RYOです
ここで一度、今までの旅を振り返ってみようと思います
とりあえずぼちぼちですが、2014年1月から2017年3月までをぼちぼち書いていこうと思います、とりあえず。笑
ドレスデンで究極の暇つぶしを終えてとうとうアウシュビッツ強制収容所へ
五日間も滞在したので色々と行きました
2014年版は全10回でお届けしたいと思います
「〇〇時に△△行きの電車に乗り・・・」みたいなだらだら長話は避け、観光情報というよりは単純にその国で見たもの/驚いたことを中心にご紹介していきます。
アウシュビッツ強制収容所
そもそもの話ですが、悪名高きアウシュビッツ強制収容所はポーランドにあります↑
現地の呼び方ではアウシュビッツ(これはドイツ語)ではなく
オシフィエンチム
と呼ばれます。
アウシュビッツ強制収容所の特徴
約110万人が犠牲となったナチスが造った殺人工場
人類史上最大級のホロコースト(大量虐殺)が起きた
ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になれる)の看板が有名
アウシュビッツ強制収容所の歴史
この一連のユダヤ人に対するジェノサイドの主要人物は、ぼくの愛読書GOLGO13でもよく登場します。
(※ヒトラー、アイヒマン、ヘス、ヒムラーなど)
» アウシュヴィッツ収容所の簡単な歴史↓
1940年
ハインリヒ・ヒムラーがアウシュビッツ強制収容所の建設を命令し、所長に親衛隊将校ルドルフ・ヘスが選ばれた。
当初はポーランドの反ナチ活動家などを収容していた。
1941年
独ソで戦争が始まると、ソ連兵捕虜のために施設は急激に拡張され始めた。
その中には捕虜に対する人体実験施設もあった。
ヒムラーはヘスに毒ガスチクロンBを用いて労働不能の捕虜の殺害を効率的に行うよう指示した。
この年にアウシュビッツ第二収容所としてビルケナウ絶滅収容所の建設が開始された。
労働力はもちろんソ連の捕虜たちで、翌年まで生き残れたのはわずか2%というほど過酷な労働だった。
1942年~
本格的にユダヤ人の絶滅政策が始動し、ドイツ軍によって占領された支配地域からユダヤ人を満載した列車が終点のビルケナウに着き、その場で「選別」が行われた。
その際75%の人間が労働不能と判断され、ガス室に直行した。
「人間の皮を被った悪魔」と呼ばれたナチスのユダヤ人問題担当のァドルフ・アイヒマンがハンガリーに派遣され徹底したユダヤ人狩りが行われたのでハンガリーから移送されたユダヤ人が最も多かった。
1945年
1月27日にソ連軍がアウシュビッツを占領し、収容所を解放した。
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クラクフ滞在記
クラクフはポーランドの古都です(首都はワルシャワ)
スナックの自動販売機
ヨーロッパでは普通やけど、駅にはこういうスナックと飲み物の自販機が置いてあります。
たいていの大きな駅にはまあ間違いなくありますよねー
浮浪者に絡まれたら日本語で対応すべし
駅の外の屋台でホットドッグ売ってはったので買おうと思ったら、(ぼくが)見るからにアジア人の旅人なのでポーランドの浮浪者がずーーーっとついてきよりました!!
屋台の店員がホットドッグをおれに渡そうとすると、そのホットドッグを横からその浮浪者が盗ろうとしてきました。
初めは英語で
「Nooo don’t touch this Hot Dog, it’s mine. IT’S MINE !!!」
とか中学英語丸出しで言い返してました。
でも向こうは気にせず俺がホットドッグ持ってどこに行ってもすぐ後ろついてきよるんです…
駅の構内で三段くらいの階段にかばん置いてヒザにピエロギの皿乗せて食べようとすると、目の前に立って素手で取ろうとしてきよる・・・その時に思いました。
あ、、とりあえず暴力的ではないんや
まあ本気で暴力してきよったら勝てる自信はある、当時ですら!
よぼよぼの汚いちっちゃな浮浪者ですからね。
もう一つ学んだことがこちら↓
外国で絡まれたら変に英語でコミュニケーション取ろうとせずに、ひたすら日本語で怒鳴る
です。ぼくはやりましたよ!
うざいねん、あっち行けよ!ってかお前誰やねん!!!臭いし汚いし触んなよ。お前ってほんましょーもな・・・
と日本語で言ったら消えました。
そりゃそうですよね。
聞いたことの無い言語であからさまに怒ってるゴリラみたいな男。。。そらコワイわ
GET OUT!!!!
って言うより100倍怖い気がする。笑
※しかし同時に知っておいて欲しいのは、ヨーロッパではホームレスに対して「助けてあげよう」という気持ちが尊重されるのも事実です。
子供にお金渡して「ほら、お金入れてきてあげなさい」とかやってる親子の光景も結構目にしました。
ヨーロッパの電車は通告なく時間やプラットフォームの変更がある
これもヨーロッパあるある。
乗り換えの電車が来ない!!!
いや、時間より早く出た?え?(;・∀・)
RYOさんパニック!
とにかく自分が乗るはずやった電車に乗っていないというのは確かである。
ヨーロッパの電車は事前通告もなく急にプラットフォームや時間の変更がある。
しかもそのアナウンスを英語ではなくドイツ語とかの現地語でしかやらないんです。
つまり↓
その場合、事情を知らない外国人は乗り遅れる
はい、ぼくです。
現地の言葉は少しくらい勉強してから行くべし
急遽駅員に相談するとどうやらチェコのプラハへは夜行バスが出ているらしいのです。
まあチェコの首都ですからね、夜行バスが出てて当然です。
この夜行バス探すのに一時間以上かかりました!
バスセンター行ってチケットは予約できたのに、出発する番号がわからへん。なぜなら
全てポートランド語やから↓
向こうのバスセンターの係員もポーランド語しか話せなかったんです。
ほんまに忘れもしない、僕が混乱したポーランド語がスタノヴィスコでした。
係員が「スタノヴィスコオシェム」と何回も俺に言ってたけど、それが「8番プラットフォーム」とわかるのはバスの出発直前でした。
この時の焦りようはすごかった。
スタノヴィスコってなんやねん!!!!
オシェムがポーランド語で8を表す?知るか!!!!!
(乗り遅れそうなって泣く寸前)
意外に歌舞伎とか浮世絵が人気
クラクフ市内で発見したんですが、ヨーロッパにもいくつか日本文化が浸透しています↓
歌舞伎とか浮世絵。
本来の意味は知らんけど、浮世絵が漫画として捉えらえています(笑)
普通のカフェがオシャレ
これが普通のカフェ!
めっちゃおしゃれやん、
安いし。めっちゃ美味しい
基本ヨーロッパのカフェは日本よりオシャレ、か、異国風やからオシャレと感じやすいのかのどちらか。
ヴァヴェル城
宿の近くに歴代王の居城「ヴァヴェル城」があったのでとりあえず観光!
ヴァヴェル城はポーランドのクラクフにあるポーランドで最も大きな城です。
「ヴァヴェル」と聞くとユダヤ教の聖典タナハ(キリスト教で呼ぶところの旧約聖書)に記されている神に近づこうとして建てた塔が神の怒りに触れた話「ヴァヴェルの塔」が思い浮かびますが「ヴァヴェル城」は一切関係ないようです。
クラクフはドラゴンが有名らしい↓
しかもたまに火を噴く↓
中華料理が美味しい
あかん、どうしても中華料理屋に行ってしまう俺がいる…
この酸辣湯(サンラータン)がめちゃくちゃ美味しかったんです↓
このメニューが何かは覚えていないが、超美味しかった覚えがあります笑
麻婆豆腐かな?
この中華料理屋のシェフとその奥さん↓
美人な店員さんやったから「May I take a photo ?」(with me?)の意味で写真一緒に撮ってくださいと言いたかったけど、旦那さんいたんや。
でもあなた達二人の写真は
いりません(笑)
ヨーロッパで「water」と言えば「炭酸水」のことである
はい、またあるある!
ヨーロッパでwaterと言えば普通はガス入りの水、つまり炭酸水です
知らずに買って超後悔します。
なんで朝一番から炭酸水飲まなあかんねん!!!
皆さんも気を付けてください。
ドイツ語で
「mit kohlensaure(ミット コーレンゾイレ)」は「with gas」、
「ohne kohlensaure(オーネ コーレンゾイレ)」は「without gas」です。
英語で店員さんに尋ねる場合は「Still water」が「普通の水」、「water」は「炭酸水」のことです。
これは幾度となくミスしてきました。
アウシュヴィッツ強制収容所
強制収容所と聞けば、一番有名なのは「アウシュヴィッツ強制収容所」ではないでしょうか。
しかしアウシュヴィッツ強制収容所はどちらかと言うと「働けるユダヤ人」を収容していたのに対し、その隣の「ビルケナウ絶滅収容所」には肉体労働ができない人たちが最悪の環境で収容されていました。
これが有名な"ARBEIT MACHT FREI"
「働けば自由になれる」と言う意味(←真っ赤な嘘
バラックから見える外の様子。
当時の収容者も同じ景色を見ていたのでしょう。
この一段↓に収容者が5~6人詰め込まれていたらしい。
美人が多い
別にこれはポーランドに限りません。
ヨーロッパの各地域によってある程度の特徴はありますが、基本的にエキゾチックで美人です。
どんな美人やねん!!!
この女性、直で見たときの美しさは半端なかった。
めっちゃドキッとしました。
場外スケートリンクagain
ヨーロッパには場外スケートリンクが数多くあります↓
場外スケートリンクで遊んでた現地の子ども
この子らは英語を全く話せへんし、おれはポーランド語を全く話せへん。
でも何だかんだボディーランゲージ含めて話しができました↓
貧乏旅の良き伴侶
一瞬、女性の話と思った方、違います。
貧乏旅の良き伴侶と言えば「貧乏食」のことですよ。
ヨーグルト+パン=安過ぎる
チェコのプラハへ
そしてとうとうポーランドを去って夜行バスでチェコのプラハへ。
ここでも急に乗り場が変わっておれパニック
近くにいたポーランド語分かる現地の人(?)↓が明らかに困ってる俺を見て教えてくれ、無事にプラハに向かえました。
「お、友人できた」
と思いましたが、夜行バスでプラハに着いた瞬間その人はなんの挨拶も無く降りてどこかに行きました。