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【明治日本の産業革命遺産】~日本の急速な産業化の軌跡を示す一連の遺産~

はじめに

RYOです。

このシリーズでは世界遺産検定1級合格のために、まずは日本の世界遺産を全て勉強しようという企画です。

今回は「明治日本の産業革命遺産についてです。

明治日本の産業革命遺産(2015年登録)

九州の5県と山口、岩手、静岡の計8県に点在する23資産で構成される近代日本の産業遺産群を『明治日本の産業革命遺産』と呼びます。

幕末から明治期の日本における重工業分野(造船、製鉄・製鋼、石炭産業)の急速な産業化の軌跡を示す一連の産業遺産により構成されています。

歴史的背景

1840年から始まったアヘン戦争において、師と仰ぐ東洋の大国清がヨーロッパの島国に負けた衝撃から始まりました。

「清でも勝てない相手なら日本はひとたまりもない」

鎖国政策の下、遠洋に出る大型船や武器の製造は厳しく監視されており、日本では古来からたたらによる優れた鉄作りの技術があったものの、たたら銑は大砲の製造には不向きでした。

「清の轍は踏まぬ」と、沖合に度々出没する外国船に危機感を強めた日本は、欧米列強の海軍力による実力行使(植民地化)を恐れ、長崎の出島に西洋の軍事技術の情報を求めました。

アメリカ合衆国東インド艦隊の浦賀来航に呼応し、1853年幕府は大船建造の禁を解き、鎖国を解除しました。

日本の産業革命は長崎から始まりました。

1863年、長州ファイブと呼ばれる5人の青年(伊藤博文、山尾庸三、井上馨、井上勝、遠藤謹介)がロンドンから帰国し、植民地支配から日本を守るため、新しい国造りを決意し、それぞれが高位に就き明治日本の産業革命を主導しました。

旧グラバー住宅

グラバーは1859年にスコットランドから長崎にやって来た貿易商人で、長崎にグラバー商会という会社を作って当時の日本には無かった様々なものを外国から仕入れて、日本に最新の技術や機械をもたらしました。

そのグラバーの住んでいたのが「旧グラバー住宅」で、日本最古の洋風木造住宅です。

旧グラバー住宅は日本人と外国人の交流の場としても使われ、日本の近代化に大きな役割を果たしました。

高島炭鉱(北渓井抗跡)

日本で初めての洋式竪坑

炭鉱とは石炭を地下から掘り出す場所のことで、長崎の高島という島では蒸気機関を用いて石炭を地下から地上に運搬したり地下水を汲み出したりした、日本で初めて西洋の近代技術を取り入れた炭鉱です。

この蒸気機関を日本の炭鉱に初めて持ち込んだのがグラバーです。

以降、日本中の炭鉱に蒸気機関が普及しました。

日本には石炭が豊富にあり、製鉄所や船、鉄道などあらゆる産業の燃料となって日本が近代国家の仲間入りする原動力となりました。

グラバーないす!

小菅修船場跡(こすげしゅうせんばあと)

修船場とは船を修理する場所で、当時は日本に数カ所しかなかった外国との取引港の一つが長崎港でした。

なので長崎港にはたくさんの外国の船がやってきて、外国の商品を日本に輸入したり逆に日本の商品を外国に売ったりしていました。

その船を修理するために、日本で初めて造られた修船場が小菅修船場です。

人力では不可能な船の陸上への引き上げを、グラバーが持ち込んだ蒸気機関という技術を用いて陸上へ引き上げました。

そしてここで働いた人たちが高度な知識と技術を獲得し、今後の日本の造船業を世界的に発展させるのに大きな役割を果たしました。

またしてもグラバーないす!

第三船渠(だいさんせんきょ)

通称第三ドック

大型船の建造や修理をするために造られた施設で、満潮の時に船を入れて扉を閉じ、ポンプで水を抜いて作業します。

長さは276mもある大きなドックで、建造から100年以上経った今でも使われています。

ジャイアント・カンチレバークレーン

これは電気で動く日本で一番古いクレーンで、150tまで吊り上げることができます。

このクレーンも100年以上前に設置されましたが、現在でも使われています。

旧木型場

船の部品を大量に造るための木型を造る工場です。

100年以上前のレンガ造りの建物で、当時アメリカから輸入した木材が多く使われています。

占勝閣(せんしょうかく)

1904年建築

木造二階建ての洋館で、船の命名・進水式や大事なお客をもてなすための場所として今でも使われています。

端島炭坑跡(軍艦島)

島の形が軍艦に似ていることからこう名付けられました。

一番深いところでは地下1,000mから石炭を掘り出していた海底の炭坑で、本格的開発は1890年ころからです。

人口は多い時で約5,300人、島内に生活に必要な病院、市場の他にも小中学校や映画館、公園まであったそうです。

長い間、品質の良い石炭を掘り続けていた端島炭坑ですが、日本のエネルギー事情が石炭から石油になるにつれて衰退、1974年に閉山しました。

官営八幡製鉄所

その他、福岡県の官営八幡製鉄所は、日本最大の鉄鋼会社で、日清戦争を契機とした鉄鋼の需要急増によって発展しました。

日露戦争後は飛躍的発展を遂げて北九州工業地域の主要工場となり、製鉄では全国生産の約8割を占めました。

戦前日本の近代化を推進する重工業の発展過程において中心的役割を果たしました。

橋野鉄鉱山

岩手県釜石市にある、鉄鉱石の鉱山跡で、採掘場、運搬路、高炉場から成ります。

高炉跡は現存する最古の洋式高炉跡です。

松下村塾

幕末期に山口県萩市にあった私塾で、1856年吉田松陰が実家で講義をはじめ、翌年に小屋を改修して塾にした。

翌年には更に増築するほど塾生が増え長州藩によって公認されましたが、幕府政治を批判したとして松陰は投獄され、塾は閉鎖されました。

尊王攘夷運動の中心として、高杉晋作や久坂玄端、伊藤博文など明治維新で活躍する多くの人物を輩出しました。

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