紀元前の世界史

【世界史】キーワードで追う紀元前 ー紀元前3000~前1000年編ー

世界遺産1級取得に向けて、「世界史」の必要性を感じ始めた今日この頃です。

今日のテーマは「紀元前3000年~前1000年の古代文明の歴史」です。

今回は紀元前のまとめとして、キーワードを追っていきながら世界の流れを包括的にまとめたいと思います。

一緒に頑張りましょう!

参考書は

「2時間でおさらいできる世界史」

「いちばんやさしい世界史の本」

「世界史要点 図解整理 ハンドブック」

の3冊です。

記事中の線の色については

 超重要なワードは赤線

重要なワードは緑線

一般的な強調は
文の場合:黄色線
単語の場合:太字

で表しています。

これから、紀元前3000年~前1000年という2000年分を一気に説明します。

紀元前史

目次

はじめに

本テーマは以下の三部作です。

「紀元前3000~前1000年」

「紀元前1000~前500年」

「紀元前500~前27年」

人類が文明と呼ばれるものを発展させ始めるのは、およそ紀元前3000年くらいからなので、スタートを紀元前3000年からとしました。

また、紀元前27年にローマ帝国が共和制から帝政に変わったので、この年号を紀元前編の終わりにしたいと思います。

しかしご存知の通り、人類の誕生はもっと昔です。

猿人→原人→旧人→新人

と進化して、我々はその新人の子孫というわけですね。

人類の誕生編も書いた方がより理解が深まると思うので、手短にですが書かせて頂きます。

人類の誕生と変化

進化

ヒトの祖先はサルと言われていますが、サルが今の人類の直接の祖先ではありません。

長い長い時間を経て現在の人類の直接の祖先である新人へと進化したのです。

人骨と一緒に見つかった石器などから、彼らがどのように生活していたのかを、化石が発見されるにつれて徐々に明らかになりました。

猿人(400万~50万年前)

人類の進化

現在、最初の人類とされているのが、400万年前に登場した猿人で、代表的なものがアフリカで発見されたアウストラロピテクスやホモ=ハビリスです。

猿人の特徴

彼らは、2本の足で立って歩き、石で作った簡単な道具を用いました。

原人(50万~20万年前)

人類の進化

今から50万年前になると、ジャワ原人北京原人、ハイデルベルク人などの原人が現れました。

原人の特徴

彼らは、石を砕いて細工をした握斧(あくふ)や簡単な言葉、火を使用していました。

少しづつ賢くなっていますね。

旧人(20万~4万年前)

人類の進化

およそ20万年前に登場した、ヨーロッパや北米などに分布するネアンデルタール人やアフリカのローデシア人などが旧人と呼ばれます。

旧人の特徴

彼らは、石で刃物を作ったり、死者を埋葬し供物を捧げるなど、精神的な進化もみられます。

新人(4万~1万年前)

人類の進化

私たちの祖先である新人現生人類)は、約4万~1万年前に現れました。

南フランスで見つかったクロマニョン人、日本の三ヶ日(みっかび)人などです。

新人の特徴

彼らは、用途ごとに異なる石器や、動物の骨や角を加工した槍や釣り針の他に、洞穴の壁に絵を描いたり↓もしました。

イベリア半島の地中海沿岸の岩壁画

※スペインのアルタミラ洞窟やフランスのラスコー洞穴壁画が有名です。


さて、ではこの約4万~1万年前に出現した新人が、更に進化し、紀元前5000年頃から世界中の大きな川の流域で複数の文明が同時多発的に興りました。

それが皆さんご存知の四大文明です。

※特に優れた人類文化の発展を「文明」と呼ぶのであって、四大文明以前にも世界中に色々な人類が生活していました。

四大文明の発祥

獲得経済

人類は長い間、打製石器や骨角器を使って獣や魚を捕まえたり、植物の実などを採ったりして食べていました。

これは獲得経済と呼ばれ、この時代を旧石器時代といいます。

獲得経済から生産経済へ移行(前1万~前8000年前)

生産経済

氷河期が終わって地球が暖かくなると、人類は植物の種をまいて育てる農耕や、動物を飼う牧畜を始めました。

農耕や牧畜を学び、「その日暮らし」をする必要が無くなったのは驚くべきことですね。

今から約1万~8000年前くらいのことで、これは生産経済と呼ばれます。

新石器時代(前8000年~)

農耕

農耕・牧畜によって、人類はそれまでのように食料になる獣を追って移動する生活をやめ、定住するようになり、それはやがてムラとなっていきます。

用途によって様々な道具も生まれました。

磨製石器:植物や動物の肉を切るため

石臼:穀物を潰すため

石斧:土地を開墾するため

土器:穀物を貯蔵したり、煮炊きするため

この時代を新石器時代といいます。

初めは雨水を頼りにしていた農耕も、水路をつくって農地に水を引く灌漑農業が始まると収穫量が増え、共同作業が必要な作業なので小さなムラは大きな集落に発展します。

この「定住」→「ムラ」→「集落」の流れを理解するのが非常に重要です。

四大文明

こうして紀元前3000年頃に、都市が成立します。

やがて、道具や収穫された穀物などを財産とみる考え方が生じ貧富の差ができ、また、部族の長や貴族といった身分が現れ、階級が生まれます。

前4000~前2000年にかけてナイル川、ティグリス・ユーフラテス川、インダス川、黄河の流域に生まれた都市国家は、

都市国家とは「都市サイズの国家」という意味で、集落が集まって発展したくらいの感じです

4つの文明に発展し、特に四大文明と呼ばれます。

ナイル川→エジプト文明

ティグリス・ユーフラテス川→メソポタミア文明

インダス川→インダス文明

黄河→黄河文明

※しかし今回紹介する中には、「エーゲ文明」というのも入ってくるので、四大文明とは書かずに「古代文明」と書いてあります↓

古代文明その①黄河文明

古代文明

これは古代中国のお話です

黄河文明

上の画像を見ると、紀元前3000~前1000年の間には

「竜山文化」「殷」

という2つの文字しかありません。しかし、実は竜山文化以前のことも説明する必要があるので、少しだけ頑張りましょう。

黄河文明前半「仰韶文化」(前5000~前3000年)

中国では、紀元前5000年頃に黄河の中流・下流域の肥沃な黄土地帯で農耕が始まりました。

これを黄河文明と言います。

黄河文明

(中国の二大河川といえば、北の黄河と南の長江ですね)

黄河文明は、使用された土器によって、前半の仰韶文化(ぎょうしょうぶんか)と後半の竜山文化(りゅうざんぶんか)に分けられます。

上の年表には、黄河文明後半の竜山文化から載っていますね

仰韶文化は、文様のある彩色土器「彩陶(さいとう)」が使われていたので、彩陶文化とも呼ばれます。

彩陶

(彩陶)

仰韶文化の特徴

この頃の人々は、小さな集落をつくり、アワなどを栽培していました。

また、犬や豚を飼い、竪穴式住居に住んでいたと考えられています。

黄河文明後半「竜山文化」(前3000~前2000年)

竜山文化は、薄手で黒い光沢のある「黒陶」や、つくりの荒い「灰陶」が使われていたので、黒陶文化とも呼ばれます。

黒陶

(黒陶)

竜山文化の特徴

この頃には稲作や、牛・馬の飼育が始まりました。

動物の骨を使った占いも行われていたようです。

住居は高床式です。

伝説の王朝『夏』が興る(前2000?~前1600年?)

(ヨッシーの卵みたいですみません)

この時代、小さな集落は城壁で囲まれた邑(ゆう)と呼ばれる集落に発展し、邑はやがて都市国家に成長していきます。

中国の歴史書は、こうした都市国家を統合した(か)が中国最初の王朝を開いたとしています。

が実在したかどうかは不明で「伝説の王朝」とされてきましたが、最近になって夏の都の跡と考えられる遺構が発掘されました。

伝説の王

中国の歴史書によれば、夏以前に(ぎょう)・(しゅん)・(う)という3人の王がいました。

3人は血縁関係にはありませんでしたが、堯は舜に、舜は禹に位を譲りました。

このような平和的な王朝交代を禅譲といい、儒教では理想的であると称えられ、堯・舜・禹は徳の高い聖王とされています。

禹が興したのが『夏』で、その夏を滅ぼしたのが次に紹介する殷(いん)の湯王とされています。

夏から殷へ(前1600~前1000年)

紀元前1600年頃に、禹が都市国家を統合して建国した(いん)の湯王に滅ぼされます。

「殷」は別名「商」とも呼ばれます。

殷の都の遺構である殷墟(いんきょ)からは、住居跡や王の墓のみならず、数多くの亀の甲羅や動物の骨が発見され↓

甲骨文字

そこに刻まれた甲骨文字が現在の漢字の原型です。

その後、殷はに滅ぼされます。

殷王朝の特徴

亀の甲らに刻まれた甲骨文字は占いに使われました。

殷では、王が甲骨文字で吉凶を占い、その結果に基づいて政治が行われました(笑)

こうした祭政一致の政治を神権政治といいます。

古代文明その②メソポタミア文明

古代文明

これは古代イラクのお話です

古代オリエント

さて、四大文明の一つ黄河文明を終え、二つ目はメソポタミア文明の話かと思いきや、上の画像を見ればわかるようにメソポタミア以上の範囲(イラン・シリア・パレスチナ・小アジア)を説明しなければなりません。

そこで出てくる単語が「オリエント」です。

オリエントとは、エジプト/小アジア/メソポタミア/西アジアを含めた地域を指します。

・・・。(`・ω・´)

と言っても、頭に地図が出てこないと思うので、下にオリエントの範囲を地図で示しました。

オリエント

※オリエントのうち、エジプトに関しては例外的に次項で説明します。

メソポタミア文明(前3000~前2350年)

紀元前3000~2700年頃に、現在のイラク国内のティグリス・ユーフラテス川流域にも文明が興ります。

メソポタミア文明

これがメソポタミア文明で、上図の蛍光色で囲った範囲を「メソポタミア」と呼びます。

メソポタミアとは「二つの川の間の土地」という意味で、この二つの川とは、もちろん、ティグリス川とユーフラテス川を指します。

このメソポタミア地域に定住したシュメール人によって数多くの都市国家が生まれ、代表的なものにウル、ウルク、ラガシュなどがあります。

メソポタミア文明

上の画像を見れば、シュメール人の都市国家がメソポタミアの南部(下流域)に集まっているのがわかりますね。

※「アッカド人の王国の領域」「古バビロニアの領域」については後述しますので、とりあえず無視で(笑)

これらの都市国家は土地や権力をめぐって戦争を繰り返し、中には多くの都市国家を従える強大なものも現れます。

例えば、ウル第1王朝はメソポタミア南部を征服します。

既出のオリエントの年表↓でも、メソポタミア南部「シュメール人の都市文明」のすぐ右に「ウル第1王朝」とあります。

古代オリエント

しかし同時に、少し後にアッカド王国がメソポタミア地域を征服する未来も見えますね(・ω・)

シュメール人の特徴

楔形(くさびがた)文字をもっており、それを粘土の板に刻んでおり、最古の出土品は紀元前3400年まで遡れるらしい。

また、「1時間=60分、1分=60秒」などの60進法を発明し、月の満ち欠けを基準に1ヵ月を定めた太陰暦を使用していた。

古バビロニア王国がメソポタミア統一(前1894~前1595年)

メソポタミア文明

シュメール人の都市国家(ウル第1王朝など)は、アッカド人のサルゴン王によって征服され、サルゴンはメソポタミアの下流・中流域から西北方まで領土を拡げます。

これがアッカド王国です。アッカド人による王朝なのでアッカド王朝ともいいます。

アッカド王朝がグチ人によって滅亡した後、シュメール人の王朝が復活します(年表の「ウル第3王朝」)が、侵入してきた遊牧民アムル人によって滅びます。

メソポタミア文明

アムル人がつくった都市国家の一つ、古バビロニア王国(バビロン第1王朝)の6代目の王ハンムラビは、前1700年頃メソポタミアを統一します。

ハンムラビ法典

「目には目を、歯には歯を」で知られるハンムラビ法典は、このハンムラビ王がつくったもので、同じ罪を犯しても、身分によって刑罰が違うという身分差別的刑罰が特徴。

刑法のほか、離婚、相続、借金に関する細かい規定がある。

メソポタミアが混乱の時代に(前1650~前670年)

古代オリエント

前1700年前後にハンムラビがメソポタミア地域を統一しますが、上の年表通り、古バビロニア王国以降のオリエント地域はヒッタイト、ミタンニ、カッシート、エジプトなどの諸民族が出現し、混乱状態に陥ります。


前2000年頃から、地球の寒冷化・砂漠化を原因としてヒッタイトなど諸民族が各地で民族移動を始めました。

メソポタミア文明

古バビロニア王国は、(史上初めて鉄製の武器を戦争に用いた)ヒッタイトや、カッシートが侵入して滅亡し、またメソポタミア北部にはミタンニ王国ができ、さらにエジプト王国も侵入するなど、前700年頃にアッシリアに統一されるまで、メソポタミアは混乱の時代を迎えます。

ヒッタイトは鉄製の武器を史上初めて用いたので、とんでもない革命児だったんですね。かなり無敵状態やったらしいです

ミタンニ王国からアッシリアが独立(前1450年)

メソポタミア文明

※上図のミタンニ王国に注目

オリエントではアッシリア人が紀元前2,000年初めにティグリス川中流にアッシュールという都市を建設しました。

彼らは鉄製武器や軍馬を用いた強力な軍事力を持っていました。

ミタンニ王国の中に生まれたアッシリアはその後、全オリエント地域を統一します。(次記事で解説します)

東地中海の諸民族

古代オリエント

これから紹介する民族が登場するのは紀元前1000年以降なので、年表↑にはまだ登場しません。

それではこの時代の東地中海の諸民族を見ていきましょう。

東地中海

東地中海とは

上の画像の黄緑の「東地中海」の部分を、

年表で言うと「パレスチナ南部・北部+シリア」くらいを、

現在の世界地図↓で言うと「シリア・レバノン・ヨルダン・イスラエル」くらいを指す地域です。

かなりしつこく説明しています。

東地中海

砂漠の貿易民族アラム人(前12~前8世紀)

東地中海の民族

アラム人は、紀元前12〜前8世紀にかけて、シリアに多くの都市国家を建設しました。

彼らは「アラム王国」などという統一国家はもちませんでしたが、ダマスクスなどがラクダを使った隊商貿易の拠点となりました。

なぜなら、シリアはご覧の通り↓砂漠の国だからです。

アラム語は国際的な商業語となり、アッシリアアケメネス朝ペルシア(後述します)でも用いられました。

早い話、アラム人はラクダを使った砂漠の貿易遊牧民(←完全造語)

アラム文字はヘブライ文字の起源とされています。

海の民族フェニキア人(前1300~前800年)

東地中海の民族

フェニキア人は前1300年頃、シリアやパレスチナなど東地中海沿岸に進出すると、シドンティルスといった都市国家を建設し、地中海貿易を行いました。

フェニキア人

また、(後にローマ帝国と激しく争う事になる)北アフリカのカルタゴなど、地中海沿岸に植民都市をつくったほか、紅海を通って西南アラビアやアフリカとも交易しました。

古代オリエント

フェニキア人は商業を行うのに便利な、子音が22個のフェニキア文字をつくります。

これが、ギリシアを通じてアルファベットの起源となります。

苦難の民族ヘブライ人(前1230~前538年)

東地中海の民族

上の画像には、イスラエル王国とユダ王国と書いてありますが、この2王国は前922年まで1つの王国でした。それをヘブライ王国と呼びます。

ヘブライ人イスラエル人とも呼ばれ、前1500年頃パレスチナに定住。

現在のパレスチナ問題は、この「パレスチナの地は一体誰のものなのか」で争っています。大昔に住んでいたイスラエル人のものか、その後に定住したアラブ人のものか・・・

一部はエジプトへ移住しますが、前1230年頃、エジプトの王ファラオからのいじめや圧政から逃れるためにモーセに率いられてエジプトを脱出し、シナイ半島を経てパレスチナへ戻ります。

出エジプト記

余談ですが、エジプトで圧政に苦しんでいたイスラエル人を引き連れたモーセは、図の青矢印ように海を渡ってシナイ半島へ辿り着き、そこからパレスチナまで逃げました。

エジプト軍に追われながらもようやく海岸に辿り着いたモーセ、そこでモーセがなにやら呪文を唱えると、海がぱっかーと2つに割れ、そのすきにイスラエル人を連れてシナイ半島まで逃れた。しかしエジプト軍が割れた海に入ると、急に海が元に戻ってエジプト軍は全滅した。

というのがユダヤ教の聖典「タナハ」に載っているストーリです(笑)

モーセはシナイ山の山頂で神の言葉を聞き、有名な「十戒」を人々に伝えました。これがユダヤ教の起源です。

前11世紀頃、サウル王がヘブライ王国を建設し、2代目のダヴィデ王、その子で3代目のソロモン王の時代に貿易で大きく栄えますが、ソロモン王が亡くなると、南のユダとイスラエルに分裂します。

このヘブライ王国2代目国王のダヴィデとは、ダヴィデ像で知られるあのダヴィデです。

古代文明その③エジプト文明

古代文明

これは古代エジプトのお話です

エジプト文明

さて、これからオリエント世界で唯一後回しにしたエジプト文明の話をしていくのですが、上の年表を見たらわかる通り紀元前3000年~前1000年までの間は「古王国」「中王国」「新王国」としか書かれていません。

それぞれの間の細い線は何を表すのか?

これは異民族ヒクソスの侵入によるエジプトの混乱期を表します。なので、

元々あった古王国が異民族ヒクソスのせいで滅亡し、ヒクソスを倒して中王国を建てたが再びヒクソスに滅ぼされ、さらに再びヒクソスを追い出して新王国を建てた

というストーリーになります。

エジプトを統一(~前3000年)

毎年、定期的に発生するナイル川の氾濫は、エジプトに肥沃な土壌をもたらし、農作物の栽培を大いに助けました。

エジプト文明

ここから「エジプトはナイルのたまもの」とも言われます。

そこに人々が定住するようになり、ノモスと呼ばれる小部族国家を各地に形成し、紀元前3000年頃にエジプトを統一したメネス王が最初の王朝を立ち上げました。

ナイル川沿いの狭く長い岸辺に約3000年にわたって栄えたのがエジプト文明です。

エジプト文明の特徴

エジプトでは、定期的に訪れるナイル川の氾濫時期を知るための太陽暦や、氾濫後の土地を測量する技術などが発達しました。

古王国(前27~前22世紀)(第3~第6王朝)

ピラミッド

メンフィスを都として栄えた古王国時代で、多くのピラミッドが建設されました。

クフ王のものを最大とするギザの三大ピラミッドが有名で、ピラミッドの守護神としてスフィンクスがいます

第3王朝のゼゼル王は、最初の石造りの墓である階段ピラミッドをつくり、次の第4王朝のクフ王ほか2人の王の墓がギザのピラミッドです。

また、ファラオ(王)が太陽神ラーの子とされ、その権威を高めた時代です。

異民族の侵入による混乱時代(前22~前20世紀)(第7~第11王朝)

きましたね、古王国と中王国の間の細い線の時代です。先ほど、エジプトの混乱期と述べました。

エジプト文明

第7~第11王朝のあいだは、中央集権支配が崩れ、またアジアの遊牧民ヒクソスの侵入を受けて混乱している時代です。

中王国(前21~前18世紀)(第11~第12王朝)

古代エジプト

政治・文化・宗教の中心が都テーベのある上エジプトに移った中王国時代

しかし再び、軍馬と戦車を持つ遊牧民ヒクソスの攻撃を受け混乱

異民族の侵入による混乱時代(前18~前16世紀)(第13~第17王朝)

さて、再び登場した混乱期です。しかしこれは混乱というよりは

エジプト文明

ヒクソスがエジプトを支配している時代です。

前1600年頃、アフモスがヒクソスを追い出し、第18王朝を築き、新王国の始まりです。

新王国(前16~前11世紀)(第18~第20王朝)

メソポタミア文明

第18王朝3代目のトトメス1世は、西アジアにも進出(メソポタミア編と繋がりました)し、その後の1世紀あまりが、エジプトの領土が最も拡大した時期です。

古代オリエント

ちょうどこの時代、メソポタミアでは古バビロニア王国ヒッタイトに滅ぼされて、混乱しているくらいです。そこにエジプト新王国(図中↑のオレンジ色)もシリアやパレスチナに進出します。

さて、話は元に戻りまして、前1370年頃、アメンホテプ4世(イクナートン)の宗教改革によって自由で写実的なアマルナ美術が生まれましたが、国は衰退し、王の死後、有名なツタンカーメンは宗教を元に戻しました。

エジプト美術②―アマルナ美術―

↑こちらの方の記事が「アメンホテプ4世の宗教改革」について、わかり易くて面白かったので興味ある人は是非読んでください。

また、第19王朝のラメス2世はアブシンベル神殿など巨大建築物をつくり、王の権威を示しましたが、その後国家は衰退していきます。

アブシンベル神殿

(アブ・シンベル神殿)

古代文明その④インダス文明

古代文明

これは古代インドのお話です

インダス文明

さて、四大文明の最後、インダス文明はかなり簡単です。

上の年表にも「インダス文明」としか書いていませんし、話すこともそんなに多くありませんし・・・

インダス文明(前2300~前1800年)

インダス文明

インドで一番古い文明は、紀元前2300年頃インダス川の流域に興ったインダス文明とされており、その代表的な遺跡はハラッパーモヘンジョ・ダロです。

モヘンジョダロ

(モヘンジョ・ダロ)

インダス文明の最大の特徴は、計画的に設計されたと考えられる都市です。

碁盤の目状になった舗装道路に沿って下水道設備をもつ住宅、倉庫や作業場などが整然と立ち、遺跡の中心にある大浴場は沐浴の場となっていたと推測されています。

こうした建造物の材料は規格統一された焼きレンガです。

遺跡から出土した粘土板や印章には文字が書かれていますが、まだ解読されていません。

そのため、なぜこのような高度な文明が滅びたのかは不明です。

異民族の侵入、焼きレンガをつくるために森林を伐採し、それによって砂漠化し、川が氾濫したことなどが原因と考えられています。

アーリヤ人がインドに侵入(前2000~前1500年)

ここからは年表に載っていないことを補足として解説します。

インダス文明は紀元前1800年頃に滅びましたが、その前から徐々にインドのパンジャーブ地方に定住し始めた民族がいます。

それがアーリヤ人でした。

インダス文明

紀元前2000~前1500年頃にかけてインドに侵入したアーリヤ人は、初めはパンジャーブ地方に定住し、部族国家をつくります。

彼らは農耕や牧畜を行い、自然を崇拝していました。

後に、その自然崇拝が行き過ぎてバラモン教」として宗教になります。

宗教的な祭礼などは、バラモンと呼ばれる聖職者が行い、彼らが社会の最上位の階級(聖職者)となります。

アーリヤ人がガンジス川方面へも進出(前1200~前1000)

パンジャーブ地方に定住すること約500年、アーリヤ人は考えました。

アーリヤ人「他にも大きな川あんじゃね?移住した方がいいんじゃね?」

川は文明発展に必要不可欠なものなんですね

インダス文明

前12~前10世紀頃には、アーリヤ人はガンジス川流域にまで進出し定着、農耕や鉄器の使用を開始します。

アーリヤ人がガンジス川方面へも進出していくに伴い、バラモン以外の他の3つの階級も成立します。

この身分制度をヴァルナ(種姓)と呼び、カースト制の起源です。

時代が下るとともに身分はより細かく、複雑なジャーティ(身分)となっていきます。

ヴァルナの他にパーリア(不可触民)と呼ばれる人たちも多数おり、身分制は差別につながり、現在でもインドの社会に影を落としています。

その後インドではバラモン教を否定する2つの宗教が興ることになる・・・(後述します)

バラモン教

自然を神と崇め、ヴェーダを聖典とする宗教

バラモン(聖職者)たちは、みずからの特権的な地位を維持するために複雑な儀式をつくりだし、それを独占的に行った。

インドの身分制度

ジャーティ(身分)は世襲で、異なるジャーティ同士の結婚は認められていない。

現在のインドでは身分制度は否定されているが、現実には根強く残っている

古代文明その⑤エーゲ文明

古代文明

これは古代ギリシャのお話です

さて、ようやく最後のエーゲ文明まできましたね。エーゲ文明は大きくクレタ文明ミケーネ文明に分かれますが、なんせ場所はギリシャ。ギリシャ神話にも出てくる話が満載です、実は。

エーゲ文明

エーゲ文明とは、エーゲ海域に興った文明なのですが、エーゲ海の場所を分かる人そんなに多く無いですよね?(決めつけてすみません)

イマイチ、ピンとこない方はもう一度地図で確認してから読み進めてください。ギリシャとトルコの間の海域で、間違ってもアドリア海と混同しないように(おれ(゜.゜))

クレタ文明(前2000~前1600年)

紀元前20世紀頃、クレタ島(↓)のクノッソスを中心にクレタ文明が生まれました。

これをつくったのは、民族系統不明の海洋民族で、彼らは地中海の海上貿易で栄えました。オリエント文明の影響を受け、またエジプトとの交流もあったようです。

クレタ島の中心地クノッソスで発掘された王宮は壮大で、多くの小部屋を持つ複雑な構造をもっています。

ミノタウロス

このことから、ギリシア神話で、怪物ミノタウロスを幽閉するための迷宮を造らせたとされるミノス王の城とされ、クレタ文明はミノス文明ともミノア文明とも呼ばれます。

王宮の壁に色彩豊かで写実的な女性像や海の生物が描かれていることなどから、開放的な文明であったと考えられています。

クレタ文明が滅んだのは紀元前1600年とも、紀元前1400年とも言われていて定かではありません。

ミケーネ文明(前1600~前1100年)

同じく1600年頃、ギリシア人(アカイア人とも)が大陸から南下し、ギリシアに分立した小王国を築きます。

アカイア人は、クレタ文明を滅ぼし、その海上貿易ルートを引き継ぎます。

中心はペロポネソス半島↓のミケーネ地方で、ミケーネ文明と呼ばれます。

エーゲ文明

ミケーネ文明は、黄金の装飾品や、大きな石で造った城塞が特徴で、小アジアのトロイア(トロヤ)との戦争でも有名です。

内通者や巧妙に相手を罠に陥らせることを意味する「トロイの木馬」は、このトロイア戦争で生まれた言葉です

やがて、鉄器文化を持つ別の系統のギリシア人であるドーリア人(↓赤線)が南下してきて、ミケーネ文明を滅ぼします。

エーゲ文明

エーゲ海を中心に栄えたクレタ文明と、ミケーネ文明からなる青銅器文明を合わせてエーゲ文明と呼びます。

これからエーゲ海周辺の200年余り(紀元前1000~前800年まで)は、文字情報の残っていない暗黒時代に突入します。

おわりに

いかがでしたか?

基本的にこの時代は紀元前3000~前1000年という大昔の話なので、想像がしにくいと思います。

そこでもう一度キーワードを列挙するので、しっかりと理解しているか確認してください。

(添付したURLは、各項目をより詳しく書いてある記事です)

黄河文明

・黄河文明(仰韶文化+竜山文化)

・夏(中国最初の王朝)

・殷(殷墟と甲骨文字)

メソポタミア文明

・メソポタミア文明(ティグリス・ユーフラテス川)

・シュメール人(都市国家+楔形文字)

・古バビロニア王国(ハンムラビ法典)

・ヒッタイト/カッシート/ミタンニ

エジプト文明

・エジプト文明(ナイル川+ノモス)

・ピラミッド(ファラオの墓)

・ヒクソス

・古王国、中王国、新王国

インダス文明

・インダス文明(インダス川+モヘンジョ・ダロ)

・アーリヤ人(パンジャーブ地方+バラモン)

・バラモン教(ヴェーダ+ヴァルナ)

エーゲ文明

・クレタ文明(ミノス文明/ミノア文明)

・ギリシア神話

・ギリシア人(アカイア人)

・ミケーネ文明

・トロイア戦争

ではでは

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