世界遺産1級取得に向けて、「世界史」の必要性を感じ始めた今日この頃です。
今日のテーマは「メソポタミア文明」です。

そう思われるかもしれませんが、それが誤解だったと理解して頂けると思います。

古代文明その②メソポタミア文明
まずはメソポタミア文明の世界的な位置をご確認ください↓
これは古代イラクのお話です
そして、メソポタミア文明を説明するための以下の年表をご覧ください↓
上の画像を見ればわかるようにメソポタミア以上の範囲(イラン・シリア・パレスチナ・小アジア)を説明しなければなりません。
そこで出てくる単語が「オリエント」です。
・・・。(`・ω・´)

は、おちょくってんのか?
全くもって意味が分からんねんけど
わかります、その気持ち!
普通の方はパッと頭に地図が出てこないと思うので、下にオリエントの範囲を地図で示しました↓
↑これがオリエント地域です!
まずはざっくりと理解してもらえれば大丈夫です(”ω”)ノ
※オリエントのうち、エジプトに関しては例外的に次項で説明します。
メソポタミア文明(前3000~前2350年)

まず最初に言っておきますが、メソポタミア地域はあまり起伏がなく色んな民族が容易に入って来れるので、早い話
めっちゃ争いの多い地域です!!!
それだけは心に留めておいてください。
紀元前3000~2700年頃に、現在のイラク国内のティグリス・ユーフラテス川流域にも文明が興ります↓
これがメソポタミア文明で、上図の蛍光色で囲った範囲を「メソポタミア」と呼びます。
そもそもメソポタミアとは「二つの川の間の土地」という意味で、この二つの川とは、もちろん、ティグリス川とユーフラテス川を指します。
このメソポタミア地域に定住したシュメール人によって数多くの都市国家が生まれ、代表的なものにウル、ウルク、ラガシュなどがあります↓

これらの都市国家は土地や権力をめぐって戦争を繰り返し、中には多くの都市国家を従える強大なものも現れます。
今更ですが、「都市国家」とは「都市サイズの国家」という意味で=小規模な国と思ってください!
» 例えばウル第一王朝の場合↓(クリックで開く)
ウル第1王朝はメソポタミア南部を征服します。
既出のオリエントの年表↓でも、メソポタミア南部「シュメール人の都市文明」のすぐ右に「ウル第1王朝」とあります。
しかし同時に、少し後にアッカド王国がメソポタミア地域を征服する未来も見えますね(・ω・)
» 折りたたむ
シュメール人の特徴
楔形(くさびがた)文字をもっており、それを粘土の板に刻んでおり、最古の出土品は紀元前3400年まで遡れるらしい。
また、「1時間=60分、1分=60秒」などの60進法を発明し、月の満ち欠けを基準に1ヵ月を定めた太陰暦を使用していた。
古バビロニア王国がメソポタミア統一(前1894~前1595年)
シュメール人の都市国家(ウル第1王朝など)は、アッカド人のサルゴン王によって征服され、サルゴンはメソポタミアの下流・中流域から西北方まで領土を拡げます↓
これがアッカド王国です。
アッカド人による王朝なのでアッカド王朝とも呼びます。
アッカド王朝がグチ人によって滅亡した後、シュメール人の王朝が復活しますが(年表の「ウル第3王朝」)、侵入してきた遊牧民アムル人によって滅びます。
アムル人がつくった都市国家の一つ、
→古バビロニア王国(バビロン第1王朝)
の6代目の王ハンムラビは、前1700年頃メソポタミアを統一します。
ハンムラビ法典
「目には目を、歯には歯を」で知られるハンムラビ法典は、このハンムラビ王がつくったもので、同じ罪を犯しても、身分によって刑罰が違うという身分差別的刑罰が特徴。
刑法のほか、離婚、相続、借金に関する細かい規定がある。
ここまで大丈夫ですか?(笑)
ちょっと軽くまとめました↓
➀〈シュメール人〉がメソポタミア地域で都市国家を建設
②ウル第一王朝を開く(シュメール人の王朝)
③〈アッカド人〉がシュメール人を駆逐し、アッカド王国を建設
④アッカド王朝が〈グチ人〉によって滅び、〈シュメール人〉の王朝が復活(ウル第三王朝)するも、遊牧民〈アムル人〉によって再び滅ぶ
⑤〈アムル人〉の都市国家「古バビロニア王国(バビロン第一王朝)」の6代目の王ハンムラビがメソポタミアを統一
⑥メソポタミア地域にはやっと、平和な時間が訪れたのである・・・。
To be continued…
メソポタミアが混乱の時代に(前1650~前670年)
前1700年前後にハンムラビがメソポタミア地域を統一します。
しかし、↑の年表通り古バビロニア王国以降のオリエント地域はヒッタイト、ミタンニ、カッシート、エジプトなどの諸民族の王国が乱立し、混乱状態に陥ります。

紀元前2000年頃から、地球の寒冷化・砂漠化を原因としてヒッタイトなどの諸民族が各地で民族移動を始めました↓
古バビロニア王国は、(史上初めて鉄製の武器を戦争に用いた)ヒッタイトや、カッシートが侵入して滅亡し、またメソポタミア北部にはミタンニ王国ができ、さらにエジプト王国も侵入するなど、前700年頃にアッシリアに統一されるまで、メソポタミアは混乱の時代を迎えます。

ヒッタイトは鉄製の武器を史上初めて用いたので、とんでもない革命児だったんですね。
かなり無敵状態やったらしいです
もうパニックだと思うので、これだけ覚えてください↓
紀元前700年頃まで約1000年の間、諸民族が争い続けて大混乱になる
ミタンニ王国からアッシリアが独立(前1450年)
※上図紫のミタンニ王国に注目
オリエントではアッシリア人が紀元前2,000年初めにティグリス川中流にアッシュールという都市を建設しました。
彼らは鉄製武器や軍馬を用いた強力な軍事力を持っていました。
ミタンニ王国の中に生まれたアッシリアはその後、全オリエント地域を統一します(次記事で解説します)

ふぅ( ´Д`)=3
やっとメソポタミア地域が再統一され・・・
は!!??
メソポタミア地域じゃなくてオリエント地域の統一やん、え、アッシリアやべぇ
東地中海の諸民族
すみません!!
さらに東地中海の民族の話もする必要があるんです(;゚Д゚)
そもそも東地中海とは↓
↑オレンジで囲った地域を、現在の世界地図↓で言うと「シリア・レバノン・ヨルダン・イスラエル」くらいを指す地域です↓
かなりしつこく説明しています。
東地中海の位置関係が理解できたところで、次に移りましょう!
砂漠の貿易民族アラム人(前12~前8世紀)
アラム人は、紀元前12〜前8世紀にかけて、シリアに多くの都市国家を建設しました。
彼らは「アラム王国」などという統一国家はもちませんでしたが、ダマスクスなどがラクダを使った隊商貿易の拠点となりました。
なぜなら、シリアはご覧の通り砂漠の国だからです↓
アラム語は国際的な商業語となり、アッシリアやアケメネス朝ペルシア(後述します)でも用いられました。
早い話、アラム人はラクダを使った砂漠の貿易遊牧民(←完全造語)
アラム文字は「アラビア文字」や「ヘブライ文字」の起源とされています。
海の民族フェニキア人(前1300~前800年)
フェニキア人は紀元前1300年頃、シリアやパレスチナなど東地中海沿岸に進出すると、シドン、ティルスといった都市国家を建設し、地中海貿易を行いました。
また、(後にローマ帝国と激しく争う事になる)北アフリカのカルタゴなど、地中海沿岸に植民都市をつくったほか、紅海を通って西南アラビアやアフリカとも交易しました。
フェニキア人は商業を行うのに便利な、子音が22個のフェニキア文字をつくります。
これが、ギリシアを通じてアルファベットの起源となります。
苦難の民族ヘブライ人(前1230~前538年)
上の画像には、イスラエル王国とユダ王国と書いてありますが、この2王国は前922年まで1つの王国でした。
それをヘブライ王国と呼びます。
ヘブライ人はイスラエル人とも呼ばれ、前1500年頃パレスチナに定住。

現在のパレスチナ問題は、この「聖地パレスチナは一体誰のものなのか」で争っています。
大昔に住んでいたイスラエル人のものか、その後に定住したアラブ人のものか・・・
パレスチナ問題に関する詳しい情報は以下の記事で解説していますので、ご確認ください↓
西暦132年、当時ローマ帝国に虐げられていたとある民族が故郷を奪われ世界中に散り散りになった。その民族は約1800年もの間世界中で迫害され続けたが、1948年に中東の父祖伝来の他に集い、様々な苦難の末に晴れて国家を建国することができた。[…]
ヘブライ人の一部はエジプトへ移住しますが、前1230年頃、エジプトの王ファラオからのいじめや圧政から逃れるためにモーセに率いられてエジプトを脱出し、シナイ半島を経てパレスチナへ戻ります↓
余談ですが、エジプトで圧政に苦しんでいたイスラエル人を引き連れたモーセは、図の青矢印ように海を渡ってシナイ半島へ辿り着き、そこからパレスチナまで逃げました。
エジプト軍に追われながらもようやく海岸に辿り着いたモーセ。
そこでモーセがなにやら呪文を唱えると、海がぱっかーと2つに割れ、そのすきにイスラエル人を連れてシナイ半島まで逃れた。
しかしエジプト軍が割れた海に入ると、急に海が元に戻ってエジプト軍は全滅した。

モーセはシナイ山の山頂で神の言葉を聞き、有名な「十戒」(じっかい)を人々に伝えました。
これがユダヤ教の起源です。
ユダヤ教に関するお話はこちらで書いていますので、是非ご確認ください↓
さて、遂にこの単元にやってきたかという感じです。世界を周るうえで必ず知っておくべき知識の一つ、それは宗教の基礎知識で宗教上のルール違反等を勉強せずに世界を旅することは危ないし勿体ないです。今回はユダヤ教の歴史をわかり[…]
紀元前11世紀頃、サウル王がヘブライ王国を建設し、2代目のダヴィデ王、その子で3代目のソロモン王の時代に貿易で大きく栄えますが、ソロモン王が亡くなると、南のユダとイスラエルに分裂します。
このヘブライ王国2代目国王のダヴィデとは、
ダヴィデ像で知られるあのダヴィデです。
ちなみにダヴィデ像の謎(秘密?)知ってますか?(笑)
ダビデ像の謎!!?皆さんはダビデ像を見たことがありますか?↑恐らく見たことありますよね?名前も聞いたことありますよね?このダビデ像なんですが、左手に何か持っているのがわかると思います↓缶ジ[…]
この記事の総まとめ
では最後にこの記事の内容をザックリおさらいしておきたいと思います。

まず、メソポタミア文明はティグリス・ユーフラテス川の流域で興りました。
しかしメソポタミア文明の発展は更に広いオリエント地域全体で流れを追っていく必要があります。
下にザっと流れを記しました。
➀〈シュメール人〉がメソポタミア地域で都市国家を建設
②ウル第一王朝を開く(シュメール人の王朝)
③〈アッカド人〉がシュメール人を駆逐し、アッカド王国を建設
④アッカド王朝が〈グチ人〉によって滅び、〈シュメール人〉の王朝が復活(ウル第三王朝)するも、遊牧民〈アムル人〉によって再び滅ぶ
⑤〈アムル人〉の都市国家「古バビロニア王国(バビロン第一王朝)」の6代目の王ハンムラビがメソポタミアを統一
⑥メソポタミア地域にはやっと、平和な時間が訪れたのである・・・。
⑦かと思いきや、古バビロニア王国は史上初めて鉄製の武器を戦争に用いたという武力最強のヒッタイトなどに滅ぼされ、オリエント地域は様々な王国が興亡して約1000年間も大混乱に陥ります。
⑧その間、東地中海ではラクダを使った砂漠の貿易遊牧民であるアラム人や、海の民族フェニキア人、モーセなどのヘブライ人が登場していた。
おわりに
さて、いかがでしたか?

この範囲は複雑ですよね~
一瞬で終わった黄河文明が懐かしいです(笑)
ここまで読んで下さり、ありがとうございました!
世界遺産1級取得に向けて、「世界史」の必要性を感じ始めた今日この頃です。今日のテーマは「オリエント文明」です。読者わかる気がしね~そう思われるかもしれませんが、それが誤解だったと理解して頂けると思います。[…]