古代文明その④インダス文明
これは古代インドのお話です
さて、四大文明の最後、インダス文明はかなり簡単です。
上の年表にも「インダス文明」としか書いていませんし、話すこともそんなに多くありませんし・・・
インダス文明(前2300~前1800年)
インドで一番古い文明は、紀元前2300年頃インダス川の流域に興ったインダス文明とされており、その代表的な遺跡はハラッパーとモヘンジョ・ダロです。
(モヘンジョ・ダロ)
インダス文明の最大の特徴は、計画的に設計されたと考えられる都市です。
碁盤の目状になった舗装道路に沿って下水道設備をもつ住宅、倉庫や作業場などが整然と立ち、遺跡の中心にある大浴場は沐浴の場となっていたと推測されています。
こうした建造物の材料は規格統一された焼きレンガです。
遺跡から出土した粘土板や印章には文字が書かれていますが、まだ解読されていません。
そのため、なぜこのような高度な文明が滅びたのかは不明です。
異民族の侵入、焼きレンガをつくるために森林を伐採し、それによって砂漠化し、川が氾濫したことなどが原因と考えられています。
アーリヤ人がインドに侵入(前2000~前1500年)
ここからは年表に載っていないことを補足として解説します。
インダス文明は紀元前1800年頃に滅びましたが、その前から徐々にインドのパンジャーブ地方に定住し始めた民族がいます。
それがアーリヤ人でした。
紀元前2000~前1500年頃にかけてインドに侵入したアーリヤ人は、初めはパンジャーブ地方に定住し、部族国家をつくります。
彼らは農耕や牧畜を行い、自然を崇拝していました。
後に、その自然崇拝が行き過ぎて「バラモン教」として宗教になります。
宗教的な祭礼などは、バラモンと呼ばれる聖職者が行い、彼らが社会の最上位の階級(聖職者)となります。
アーリヤ人がガンジス川方面へも進出(前1200~前1000)
パンジャーブ地方に定住すること約500年、アーリヤ人は考えました。
アーリヤ人「他にも大きな川あんじゃね?おれたちさ・・・移住した方がいいんじゃね?」
川は文明発展に必要不可欠なものなんですね
前12~前10世紀頃には、アーリヤ人はガンジス川流域にまで進出し定着、農耕や鉄器の使用を開始します。
アーリヤ人がガンジス川方面へも進出していくに伴い、バラモン以外の他の3つの階級も成立します。
この身分制度をヴァルナ(種姓)と呼び、カースト制の起源です。
時代が下るとともに身分はより細かく、複雑なジャーティ(身分)となっていきます。
ヴァルナの他にパーリア(不可触民)と呼ばれる人たちも多数おり、身分制は差別につながり、現在でもインドの社会に暗い影を落としています。
その後インドではバラモン教を否定する2つの宗教が興ることになる・・・(後述します)
バラモン教
自然を神と崇め、ヴェーダを聖典とする宗教
バラモン(聖職者)たちは、みずからの特権的な地位を維持するために複雑な儀式をつくりだし、それを独占的に行った。
ジャーティ(身分)は世襲で、異なるジャーティ同士の結婚は認められていない。
現在のインドでは身分制度は否定されているが、現実には根強く残っている
続く・・・