【世界史】キーワードで追う紀元前 ー紀元前500~前27年編ー

世界遺産1級取得に向けて、「世界史」の必要性を感じ始めた今日この頃です。

今日のテーマは「紀元前3000年~前1000年の古代文明の歴史」です。

今回は紀元前のまとめとして、キーワードを追っていきながら世界の流れを包括的にまとめたいと思います。

一緒に頑張りましょう!

参考書は

「2時間でおさらいできる世界史」

「いちばんやさしい世界史の本」

「世界史要点 図解整理 ハンドブック」

の3冊です。

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これから、紀元前500年~前27年という500年分を一気に説明します。

世界史

前回の記事をお読みでない方は、理解を深めるためにも先にこちらを読んでください↓

【世界史】キーワードで追う紀元前 ー紀元前3000~前1000年編ー

【世界史】キーワードで追う紀元前 ー紀元前1000~前500年編ー

中国の歴史(紀元前500~前27年)

これは古代中国のお話です 

中国

さて、中国では紀元前400年頃に「東周/春秋時代」を終え、遂に戦国時代に突入します。

世界史

そして紀元前200年少し前に「戦国時代」が終わり、「」の時代を迎えますがすぐに終わりを告げ、「前漢」時代に突入します。

前回までのあらすじ(紀元前3000~前500年)

黄河流域に多くの都市国家が生まれ、黄河文明が興りました。

その都市国家を初めて統一した伝説の王朝を滅ぼした(いん)の遺跡”殷墟(いんきょ)”からは、漢字の原型である甲骨文字などが発見されました。

その殷を滅ぼしたのが(しゅう)の武王で、周王は各諸侯に独立して領地を治めることを許す代わりに周王に対して軍役と納税の義務を負わせるという封建制度をとりました。

周の都は異民族の侵入により東に遷都したので、前者を西周、後者を東周と呼びます。

東周の時代に周の力は衰え、代わって実力のある諸侯が争うようになりますが、この時代はまだ各諸侯が周王を尊敬していたので大きな争いはなく春秋時代と呼ばれます。

また、この時代に諸子百家と呼ばれる、孔子の儒学や墨子の墨家など様々な思想や学派が生まれました。

そしてとうとう、中国に戦国時代が訪れます。

戦国時代(前403~前221年)

春秋時代の覇者(有力諸侯)は

中国の歴史

斉(せい)
晋(しん)
越(えつ)
呉(ご)
楚(そ)
秦(しん)
宋(そう)

の七ヵ国になりますが、やがて晋が(かん)・(ぎ)・(ちょう)に分裂し、これに斉・楚・秦・燕(えん)を加えた七雄が争う戦国時代が訪れます。

戦国時代

戦国時代には、鉄製の犂(すき)を牛に曳かせる牛耕農法が普及し、農業の生産性が飛躍的に向上しました。

秦による統一(前221~前206年)

戦国の七雄のうち、(しん)は咸陽(かんよう)を都とする中国西方の国でしたが、紀元前4世紀から法家思想を取り入れて富国強兵をはかり、中央の官吏が地方を治める郡県制などによって中央集権体制を整え力を蓄えます。

31代目の秦王である(せい)は、他の6つの国を滅ぼし、中国を統一しました。(スゴ過ぎる・・・)

中国の歴史

政は、これまでの「王」に代わって「皇帝」という称号を用い、みずから始皇帝(しこうてい)と名乗りました。

始皇帝は戦国時代に各国が使っていた文字や貨幣を統一したり、燕や趙が北方の匈奴(きょうど)対策として築いた長城を改修して繋ぎ、万里の長城を完成させるなど様々な改革を行いました。

中国の世界遺産

(万里の長城)

特に始皇帝は徹底した思想・言論の統制を行い、農業・医学・占いに関するものを除くあらゆる書物を焼き捨てさせ、400人以上の儒者を穴埋めにして殺したとされます。

これを焚書・坑儒(ふんしょ・こうじゅ)といいます。

こうした改革は民衆に重い税や賦役などの負担を強いたため、始皇帝の死後、中国史上初となる農民反乱陳勝・呉広の乱(ちんしょう・ごこうのらん)を始めとする農民の反乱が各地で起き、秦は始皇帝の中国統一からわずか15年で滅びました。

漢王朝の樹立(前202~後8年)

秦の滅亡後、楚の名門出身の項羽(こうう)と農民の出の劉邦(りゅうほう)が勢力を競い、5年の戦いの後に劉邦が勝利し王朝を開き再び全国を統一しました。

中国の歴史

劉邦は高祖(こうそ)ともよばれます。

6代目の景帝のときに諸侯による呉楚七国の乱が起こるもすぐに鎮圧され、これ以降諸侯の土地は削減され、次の武帝の時代には漢の最盛期が訪れます。

武帝は北の匈奴↑を攻撃し、西方の大月氏国↑(だいげっしこく)と挟撃を目論み使者を送りましたが、この試みは成功しませんでした。

世界史

ここから中国が朝鮮半島を支配する時代が訪れます。

漢は領土を広げて西域に敦煌(とんこう)など4郡、朝鮮半島に楽浪(らくろう)など4郡、南越(ヴェトナム)に南海など9郡を置きました。

中国の歴史

上図の朝鮮半島を見ると、高句麗や衛氏朝鮮、三韓などがありますね。

この後、漢では皇帝の側近である宦官(かんがん)と、皇帝の母方である外戚(がいせき)が勢力を争うようになり、やがて外戚の一人・王莽(おうもう)が西暦8年に自ら皇帝となってを開きます。

オリエントの動向(紀元前500~前27年)

世界史

さて、全オリエントを統一した「アケメネス朝ペルシア」がマケドニア王国に敗れ、代わってマケドニア王国がオリエントを統一しますが、後に3つに分かれ、ローマ帝国が強大化していく時代です。

前回までのあらすじ(紀元前3000~前500年)

【メソポタミア】

現イラクを流れるティグリス・ユーフラテス川流域に興ったメソポタミア地域には、シュメール人の都市国家が数多く生まれ、徐々にメソポタミア文明として発展していきました。

アッカド人がシュメール人の都市国家を滅ぼし勢力を拡げますが、そのアッカド王朝も滅亡し、同地域に侵入したアムル人がつくった都市国家の一つ、古バビロニア王国(バビロン第一王朝)の6代目の王ハンムラビがようやくメソポタミアを統一しました。

古バビロニア王国も、優れた武器を持つヒッタイトやカッシートによって滅ぼされ、ミタンニ王国やエジプト新王国も侵入するなどメソポタミアは大混乱でした。

【エジプト地域】

エジプトでもナイル川流域にエジプト文明が興り、メネス王がエジプトを統一しました。

エジプトでは、古王国時代に多くのピラミッドが造られますが、異民族ヒクソスにより混乱し滅亡、再び中王国時代を迎えますが、さらに再びヒクソスに支配されて滅亡しました。

アフモスがヒクソスを追い出しエジプトは新王国時代を迎え、トトメス3世の時代に領土が最大になり、アメンホテプ4世(イクナートン)の時代には宗教改革を行いアマルナ美術が生まれますが混乱したのでツタンカーメンが元に戻したりと、徐々に衰退していきます。

【オリエント】

そんな中、アッシリアアッシュール=バニパル王全オリエントを統一しますが、圧政のために滅亡。

4王国分立時代を迎えますが、とうとうアケメネス朝ペルシアの最強3代「初代キュロス2世」「2代目カンビュセス2世」「3代目ダレイオス1世」が全オリエントを統一し、長く繁栄することになります。

諸ポリス対ペルシア(前500~前479年)

紀元前500年、アケメネス朝ペルシアに支配されていた地方のミレトスというポリスが反乱を起こし、アテネがこれを支援したため、ペルシアが3回にわたって(後述します)ギリシアに侵攻し、ポリスとの間で戦争になります。

アケメネス朝ペルシア

(ポリスとは小さな独立した都市国家のことですよね)

➀マラトンの戦い(前490年)~アテネ勝利~

アテネの重装歩兵がペルシアの弓兵に勝利する

このとき勝利を伝えるためにアテネまで走ったのがマラソンの起源とされている

②サラミスの海戦(前480年)~アテネ勝利~

ペルシアはクセルクセス王自身が出陣し、レオニダス王率いるスパルタ軍をテルモピレーで全滅させ、アテネに上陸して占領する

しかし、サラミスでテミストクレス率いるアテネの海軍に敗れる

③プラタイアの戦い(前479年)~アテネ勝利~

ペルシアはアテネ・スパルタ連合軍に敗れ、ギリシア側の勝利が確定する。


最強帝国アケメネス朝ペルシア、ギリシアに3度破れたり

デロス同盟(前478年)

ペルシア戦争後、アテネを中心とした約200のポリスは、再びペルシアが攻めてきた時に備えてデロス同盟を結成しました。

アテネでは、軍船の漕ぎ手であった財産をもたない市民の発言権が強まり、ペリクレスは青年男子に参政権を与え、彼らが参加する民会を国の最高議決機関としました。

これによってアテネの民主政治が完成し、アテネは全盛期を迎えます。

ペロポネソス戦争(前431~前404年)

しかし、デロス同盟によってアテネは事実上、他のポリスを支配する形になり、それに反発するポリスがスパルタを中心にペロポネソス同盟を結成すると、両者の間にペロポネソス戦争が起こります。

アテネではペリクレスの死後、デマゴーグスと呼ばれる扇動家による衆愚政治に陥り、この戦争で敗北します。

このデマゴーグスが「デマ」という言葉の由来とされています。

しかし勝利したスパルタも、テーベとの戦いに敗れます。

こうした戦乱によってギリシアの主要な産業である農業は荒廃し、ポリスは衰えていきます。

マケドニア対アケメネス朝ペルシア(前331年)

紀元前4世紀後半、ギリシア北方にあったマケドニアの王フィリッポス2世は、ポリスが対立して争っていたギリシアに侵攻、カイロネイアでアテネ・テーベ連合軍を破ります。

※現在の「北マケドニア共和国」と「古代マケドニア」には直接的なつながりはありません。

ポリスはマケドニアの支配下に入りますが、王は暗殺されてしまいます。

息子のアレクサンドロス大王は全ギリシアを制圧し、ペルシアに遠征します。

世界史

イッソスの戦いで、ダレイオス3世率いるペルシア軍に勝利、フェニキアを滅ぼし、さらにエジプトを支配下に置きます。

いきなりポッと出てきた「マケドニア帝国」ですが、この帝国が一気にギリシャからエジプトやインド北部までを制圧します。

アルベラでのペルシアとの最後の決戦にも勝ち、アケメネス朝ペルシアは滅亡しました。

アレクサンドロス大王はその後、インダス川を越えてインドへ渡り一大帝国を築きますが(次のインド編でマケドニア王国とインドの戦歴を語ります)

その帰途、33歳の若さで亡くなります。

アレクサンドロスが、エジプトやインドまで勢力を伸ばしたことにより、その土地にはギリシア人が定住し、やがてギリシアの文化が東方の文化と融合し、ヘレニズム文化が生まれました。

イプソスの戦い(前301年)

アレクサンドロス大王の死後、彼の後継者(ディアドコイ)達は、アレクサンドロス帝国再統一を望むアンティゴノスに対し、マケドニアのカサンドロス、アナトリアのリュシマコス、シリアのセレウコスはそれに従わず、

アンティゴノス VS 反アンティゴノス連合軍

がイプソスで衝突しました。

イプソスの戦い(ディアドコイ戦争)では、セレウコスがインドのマウリヤ朝から贈られた500頭の象部隊を使って勝利したと言われています(後述します)

結果、アンティゴノスは戦死し、マケドニア帝国は3つ↓に分かれました。

世界史

それが

プトレマイオス朝エジプト

セレウコス朝シリア

アンティゴノス朝マケドニア 

の三国でした。

なんか知らんけど、ホームのマケドニア王国で負けたはずのアンティゴノス朝が生き残ってます・・・

アルサケス朝パルティア(前248~後226年)

世界史

さあ、では年表中の西アジアに注目すると、イランやメソポタミア地域を支配していたセレウコス朝シリアからアルサケス朝…(切れててすみません)アルサケス朝パルティアに変わっています。今からはこのお話です。

アレクサンドロス大王の死後、イラン高原、中央アジアはセレウコス朝シリアの支配下に入ります。

世界史

(地図中、濃紫色の範囲ですね)

しかし広大過ぎて統制がきかず、中央アジアではギリシア人の国家バクトリア(↑地図中黄緑)が独立、イラン高原ではアルサケス朝パルティア(↑地図中ピンク)が興ります。

さて、だいぶややこしくなってきましたが大丈夫ですか?

大体の地図を下に示しましたのでご確認ください。

世界地図

パルティアは紀元前2世紀には、メソポタミアからアフガニスタン、西北インドまで広がる一大帝国となりました。

パルティアとローマ帝国は前1世紀から後3世紀のあいだ、たびたび衝突を繰り返します。

インドの動向

世界史

さて、インドの歴史で言えば紀元前600年~前500年の間は「十六王国時代」でしたが、遂にインド北部にマウリヤ朝が興り、インド半島では「チョーラ朝」と「サータヴァーハナ朝」が起こります。

前回までのあらすじ(紀元前3000~前500年)

インダス川流域に興ったインダス文明は、高度な文明として栄え、代表的な遺跡にハラッパーやモヘンジョ・ダロがあります。

しかし原因不明ですが滅亡し、代わってアーリヤ人がインドのパンジャーブ地方に定住し、バラモンを宗教的指導者として勢力を強めました。

その後、パンジャーブ地方からインドのガンジス川流域に都市国家を多数つくり発展するが、身分差別の強いバラモン教を批判する形でジャイナ教仏教という2つの新たな宗教が生まれる。

アーリヤ人がインダス川からガンジス川へ進出する過程で、彼らの農耕社会は成熟し、生産力が向上して商工業が興り、貨幣が普及しました。

その中で、インダス川からガンジス川にかけて多くの都市国家が生まれ、前4世紀末にマウリヤ朝が統一するまで十六王国と呼ばれる諸国に分裂しており、その中でも特に有力だったのがガンジス川中流のコーサラ国とガンジス川下流にかけてのマガダ国でした。

マガダ国(前6~5世紀)

ガンジス川流域に数多く生まれたアーリヤ人の都市国家のうち、コーサラ国マガダ国の2つ↓が強大となり、やがてマガダ国がコーサラ国を併合します。

十六王国時代

先ほど勉強した通り、この時代はアケメネス朝ペルシアのダレイオス1世がノリノリで帝国の領域を広げていた時代です。(↓インドに注目)

アケメネス朝ペルシア

マガダ国では、同時期に生まれたジャイナ教や仏教を保護しました。

そしてマガダ国にはナンダ朝↓が興り、強大な軍隊を持ち、貨幣を発行し、ビルマやセイロンとも交易を行いました。

インド

また西方にアケメネス朝ペルシアがパンジャーブ地方に侵出してくると、イラン文明の影響を受けることになりました。

マウリヤ朝(前317~前180年)

さて紀元前317年、元々マガダ国生まれのチャンドラグプタという青年がいました。

マケドニア王国のアレクサンドロス大王がアケメネス朝ペルシアを倒して、大帝国を築こうとインドのパンジャーブ地方にまで進撃してきた時にこれを迎え撃ったのがチャンドラグプタです。

世界史

(⑤番の退去開始以降)

チャンドラグプタはマケドニア王国を迎え撃って追い払い、その勢いでマガダ国やその他の周辺王朝をどんどん壊滅させていきました。

こうしてチャンドラグプタが興したマウリヤ朝は、インドに残ったギリシャ人を追い出し、マガダ国などのガンジス川流域の都市国家を征服し、インド史上初めての統一王朝となりました。

イプソスの戦い

» イプソスの戦いと象の話(興味があれば)

チャンドラグプタがインドを統一した頃、シリア王セレウコスがインダス川を越えて侵出してきたので、チャンドラグプタはそのシリア軍を撃退し、講和条件として両王家のあいだに婚姻関係を結びました。

チャンドラグプタはセレウコスの皇女を妃としたらしいですが、詳細はわかっていません。

これによりチャンドラグプタはセレウコスの占領地4州を手に入れ、その代わりに象500頭をシリア王に贈りました。

セレウコスは後にこの象部隊を使って、イプソスの戦いでアンティゴノスに勝利することになります。

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マウリヤ朝は前3世紀、アショーカ王のときに全盛期を迎えます。

マウリヤ朝

アショーカ王は仏教に深く帰依したことで知られ、第3回仏典結集を行ったほか、仏教を伝えるために王子をスリランカへ派遣したと言われています。

また、政治理念を洞窟(磨崖碑)や石柱(石柱碑)に刻ませて各地に建立しましたが、アショーカ王の死後、マウリヤ朝は弱体化し分裂します。

 

仏典結集

シャカの死の直後、彼の教えを正しく伝えるために、弟子たちが集まって確認し合ったのが第1回。

その後、仏教が広まるにつれて分かれていった教義や解釈を、統一したり文字に残したりするために行われたのが第2回以降

 

サータヴァーハナ朝(前1~後3世紀)

世界史

再び年表に戻りますと、マウリヤ朝は全盛期にインド半島もほぼ征服しているので「アジア北部」と「インド半島部」の両方に被ってもいいと思いますが・・・

マウリヤ朝滅亡後、インドは混乱の時代となりますが、南インドではドラヴィダ族によるサータヴァーハナ朝(アーンドラ朝)が成立し、1世紀の初めに北インドへも領土を拡げます。

サータヴァーハナ朝

共和制ローマから帝政ローマへ

世界史

ローマ帝国の歴史は、年表上では至って簡単です。

「共和制ローマ」から「ローマ帝国」だけです。

しかし、大事なお話は多いので油断はできません(笑)

パトリキとプレブス

この項の内容は、前記事の「エーゲ文明その後」とよく似ているので、そちらも思い出しながら読み進めてください。

イタリアでは紀元前6世紀末にラテン人の都市国家ローマが、先住民族エトルリア人の王政ローマを追い出して共和制ローマをしきました。

とは言っても、初期の共和制ローマでは、最高政務官であるコンスルや最高機関である元老院の議員になれるのはパトリキ(貴族)だけでした。

ギリシャのポリスでも、初期は身分が貴族・平民・奴隷の3つで、当初は政治に行くのも戦争に行くのも貴族でしたよね!

しかしアテネと同様、重装歩兵として戦争に参加し力をつけてきたプレブス(平民)が政治への参加を求めたため、平民会が設けられます。

平民会からは、元老院の決議に拒否権をもつ護民官が選出され、その後もいくつかの法律によってプレブス(平民)の権利は強まりましたが、実質的な権力を握っていたのはやはりパトリキ(貴族)でした。

ポエニ戦争(前264~前146年)

ローマが地中海への進出を目指したとき、そこで勢力をもっていたカルタゴと衝突することになります。

(カルタゴ・・・(。´・ω・)?)恐らくほぼ誰も覚えていないのでは?

紀元前3000~前1000年編でも書きました、あの「カルタゴ」です。

カルタゴについて「大丈夫、覚えてんで」という方は下↓をすっ飛ばしてもらっても構いません。

» カルタゴの説明again

フェニキア人は前1300年頃、シリアやパレスチナなど東地中海沿岸に進出すると、シドン、ティルスといった都市国家を建設し、地中海貿易を行いました。

フェニキア人

また、(後にローマ帝国と激しく争う事になる)北アフリカのカルタゴなど、

地中海沿岸に植民都市をつくったほか、紅海を通って西南アラビアやアフリカとも交易しました。

さて、以上を踏まえて下の画像をご覧ください。

古代オリエント

↑図中の赤線で囲まれた「フェニキア人」から赤線が北アフリカのチュニジアに向かって伸びています。

フェニキア人はここに「カルタゴ」という都市を築き、このカルタゴが勢力を強めて共和制ローマと戦います。

カルタゴ

↑図中の紫色がカルタゴの勢力で、北アフリカの沿岸部と(現在のスペインの)イベリア半島に分布していますね。

これを理解したうえで、再び年表↓を見ますと

世界史

ちゃんと、カルタゴが「チュニジア」と「イベリア半島」に存在し、紀元前100年になる前に共和制ローマに敗れて滅亡したのがわかります。

» 折りたたむ

そのカルタゴとローマの3回にわたる戦いがポエニ戦争です。

第一回ポエニ戦争(前264~前241年)は、ローマが勝ってシチリアを属州にし、

第二回ポエニ戦争(前218~前201年)は、カルタゴのハンニバルがアルプスを越えてローマに迫りますが、ザマでローマの将軍スキピオに敗れ、

第三回ポエニ戦争(前149~前146年)は、ローマ軍がカルタゴを滅ぼします。 

その後ローマはギリシャやマケドニアも征服し、地中海を支配するようになります。

没落平民

第二回ポエニ戦争後に、ローマでは、貴族パトリキや有力平民によるラティフンディア(大土地経営)が発達し、ポエニ戦争などに重装歩兵として参戦した平民はローマに帰れず、彼らの土地は買い占められていきます。

せっかく重装歩兵として自分で武具を買ってまで戦争に参加したのに。帰れないうえに自分たちの土地が買い占められていくなんて。ヒ、ヒド過ぎる・・・

また、属州から安い農産物や奴隷がもたらされ、土地を手放す農民も増え、平民は没落していきます。

こういった平民を没落平民と呼びます。

グラックス兄弟は、大土地所有を制限し、貧民に土地を与えて自作農をつくることを試みますが、兄の暗殺と弟の自殺で実現しませんでした。

紀元前1世紀になると、属州の各地でローマの支配に対する反乱が続発し、イタリア半島でも同盟市戦争や、剣奴スパルタクスの反乱などが起こります。

同盟市戦争

前91~88年、ローマに服属していたイタリア半島の同盟市が市民権を求めて蜂起した戦争。

戦争は平定されたが、イタリアの全住民にローマ市民権が付与されて終わった。 

剣奴スパルタクスの反乱

前73年に剣奴スパルタクスが指導してが起こしたローマ史上最大の奴隷反乱。前71年にクラッスス、ポンペイウスらによって鎮圧された。

政治では元老院中心主義の閥族派と平民派が対立、平民派のマリウスと、閥族派のスラは、没落平民を私兵として雇って争うなど、混乱が続きます。

三頭政治

前60年、有力な軍人・政治家である、

ポンペイウス

クラッスス

カエサル(シーザー) 

の3人が政権を握りますが、この第1回三頭政治はクラッススが死に、ポンペイウスとカエサルが対立して解消します。

カエサルがガリア(現在のフランス・ベルギー辺り)に遠征して同地方を征服すると、ローマ市民の間でカエサルは圧倒的な人気をもつようになります。

彼は最高機関である元老院からインペラトル(最高指導者)の称号を与えられるとともに、終身ディクタトル(独裁官)になります。

しかし、カエサルはその独裁を恐れた親友のブルートゥスによって暗殺されます。

紀元前48年、エジプトに侵攻したカエサルはクレオパトラを自分の愛人とし、彼の後押しでクレオパトラがエジプトの女王になりました。

その後

オクタヴィアヌス

アントニウス

レピドゥス

による第2回三頭政治が行われますが、エジプトの女王クレオパトラと結婚したアントニウスを、オクタヴィアヌスがアクティウムの海戦で撃破し、ローマはエジプトを併合して地中海を統一することになります。

クレオパトラと結婚したアントニウスに嫉妬したんだな、わかる、わかるよその気持ち。オクタヴィアヌスよ!

ローマ帝国の始まり

紀元前27年、オクタヴィアヌスはプリンケプス(第1の市民)となりながらも、元老院からアウグストゥス(尊厳者)の称号を与えられ、実質上の独裁者となりました。

これ以降ローマは帝政となり、ローマ帝国の始まりです。

おわりに

さて、遂に紀元前の歴史が全て終わりました。

「人類の進化」から始まり、「5つの古代文明」を経て、「オリエント」や「ヨーロッパ」の大きな動きをみてきました。

かなりわかりにくい所もあったかもしれませんが、お付き合い頂きまして本当にありがとうございました。

他にも「フランス・ドイツ・イタリア」の3カ国の元となったフランク王国の話も面白いと思いますので、是非↓

【図解でわかる】西ヨーロッパの原点「フランク王国建設と分裂」の話

最後に勉強したキーワードを載せていますので、ご確認ください↓

中国の歴史

・戦国時代

・七雄(韓・魏・趙・斉・楚・秦・燕)

・政/始皇帝(万里の長城/焚書・坑儒/陳勝・呉広の乱)

・前漢(劉邦/高祖)

オリエントの動向

・アケメネス朝ペルシア(ペルシア戦争)

・デロス同盟とペロポネソス戦争

・マケドニア(アレクサンドロス大王+アルベラの戦い+ヘレニズム)

・イプソスの戦い

・アルサケス朝パルティアとササン朝ペルシア

インドの動向

・マガダ国

・マウリヤ朝(チャンドラグプタ+アショーカ王)

・サータヴァーハナ朝

共和制ローマから帝政ローマへ

・重装歩兵

・カルタゴとポエニ戦争(ハンニバルとスキピオ)

・没落平民

・三頭政治

・アクティウムの海戦

・アウグストゥス