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【富岡製糸場と絹産業遺産群】~生糸の大量生産を実現した技術革新と技術交流~

はじめに

RYOです。

このシリーズでは世界遺産検定1級合格のために、まずは日本の世界遺産を全て勉強しようという企画です。

今回は「富岡製糸場と絹産業遺産群」についてです。

富岡製糸場と絹産業遺産群(2014年登録)

群馬県富岡市にある『富岡製糸場と絹産業遺産群』は、長い間生産量が限られていた生糸の大量生産を実現した技術革新と、世界と日本との間の技術交流を主題とした近代の絹産業に関する遺産です。

登録物件は「富岡製糸場」「田島弥平旧宅」「高山社跡」「荒船風穴」の4つです。

歴史的な背景

絹は紀元前の中国で発明され、19世紀のヨーロッパで大量生産が始まりました。

このころ開国した日本は当時高度な技術を持っていたフランスの製糸技術の輸入に努め、1872年には富岡製糸場が創られ、国中の製糸業が近代化しました。さらに独自に養蚕の技術革新も起こり、原料繭の大量生産に成功しました。

その結果、日本は20世紀初めには世界中に安価で良質な生糸を輸出、1920年代には日本は生糸輸出量が世界一となり、高級繊維の絹をより身近な存在に変えました。

1939年に片倉製糸紡績に譲渡され、1987年に操業を停止しました。

さらに第二次大戦後は、生糸生産のオートメーション化にも成功、自動繰糸機は全世界に輸出され、絹の大衆化に貢献し、現在も世界の絹産業を支えています。

田島弥平旧宅

田島弥平旧宅とは、通風を重視した蚕の飼育法清涼育」を大成した田島弥平(たじまやへい)が1863年に建てた住居兼蚕室で、開口約25m、奥行約9mの瓦葺き総2階建てで、初めて屋根に換気用の越屋根(こしやね)が付けられました。

この構造は、弥平が「清涼育」普及のために著した「養蚕新論」「続養蚕新論」によって各地に広まり、近代養蚕農家の原型になりました。

高山社跡

1883年、高山長五郎は通風と温度管理を調和させた清温育」という蚕の飼育法を確立しました。

翌年、この地に設立された養蚕教育機関高山社は、その技術を全国及び海外に広め、清温育は全国標準の養蚕法となりました。

1891年に建てられた住居兼蚕室は清温育に最適な構造で、多くの実習生が学びました。

荒船風穴

1905年から1914年に造られた荒船風穴は、岩の隙間から吹き出す冷風を利用した蚕種(蚕の卵)の貯蔵施設で、冷蔵技術を活かし、当時年1回だった養蚕を複数回可能にしました。

3基の風穴があり、貯蔵能力は国内最大規模で、取引先は全国40都道府県をはじめ朝鮮半島にも及びました。

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