長崎 天草 世界遺産

はじめに

RYOです。

このシリーズでは世界遺産検定1級合格のために、まずは日本の世界遺産を全て勉強しようという企画です。

今回は「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」についてです。

長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産(2018年登録)

長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産』とは、キリスト教が禁じられている中で、長崎と天草地方において日本の伝統的宗教や一般社会と共生しながら信仰を続けた潜伏キリシタンの伝統の歴史を語るうえで必要不可欠な12の資産で構成されています。

12の構成資産はそれぞれ潜伏キリシタンの信仰継続の歴史・伝統に沿って4段階に分類され、8市町に点在しています。

原城跡

自らのかたちで信仰をひそかに続けるきっかけとなった地

禁教初期に島原と天草の潜伏キリシタンが蜂起した「島原・天草一揆」の主戦場となった城跡です。

この出来事は幕府に大きな衝撃を与え、2世紀を超える海禁体制が確立されるとともに、残された潜伏キリシタンが、密かに自分たち自身で信仰を続けていく契機となりました。

多数の人骨に伴って出土した信心具は、禁教後も潜伏キリシタンが密かに信心具を保持し、組織的に結びついていたことを示しています。

平戸の聖地と集落(春日集落と安満岳)

禁教時代の潜伏キリシタンの集落の様相をとどめる歴史的景観

安満岳から伸びる尾根に挟まれた谷状の地形と海に囲まれた集落で、指導者の家には「納戸」と呼ばれる部屋の中に、密かに潜伏キリシタンの信心具が伝承され、山岳など在来宗教の信仰の場や禁教以前にキリスト教徒の墓地があった丘などを聖地として密かに崇敬していました。

平戸の聖地と集落(中江ノ島)

殉教地として潜伏キリシタンから崇敬

中江ノ島は平戸島北西岸の沖合2キロに位置する長さ400m、幅50mの無人島であり、この島では、禁教時代初期に平戸藩による潜伏キリシタンの処刑が行われた記録があります。

殉教地として潜伏キリシタンが密かに崇敬し、岩からしみ出す聖水を採取する「お水取り」が行われた聖地でもあります。

天草の崎津集落

漁村特有の形態で信仰を続けた集落

禁教期に潜伏キリシタンが組織的に信仰を続ける中で、アワビやタイラギの貝殻内側の模様を聖母マリアに見立てて崇敬するなど、漁村独特の信仰を育み、在来宗教と信仰空間を共有した集落であり、キリスト教解禁後は崎津諏訪神社の隣に教会堂を建築しました。

外海の出津集落

聖画像をひそかに拝み信仰を続けた

禁教期に小規模な潜伏キリシタンの信仰組織が連携し、聖画や教義書、教会暦などを密かに伝承し、自分たち自身で信仰を続けた集落です。

解禁後は段楽的にカトリックへ復帰し、集落を望む高台に教会堂が建てられました。

外海の大野集落

神道の信仰を装いながら続けた信仰

禁教期に潜伏キリシタンが自分たち自身で組織的に信仰を続ける中で、氏子となった神社に密かに自分たちの信仰対象を祀り、オラショ(祈り)を唱えるなど在来宗教と信仰の場を共有していた集落です。

禁教期の信仰の場であった神社の近くに、解禁後、教会堂が建てられました。

野崎島の集落跡

神道の聖地で信仰を続ける

禁教期に移住した潜伏キリシタンが、表向きは海上空通の守り神である沖ノ神嶋神社の氏子を装うことで在来宗教と併存しながら自分たち自身で組織的に信仰を続けました。

解禁後はカトリックへ復帰し、禁教期に宗教儀礼を司った女性指導者の屋敷の側に教会堂を建てました。

頭ヶ島の集落

仏教徒の開拓地の指導によりできた集落

禁教期に外海の潜伏キリシタンが、仏教徒の開拓指導者のもと、無人島に移住・開拓し、自分たち自身で組織的に信仰を続けました。

解禁後、カトリックへ復帰し、海に近い谷間の奥にある仮御堂跡に自分たちの教会堂を建てました。

奈留島の江上集落(江上天主堂とその周辺)

人里離れた海の近い谷間に移住

禁教期に外海の潜伏キリシタンが、海に近い谷間に開けたわずかな土地に移住して固有の信仰形態を続けました。

解禁後はカトリックへ復帰し、禁教期以来の指導者の屋敷を家御堂としていましたが、やがて湧水があり防風に優れた場所に木造の教会堂が建てられました。

久賀島の集落

未開の地で仏教徒との相互関係で守り続ける

禁教期に外海から移住した潜伏キリシタンが、仏教集落と互助関係を築きながら自分たちで組織的に信仰を続け、「信徒発見」後の厳しい弾圧を乗り越えてカトリックへと復帰し、海辺に教会堂を建てるに至りました。

信徒発見

江戸幕府による弾圧で多くの殉教者が出るなか、開国後の1865年に完成したばかりの大浦天主堂でフランスから来日したプチジャン神父に浦上村の信徒が信仰を告白。

宗教史上の奇跡と言われる。

黒島の集落

仏教寺院でマリア観音に祈りを捧げた

禁教期に外海などから移住した潜伏キリシタンが、仏教寺院から信仰を黙認されつつ、自分たち自身で組織的に信仰を続けました。

解禁後はカトリックへ復帰し、禁教期に宗教儀礼が行われた指導者の屋敷を仮御堂としていましたが、後に島の中心に自分たちの教会堂を建てました。

大浦天主堂

世界の宗教史上に残る劇的な「信徒発見」の舞台

居留地の外国人のために建設したゴシック調の国内現存最古の教会堂です。

1864年に建設、1865年に献堂され、直前に列聖されたばかりの日本二十六聖人に捧げられました。

献堂直後に浦上の潜伏キリシタンが訪れ自分たちの信仰を告白した「信徒発見」の舞台です。

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