ギリシア建築 わかりやすい

わかりやすい【ギリシア建築④】~ヨーロッパ行ってから後悔しないために~

はじめに

RYOです

ギリシア建築を少し詳しい部分まで掘り下げようという狙いで、今回はクラシック時代について説明します。

※明言しますが、西洋建築の勉強をしてからヨーロッパに行けば無学で行くより100倍楽しめます。5回にわたってヨーロッパ30ヵ国以上を完全無学で周ってきた僕が言うので間違いありません(笑)

参考文書:【カラー版】西洋建築様式史

↓こちらを前提に話を進めますので、まずはこちらを読んでください↓

西洋建築を理解するための前提概念

記事中の線の色について↓

 超重要なワードは赤線

重要なワードは緑線

一般的な強調は
文の場合:黄色線
単語の場合:太字

で表しています。では始めます。

もし興味があれば先にこちら↓をお読みください、きっと役に立ちますから!

【世界史】キーワードで追う紀元前 ー紀元前3000~前1000年編ー

クラシック時代(前480~前323年)

ペルシアとの戦争に勝利をおさめ、デロス同盟によって各ポリスには政治的安定と相互の結束の強化がもたらされました。

つまり、ここにポリスは古代民主政治による平和を享受したのでした。その結果ギリシア建築はその絶頂期を迎え、ペリクレス治下のアテネのアクロポリスにその具現した姿を見せています。

パルテノン神殿

パルテノン神殿↓はギリシア人が追い求めてきた建築美を達成した傑作です。

建物は全てペンテリコン産の白大理石造で、3段の階段の上に正面8本、側面17本の周柱式です。ペンテリコン山から石を切り出してアクロポリスまで運ぶのに多額の経費がかかったようです。

パルテノン神殿は以下の特徴があり、イオニア式神殿の影響を受けていると見られています。

➀側面の柱数を正面柱数の2倍プラス1本とすること

②プロナオスとオピストドモスの前面に円柱を立て並べること

③ナオスの後ろの西室に4本のイオニア式円柱を用いたこと

④神室の梁にあたるフリーズに連続した浮き彫り装飾を施したこと

ドリス式の柱の膨らみはわずかで直線的になり、柱頭の輪郭も従来よりも直線的になっています↓

(確かにアポロ神殿よりパルテノン神殿の方が円柱がスマートに見えますね)

円柱の直径と高さの比、柱の高さと梁の高さの比はアルカイック時代以来次第に細くなっていきましたが、この神殿で絶妙の域に達している(とテキストには記されています)。

視覚補正(リファインメント)

さらに、階段と梁がきわめてゆるやかな円弧上に膨らみ、隅の柱は若干太くかつ内側へ傾斜して立ち、隅の柱間は狭くするといったきわめて精緻な視覚補正の手法は、長年試みられてきた手法を踏まえた上での、視覚芸術としての建築の特性を究極まで高めた結果とも言えます。

視覚補正

たとえば水平線は人間の眼には下側に若干垂れた線として知覚される。このように幾何学的な形とそれを人間が近くする形との間には微妙な差が生まれる。

この差を補正することを視覚補正(リファインメント)という

別テキスト「西洋建築の歴史」によれば、

完全に水平なスタイロベート(円柱を支える石の床)↓は中央が窪んでいるように見え、

また完全に垂直な円柱は外側に傾斜して見えるので、そのような錯覚を矯正するために調整が行われたと説明される

ことが多いが!!!このような説明は誤りとは言えないがもう少し深い意味があるように思われる、とあります。

つまり、壁に描かれた一本の水平の線があるとすると、この線は本当に中央が窪んで見えるのかということです。例えばこの水平線↓

 

 

 

僕には真っ直ぐに見えます(笑)いや、なんやったら真ん中がふくらんで見えるくらいです。

そこで本テキストの著者は別の視点からこの視覚補正について説明を加えています。

水平のスタイロベートがたわんで見える(というよりも感じられる)とすれば、それは、エンタブラチュアとこれを支えるそれ自身重厚な円柱が加える巨大な重量の感覚、すなわち、スタイロベートを押し下げようとする垂直下向きの強い力の感覚によるものである。

スタイロベートは建物の全重量をその上に載せる基盤であるから、不動の強固さをもっていなければならないのは当然であるが、ギリシア建築においては、さらにそのように「見える」ということが重要なのである。円柱列がおよぼす巨大な重量を支えてなお余りある堅牢感、水平のもつゆるぎない安定感をつくり出すために、建築家は幾何学的な水平をほんの少しだけ、重力に反発する側にゆがめたのである。

円柱列の内転びもまた、エンタブラチュアの重量を全身で支える円柱の直立姿勢の力強さを強調し、安定感を与えるための工夫である。隅の柱をわずかだけ太くする技法やエンタシスの技法も、同様の意図によるものである。

ドリス式とイオニア式の融合

パルテノン神殿は4人による共同作品で、総指揮をフィディアスがとり、イクティノス、カリクラテス、カルピオンが参加しました。

イクティノス

ドリス式の支持者で革新主義の旗手であり、パルテノンのヴォリューム的な問題を担当し、後にドリス式でバッサイのアポロ神殿↓を建てます。

カリクラテス

イオニア式の支持者で伝統主義の旗手で、この神殿の装飾的な細部を担当し、後に同じアクロポリス上のアテナ・ニケ神殿↓をイオニア式で建てることによりその本領を発揮します。

カルピオン

建築書を著したと言われています。

以上のように、ドリス式とイオニア式の支持者がそれぞれ個性をぶつけ合いながらパルテノン神殿を建造したことで、ドリス式とイオニア式が融合した稀有な外観になりました。

これを踏まえてもう一度パルテノン神殿を見てみましょう↓

まだ勉強が不十分なので普通のドリス式神殿に見えますね、どこにイオニア式要素があるんだ・・・(・_・;)

ではここで一度、ドリス式神殿とイオニア式神殿について説明します。

ドリス式神殿

ドリス式神殿であるバッサイのアポロ神殿は紀元前429年に工事を開始しましたが、未完のまま放置されてしまいました。

バッサイのアポロ神殿ではコリント式柱頭が初めて神殿建築に登場し、コリント式オーダーはその後テゲアのアテナ・アレア神殿内部(前350年頃)、リシクラテスの記念碑(前337頃)にも登場しますが、オーダーとしての最も美しい体裁を整えるのはエピダウロスの円形の建物ソロスにおいてでした。

※ソロス神殿の写真は残っていません。

南イタリアやシチリア島のギリシア植民都市では前6世紀の中頃から数多くの神殿が建設されており、その代表例がセリヌスに立つ神殿やパエストゥムのポセイドン神殿です。

外観は似ていますが、実はギリシア本土の神殿と南イタリアやシチリア島の神殿とはいくつかの相違点があるのです。

見た感じ一緒に見えますよね!ぼくもそう思います。ではギリシア本土とイタリアでは何が違うのでしょうか・・・

テキストにはこう載っています↓

➀同じ周柱式でも、柱で囲まれた内側の部屋が階段上面の広さに比べ比較的小さいこと

➁ナオスがしばしば2室あること

③正面の柱間が端から中央へ向かって順次広くなっていること

ではこいつらを少し確認していきましょう。

➀同じ周柱式でも、柱で囲まれた内側の部屋が階段上面の広さに比べ比較的小さいこと

うーむ、ギリシア本土のアファイア神殿と比べたら確かに気持ち小さい気もしますね・・・ギリ

➁ナオスがしばしば2室あること

ナオスが2つ・・・?

うーむ、微妙です。無理矢理ナオスが2つあるとして表記しましたが、かなり微妙です。

③正面の柱間が端から中央へ向かって順次広くなっていること

ポセイドン神殿の正面の柱間・・・中央にいくほど広くなる・・・?

なってない気がする!!!!

ちなみに前述したサモスのヘラ神殿↓でも「中央にいくほど柱間が広くなる」と書きましたが、平面図で見ても明らかに広くなってます↓

ふーむ、これくらい違うかったらすぐわかるんですけどねー

ギリシアとイタリアの遺跡の違いに注目するのも楽しそうですね

イオニア式神殿

前431年のペロポネソス戦争以降、各ポリス間の抗争が断続的におこりギリシア本土の建設活動は弱まりました。前4世紀にはパルテノン神殿で頂点に達したドリス式に代わってイオニア式がその新しい建築的規範を確立していきます。

それは単純な格子による平面計画、明快な比例関係、イオニア式オーダーの整った形の成立であり、その代表例がピテオスによるプリエネのアテナ・ポリアス神殿とハリカリナッソスのマウソレウムです。

アテナ・ポリアス神殿

確かに柱頭は渦巻き型なのでイオニア式ですね。

この神殿の平面では、円柱の最下部にある正方形の礎盤(そばん)の幅6尺を基準とする格子の上にすべての柱や壁を割り付けるという、きわめて機械的な手法が採られています。

礎盤とはこんなやつです↓

この円柱が幅6尺を基準とする格子の上に全ての柱や壁を割り付けられているらしいんです。アテナ・ポリアス神殿の平面図で確認してみましょう↓

ふむ、これは確かに格子状に並んでますね。

ではマウソレウムも確認してみましょう↓

マウソレウム

ハリカナッソスにあるマウソレウムのイオニア式オーダーはエレクティオン↓と並びイオニア式オーダーの整った好例です。

西洋建築

マウソレウムの平面図が見つからなかったので、まあここは行ってからのお楽しみにしときます。

ヒポダモス式

前6世紀まではギリシア都市は計画的に整備されることはほとんど無く、一言で言えば偶発的な都市形成を重ねてきました。しかし前5世紀になって格子状街路計画ヒポダモス式)が、前4世紀になると都市としての景観を重視したスケノグラフィア的な都市計画が取り入れられるようになりました。

スケノグラフィー

透視画法という意味で用いられる。つまり今回の場合、都市を格子状に作ることで、あたかも透視できるかのように整理された街を作るという意味(たぶん)

ミレトス

古代ギリシアの都市で現トルコにあるミレトスは、ヒポダモスによる典型的な格子状街路都市計画を持ちます↓

なるほど、これは確かに格子状で整理されたスッキリした都市計画ですね。

2つの港を中心にし、相互に結び付ける形で公共、宗教、商業施設を集積し、その中心にアゴラを置き、その南北には矩形の住宅地を配しています。

アゴラ

古代ギリシアのポリスの公共建築物や柱廊に囲まれた広場 

ヒポダモスはこの格子状街路計画の理論の集大成者であって、この他にピレウスやロードスの都市計画も行いました。

彼の最大の貢献は単に格子状に街路を敷設することのみではなく、むしろ機能に応じて施設を効率的に配置することにありました。

かなりの急斜面に位置するプリエネ(前350年)は、こうした施設の配置の仕方を生かした格子状街路計画を最も極端に示した例です↓

ハリカリナッソスの都市は古代ローマの建築家ウィトルウィウスが劇場都市と表現したように、港に向かってすり鉢状に開く都市です。(前367年、ピテオスの計画と言われています)

ここでは街路がまさしく劇場の通路のように走り、海からの景観の焦点に著名なマウソレウムが位置していました。こうした景観を重視した都市計画は後のヘレニズム時代にさらに発展します。

エピダウロスの劇場

前350年頃のエピダウロスの劇場はギリシア劇場の好例です↓

ギリシアの劇場は丘の斜面を利用して建設され、舞台は円形で、座席は半円より大きく、舞台背景の建物と座席は建築として分離しており、その両者の間に出演者の出入り口が置かれています。

この頃の住宅は前4世紀のオリュンソス↓に見出せます。

柱廊を持つ中庭に4-5室の部屋が開く中庭式住宅で、各部屋の規模に大きな相違はありません。

おわりに

だいぶややこしくなってきましたね。もうここまで読んで頂いている方、おられないと思います(笑)

一応単元的には次の「ヘレニズム時代」で最後になるのですが、ここらで一度過去のギリシア建築の総まとめをしようと思います。

そうして頭を整理した後にヘレニズム時代に突入したいと思います。

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