RYOです
今回はユダヤ人迫害についての歴史をなるべくわかりやすくまとめてみました。

ユダヤ人迫害の歴史を振り返ると、西暦132年の「ディアスポラ」以来ずっとユダヤ人は迫害を受けてきたという事がよくわかります。
先にこちらの記事↓を読んだ方が断然理解しやすいと思うので、時間があれば読んでください(別タブで開きます)
さて、遂にこの単元にやってきたかという感じです。世界を周るうえで必ず知っておくべき知識の一つ、それは宗教の基礎知識で宗教上のルール違反等を勉強せずに世界を旅することは危ないし勿体ないです。今回はユダヤ教の歴史をわかり[…]
では始めます。
ユダヤ人の乱離拡散『ディアスポラ』
さて、ユダヤ人迫害の歴史はここから始まると言っても過言ではありません。
ユダヤ教徒の聖典タナハには、
と書いてあり、ユダヤ人は
という選民思想を持っています。
ディアスポラまでの、ユダヤ教の流れを超簡単にまとめました。

クリックで開きます↓
» ディアスポラまでの流れ(初心者向け)
神と人間
遠い遠い昔、神(ヤハウェー)が「光あれ」と言って世界をつくり、同時にアダムとエヴァという人類を作りました↓
しかしアダムとエヴァは好奇心から、ヘビに化けたサタンに騙されて神から食べるのを禁止されていた禁断の果実(善悪の知識の実)を口にし、神に天上の楽園から追放されました。
この不届き者め。
もう二度と天界へ帰ってくるでない。
我々人類は、その神との約束を破り、神様を裏切って地上に降ろされたアダムとエヴァの子孫というわけですね。
神がユダヤ人にパレスチナの地を与える
ノアの箱舟、ヴァヴェルの塔、ソドムとゴモラの話などを経た紀元前17世紀頃、神は現在のユダヤ人の先祖アブラハム(アダムとエヴァの子孫)にカナンの地(現在のパレスチナ)を永遠に与えると約束しました↓
※古今東西のパレスチナを巡る争いはここから始まると言っても過言ではありません
(↑アブラハムが神に忠誠心を見せるために息子イサクを神に捧げようとしている場面)
これにより
「ユダヤ人の居場所=パレスチナ」
となりました。
つまりパレスチナは、
なのです(この話はキリスト教徒もイスラム教徒も認めています)
ユダヤ人の聖地
紀元前10世紀以降では、ダヴィデ像で知られるダヴィデ↑の子、ユダヤ人のソロモン王が十戒を祀った神殿(ソロモン神殿)をエルサレムに建設しますが当時の大国「新バビロニア」に破壊されました。
そのソロモン神殿を受け継いだユダヤ人のヘロデ王が1,000年後に再び大神殿を建設するも当時の大国「古代ローマ帝国」に再び破壊されます。
現在のユダヤ教の聖地として知られる嘆きの壁は↓
この破壊されたソロモン神殿の一部だと言われています。
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紀元前後では、古代ローマ帝国に支配され、二度のユダヤ戦争を起こすも圧倒的な勢力に制圧され、ついにユダヤ人は神との約束の地カナン(現在のパレスチナ)から追放され地中海各地に離散していくことになりました↓
このユダヤ人の乱離離散をディアスポラと呼びます。
このディアスポラ以降、帰る地を失ったユダヤ人の悲しい歴史が始まります。
啓典の民『ユダヤ教&イスラム教』
ディアスポラから時は経ち、7世紀にアラビア半島に興ったイスラム教(開祖ムハンマド)は瞬く間にパレスチナを含む西アジアを支配するようになりました。
そうです↓
イスラム教は、ユダヤ教徒やキリスト教徒の聖地(パレスチナ=エルサレム)をも支配することになったのです
※エルサレムはパレスチナという地域にある一都市
これはユダヤ教徒やキリスト教徒からすればおもしろくないですよね。
自分らの聖地が後からポッとできた新興宗教に支配されているのですから。
でも逆らえません、敗者は。
しかし普通ならイスラム教の支配下に入ったのなら、イスラム教以外の他宗教は迫害を受けてもいいところなのですが、イスラム世界ではユダヤ教徒もキリスト教徒も啓典の民(けいてんのたみ)として迫害はしませんでした↓
同じ神から啓示を受けた仲間
ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も呼び方は違えど、信仰している神は同じ神です。
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ユダヤ教は神をヤハウェーと呼び、キリスト教はゴッドと呼び、イスラム教ではアッラーと呼ぶだけです。
ユダヤ教ではモーセが、キリスト教ではイエスが、イスラム教ではムハンマドが同じ神からそれぞれ啓示を受けただけなので、これら3宗教は兄弟みたいなものだと思っています。
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「異教徒の場合、多少の税金はプラスでもらうけど、基本的に仲間とは争わないよ」
というスタンスです、イスラム教優しい♡
やりたい放題の十字軍遠征『キリスト教 VS イスラム教』
じゅうじぐん・・・
よく聞く言葉だと思いますがイマイチ詳しく知らない人が多いと思います。
この十字軍はほんと無茶苦茶で、大規模なユダヤ人迫害が始まったのは十字軍遠征以来と言うこともできます。
十字軍遠征について一言で言うと下のようになります↓
「聖地奪還」という大義名分を持ったキリスト教勢力が200年に渡って7回もイスラム教圏に侵略し大虐殺を行った事件
です↓
当時イスラム教圏が勢力を伸ばしており、その勢力に脅かされていたキリスト教国「東ローマ帝国」がキリスト教のトップであるローマ教皇に援軍を要請します。
東ローマ帝国「イスラム教圏が攻めてきやがった!!教皇様、援軍をお願いします」
教皇「我々の聖地エルサレムをイスラム教圏から奪還するのだーーー(俺の権力を知らしめるいい機会だ、むふふ)」
聖地奪還という大義名分を打ち立てて、胸に十字が書かれた兵士(=十字軍)を編成します↓
結局200年に渡って7回も遠征(1096年~1270年)していたので、兵士の士気は最低、規律もほとんどなく第4回目以降は好き放題するだけのただの強盗集団のようになっていきました。
次ページで、第一回目の遠征だけ試しに見てみましょう。