ギリシア建築

わかりやすい【ギリシア建築➀】~ヨーロッパ行ってから後悔しないために~

はじめに

RYOです

ギリシア建築を少し詳しい部分まで掘り下げようという狙いで、今回はクレタ建築・ミュケナイ建築について説明します。

※明言しますが、西洋建築の勉強をしてからヨーロッパに行けば無学で行くより100倍楽しめます。5回にわたってヨーロッパ30ヵ国以上を完全無学で周ってきた僕が言うので間違いありません(笑)

参考文書:【カラー版】西洋建築様式史

↓こちらを前提に話を進めますので、まずはこちらを読んでください↓

西洋建築を理解するための前提概念

記事中の線の色について↓

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一般的な強調は
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単語の場合:太字

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もし興味があれば先にこちら↓をお読みください、きっと役に立ちますから!

【世界史】キーワードで追う紀元前 ー紀元前3000~前1000年編ー

クレタ文明・ミュケナイ文明

ギリシア文明に先行してエーゲ海一帯ではクレタ文明とミュケナイ文明が興りました。

クレタ?ミュケナイ?え、早速むずっΣ(゚Д゚)

って思った方、大丈夫!一つずつ簡単に説明しますから。絶対に諦めないように!

エーゲ海

まずはエーゲ海から説明しましょう。エーゲ海は、現トルコとギリシャに囲まれた海のことです↓

紀元前3000年頃にこのエーゲ海一帯で「クレタ文明」が興り、紀元前1600年頃からは「ミュケナイ文明」が興りました。

詳しいことは後述しますが、何となくの感覚でお伝えします。

クレタ文明:ミュケナイ文明より先に興ったが、ミュケナイ文明に滅ぼされた。

ミュケナイ文明:クレタ文明より後に興ったが、クレタ文明を滅ぼした。

こんな感じでいいです。

クレタ島とペロポネソス半島

クレタ文明クレタ島を中心に栄え、ミュケナイ文明ペロポネソス半島を中心に栄え、両方とも後のギリシア文明に少なからぬ影響を与えました。

ではクレタ島ペロポネソス半島の位置を確認しましょう↓

クレタ島:エーゲ海に浮かぶ島

ペロポネソス半島:エーゲ海に突き出た半島

ギリシア文明

という事で、先に興ったクレタ文明ミュケナイ文明が  滅ぼし、ミュケナイ文明もやがて滅びました。

そこに新たに入植し繁栄したのがギリシア文明でした。

ギリシア文明は、紀元前8世紀頃から生まれてきたポリスと称される都市国家を基盤としており、ポリスはそれぞれの自立性と独自性を有し、ポリス同士が集まってより大きな国家として生まれ変わることはありませんでした(←各ポリスが自立しているから)

都市国家

都市国家とは「都市サイズの国家」のことで、日本で言えば「都道府県」がそれぞれ一国として上下の関係なく自立&存続しているような感じです。

つまり京都府と滋賀県で領土争いが起これば、それは都市国家同士の戦争なのです。その際に大阪府が京都府を支援するといったようなこともありました。

いわゆる「小さな国家」といった感じでしょうか。その都市国家の中に有名な「アテネ」や「スパルタ」がありました。

むしろ、エーゲ海周辺という共通の気候や風土を背景とし、ほぼ同じような祭事、宗教、価値観を互いに共有し合うというゆるやかなつながりを保っていました。

紀元前4世紀後期のアレキサンダー(アレクサンドロス)大王の東方遠征に始まるギリシア文明とオリエント文明の接触は、ヘレニズム時代という新たな時代を切り開くことになりました。

ヘレニズム

ギリシアのアレクサンドロス大王の東方遠征によって、ギリシア文明とオリエント文明が融合すること。

オリエント地方とは現在の中東地域のことで、アレクサンドロス大王がヨーロッパから西アジア地域まで大帝国を築いた際に東西の文化が混じりました。

例えば、「鼻の高い仏像」で知られるガンダーラ美術などがヘレニズム文化の象徴。まさに東洋と西洋が混ざり合った瞬間!

ガンダーラ美術

紀元前11世紀から紀元前4世紀末までのギリシア建築は、その対象を神殿建築のみに限っていたと言っても過言ではありません。そこでは石材を材料とし、柱・梁という極めて簡素な構造形式が作り出しうる建築美、その一点のみをひたすら追求し、そこに全てのエネルギーが集められました。

すなわちギリシアの神殿は、極めて限られた特定の建築タイプを洗練させることでいかなる建築美にも到達し得るかを最も端的に示しているのです。

ヘレニズム建築では建築の対象が神殿以外のものにも広がりを見せるとともに、建築そのものの理念化、平準化が進み、その結果、機械的な統一された形式が生まれ、極めて端正で美しい姿を見せてくれる一方で、別の観点からすれば力強さと面白みに欠ける建築となっていきます。

クレタ建築

クレタ文明は前3000年から前1100年頃までクレタ島を中心に栄えました。

クレタ島↓

エーゲ文明

年代的には大まかに以下の三期に分かれます。(※諸説あります)

前期(紀元前2000~前1700):王政による諸都市が出現する。

中期(前1700~前1400):農業とエーゲ海を舞台とした周辺諸国との海上貿易によって繁栄を誇った。最盛期

後期(前1400~前1100):ミュケナイ文明に制圧され、前1100年頃に滅んだ

代表的な都市はクレタ島のクノッソス、マリア、ファイストスなどです。

これらの都市はいずれも城壁を持たず、大規模な宮殿を中心とした構成をなしていることで共通しています。

これらの宮殿建築はかなり広い矩形(くけい)の中庭を持ち、その周囲に様々な室が連なっており、そこには特定の意図に基づく秩序だった配置計画は見られません。

むしろクノッソスの宮殿に見るごとく、謁見の場、私生活の場、倉庫など用途別に各室がまとまり、それらが中庭という唯一の核となるものにゆるやかに繋がっており、さらに階段を巧みに利用して高低差を生かした部屋の配置がなされています↓

したがって一見迷路のようにみえる平面も、関連する部屋はかなり合理的に置かれているのです。2~3階建てで、石造の壁をめぐらし、漆喰を上塗りし、壁画が描かれていました。

ミノス文明

クノッソスで発掘された王宮は壮大で、多くの小部屋をもつ複雑な構造を持っていることから、ギリシア神話で怪物(ミノタウロス)を幽閉するための迷宮を造らせたとされるミノス王の城とされ、クレタ文明はミノス文明とも呼ばれます。

ミノタウロス

王宮の壁に、色彩豊かで写実的な女性像や海の生物が描かれていることなどから、開放的な文明であったことがうかがわれます。 

柱や梁は木造で、彩色が施され、柱は下にいくほど先細りとなる形を持っており、

柱の下には礎盤(そばん)が、

頂部には後のドリス式のような刳形(くりかた)を持つ饅頭形に膨らんだものと四角い板が載せられていました。 

ミュケナイ建築

ミュケナイ文明ペロポネソス半島の内部で前1600年頃より興り、前1400年頃にはクレタ島を制圧し、前1100年頃まで栄えました。

ペロポネソス半島↓

エーゲ文明

その代表的都市がミュケナイやティリンスです。

これらの都市は宮殿を中心としていることではクレタ文明の都市と共通していますが、根本的には全く異なります。

それは、ミュケナイやティリンスが巨石を用いた堅牢な城壁をめぐらした城塞都市をなしていることです↓

さらに宮殿はメガロンと称される規模の大きな主室を中心に構成され、メガロンは玄関ポーチ的な前室と居室にあたる後室からなり、2階建てであったと考えられています。前室には2本の柱が、後室には4本の柱が立ち、中央に炉が備えられていました。

メガロン

古代ギリシアの宮殿における大広間の形式。メガロン形式とも 

柱や壁は木造で、壁は石や日乾煉瓦で造られ、スタッコで仕上げられ、フレスコ画が施されていました。このメガロンの平面形式は後のギリシア神殿の神室に受け継がれます。

おわりに

さて、ギリシア建築前編が終了しました。

前の参考書とは少し異なり、かなり詳しいところまで説明されていますので、理解できない部分はご自身で更に調べてください!

次は、「幾何学様式時代(前1050年~前600年)」の説明です。

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