ロマネスク建築

超わかりやすい!【ルネサンス建築】ヨーロッパを旅する前に知っておくべき知識

RYOです

各建築様式の少し詳しい部分まで掘り下げようという狙いで、今回はルネサンス建築について説明します。

※明言しますが、西洋建築の勉強をしてからヨーロッパに行けば無学で行くより100倍楽しめます。5回にわたってヨーロッパ30ヵ国以上を完全無学で周ってきた僕が言うので間違いありません(笑)

参考文書:「西洋建築の歴史~美と空間の系譜~」

↓こちらを前提に話を進めますので、まずはこちらを読んでください↓

【西洋建築】建築様式の種類と風土による建築様式の違い

※「この部分がわかりにくいです」とか「これはどうなんですか?」などの質問やコメント等ありましたら遠慮なく下部のコメント欄からお問い合わせください!

※「オーダー」や「エンタブラチュア」、「ペディメント」と聞いてサッパリわからない人は、以下の記事を先に読んで頂いた方が理解しやすいと思います↓

超わかりやすい!【ギリシャ建築】ヨーロッパを旅する前に知っておくべき知識

超わかりやすい!【ローマ建築】ヨーロッパを旅する前に知っておくべき知識

では始めます。

ルネサンス建築

まずルネサンス建築の概要を説明します。

ルネサンス建築は、15~16世紀に古代ローマ建築を模範としてイタリアで発祥しヨーロッパ全土に普及した均衡や形態美を追求した建築様式

です。

ルネサンス建築では、約1,000年前に滅亡した古代ローマ帝国時代のローマ建築の造形法を再発見しようとし、建築の本質は哲学と数学にあるとみなされて「比例」の概念をローマ時代よりいっそう精緻に理論化しました。

ギリシア建築編、ローマ建築編を読んでいない方は「オーダー」とか「イオニア式」とか「エンタブラチュア」というワードでパニックになると思うので先にそちらをご覧ください。

ある程度これらを読んで頂いている前提で話を進める部分もありますので悪しからず。

ルネサンスの意味と背景

ルネサンスとは「再生」を意味するフランス語で、もともとは古代文芸の復興を指しましたが、その本来の目的は「人間の価値の再発見」でした。

中世ヨーロッパの人々は教会の権威に護られた狭い宗教的世界のなかに安心を見出していました。

つまり「信じる者は救われる」というキリスト教の教えにどっぷり浸かっているということですよね。

中世ヨーロッパの概念

とりあえず教皇様の言うことに従って、とりあえず教会でのミサにも真面目に出席していれば、多少面倒で理不尽なルールはあるけど、とりあえずは一生安泰一生安心。

しかし中世末期になると、そういうキリスト教会のピラミッド構造を「束縛」と考え始める人々が現れ始めました。

彼らは人間が教会の庇護下に入る以前の、つまり

人間が自由に感情や思想を表現できていた古代

への回帰を強く望みました(そんな時代があったかは不明ですが)

キリスト教の支配下にいるのが当然の中世ヨーロッパで、ある時からこういう人間が出てきました↓

「キリスト教って結構ピラミッド社会だよねー。毎日曜日、教会に行かないと「信徒失格」とか言われるし。こっちも毎日色々と忙しいからキリスト教会が決めたルールを100%守るってのも難しいんだよね・・・」

このような一群の人々が初めて現れたのは、古代ローマの伝統が(1,000年経っても)完全に途絶えることなく存続していたイタリアの、なかでも商人が力をもち自由闊達な雰囲気が溢れていた都市フィレンツェにおいてでした。

ルネサンス建築の課題

この時代、古典建築を模範とするなかで最も重要視されたのがオーダーでした。

いわゆる「柱」と「梁」の建築ですよね↓

オーダーは美の根源として神聖視されていました。

ルネサンス建築の課題は、ローマ建築の造形法を再発見し、それを都市の新しい実力者たちの邸宅であるパラッツォ(邸館)や郊外のヴィラ(別荘)、または新たに意味づけし直された教会堂などに適用することでした。

「なぜルネサンス期の人々はギリシャ建築の造形法を再発見しようとしなかったのか?ローマ建築よりもギリシャ建築の方が古いのに!」

と思った方、鋭いですね!

実はこの時代、ローマ建築以前のギリシャ建築なんて誰も知らなかったんです。

古典建築=ローマ建築と考えられていた時代なんです。

先ほど紹介した古典建築の記事(ギリシア建築とローマ建築)の内容を理解している人にとっては、ルネサンス建築はそんなに難しくありませんよー

ルネサンス建築の時期による分類

ルネサンス建築と一口に言っても、実際には(本書では)大きく以下の4つに分けられています。

・初期ルネサンス建築

・中期ルネサンス建築

・盛期ルネサンス建築

・後期ルネサンス建築(マニエリスム)

それぞれの概要を説明しますと、

・初期ルネサンス建築

→基本中の基本、オーダーの大原則を外した完全なオリジナル

・中期ルネサンス建築

→古典建築に敬意を払いながらも、自分たち独自の新たな建築様式を模索している途中

・盛期ルネサンス建築

→オーダーの大原則である円柱を用いずに、古典系建築風を非常に醸し出した傑作

・後期ルネサンス建築(マニエリスム)

→オーダーを分解・融解する過激な傾向が現れる

さて、難しい話ばっかりで嫌気がさしてくる頃なので、そろそろ写真と共に一つずつ見ていきましょう。

初期ルネサンス

まず最初のルネサンス建築はブルネレスキによるフィレンツェの「捨子養育院(spedale degli innocenti)」 (1421~1445)とされています。

捨子養育院(spedale degli innocenti)↓

ルネサンス最初期の特徴↓として、

円柱が支える半円アーチとその上に載るエンタブラチュアの組み合わせ

が挙げられます。

例えば柱の一本を例にとってみましょう↓

まず柱礎(ベース)、円柱、コリント式柱頭、アーチ、エンタブラチュア・・・と、今まで見たことのないヤバい組み合わせになっていますね。

オーダーの大原則、覚えてますか?

柱の上に梁、です↓

ギリシア建築

なのにこれは柱の上にアーチです。無茶苦茶です。

この建物は広場に面した下階をアーケードとし、上階を平滑な壁面とするファサード(建物正面)構成が特徴です。

ちなみに

Q. このオーダーの種類はどれでしょうか?

A. 柱頭の下部にアカンサスの模様と上部に渦巻きがあるのでコンポジット式です。

※厳密に言えば柱の表面に浮き彫りが無いので「コンポジット式」から溝彫りを無くしたローマ人のオリジナルバージョンです。

円柱と半円アーチによるアーケードは、古代末(ローマ建築以降)から中世初期(ロマネスク建築頃)にかけてよく用いられた形式ですが、特にフィレンツェを中心としたトスカナ地方ではこの伝統が強く残り、ロマネスク建築の全期間を通じて用いられ続けました。

ロマネスク建築では円柱ではなくピアを↓

ゴシック建築では半円アーチではなく尖頭アーチを↓

用いていました。

つまり捨子養育院のアーケードは、この地方のロマネスク建築の伝統を受け継いでいると言われます。

ロマネスクにもゴシックにもない革新

しかし捨子養育院のファサード(建物正面)には

ロマネスクにもゴシックにも無い革

があります。それが

コリント式の円柱、下階と上階を分けるエンタブラチュア、四角い枠付きの窓、その上に載るペディメント

です。

» エンタブラチュアとかペディメント、わからない人にちょっと説明します

簡単に説明します。

くどいですけど、単純接触効果で徐々に覚えてきます。

エンタブラチュアとは円柱の上に載っている梁(はり)のことで、上階と下階を分けるものです。

ギリシア建築の場合↓、この円柱の上に載っている横に長い石の柱です。

ローマ建築にもエンタブラチュアは存在します↓

(パンテオン内部)

凱旋門にもエンタブラチュアがあります。
(この↓緑色はエンタブラチュアの一部だけを示しています)

ギリシャ建築でもローマ建築でもオーダーと言えば、円柱とエンタブラチュアが必ずセットで使われていました。

そしてペディメントとは、屋根の近くにあったり、入口や窓などの開口部の上にあったりする三角形の壁面↓です。

パンテオンの神殿正面にあるドデカイ三角形、こいつがペディメントです↑

↑窓の上にあるコイツも小規模なペディメントです。

» 折りたたむ

捨子養育院のファサード(建物正面)に戻ります↓

確かに下階には円柱の上にエンタブラチュアが走り、その上の壁面に窓がありペディメントが載っています。

しかし円柱と円柱が支えるエンタブラチュアの一連のセットがオーダーなので、円柱の上にアーチを架けてその上にエンタブラチュアを載せるのはオーダーとは呼べません。

つまり初期ルネサンスは古典建築の基本中の基本「オーダー」の原則から外れているのです。

これが最初のルネサンス建築です。

オリジナリティを出そうとし過ぎて、大原則を破ってしまった哀れな建築様式なのです(笑)

(※筆者の個人的な見解であり、特定の人物・建築様式を誹謗中傷する意図はございません)

中期ルネサンス

初期ルネサンスが完成した頃に、新たなルネサンス建築が作られ始めました。

それがアルベルティによる「パラッツォ・メディチ(1444~1459)」と「パラッツォ・ルチェルラーイ(1446~1451)」です。

パラッツォ・メディチ

パラッツォ・メディチ(1444~1459)ではルスティカ(粗石積み)が全面的に採用されていますが、オーダーそのものはまだ使用されていません。

え、円柱は(。´・ω・)?

そもそもオーダーの大原則、円柱が無いから古典系建築とは言えませんね。

窓とかは結構統一的に配置されてるし、何となく調和を大事にしている感はあるけどまだまだです。

パラッツォ・ルチェルラーイ

三階建てのパラッツォ・ルチェルラーイ(1446~1451)↑になると、円柱の代わりにピラスターもあってエンタブラチュアもあって、窓の配置などはオーダーの原理に従って決められているのがわかります。

このパラッツォ・ルチェルラーイ、実はコロッセオの立面を適用しているのです。

どういうことかと言うと、(柱頭が)一階のピラスターはドリス式、二階のピラスターはイオニア式、三階のピラスターはコリント式なんです。

なのでパラッツォ・ルチェルラーイはローマ建築のより深い理解を示しています。

そこにはあるメッセージが込められています↓

「私たちは、ローマ建築を模範にしてますよ~」

ローマ建築に敬意を払っている感は伝わりますが、まだ古典系建築と呼べるほどではありませんね。

まあ今は「古典建築に敬意を払いながらも、自分たちで考え出した新たな建築様式を模索している中」ですから仕方ないのかもしれません。

古典系建築の大原則である円柱を使わずに古典風を出そうとして失敗した、これまた哀れな建築様式なんです(笑)

(※筆者の個人的な見解であり、特定の人物・建築様式を誹謗中傷する意図はございません)

盛期ルネサンス

ルネサンス建築の完成と目される作品に記念礼拝堂テンピエット(1502~1510)があります。

テンピエット(1502~1510)

このテンピエットは盛期ルネサンスの厳格な古典主義的性格をよく表している(そうです)。

古代ローマのドリス式円形神殿をモチーフとしていますが、

ドームを架けたケラ(神室)をエンタブラチュアの上方に大きく突出させる発想は独創的で、(ロンドンのセントポール大聖堂やパリのパンテオンなど)後の古典主義建築に大きな影響を与えました。

「上方に大きく突出させる発想」とはつまり、

ドームを上に高くしたのが独創的だ

という事なんです↓

確かにローマ建築時代とルネサンス建築時代とでは、ドームの質が明らかに違いますね。

テンピエットの円柱はどうなっているのでしょう↓

表面の溝彫りは確認できませんので、トスカナ式ですかね。

またもう一つ、盛期ルネサンスの代表作として有名なのがパラッツォ・ファルネーゼ(1530~1546)です↓

パラッツォ・ファルネーゼ

ここでは、平滑な壁面に並ぶエディキュラ形の窓の彫塑的な扱いが、三層構成のファサード(建物正面)に強い古典的性格を与えています。

(イチイチ難しい言葉使いよる・・・)

復習ですが、

規則正しい配列=古典的

なのです。古代ギリシャの数学者ピタゴラスが「万物の根源は数である」と言ったんです。そうなんでしょう。

エディキュラとは「小祠」と訳され、いわゆる「祠(ほこら)」のことです↓(ローマ建築編で記述済み)

(この部分↑をエディキュラと呼びます)

↓パラッツォ・ファルネーゼ正面の、エディキュラ形の窓の規則的な配置が古典的性格を強めています。

もう少し詳しく見てみましょう↓

また二階部分のペディメントは三角形と弓形を交互に載せています。

特に主要階(ピアノ・ノビレ)をなす第二層は、エディキュラの円柱をペデスタルに載せ、このペデスタルと窓台のつくる水平帯の構成をコロッセオに忠実に倣うなど、古典的格式の高さを示しています。

ではここからは後期ルネサンスを紹介していきます↓

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