さて、本記事では2023年10月7日午前6時半(現地時間)にガザ地区を実効支配するイスラム系武装組織ハマスが突如イスラエルへの攻撃を開始したことを受けて、
- パレスチナの歴史的経緯とは?
- ガザ地区とはなに?
- ハマスとは何者なのか?
などについて、なるべくわかりやすく解説することを目的としています。
イスラエル建国までの道のりや中東戦争の知識も今回の事件を理解するのに大いに役立つので、先に以下の記事を読んでから戻ってきてもらいたいと思います↓
西暦132年、当時ローマ帝国に虐げられていたとある民族が故郷を奪われ世界中に散り散りになった。その民族は約1800年もの間世界中で迫害され続けたが、1948年に父祖伝来の地パレスチナに集い、様々な苦難の末に晴れて国家を建国することができ[…]
池上彰氏のYoutube学園というチャンネルでの解説も非常に参考になりますので是非一度ご覧ください↓
やっぱり池上彰の解説はわかりやすい…
では始めます。
歴史的な流れ
先ほど紹介した記事【イスラエルVSハマスの理解にも役立つ】子どもでもわかる『中東戦争』のすべてで詳しく解説していますので、本記事はあくまでその「続き」として書いています。
とは言え、歴史の流れを知ることは本当に大事なのでイスラエルと中東諸国の対立の構図を改めて簡単にご紹介します。
が、いきなりハマスの説明を読みたい方はこちらをクリックしてジャンプして下さいd( ̄  ̄)
- そもそもパレスチナは、ユダヤ人の預言者アブラハムが神から与えられた土地である(紀元前1,800年頃)
※聖書にはそう記述されている - 実際にパレスチナにはユダヤ人が王国を築いていたこともあり(紀元前1000年頃)、パレスチナは先祖代々ユダヤ人の土地とも言える
- しかし西暦132年にローマ帝国に追放されてユダヤ人は世界各地に散り散りに
途中エジプトに強制連行されながらも約1,900年ユダヤ人はパレスチナに住んでいた - ユダヤ人は故郷を失い世界中で迫害される
ユダヤ人はイエス・キリストを処刑した罪深き民族としてキリスト教徒に憎悪された - 迫害の極め付きがナチスのユダヤ人ホロコースト(大量虐殺)
ナチスは600万人を超えるユダヤ人を虐殺した - 「自分たちの国が無いからこんなことに」「いつかパレスチナにユダヤ人の国家を」と願いながら迫害の歴史はおよそ2,000年続いた
- 念願かなって1948年にユダヤ人の国家「イスラエル」をパレスチナ地域に建国
- そもそもパレスチナはユダヤ人の土地と考えているのでご満悦のユダヤ人
- しかし当然その2,000年の間に様々な民族(主にイスラム教徒のアラブ人)がパレスチナに定住していたので、追い出されたアラブ人たちはユダヤ人を恨む
- イスラエル建国と同時に激怒したアラブ人たちが一斉攻撃を仕掛ける(第一次中東戦争)
- 基本的にイスラエルの軍事力がアラブ国家をこてんぱんにする
- アラブ人はさらにイスラエルを憎悪するようになる
- 第一次~第四次まで中東戦争が続き、多少領土が増減しながらも現在の勢力図に落ち着く
※赤い領域がユダヤ人の土地、黄色の土地がアラブ人の土地 - しかしアラブ人国家もイスラエルも一歩も引かず、現在でもテロが繰り返されている…
という感じです。
さて、最後にご紹介した地図に一言付け加えるとこうなります↓
パレスチナ地域を巡る争いでアラブ人側が唯一死守できたのがこの「ガザ地区」と「ヨルダン川西岸地区」なのでした。
ここまで大丈夫でしょうか?
本当に重要なことなのでもう一度違う角度から説明します。
完全に理解できていない方は読んでみてください。
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神がユダヤ人にパレスチナの地を与えた(紀元前千何百年前のお話)
=パレスチナはユダヤ人の土地
↓
ローマ帝国がパレスチナからユダヤ人を追放する(西暦132年)
=もうパレスチナには帰れない
↓
約2000年近く世界中で迫害を受けてきたユダヤ人は一様にパレスチナにユダヤ人国家を建国したいと願う
=迫害から逃れるため、そして先祖代々の土地を取り返すため
↓
1948年パレスチナにユダヤ人国家「イスラエル」を建国
=1800年間の迫害の歴史に終止符を打てた
↓
既にパレスチナに住んでいたアラブ人(パレスチナ人)は完全に乗っ取られた形
=パレスチナ人はユダヤ人を許せない
↓
アラブ人とユダヤ人との間で戦争になる
=第一次~第四次まで4度の中東戦争が起きた
↓
4度ともイスラエルが圧勝してパレスチナのほとんどの土地をイスラエルに奪われた
↓
唯一アラブ人に残されたのが「ガザ地区」と「ヨルダン川西岸地区」だった
» 折りたたむ
ここまでわかれば、ゴルゴ13のとあるワンシーンも理解できるのです↓
ユダヤ人を敵視するアラブ人側の依頼シーン
われわれは、どんな困難があろうと、父祖伝来の地、パレスチナをユダヤの手から奪回せねばならぬ!
1,900年前この地を捨てたユダヤ人が、今ごろになって帰って来て土地の先住権を主張しおる!(=1948年イスラエル建国のこと)
1,900年前の所有権が生きるなら、アメリカはインディアンのものだし………..
余談ですが、ゴルゴ13にはイスラエルの話がやたら多いです。
このお話は反イスラエル派の依頼シーンなので内容はこんな感じでしたが、ちょっとわかりました?
これがいわゆる中東戦争の原因でもあり、イスラエルという国が大いに周辺諸国ともめている理由なのです。
ハマスはこの「ガザ地区」にて2006年1月のガザ地区自治選挙でPLO主流派のファタハに代わって第1党となりました。
※つまりハマスは正式に国民から選ばれた政党である
では次のステップに移ります。
第四次中東戦争から現在までの流れ
1973年10月6日から始まった第四次中東戦争でしたが、わずか19日後の10月25日には戦争が終結しました。
その後の流れを簡単に紹介します。
4度の中東戦争で圧倒的な強さを見せつけたイスラエルに対して、PLO(パレスチナ解放機構)の代表になったアラファト議長がテロを繰り返すようになります。
そのイスラエルとPLOのお話です。
↓
エジプトとイスラエルが和平交渉成立♡
↓
エジプト側に向けていた戦力をPLO粉砕に向ける
※PLOとはイスラエルを敵視する組織「パレスチナ解放機構」のこと
↓
PLOを中心としたパレスチナ人ゲリラ組織とイスラエルが激しく衝突する
↓
徐々に世界的に「イスラエルもPLOも相手の言い分を少しは認めようよ。和平して共存しましょう」的な考えが広まる
↓
しかし「相手を徹底的に排除するまで戦うべし」という原理主義組織が台頭し、和平ムードを吹き飛ばす
↓
遂にイスラエルがPLOを全力で潰し始める
↓
PLO逃げまくる
=パレスチナからはるか遠くのチュニジアの首都チュニスまで逃げた
↓
ガザ地区でインティファーダ(民族蜂起)が起きる
※女子供を含む非力な市民が投石などでイスラエル軍に抵抗意志を示すこと
↓
PLOが急に方向転換をし「2国家共存」を唱える
=PLOだいぶヤバかったから
↓
オスロ合意でイスラエルとPLOがしぶしぶ仲直り
※お互いにある程度譲歩した
↓
PLOがイスラエルを国家と認めながらもパレスチナ暫定自治政府を宣言する
※これからパレスチナを国家にしたい
↓
PLOがテロ活動停止を宣言
↓
イスラエルもPLOも和平ムード
↓
共存を嫌う勢力が両方に存在し、テロを続ける
↓
もはや「共存」と言うよりは「相手を完全に抹殺して我らの単一民族の国家を作ろう」的な動きになる
↓
現在も続く・・・
という感じです。
早い話「初めはモメていたけど結局はしぶしぶ仲直り、だが他の過激派が黙っちゃいなかった」ということですね。
ここまでの理解が非常に重要です。
- 2国家共存
- インティファーダ
- オスロ合意
についてもう少し詳しく解説します。
2国家共存
ここまで見てきたように、
- 大昔に神からパレスチナ地域を与えられたユダヤ人
- ユダヤ人が追放された後に約2000年近くパレスチナに住んでいたアラブ人
両者、どちらもパレスチナ地域を独占したいのです。
自分の土地だと主張する理屈がちゃんとあるからです。
ユダヤ人的には
と考えており、アラブ人的には
と考えているわけです。
なのでユダヤ人がユダヤ人国家イスラエルを建国したことにぶちギレたアラブ人(=アラブ諸国)がイスラエルを地図上から抹消しようと4度にわたって中東戦争を行ってきたわけです。
しかし両者激しい削り合いの戦いを続ける中で、「とりあえずイスラエル国家とパレスチナ国家の2国家が共存してもいいんじゃね?」と考えるようになり、このような考えを「2国家共存」と呼ぶようになりました。
「相手を全員抹殺してパレスチナに自分たちの国を作ろう」から「まあおれらの邪魔しないなら別にいいんじゃね?」的な考えに変わっていったわけです。
この2国家共存が小さくも形になったのがオスロ合意なのです。
インティファーダ
インティファーダとは「一斉蜂起」を意味するアラビア語です。
(出典:芋煮インティファーダ 〜 及び投石紐のつくりかた 〜)
当時パレスチナの地で極貧の生活を強いられていたパレスチナの一般人(女性や子供を含む非力な民衆)までもがデモやストライキ、投石やイスラエル製品の不買運動などの抵抗運動を行い、イスラエルのパレスチナ占領の実態を世界中に知らしめた大きな抵抗運動のことです。
(出典:パレスチナの第1次インティファーダ)
↑彼が投げようとしているのは手榴弾ではありません、ただの石ころです。
イスラエル兵士もさすがに一般市民には手が出せず国際的な和平ムードを無視することができなくなりました。
オスロ合意
インティファーダが起きたことにより、イスラエル国内でもパレスチナ占領の是非に関する議論が巻き起こりました。
「さすがにパレスチナ人がかわいそうだ!」
「え、パレスチナ人気の毒じゃね?」
「そろそろ軍事占領下に置くのはやめない?」
こうした状況を受け、1993年にノルウェーの仲介により、イスラエルのラビン首相とPLOのアラファト議長との間で「西岸及びガザで5年間のパレスチナ暫定自治を開始する」という暫定合意条約(オスロ合意)が米国で調印されました。
(出典:オスロ合意から25年、希望を見いだせないパレスチナの若者たち)
これは双方にメリットデメリットがありました↓
- イスラエル→ほんとはパレスチナ全域を占領したいけど、ガザ地区とヨルダン川西岸地区においてはパレスチナ人に自治を認めた。
- PLO→ほんとはイスラエルをぶっ潰してパレスチナを奪い返したいけど、ひとまずイスラエル国家の存在を認めた。
ユダヤ人もアラブ人も、ほんとはパレスチナを独占したかったんです。
オスロ合意の「オスロ」とはノルウェーの首都で、ノルウェーはノーベル平和賞の授賞式などを行うほど平和意識が高いと言われており、ノルウェーの仲介でイスラエルとパレスチナ(PLO)が表面上だけでも和平協定を結べたのです。
(左からラビン首相、クリントン大統領、アラファト議長)
「え、じゃあ写真の真ん中にいるクリントン米大統領はなに?」
「え、あいつどこから湧いたんだ?」
と思いますよね。
そうなんです、クリントン大統領は「おれが立ち会ってやんよ♡」としゃしゃり出て強引に調印の場所をアメリカのホワイトハウスにし、自身がPLO-イスラエル両者の真ん中に立ちあたかも自分が仲介したかのように見せかけたんです。
早い話、良いところ取りしただけなんです。
皆さんノルウェーに拍手!!
しかしこの時はまだパレスチナ難民の問題や国境の確定などについては、暫定自治の時期中に協議されるとして解決は先送りにされたのでした。
イスラム系武装組織「ハマス」とは?
(出典:ハマス ガザ地区内で拘束している人質だとする女性の映像 公開)
ではハマスの成り立ちから現在までの動きをおさらいしていこうと思います。
この章ではハマスの歴史的な流れに着目しています。
インティファーダとハマス結成
インティファーダの様子
(出典:パレスチナの第1次インティファーダ)
1987年12月にイスラエルに占領されたパレスチナ(ガザ地区)で発生した第一次インティファーダ(=民族蜂起)がパレスチナ全域に拡大した際、穏健的なムスリム同胞団(※)の中から急進派(=最高指導者シャイク・アフマド・ヤシン)が「イスラム抵抗運動(略称ハマス)」を結成し、
- パレスチナ全土の解放(=イスラエルの殲滅)
- イスラム教国家の建設
を掲げ、イスラエルとの全面対決(全面戦争?)を主張するようになりました。
※ムスリム同胞団とは
1929年にエジプトで結成されたイスラム原理主義者の政治組織。
アラブ各国にも組織を拡大し、(その中から一部過激な集団も輩出したが)主流派は穏健な社会改善を主張している。
それまでハマスはガザ地区を中心として社会福祉活動を行っていた団体でしたが、第一次インティファーダの発生を受けて実力行使部隊を伴って形成されたのです。
「武力行使でイスラム国家を樹立する!!!!!」
「イスラエルがうじうじ文句言うならぶっ潰すまでだ!!!!」
ということで、あくまで目的はイスラム国家の樹立なのでイスラエル殲滅はその手段でしかありません。
チラッと出てきましたが、ハマスというのは略称で正式な組織名はイスラム抵抗運動なんです。
ハマスは上で説明したPLOとイスラエルによる「二国家共存」を目指す和平交渉に反対し、パレスチナの完全な解放(=イスラエルの消滅)とイスラム教国家の建設を目指して、テロも辞さない武力行使をとっていくことになるのです。
暫定自治政府に対する批判
「イスラエルを国家として認める代わりに、パレスチナの統治はパレスチナ人に任せる」という1993年のオスロ合意(両者痛み分けの和平合意)に基づき、1994年にはパレスチナ地域にパレスチナ暫定自治政府が成立し、ヨルダン川西岸地区とガザ地区にてパレスチナ自治が開始されました。
「ガザ地区」と「ヨルダン川西岸地区」の2地区だけですが、ようやくパレスチナ自治区としてアラブ人が正式にパレスチナを統治することが認められました。
※イスラエルに認めてもらった、とも言える
そうなんです、いきなり国家を建国するのは難易度が高過ぎるのでまずはパレスチナ暫定自治政府という名称でパレスチナ国家(仮)の運営をスタートしたのです。
パレスチナ国家(仮)の運営が軌道に乗ればそのまま
「晴れてパレスチナ国を建国します٩( ”ω” )و」
と、パレスチナ人の悲願のパレスチナ国家建国の夢が叶うわけです。
実は1958年頃に創設されたPLO(パレスチナ解放機構)という組織にはいくつか派閥がありますが特に大きな2大派閥がありました。
一方は㋐ファタハ(=穏健派)、もう一方は㋑ハマース(=武闘派)と呼ばれており、後で出てきますがファタハとハマースは後に分断しバチバチやり合うことになります。
が、それはまた後で紹介します。
このパレスチナ暫定自治政府の代表として、アラファト議長らファタハ幹部は逃亡先のチュニス(=チュニジアの首都)から帰還しました。
そうなんです、実はアラファト議長らファタハ幹部はイスラエルがガチでPLOをぶっ潰しに来た時にさすがに抵抗する余力がなく、パレスチナを見捨てて本拠地をチュニス(=チュニジアの首都)に移さざるを得なかったのです。
複雑な事情があるにしろ、チュニスって結構遠いぞ(笑)
当時ファタハ幹部はチュニスに逃亡しましたが、ハマース(=以降ハマスと呼ぶ)はそのままパレスチナに残りました。
その後、パレスチナに戻ったアラファト議長らはハマスを軽視し非民主的な政権運営を行い、汚職・腐敗が蔓延するという事態になりました。(やっぱりか、歴史は繰り返す…)
この事態を受けて、パレスチナの若者世代を中心にアラファト議長のファタハ体制に対する批判が強まり、徐々にファタハの代わりに民衆の支持を受けるようになったのがPLOのもう一つの派閥ハマスだったのです。
イスラエルの撤退と実態
1967年の第三次中東戦争後、ガザ地区はイスラエル軍が軍事占領し、以後ユダヤ人の入植が進み、パレスチナ人との間の衝突が続きました。
イスラエルはガザ地区を1967年から2005年まで軍事占領し、その間ガザ地区にイスラエル人の入植者を増やし続けました。
※筆者の個人的な見解です
↑中国がチベットやウイグルにやっていることと全く同じことをしようとしたのかもしれません、まあ中国の方がもっと徹底的にやっていますが。
また、イスラエルの軍事占領下に置かれたガザ地区では困窮を極めた生活が強いられ始めました。
軍事占領下では、パレスチナ人の基本的人権は保障されず、社会・経済の発展も阻害されました。
また難民キャンプでは基本的な生活インフラも整備されず、生活環境は劣悪なまま放置されました。
1970年代に入るとイスラエルによる西岸・ガザ地区への「入植地」建設の動きが強まります。
90年代までには25万人以上のユダヤ人が入植し、パレスチナ人の危機感が高まりました。
(出典:第三次中東戦争 軍事占領の始まり)
イスラエルは2005年にガザ地区から軍と入植者を撤退させましたが、上空と境界線、ならびに海岸線を未だに支配下に置いています。
これに対して、国連は依然として「ガザ地区はイスラエルの占領下にある」と位置付けています。
政権獲得とガザ経済封鎖
2006年1月のガザ地区自治選挙で、ハマスはPLO主流派のファタハに代わって第一党となりました。
ファタハはハマスとの連立政権樹立を働きかけましたが決裂、両者の対立は決定的となり、ハマスがファタハをガザ地区から追い出したことにより、
- ヨルダン川西岸地区はファタハが
- ガザ地区ではハマスが
それぞれ実効支配を行うことになったのです。
こうして、パレスチナ自治区は2つに分裂してしまいました。
国際社会はハマスを過激なテロ集団と判断し、2006年以降ガザ地区の経済制裁を発動しました。
そのためガザ地区では物資不足による生活困難に直面しましたが、エジプトとの国境に地下トンネルを掘って物資を調達するようになりました。
このような状況にも拘らず、ガザ地区のハマスはイスラエルに対して徹底抗戦しており、イスラエル人に対するテロも辞さず、またミサイルを発射してイスラエルの都市を攻撃、さらに境界線を越える地下トンネルを掘ってゲリラをイスラエル領内に侵入させるといった戦術を採り続けました。
民衆の支持
「ハマス」はイスラエルに対してゲリラ戦法的に奇襲をかけてイスラエルの軍人のみならず民間人までもを襲撃してきました。
※まあイスラエルも10倍100倍の報復攻撃をしてきたんですがね
一見「ハマス=テロ集団」のように見えてしまいますが、ハマスはもともとムスリム同胞団の流れを汲んでおり、彼らは教育や医療、貧困の救済、職業訓練、奉仕などのイスラム教の理念である助け合いを実践する団体であり、その活動は現在でも続いているのです。
ハマスの福祉活動により文房具を受け取る子どもたち
(出典:最新パレスチナ情勢 なぜイスラエルと衝突?ハマスって?解説)
そんな活動もあり、政争に明け暮れるファタハ以上に民衆はハマスを支持しているのです。
ここまで見てきたようにハマスには3つの顔があると言われているのです。
そう、その3つの顔と言うのが
➀福祉団体
➁過激派組織
③政党
なのです。
ガザ地区に壁を建設
イスラエルは2007年にテロ防止やイスラエル側の安全のためにガザ地区に壁を建設しました。
(出典:壁に囲まれた「天井のない監獄」)
ガザ地区のぐるりには三重の検問所があり、人や物の往来が厳しく制限されることとなりました。
基本的にパレスチナ人はガザ地区から外に出ることはできません、ガザ地区は世界有数の人口密集地帯とも言われているほどなのに。
(出典:「パレスチナ自治政府ってどんな場所?」ゼロからパレスチナ問題をおさらい)
まさにリアル進撃の巨人、まさに監獄そのものです。
ここからガザ地区は「天井のない監獄」「青空監獄」「シガンシナ区」などと呼ばれるようになりました。
※シガンシナ区は筆者が勝手に呼んでいます。
2007年に壁が建設されたので、2023年現在で約16年もの間ガザ地区の住民は壁の外に出ることはできていないのです。
(出典:進撃の巨人「似てる」)
必然的に16歳以下の少年少女たちは人生で一度もガザ地区から外に出たことが無いということになります。
先述したようにハマスがガザ地区自治選挙で第一党となった2006年以降、国際社会はハマスを過激なテロ集団と判断し、ガザ地区へ経済制裁を発動したことにより物資不足による生活困窮者が爆増しました。
度重なる衝突
ではハマスの紛争の歴史をざっくりお伝えします↓
【2000年】第二次インティファーダ以降、対イスラエル闘争を強化
↓
【2002年】対イスラエル全面戦争を宣言
↓
【2005年2月】イスラエル‐パレスチナ間の停戦合意を受け、停戦に応じた
↓
【2006年6月】イスラエル軍の砲撃でガザ地区住民が死亡したことから武装闘争を再開
↓
【2009年1月/2012年11月/2014年7月/2018年12月/2021年5月】
イスラエル軍との大規模な戦闘を繰り広げる
しつこいですがmハマスの最大の目標は
- パレスチナの解放(=イスラエルの殲滅)
- パレスチナ国家の建設(=アラブ人国家の建国)
であり、イスラエルは逆にハマスをテロ組織として殲滅しようと考えています。
そんな両者は数えきれないほどの小競り合い(紛争)を繰り返してきました。
(今回を除いて)特に大きな紛争を5つ挙げてみました↓
» 興味がある方は続きを読む(クリックで開く)
2008年12月
「イスラエル南部の安全確保のため」「ハマスのテロ活動の根絶」を掲げたイスラエルは、一週間にわたってガザ地区への空爆および地上侵攻作戦を行った。
2012年11月
ハマスがガザ地区からイスラエルに向けてロケット攻撃を増加させたことを受けて、イスラエルはこれに対抗しハマスのロケット施設や指導者を標的にした。この紛争では、多くのロケット攻撃と空爆が行われ両側に多くの犠牲者を出すも最終的にエジプトが仲介役となり停戦合意が成立した。
2014年7月
ガザ地区からのロケット攻撃や地下のトンネル活動に対するイスラエルの報復攻撃として開始された。この紛争は非常に激しいもので、多くの民間人が犠牲になり、特にガザ地区内の住宅や学校への攻撃が国際的な非難を浴び、最終的にエジプトを仲介役とする停戦合意により、紛争は終結した。
2018年
2018年から2019年にかけて、ガザ地区で「グレート・リターン・マーチ」と呼ばれるパレスチナの抗議運動が起こり、やがてイスラエルとの対立に発展し多くのパレスチナ人が死亡し、負傷した。
2021年5月
イスラエルがエルサレムのモスクへの通路を封鎖しパレスチナ人を締め出したことにパレスチナ人が反発・衝突が起こった。
» 折りたたむ
このようにハマスとイスラエルは度重なる衝突を繰り返してきた歴史があるのです。
2023年10月7日(土)のイスラエル攻撃
そうして2023年10月7日(土)午前6時半頃、ハマスは作戦開始と同時に5000発のロケット弾をイスラエル側に打ち込んで戦争がスタートしました。
イスラエルには2011年に初めて配備されたアイアンドームと呼ばれる非常に優秀な防空システム(=世界最強とも言われている)があり、
アイアンドームの様子
(出典:米国防総省、イスラエルに「アイアンドーム」用ミサイル第1弾を供与)
そのアイアンドームの防御能力の限界を超えるために5000発ものロケット弾を打ったと言われています。
アイアンドームのイメージ図
(出典:世界最強の防空システム「アイアン・ドーム」、イスラエルがウクライナへの提供拒む)
迎撃システムの仕組みは上のイメージ図を見てもらったらわかりますが、
- 相手から打たれたミサイルやロケット弾を探知
- 迎撃ポイントを計算
- 迎撃ミサイルを発射
- 敵弾の近くで迎撃ミサイルを爆破
となります。
アイアンドーム、めっちゃカッコいいっす。
2021年5月12日、ガザ地区から発射されたロケットを迎撃するアイアンドーム。
(出典:過去数年間で最悪の戦闘の中、イスラエルの「アイアンドーム」は自軍の無人機も撃ち落としていた)
2022年8月にはガザから打ち込まれたロケット弾470発のうちアイアンドームがその97%を迎撃し国民の命を守りましたが、今回はなんせ5000発です。
さすがにアイアンドームの処理能力を超え、イスラエルにもロケット弾が降り注ぎました。
こうしてハマス(パレスチナ)とイスラエルとの間で過去に類をみないほど大規模な戦争が始まりました。
2023年10月17日現在で、
ガザ地区の死者:2808人
イスラエル側の死者:1400人
と双方の死者は4200人を超えました。
それは、
近年アラブ諸国がイスラエルと次々に和解する流れがあり、パレスチナが孤立してきたから
だと言われています。
では次のお話に移ります。
イスラエルとアラブ諸国の和平の波
さて、イスラエルとアラブ諸国は4度にわたる中東戦争でパレスチナ地域の領有権を争ってきたんですよね?
なんせ中東地域はイスラム教国家(アラブ人国家)ばかりですから。
青色はイスラム教国家、黄色はユダヤ教国家(=イスラエル)
イスラエルがなんと言おうが、イスラエルの周りがこれだけアラブ人国家で固められていたらパレスチナ問題は否が応でも議論の的になりますよね?
だってパレスチナは元来おれらの土地だしさ
という感じです。
しかし!!!
近年、イスラエルとアラブ諸国が次々に和解するようになりパレスチナ問題の存在感が徐々に薄れつつあったのです。
1978年 キャンプ・デービッド合意(エジプト)
(出典:キャンプ・デービッド合意)
まず1978年のキャンプ・デービッド合意により、アラブ諸国の盟主エジプトがイスラエルと和解しイスラエルを正式に承認しました。
これによりイスラエルはシナイ半島をエジプトに返還したのです。
1993年 オスロ合意(PLO)
(出典:オスロ合意から25年、希望を見いだせないパレスチナの若者たち)
1993年のオスロ合意により、パレスチナ解放機構(PLO)はイスラエルを国家として承認する代わりに、パレスチナの自治を正式に認められました。
イスラエルに徹底抗戦していたPLOがイスラエルと和解したのです。
1994年 イスラエル・ヨルダン平和条約
(ヨルダン)
(出典:イスラエル・ヨルダン平和条約)
イスラエルとヨルダンは平和条約を締結し、国交を樹立しました。
2020年 アブラハム合意(UAE&バーレーン)
(出典:アブラハム合意)
アメリカの仲介により、イスラエルはアラブ首長国連邦(UAE)とバーレーンとの間でアブラハム合意に調印し、正式な外交関係を樹立しました。
アブラハム合意以降もイスラエルと世界各国との和平協定は続きます。
- 2020年9月4日にはイスラエルとコソボ、イスラエルとセルビアが
- 2020年10月23日にはイスラエルとスーダンが、
- 2020年12月10日にはイスラエルとモロッコが、
- 2020年12月12日にはイスラエルとブータンが、
それぞれ国交を正常化していったのでした。
この他にもイスラム教国家の大横綱サウジアラビアやクウェート、カタール、オマーンなどのアラブ諸国とも和平交渉が進行中であり、将来的にはイスラエルと和解の可能性があるとされています。
「このままアラブ諸国とイスラエルの和平が続けば、いずれはパレスチナの存在感が薄れ、世界中で誰もパレスチナ問題に声をあげる人間がいなくなってしまう」
そう考えたハマスが、パレスチナ問題の存在感を再び世に知らしめるために今回の大規模な軍事作戦を決行した、という説が濃厚のようです。
イスラエル・パレスチナ双方の主張
ではここからはイスラエルとパレスチナ双方の主張をまとめていきたいと思います。
参考にしたのはYoutubeチャンネルのReHacQ(リハック)というビジネス動画メディアでのインタビュー動画で、
- 駐日イスラエル大使
- 駐日パレスチナ常駐総代表
の両者に今回の事件に関する見解を伺っています。
その内容が非常に興味深かったので本記事で是非紹介すべきだと思ったのです。
イスラエルの主張
上の動画で駐日イスラエル大使が述べたことを要約しました。
約50分間のインタビューを簡単に要約しているので言葉足らずな部分もあると思います、気になる方は是非動画でご覧ください。
イスラエルは平和を望んでいる。
パレスチナ民間人の死傷者はイスラエルにとっては悲劇が、しかしハマスにとってイスラエルの民間人死傷者が出ることは喜び祝うことである。
ハマスをテロ組織と認定し、テロは絶対に許さないという姿勢を崩さない日本には大変感謝している。
我々はハマスが二度と回復できなくなるまで破壊する。
パレスチナはもともとユダヤ人の土地です、そのパレスチナをわざわざ分割してもいいよと譲歩してあげたのにパレスチナ側は拒否している。
パレスチナの民間人に犠牲が出ているのは悲劇だが、ガザの住民を盾にし陰に隠れて暗躍するテロ集団(=ハマス)を殲滅するにはどうしても仕方がない一面もある。
ガザ地区の悲惨な現状ばかりが取り沙汰されているが、イスラエルの民間人にも同様の被害が出ていることをもっと世界中のメディアに報道して欲しい。
2006年にハマスはガザ地区で民主的な選挙で政権与党を勝ち取ったと言われているが、あれはハマスがクーデターを起こしてガザを乗っ取ったのだ。
ガザ地区の封鎖に関しても、誰も行き来できないような封鎖ではないし、そもそも封鎖など望んでいない。
またイスラエルは長年ガザ地区に支援し続けてきたが、その支援のほとんどが結果的にはハマスのテロ攻撃(軍事力強化)の温床となっていた。
イスラエルは平和の地であり、国民は戦争ではなく平和を望んでいる。
ということでした。
イスラエル側の主張をみるだけでも「もう平和的解決は無理じゃね?(;´Д`)」と思ってしまいます。
ではパレスチナ側の主張に移ります。
パレスチナの主張
上の動画で駐日パレスチナ総代表が述べたことを要約しました。
約50分間のインタビューを簡単に要約しているので言葉足らずな部分もあると思います、気になる方は是非動画でご覧ください。
そもそも我々はハマス代表ではない、ハマスとは何の関係もない。
パレスチナ政府は市民に対してのテロ行為は容認せず、双方が民間人を標的とし殺害することを強く非難する。
イスラエル建国以来約70万人のパレスチナ人が故郷を奪われた、そしてそれ以来我々はイスラエルの過酷な軍事占領下にある。
イスラエルの軍事占領軍は国際法的には違法であり、市民の逮捕・銃殺・破壊などやりたい放題である。
彼ら(=イスラエル)は宗教的に過激派でありこの土地(=パレスチナ)全てを神が彼らに与えたと信じている。
イスラエル国防相は「我々は動物と戦っている」と述べた、私たちを動物つまり狩りの対象だと思っているのだ。
世界中の人間がパレスチナ人は殺戮と破壊を望んでいると誤解している。
パレスチナ人は75年間にわたる非人道的で自由がない軍事占領に苦しんできた、これらがガザに過激派が生まれた背景である。
テロ行為を行うハマスも悪い、しかしもっと悪いのは非人道的な軍事占領を行うイスラエルである。
オスロ合意でパレスチナはイスラエルを国家として認めた、しかし未だにイスラエルはパレスチナを国家と認めていない。
パレスチナ問題が解決しないのはいつまで経ってもイスラエルが対話に応じないからだ。
日本はパレスチナに金銭的援助を行っており、それはパレスチナ人にとって命のお金であり感謝してもしきれない。
スポンサーの顔色をうかがうだけのテレビ報道を鵜呑みにするのはやめて、パレスチナそしてガザを救ってください。
ということでした。
おわりに
さて、本記事ではイスラム系武装組織ハマスをメインに取り上げてみました。
パレスチナにもイスラエルにも歴史的な経緯・主張があり、どちらが被害者と一概に断定することは不可能であることがよくわかりました。
やはり国民性として無宗派である日本人にとって、ユダヤ教の歴史も理解し、イスラム教の歴史も理解し、その上でパレスチナ地域の歴史も理解するのは至難の業だと思います。
そうして初めて今回の戦争の対立の構図がつかめてくると思います。
イスラエルもパレスチナもお互いに「相手をぶっ潰すしかない」と考えていることもあり、今回の戦争は長引くことが必至だと思われます。
今後も注目していきたいですね( ˘ω˘ )
ここまでお読み頂きありがとうございました。
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