メソアメリカ文明 歴史

メソポタミア文明~紀元前3000-前1000年~

古代文明その②メソポタミア文明

古代文明

これは古代イラクのお話です

古代オリエント

さて、四大文明の一つ黄河文明を終え、二つ目はメソポタミア文明の話かと思いきや、上の画像を見ればわかるようにメソポタミア以上の範囲(イラン・シリア・パレスチナ・小アジア)を説明しなければなりません。

そこで出てくる単語が「オリエント」です。

オリエントとは、エジプト/小アジア/メソポタミア/西アジアを含めた地域を指します。

・・・。(`・ω・´)

と言っても、頭に地図が出てこないと思うので、下にオリエントの範囲を地図で示しました。

オリエント

※オリエントのうち、エジプトに関しては例外的に次項で説明します。

メソポタミア文明(前3000~前2350年)

紀元前3000~2700年頃に、現在のイラク国内のティグリス・ユーフラテス川流域にも文明が興ります。

メソポタミア文明

これがメソポタミア文明で、上図の蛍光色で囲った範囲を「メソポタミア」と呼びます。

メソポタミアとは「二つの川の間の土地」という意味で、この二つの川とは、もちろん、ティグリス川とユーフラテス川を指します。

このメソポタミア地域に定住したシュメール人によって数多くの都市国家が生まれ、代表的なものにウル、ウルク、ラガシュなどがあります。

メソポタミア文明

上の画像を見れば、シュメール人の都市国家がメソポタミアの南部(下流域)に集まっているのがわかりますね。

※「アッカド人の王国の領域」「古バビロニアの領域」については後述しますので、とりあえず無視で(笑)

これらの都市国家は土地や権力をめぐって戦争を繰り返し、中には多くの都市国家を従える強大なものも現れます。

例えば、ウル第1王朝はメソポタミア南部を征服します。

既出のオリエントの年表↓でも、メソポタミア南部「シュメール人の都市文明」のすぐ右に「ウル第1王朝」とあります。

古代オリエント

しかし同時に、少し後にアッカド王国がメソポタミア地域を征服する未来も見えますね(・ω・)

シュメール人の特徴

楔形(くさびがた)文字をもっており、それを粘土の板に刻んでおり、最古の出土品は紀元前3400年まで遡れるらしい。

また、「1時間=60分、1分=60秒」などの60進法を発明し、月の満ち欠けを基準に1ヵ月を定めた太陰暦を使用していた。

古バビロニア王国がメソポタミア統一(前1894~前1595年)

メソポタミア文明

シュメール人の都市国家(ウル第1王朝など)は、アッカド人のサルゴン王によって征服され、サルゴンはメソポタミアの下流・中流域から西北方まで領土を拡げます。

これがアッカド王国です。アッカド人による王朝なのでアッカド王朝ともいいます。

アッカド王朝がグチ人によって滅亡した後、シュメール人の王朝が復活します(年表の「ウル第3王朝」)が、侵入してきた遊牧民アムル人によって滅びます。

メソポタミア文明

アムル人がつくった都市国家の一つ、古バビロニア王国(バビロン第1王朝)の6代目の王ハンムラビは、前1700年頃メソポタミアを統一します。

ハンムラビ法典

「目には目を、歯には歯を」で知られるハンムラビ法典は、このハンムラビ王がつくったもので、同じ罪を犯しても、身分によって刑罰が違うという身分差別的刑罰が特徴。

刑法のほか、離婚、相続、借金に関する細かい規定がある。

メソポタミアが混乱の時代に(前1650~前670年)

古代オリエント

前1700年前後にハンムラビがメソポタミア地域を統一しますが、上の年表通り、古バビロニア王国以降のオリエント地域はヒッタイト、ミタンニ、カッシート、エジプトなどの諸民族が出現し、混乱状態に陥ります。


前2000年頃から、地球の寒冷化・砂漠化を原因としてヒッタイトなど諸民族が各地で民族移動を始めました。

メソポタミア文明

古バビロニア王国は、(史上初めて鉄製の武器を戦争に用いた)ヒッタイトや、カッシートが侵入して滅亡し、またメソポタミア北部にはミタンニ王国ができ、さらにエジプト王国も侵入するなど、前700年頃にアッシリアに統一されるまで、メソポタミアは混乱の時代を迎えます。

ヒッタイトは鉄製の武器を史上初めて用いたので、とんでもない革命児だったんですね。かなり無敵状態やったらしいです

ミタンニ王国からアッシリアが独立(前1450年)

メソポタミア文明

※上図のミタンニ王国に注目

オリエントではアッシリア人が紀元前2,000年初めにティグリス川中流にアッシュールという都市を建設しました。

彼らは鉄製武器や軍馬を用いた強力な軍事力を持っていました。

ミタンニ王国の中に生まれたアッシリアはその後、全オリエント地域を統一します。(次記事で解説します)

東地中海の諸民族

古代オリエント

これから紹介する民族が登場するのは紀元前1000年以降なので、年表↑にはまだ登場しません。

それではこの時代の東地中海の諸民族を見ていきましょう。

東地中海

東地中海とは

上の画像の黄緑の「東地中海」の部分を、

年表で言うと「パレスチナ南部・北部+シリア」くらいを、

現在の世界地図↓で言うと「シリア・レバノン・ヨルダン・イスラエル」くらいを指す地域です。

かなりしつこく説明しています。

東地中海

砂漠の貿易民族アラム人(前12~前8世紀)

東地中海の民族

アラム人は、紀元前12〜前8世紀にかけて、シリアに多くの都市国家を建設しました。

彼らは「アラム王国」などという統一国家はもちませんでしたが、ダマスクスなどがラクダを使った隊商貿易の拠点となりました。

なぜなら、シリアはご覧の通り↓砂漠の国だからです。

アラム語は国際的な商業語となり、アッシリアアケメネス朝ペルシア(後述します)でも用いられました。

早い話、アラム人はラクダを使った砂漠の貿易遊牧民(←完全造語)

アラム文字はヘブライ文字の起源とされています。

海の民族フェニキア人(前1300~前800年)

東地中海の民族

フェニキア人は前1300年頃、シリアやパレスチナなど東地中海沿岸に進出すると、シドンティルスといった都市国家を建設し、地中海貿易を行いました。

フェニキア人

また、(後にローマ帝国と激しく争う事になる)北アフリカのカルタゴなど、地中海沿岸に植民都市をつくったほか、紅海を通って西南アラビアやアフリカとも交易しました。

古代オリエント

フェニキア人は商業を行うのに便利な、子音が22個のフェニキア文字をつくります。

これが、ギリシアを通じてアルファベットの起源となります。

苦難の民族ヘブライ人(前1230~前538年)

東地中海の民族

上の画像には、イスラエル王国とユダ王国と書いてありますが、この2王国は前922年まで1つの王国でした。それをヘブライ王国と呼びます。

ヘブライ人イスラエル人とも呼ばれ、前1500年頃パレスチナに定住。

現在のパレスチナ問題は、この「パレスチナの地は一体誰のものなのか」で争っています。大昔に住んでいたイスラエル人のものか、その後に定住したアラブ人のものか・・・

一部はエジプトへ移住しますが、前1230年頃、エジプトの王ファラオからのいじめや圧政から逃れるためにモーセに率いられてエジプトを脱出し、シナイ半島を経てパレスチナへ戻ります。

出エジプト記

余談ですが、エジプトで圧政に苦しんでいたイスラエル人を引き連れたモーセは、図の青矢印ように海を渡ってシナイ半島へ辿り着き、そこからパレスチナまで逃げました。

エジプト軍に追われながらもようやく海岸に辿り着いたモーセ、そこでモーセがなにやら呪文を唱えると、海がぱっかーと2つに割れ、そのすきにイスラエル人を連れてシナイ半島まで逃れた。しかしエジプト軍が割れた海に入ると、急に海が元に戻ってエジプト軍は全滅した。

というのがユダヤ教の聖典「タナハ」に載っているストーリです(笑)

モーセはシナイ山の山頂で神の言葉を聞き、有名な「十戒」を人々に伝えました。これがユダヤ教の起源です。

前11世紀頃、サウル王がヘブライ王国を建設し、2代目のダヴィデ王、その子で3代目のソロモン王の時代に貿易で大きく栄えますが、ソロモン王が亡くなると、南のユダとイスラエルに分裂します。

このヘブライ王国2代目国王のダヴィデとは、ダヴィデ像で知られるあのダヴィデです。

メソポタミア・エジプト文明~紀元前1000-前500年~

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