ロマネスク建築

超わかりやすい!【ロマネスク建築】ヨーロッパを旅する前に知っておくべき知識

RYOです

各建築様式の少し詳しい部分まで掘り下げようという狙いで、今回はロマネスク建築について説明します。

※明言しますが、西洋建築の勉強をしてからヨーロッパに行けば無学で行くより100倍楽しめます。5回にわたってヨーロッパ30ヵ国以上を完全無学で周ってきた僕が言うので間違いありません(笑)

参考文書:「西洋建築の歴史~美と空間の系譜~」

↓こちらを前提に話を進めますので、まずはこちらを読んでください↓

【西洋建築】建築様式の種類と風土による建築様式の違い

※「この部分がわかりにくいです」とか「これはどうなんですか?」などの質問やコメント等ありましたら遠慮なく下部のコメント欄からお問い合わせください!

では始めます。

ロマネスク建築

まずはロマネスク建築の概要を説明します。

ロマネスク建築は、ローマ帝国滅亡後にヨーロッパに国家を乱立したゲルマン人が、キリスト教の普及と共におよそ600年の年月をかけて創造した建築様式

です。

は?ゲルマン?ローマ帝国?(・_・;)

と思いますよね、大丈夫、説明します(笑)

ゲルマン人とキリスト教

ローマ建築衰退以降、ロマネスク建築成立までは長い時間(およそ600年)かかります。その間の歴史的な出来事を2点説明します。

それがゲルマン人大移動キリスト教の普及でした。

※ここからは世界の歴史まっぷさんの写真を借りて説明していきます。

ゲルマン人大移動

まず、紀元前2世紀の写真ですが↓ローマ帝国は現在のヨーロッパや北アフリカを支配していた超強大広大な帝国でした。

(写真左上の紫がローマ帝国)

ゲルマン人は長い間、ローマ帝国の外の領域(地図で言うとローマ帝国の東側)に住んでいた民族でローマ帝国とは直接関係はありませんでした。

ゲルマン人は(本書曰く)文字をもたず、都市を知らず、自然を崇拝し、厳しい自然環境のなかで素朴な生活を営んでいた民族らしいです。

しかし、4~6世紀にかけてロシアの方面からフン族という強敵がゲルマン人を襲い、

ゲルマン人達は押し出されるように、フン族から逃げてローマ帝国になだれ込みました、しかも200年間も!

なんか東から物凄く強い異民族が攻めてきたーーーー逃げろおおおぉぉぉ

って感じですね。

これをゲルマン人大移動と呼びます。

文化も宗教も全く違う異民族が大量にローマ帝国に逃げ込んできたー大パニック!

これによってローマ帝国は大混乱し、帝国を維持しきれずに東西に分裂↓しました。

その後ゲルマン人達が多くなだれ込んだ西ローマ帝国は分裂からわずか80年後に滅びました。

(※ゲルマン人大移動の影響が少なかった東ローマ帝国は、分裂から1,000年以上繁栄しました。)

滅亡した西ローマ帝国跡地で、ヨーロッパで次第に力を得たゲルマン人たちが国家を乱立↓し始めます。

キリスト教の普及

ゲルマン人大移動の前の話ですが、西暦400年頃のローマ帝国の時代にキリスト教はローマ帝国の国教となり、爆発的に帝国内外に広まりました。

その状態で

「ゲルマン人大移動」
→「ローマ帝国の東西分裂」
→「西ローマ帝国滅亡」
→「ゲルマン人達が国家を乱立」(ここまでは既述)

元々ゲルマン人は、同じキリスト教でもローマ帝国で認められていたのとは違う宗派(アリウス派)を信仰していたようで、アタナシウス派を信仰する国家領内の民たちとのわだかまりが大きく新たな国家が興亡を繰り返していました。

その中で唯一、領民と同じアタナシウス派に改宗したフランク王国が、その後西ヨーロッパを統一(カール大帝)し、再びキリスト教が西ヨーロッパで落ち着きを取り戻しました。

フランク王国についてもっと知りたい方はこちらをどうぞ↓↓

【図解でわかる】西ヨーロッパの原点「フランク王国建設と分裂」の話

ではここで質問です。

Q. キリスト教が爆発的に普及するのに伴って建てられる建築物は何でしょうか?

A. そう、教会堂です。

※「教会」をカッコよく表現したものと考えてください

4世紀にローマ帝国でキリスト教が公認されると、信者のための教会堂が各地に一斉に建てられ始めました。

ですので

中世以降の建築物は全て教会堂としての機能に焦点を当てています。

ローマ帝国衰退期~ロマネスク建築完成までの期間は、木造天井と屋根をもったバシリカ式↓(これを初期キリスト教建築と呼ぶ)でしたが、ロマネスク建築では石造り天井をもった耐久性のある教会堂建設を目指しました。

中世建築はロマネスク建築から始まったのでしっかりめに説明しているので長いですよ~

古典建築の衰退と中世建築の開花

ロマネスク建築の前に完成されたギリシャ建築とローマ建築について↓(別タブで開きます)

超わかりやすい!【ギリシャ建築】ヨーロッパを旅する前に知っておくべき知識

超わかりやすい!【ローマ建築】ヨーロッパを旅する前に知っておくべき知識

文明と触れてこなかったゲルマン人たちにとって、完成されたギリシア建築とローマ建築をそのまま受け継ぐことは不可能でした。

ゲルマン人は(本書曰く)文字をもたず、都市を知らず、自然を崇拝し、厳しい自然環境のなかで素朴な生活を営んでいた民族らしいです。

「お、ローマ人が創ったローマ建築そのまんま使えるやん!ラッキー・・・
え、ちょ待って。。。あいつらの技術高過ぎるねんけど(笑)神業ワロタww」

って状態です。

なので6世紀以降、建設技術はどんどん低下の一途をたどっていきました。

古典的教養のある建築家や技術に優れた職人はしだいに姿を消し、ローマ時代の石切場は生産を停止しました。

建設工事で最も労力を要する「石材の運搬」も、なるべく地元に産する比較的小さな石材を使う事で解決しました。

つまり

小規模な建物しか造れない!!

という事です。

ギリシャ建築のような、大きな一本石から正確に切り出す必要のある古典的な円柱↓は望んでも得られない高嶺の花になってしまいました。

そんな中、西ヨーロッパの大部分を統一したフランク王国のカール大帝の時代に完成した建築様式がロマネスク建築です。

つまりロマネスク建築とは

ローマ人が用いたローマ建築の技術を参考にしながらも、完全に真似することは不可能だったので、自分たちで新しい建築様式を創造するしかなかった

ってことです。

教会堂の二つの形式

以上のようにこの時代の人々は、キリスト教の普及とともに大聖堂や教会堂や修道院の建設に最も力を注ぎました。

※信者を統一してまとめるために教会堂などが必要だったから

キリスト教では「洗礼」や「結婚」などの儀式をミサと呼び、教会堂で行います。

その教会堂の中心となる卓を「祭壇」(さいだん)と呼び、祭壇が教会堂の核となる最も重要な部分です。

そんな教会堂ですが、実はその形状から主に「円形/正方形/正多角形にドームが付いた集中式」と「長方形や十字形のバシリカ式」の二つに分けられます。

集中式

(トルコの首都イスタンブールにあるハギア・ソフィア)

基本的に「集中式」は宇宙と人間の完全性を具現化したもので、礼拝堂などではよく用いられましたが、参列した大勢の信者と聖職者が祭壇を挟んで対面するミサの形態に適さなかったので教会堂の形式としては少数です。

集中式の特徴は、平面では円、正方形、正多角形が基本となり、中央部の屋根にはドームが採用されています。

こちら↓はエルサレムにある岩のドームで、イスラム教の聖地ですが、やはり集中式となっています。

しかし主にヨーロッパのキリスト教世界では次に紹介するバシリカ式が主流でした。

バシリカ式

バシリカ式とは、ヨーロッパの教会堂に多く用いられる形式↑で東西に長い長方形の平面をもち、西側の端部に教会堂への入り口(扉口)をもつ教会堂です。

POINT

中世に建てられた教会は基本的に東西に長く、西側に玄関口があり、東側に祭壇があります。

バシリカ式の多くは上から見ると「十字架形」をしています

(シャルトル大聖堂)

キリスト教世界の中世ヨーロッパでは、祭壇に向かう長軸方向の動きを重視するミサの現実的要求に沿わない集中式の礼拝堂は流行りませんでした。

意味わかりますか?

つまり教会側としては、玄関から入ってきた信者をなるべく奥の祭壇まで歩かせたいんです。なぜならその方が厳かでありがたい感じがするから(笑)

集中式だと、玄関から入ってすぐに祭壇なのでまだまだ現実的な感じがしますもんね。

この西側の正面を特に西正面と言います。

※以降、こちら↓の図に沿って説明していきます(何度も何度も見てください)

(↑西側に玄関口があります)

【解説】身廊と側廊

バシリカ式教会堂の内部には、幅の広い中央の部分「身廊(しんろう)」とその両側にある幅の狭い部分「側廊(そくろう)」からなり、身廊と側廊は列柱で分けられています↓

身廊に面したアーケードを大アーケード↑と呼びます。

【解説】クリヤストリーとアプス

身廊は側廊よりも天井が高く、列柱の上方には壁(身廊壁)が立ち上がっています。

この壁の上部にアーチ形の窓クリヤストリー(高窓)をあけて、身廊への採光を確保しています。

(採光確保のための身廊壁上部のクリヤストリー)

身廊の東端部は通常、半円形の窪み(アプス↓)となって終わります。

初期はアプスに聖職者席を配置し、その前面に主祭壇を置きましたが、のちに聖職者席と主祭壇の位置が入れ替わりました。

アプスと主祭壇を含む東側の部分は聖職者の専用空間(内陣(ないじん))であり、一般信徒に解放される部分(外陣(げじん))と分けられています。

確かに主祭壇の奥に聖職者席があると「聖職者は神よりエライ」ともとれますもんね

(聖職者席の奥に主祭壇)

【解説】袖廊と周歩廊

内陣(ないじん)と外陣(げじん)の間に、身廊に直交して短い廊がとられることがり、この廊をトランセプト(袖廊(そでろう))と呼び外陣に含まれることが多いようです。

また、ロマネスク建築以降では巡礼者が聖堂内陣の周辺を一周できるような回廊(周歩廊(しゅうほろう))が設けられている聖堂もあります。

掲載できるフリー写真が見つからなかったので、気になる方は「周歩廊」で検索してください。


なお、(ローマ帝国での)キリスト教公認直後の教会堂では礼拝形式が定まっておらず、ローマの旧サン・ピエトロ大聖堂のように西側にアプスを、東側に入り口をとる教会堂も存在しましたが、6世紀には東側にアプスをとる配置が定式になりました。

この他にも、側廊をもたない単廊式教会堂や側廊と身廊の天井の高さがほぼ同じホール式教会堂なども存在します。

※ここでは言及していませんが、縦軸と横軸の長さが等しい+形の「ギリシア十字」はビザンツ建築(東ヨーロッパ)で用いられました。十字架形は「ラテン十字」と呼ばれます。

(聖シメオン教会)

ギリシア十字形の教会↑、こんな感じです

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