内に2列の柱が立ち屋根を支えていましたが、他の2つの神殿のナオス内に独立柱は無く、恐らく屋根はかかっていなかったとみられています。

壁の中心線と周柱の柱の中心線がほぼ一致すること 

ドリス式神殿では、↓のように壁の中心線と柱の中心線が一致しませんでした。

しかし、イオニア式神殿の場合↓

神室の壁の中心線と周柱の柱の中心線がきれいに一致しています。(多少のずれは人為的ミスです)

さらに正面と側面の柱間寸法は異なり、ヘラやアルテミス神殿では正面の柱間は中央にいくほど広くなります↓

2つの渦巻きからなるイオニア式柱頭↓が確認できるのはこの前6世紀中頃になってからでした。

おわりに

さて、幾何学様式時代からアルカイック時代まできました。

次はクラシック時代(前480-前323年)で、世界遺産でもあるパルテノン神殿が登場します

クラシック時代の次が最後で、ヘレニズム時代となります。

お楽しみに~

ギリシア建築 わかりやすい
最新情報をチェックしよう!