【世界史】キーワードで追う紀元前 ー紀元前1000~前500年編ー

世界遺産1級取得に向けて、「世界史」の必要性を感じ始めた今日この頃です。

今日のテーマは「紀元前3000年~前1000年の古代文明の歴史」です。

今回は紀元前のまとめとして、キーワードを追っていきながら世界の流れを包括的にまとめたいと思います。

一緒に頑張りましょう!

参考書は

「2時間でおさらいできる世界史」

「いちばんやさしい世界史の本」

「世界史要点 図解整理 ハンドブック」

の3冊です。

記事中の線の色については

 超重要なワードは赤線

重要なワードは緑線

一般的な強調は
文の場合:黄色線
単語の場合:太字

で表しています。

これから、紀元前1000年~前500年という500年分を一気に説明します。

前回の記事をお読みでない方は、理解を深めるためにも先にこちらを読んでください↓

【世界史】キーワードで追う紀元前 ー紀元前3000~前1000年編ー

黄河文明その後

古代文明

これは古代中国のお話です

中国の歴史

画像が見えにくくてすみません、黄色で囲まれた範囲(紀元前1000~前500年)には「周(西周)」「春秋時代」「東周」と書かれています。

説明を聞けば理解できると思いますが、「東周」と「春秋時代」は同時代で並行して進んでいます。

前回までのあらすじ(紀元前5000~前1000年)

紀元前5000年~前4000年頃に中国の黄河流域で発展したのが黄河文明で、仰韶文化竜山文化に分けられます。

小さな集落はやがて(ゆう)と呼ばれる大きな集落、そして都市国家に成長していきます。

中国の歴史書では、こういった都市国家を統合したのがで、徳の高い3人の聖王『堯・舜・禹』の禹が興したとしています。

その夏を滅ぼしたのが、の湯王で、殷時代の遺跡「殷墟」からは漢字の原形となる甲骨文字が見つかっています。

殷から周へ(前1000~前770年)

黄河文明

では、ちょうど紀元前1000年あたりで時代は周(西周)の時代に移ります。

(しゅう)は現在の西安あたりに興った勢力で、周は初めは殷に遣いを送り外交関係をもっていましたが、徐々に勢力を増し殷と対立するようになります。

周は文王のときに殷に進撃、その子の武王のときに殷を倒します。

これを「殷周革命」と呼び、殷の最後の王は紂王(ちゅうおう)と呼ばれる暴君でした

周王は諸侯に土地を与えて統治させ、諸侯は周王に対して軍役と税を納める義務はあるものの、それぞれが独立して領地を治める形をとっていました。

これが周の封建制度で、周は都を鎬京(こうけい)(現在の西安付近)に定めました。

東遷

周の都は鎬京(こうけい、現在の西安付近)でしたが、ここが西から侵入してきた犬戎(けんじゅう)の手に落ち、周の平王は東方の洛邑(らくゆう、現在の洛陽)に遷都します。

西方から東方に遷都したので、これを東遷といいます。

鎬京の時代は西周、洛邑に移ってからは東周と呼ばれます。

年表を見たらわかりますが、西周の時代はおよそ220年ほど続きました。

春秋時代(前770~前403年)

洛邑に都を移した後(東周時代)、周の力はどんどん衰え、代わって実力のある諸侯が争うようになります。

しかし周王は王としてまだ尊敬されており、有力諸侯は覇者↓と呼ばれました。

この時代を春秋時代といいます。

中国の歴史

覇者には

(せい)の桓公(かんこう)
(しん)の文公(ぶんこう)
(えつ)の勾践(こうせん)
(ご)の夫差(ふさ)
(そ)の荘王(そうおう)
(しん)の穆公(ぼくこう)
(そう)の襄公(じょうこう)

などがいます。

この後、周王の権威を無視して諸侯が本格的に争う「戦国時代」が訪れます。(が、この回では話しません)

中国の歴史

西周時代は周王が中国を統一していた時代、東遷してからは名目上は東周が中国を統一していたが、実際は覇者と呼ばれる有力諸侯がしのぎを削っていた時代、と言えます。

なので「春秋時代」と「東周」が並列しているのです!(ー完ー)

諸子百家

春秋・戦国時代のような乱世には有能な人材や時代にふさわしい思想が求められ、諸子百家(しょしひゃっか)と呼ばれる数多くの思想学派が生まれました。
※「諸子」とは学者、「百家」とは思想を指します。

例えば、前551年頃に生まれた孔子を祖とする儒家の思想は、親への「孝」、兄弟への「悌(てい)」を根本とする『仁』によって社会秩序が保たれるというもので、孔子が残した言葉や言行録を記した「論語」などが有名です。

その他にも、

性善説を説いた儒家の孟子
性悪説を説いた儒家の荀子
兼愛と非攻を説いた墨家の墨子
老荘思想を説いた老子・荘子
法家を説いた李斯(りし)や韓非(かんぴ)

などが活躍しました。

この後中国には戦乱の時代、いわゆる戦国時代が訪れます。

オリエントの統一 ~メソポタミア文明・エジプト文明その後~

古代文明

前記事でもオリエントという範囲を説明しましたが、少し復習します。

オリエント地域」を言葉で説明すると

『メソポタミア・西アジア・小アジア・エジプトを含む地域』

と言えます。

(。´・ω・)?

だと思うので、地図で説明します↓

オリエント

この色の付いている範囲がよく言われる「オリエント地域」です。前回はエジプトだけ別項で書きましたが、本記事ではオリエントを統一するアッシリアアケメネス朝ペルシアが出てきますので、今回はエジプトを含めた全オリエント地域視点で世界史を追っていきます。


さて、前置きが長くなりましたが、これからオリエントの動向↓を見ていきましょう。

今回の範囲はこちらです。注目は、紀元前650~600年くらいにオリエントを統一したアッシリア(年表中ピンク)と、前500年頃からグレー1色に染まっているアケメネス朝ペルシアです。

前回までのあらすじ(紀元前3000〜前1000年)

紀元前3000~前2700年頃、ティグリス・ユーフラテス川流域にメソポタミア文明が、エジプトのナイル川流域にはエジプト文明が興りました。

【メソポタミア地域】

古代オリエント

メソポタミア地域ではシュメール人都市国家をつくってウル第1王朝などを建てましたが、アッカド王朝のサルゴン王に滅ぼされ、と思ったらグチ人にアッカド王朝が滅ぼされて、再びシュメール人の都市国家がウル第3王朝として復活しましたが、遊牧民アムル人によって滅ぼされました。

そのアムル人がつくった王国の一つ、古バビロニア王国(バビロン第1王朝)の6代目の王ハンムラビが前1700年前後にメソポタミア地域を統一しましたが、史上初めて鉄製の武器を使用したヒッタイトやカッシート、ミタンニ、エジプト新王国など様々な王国の中で滅亡し、メソポタミア地域は混乱の時代を迎えます。

そして紀元前1450年頃、ミタンニ王国の中の一勢力アッシリアがミタンニ王国から独立しました。

【エジプト地域】

エジプト文明

一方、エジプトを統一した初代メネス王時代からエジプトは繁栄し、エジプト古王国時代にはピラミッドスフィンクスが建てられましたが、遊牧民ヒクソスの侵入で滅亡、そのヒクソスを追い出して新たに建てたのがエジプト中王国、しかし再びヒクソスにより滅亡し、逆にヒクソスにエジプトを支配されました。

しかし、さらに再びヒクソスを追い出したアフモスエジプト新王国を建て、トトメス3世の時に繁栄を極め、この時代にパレスチナやシリアにまで侵出しました。

その後、アメンホテプ4世(イクナートン)が宗教改革を行い写実的なアマルナ美術が生まれますが、そのためにエジプトは大混乱。その後のツタンカーメン王が宗教を元に戻しますが、それからエジプトは衰退の一途をたどります。

軍事大国アッシリア(前1450~前612)

オリエント(メソポタミア・西アジア・小アジア・エジプトを含む地域)では、アッシリア人が、紀元前2000年初めにティグリス川中流にアッシュール↓という都市を建設しました。

メソポタミア文明

↑画像を見てもわかる通り、エジプトやヒッタイトやカッシート、ミタンニなどの台頭により、オリエント地域が混乱しています。

アッシリア人は鉄製武器や馬車を用いた強力な軍事力をもっていたので、徐々に勢力を拡げていきます↓

メソポタミア文明

前7世紀前半に、アッシュール=バニパル王はエジプトをも征服し、史上初めて全オリエントを統一します。

アッシリア

彼は首都ニネヴェに世界最古の図書館をつくりました。

実は王は、異民族統治や敵を攻める際の戦略を練るために、相手を知るための文献を収集して研究したのです。

しかし、アッシリアは統治の仕方が良くなかった!

戦争のときに大虐殺を行い、征服した民族を強制移住させ、また重い税を課すなど圧政を行ったため、征服した各地で反乱が起こり、統一から100年も経たない前612年に滅びます。

アケメネス朝ペルシア(前550~前331)

オリエント

アッシリア滅亡後、オリエントはエジプト新バビロニア(カルデア)リディアメディアの4つに分かれます。

4王国分立時代

ユダヤ人に対してバビロン捕囚を行ったのが、新バビロニアのネブカドネザル2世です。

前550年頃、ペルシア人がアケメネス朝ペルシアをつくり、キュロス2世はメディア、新バビロニア、リディアを滅ぼします。

また、カンビュセス2世はエジプトを征服し、全オリエントを統一します。

アケメネス朝ペルシア

3代目のダレイオス1世は、インドへ遠征し、インダス川からエジプトに渡る大帝国↓をつくります。

アケメネス朝ペルシア

ダレイオス1世は「王の道」をつくり駅伝制度を整えたほか、征服した民族に対しては寛容な政策をとったのが特徴です。

きっと、初めてオリエントを統一したたものの圧政により滅亡したアッシリアの二の舞になりたくなかったんでしょう

インダス文明その後

古代文明

さて、前回に続いてインドの歴史は至って簡単です(笑)

インダス文明が滅びた後、紀元前1000~前500年の間にある文字は「十六王国時代」のみです↓

インドの歴史

これもすぐ終わりますが、重要なワードは多いですよ~

前回までのあらすじ(前2500~前1000年)

インダス文明

インドでは紀元前2500年頃、インダス川流域でインダス文明が興りました。

代表的な遺跡はハラッパーとモヘンジョ・ダロで、原因不明ですが紀元前1800年頃に滅びました。

インダス文明

代わって紀元前2000年頃からインドのパンジャーブ地方に定住していたのがアーリヤ人で、彼らはインダス文明が滅びた後に同地域で勢力を増し、宗教的儀式を執り行う貴族バラモンの下で発展していきました。

バラモンは複雑な宗教的儀式を創り上げ、それらを独占的に行うことで自分たちの権力・地位を不動のものにしました。

そして紀元前1200年頃にはガンジス川方面へも進出し、自分たちの下位としてクシャトリアバイシャシュードラの3つの階級(ヴァルナ)も成立させ、これがカースト制の起源になりました。

インドの身分制度

身分は世襲制で、異なる身分同士の結婚を禁止するなどの法(?)もつくり、ここにバラモンをトップとする超差別的な宗教バラモン教が成立しました。

ウパニシャッド(前700~)

バラモン教は儀式を中心とする宗教でしたが、それに飽き足りずに真理を探究する人たちが現れます。

彼らの思想をまとめたものがウパニシャッド(奥義書)で、これはインド哲学の源流となります。

紀元前600~前500年頃になると、ガンジス川流域にアーリヤ人都市国家が数多く生まれ、これらの国が戦争をしたり、交易を行ったりするようになるとクシャトリアやヴァイシャが社会的・経済的に力をもつようになります。

十六王国時代(前600~前500年)

さて、もう字面からして想像できると思いますが、この時代はインダス川からガンジス川ににかけて16もの王国が乱立している時代です。

アーリヤ人がインダス川からガンジス川へ進出する過程で、彼らの農耕社会は成熟し、生産力が向上して商工業が興り、貨幣が普及しました。

その中で、インダス川からガンジス川にかけて多くの都市国家が生まれ、前4世紀末にマウリヤ朝が統一するまで十六王国と呼ばれる諸国に分裂しており、その中でも特に有力だったのがガンジス川中流のコーサラ国↓とガンジス川下流にかけてのマガダ国↓でした。

十六王国時代

ジャイナ教の誕生(前6世紀)

ジャイナ教

(話はバラモン教に戻り)こうした時代の中から超差別的なヴァルナ(種姓)を否定する新しい宗教が生まれます。

その一つがジャイナ教です。

開祖はクシャトリアのヴァルダマーナ(尊称はマハーヴィーラ)

苦行や徹底した不殺生が特徴で、特にヴァイシャの支持を得ました。

仏教の誕生(前6世紀)

般若心経 訳

もう一つが仏教です。

開祖はシャカ族のガウタマ=シッダールタ(尊称は仏陀)です。

彼はこの世のものは一時も同じでないという無常観のもとに、欲望を捨てて無我の境地に至れば心の平安が得られること、八正道を行えば人生の四苦から解脱できること、悟りの道は誰にでも平等に開かれていることを説きました。

四苦と八正道

仏教はクシャトリアやヴァイシャの間に広がります。

エーゲ文明その後

古代文明

何回も言います。画質が粗くてすみません!

ギリシャでは前1000~前800年くらいまでを「暗黒時代」、前800年~は「ポリス諸国家(アテネ・スパルタなど)」と書いてあります。

エーゲ文明

エーゲ海の場所をもう一度だけ説明しておきます。

エーゲ文明

イタリア半島(ブーツ)と大陸に挟まれた海は「アドリア海」と呼びます。

エーゲ海は、ギリシャと小アジア(現トルコ)に挟まれた海を指します。

前回までのあらすじ

エーゲ文明

エーゲ海周辺では、紀元前20世紀頃に民族系統不明の海洋民族によって地中海に浮かぶクレタ島クレタ文明が興り、海上貿易で栄えました。

そしてギリシア人が大陸から南下しギリシャに小王国をいくつも築き、ペロポネソス半島のミケーネ地方で紀元前1600年頃にミケーネ文明が興りました。

ミケーネ文明は、ギリシャ神話の中にも記されているトロイア戦争でトロイアを破りました。

その後、ミケーネ文明はクレタ文明を滅ぼし、その海上貿易ルートを引き継いで交易しますが、紀元前1300~前1200年頃に南下してきたドーリア人に滅ぼされます。

暗黒時代到来

海賊船

紀元前2000年頃に興ったクレタ文明を、紀元前1600年頃に興ったミケーネ文明が滅ぼし、そのミケーネ文明も紀元前1000年頃に滅びました。

そして、紀元前1000~前800年までの200年間は、文字情報が残っていないので暗黒時代と呼ばれます。

この200年間、何が起こっていたのかよくわかっていないのです。

ポリスの成立(前8世紀頃)

(暗黒時代を経て紀元前800年頃~)

エーゲ文明

紀元前20世紀頃から南下してきたギリシア人は、前8世紀になるとポリスと呼ばれる独立した小さな都市国家を多数つくります。

都市国家とは、国家として運営されている都市サイズの国ということです。

ギリシアは土地が狭いため、各ポリスは人口が増えてくると、地中海や黒海沿岸↓に植民市を建設します。

地中海

これらがまた新たなポリスとなります。

ポリスどうしは、土地をめぐって絶えず小さな戦争をしていました。

ポリスには貴族平民奴隷の3つの身分があり、当初は政治を行うのも戦争に行くのも貴族でした。

戦争で戦うのは名誉なことだったんですね

ギリシャ人のポリス「アテネ」

ポリスの中で最大級の規模を持つアテネ(↓図中黄色)では、

アテネとスパルタ

商業の発達によって平民が経済力をもち、

グラディエーター

自分で武具を買い、重装歩兵となって戦争に参加するようになります。

 

重装歩兵

鎧、鉄製の兜、楯、脛当てを身につけ、長い槍を持っている。

戦争に行くのは名誉なことであり、平民もこうした武器を自費で調達して戦争に参加した。

こうした歩兵がファランクスと呼ばれる密集隊をつくり槍を前に突き出した状態で敵と正面からぶつかって戦った。

 

財産政治と民主政治

自分で武具を買い、重装歩兵として戦争に参加する平民が増えていく中で、平民も政治への参加を求めたため、ソロンは、財産を持つ平民に参政権を与えます。

これが財産政治で、彼はまた平民の借金を帳消しにして平民が奴隷になるのを防ぎました。

クレイステネスは、非合法に権力を握る僭主(せんしゅ)の出現を防止するために投票制度を創設し、また、アテネを地域ごとに10の部族に分け、各部族から50名、合計500名からなる評議会を設置しました。

こういった改革が民主政治の基礎となりました。

ドーリア人のポリス「スパルタ」

アテネとスパルタ

一方、ドーリア人のポリス、スパルタ↑では少数の市民が、参政権をもたない市民(ペリオイコイ)や奴隷(ヘロット)を支配していました。

また、優秀な戦士をつくるための厳しい教育や、農業中心の経済であったこと、鎖国主義をとったことなどが特徴です。

ローマの勃興

これは古代ローマのお話です

エーゲ文明

また、今回からはイタリア半島の「王政ローマ」についても説明します。

何といってもローマ帝国は後にヨーロッパからオリエントまでほぼ全てを統一する史上最強帝国ですからね。

ローマは紀元前753年から紀元前500年まで「王政ローマ」として存在します。

そうです、これだけです(笑)

ローマ建国(前753年)

紀元前753年、伝説上のローマが建設されました。

伝説とは、トロイア戦争後に地中海をさまよい、イタリア半島に上陸したトロイアの王族出身者の末裔のロムルス兄弟ロムルスレムス)はティベル川に捨てられましたが、オオカミに助けられ育てられ、紀元前753年に、兄弟は都市ローマをつくったというお話です。

しかし一時的にエトルリア人による支配を受け、この時代を王政ローマと呼びます。

共和制ローマ(前509~)

アッシリア

しかし紀元前509年、エトルリア人の王を追放して共和政(貴族共和制)に移行し、これからのローマは共和制ローマと呼ばれます。

おわりに

さて、これで紀元前3000年という途方もない大昔から、紀元前500年という割と昔までの歴史をみてきました。

世界史は地図を見ながら勉強した方が良いと思うので、なるべく地図を載せて解説していますが、それでもわかりにくかったらすみません。

次は紀元前500~前27年の帝政ローマの始まりまでを書いていきたいと思います。

最後にキーワードをまとめますので、ご確認ください↓↓

 

黄河文明その後

・殷周革命

・東周

・春秋時代(斉・晋・越・呉・楚・秦・宋)

・諸子百家(孔子・孟子・荀子・墨子・老子・荘子・李斯・韓非)

 

オリエントの統一

・アッシリア

・4王国分立時代(メディア/リディア/新バビロニア/エジプト)

・アケメネス朝ペルシア

・ダレイオス1世

 

インダス文明その後

・アーリヤ人とバラモン教

・十六王国時代(コーサラ国+マガダ国)

・ウパニシャッドとジャイナ教

・仏教

 

エーゲ文明その後

・暗黒時代

・ポリス

・アテネとスパルタ

・重装歩兵

・民主政治

・クレイステネスの政治改革

 

ローマの勃興

・ロムルス兄弟

・エトルリア人

・王政ローマ/共和制ローマ