皆さんは現在の「ロシア連邦」はその前身となる、
から出来た国ということは知っていますか?
今回はその「ソ連」は一体どんな国だったのかを、図解多めで面白くわかりやすくまとめようと思います。
※一応詳しく知りたい方もいると思うので、ある程度小難しい話も混ざっています。
途中で「無理‼」と思った方は遠慮せず別記事にでもワープしてってください(´・ω・`)

ソ連についての基礎知識
まずは漠然としたソ連の基礎知識です↓
いつできた?いつ解体された?
ソ連は、1922年12月に成立し1991年12月に消滅しました。

余談ですが、ソ連崩壊と共に15の国家が独立(誕生)しました!
ソ連の広大な領土
そもそもソ連とは一つの国ではありません。
まあ連邦とか言ってるくらいですからね。

» 15個の共和国一覧
現在の呼び名で記しています↓
- ロシア
- ウクライナ
- ベラルーシ
- モルドヴァ
- ジョージア
- アゼルバイジャン
- アルメニア
- カザフスタン
- トルクメニスタン
- ウズベキスタン
- タジキスタン
- キルギス
- リトアニア
- ラトヴィア
- エストニア
» 折りたたむ
所々「え、どこ?(゜.゜)」と思いますよね(笑)
日本で言う「関東」とか「関西」みたいに複数の地域(国)が集まって大きく括られた呼び名で、このソ連邦は計15カ国で構成されていました。
旧ソ連の15か国をそれぞれ別の色で塗った地図がこれです↓
その領土は超広大で、世界の国土面積の1/6を有していたようです(`・ω・´)ゞ
各共和国の力関係
ソ連は15個の共和国で構成され、それぞれが大統領をもち対等な立場で連邦を作っていました、表面上は!
実際はロシアが主導権を握って支配しており、ロシア一強の状態で、
ロシア「てめーら、カラスって白かったよなあ?」
他14ヵ国「は、はい、ロシアさんがそう言うなら。カラスは白いです!!!」
という感じでした。

ではこれからソ連の成立から解体までをみていきたいと思います。
なんかYouTubeで「小学生でもわかるソビエト連邦の歴史」という動画を発見しました↓
まあかなり大雑把な内容ですが、先に一度目を通してもらえるとよりこの記事の理解度が増すと思ったので一応載せておきます。
個人的にはナレーションが機械音声の動画は嫌いなんですが、まあ時間がある人は先に動画を観てから本記事に戻って来てもらってもいいと思います(;^ω^)
1917年3月にロマノフ王朝終了(三月革命)
1613年に16歳でロシアの皇帝に選出されたミハイル=ロマノフから始まったロマノフ王朝が、17世紀後半のピョートル大帝の時代で大躍進し、エカチェリーナ2世などを経ながらずっとロシアを支配してきました。
1891年にはフランスの資本導入のおかげでシベリア鉄道にまで着工し、本格的なロシア版産業革命が始まりました。
当時の皇帝はニコライ2世です。
しかしロシアは1905年の日露戦争で敗戦が続く中、労働時間の短縮や戦争の中止を請願しようとした10万人の市民の平和な行進に対し軍隊を以て鎮圧したのです↓
この武力による鎮圧を血の日曜日事件と呼び、ロシア皇帝への崇拝の念は完全に鎮静化し、ロシア国内はひっじょーーに混乱&荒れていました。
血の日曜日事件に対する猛烈な抗議がロシア全土で発生し、労働者がストライキを決行したり、被抑圧民族や農民まで蜂起したのでした(=第一次ロシア革命)
そんな中、ロシアは国力に余裕も無いのに調子に乗って1914年の第一時世界大戦にも参加しました。

そうです、労働者も兵士も重労働を強いられました↓
当然、労働者と兵士は厳しい環境に苦しめられ不満が爆発します!
ふっっっざけんじゃねえぇぇぇぇぇ(; ・`д・´)
1917年、レーニンを指導者としたロシア革命(=三月革命)を経てロマノフ王朝は革命軍の圧力に屈し皇帝は自ら退位しました(その後殺害された)

しかし資本家だけは戦争中、武器/弾薬/食料の調達で大儲けしていました。
労働者/兵士「もう戦争なんて二度とやるか!どうせ血を流すのは俺らだけだ」
資本家「むふふ、お金ざっくざく♡ もっと続け、戦争」
二月革命と三月革命
このレーニンを指導者としてロマノフ王朝を倒した革命について、ぼくは三月革命と書きましたが、実は二月革命とも言います。
何故かと言うと、我々が一般的に使っている暦は「グレゴリオ暦」、しかしロシアが使っているのは「ユリウス暦」で、暦上で呼び方にずれが生じるからです。
ぼくは世界の標準的なグレゴリオ暦を尊重して、三月革命としています。
二重権力状態発生
話はレーニンの三月革命から少し遡り、実はロマノフ王朝が倒されるちょっと前にロシアでは2つの権力が出現していました。
それが【ソヴィエト】と【臨時政府】(りんじせいふ)という2つの組織です。

別に過激派でもテロ組織でもなく、混乱するロシアの中で生まれ、力を持っていった2つの政党です。
ロシアはまだ第一次世界大戦の真っ最中で、ソヴィエトと臨時政府はそれぞれ正反対の方針を示していました。
ソヴィエト
ソヴィエトという組織は、労働者と兵士で構成されており、戦争終結を望んでいました。
第一時世界大戦で特に血を流した2者(労働者と兵士)でソヴィエトを結成したんですね。
⇒断固戦争反対派
⇒これ以上ロシア国民の負担を増やさないように努力=民意を獲得
臨時政府
ソヴィエトとは異なり、臨時政府という組織は富裕層(=ブルジョワジー)や資本家で構成されており、戦争継続による軍需で莫大な利益の獲得を望んでいました。
⇒まだまだ戦争継続賛成派
⇒生活の厳しいロシア国民とは正反対の考え方
ソヴィエト VS 臨時政府
実は、臨時政府はもともとソヴィエトの支持を得て樹立されました。

それにソヴィエトは政権運営などのノウハウも乏しかったので、そういう意味でも「お前も応援してくれよ」的に臨時政府に期待をしていました。
しかし臨時政府がロシア帝国時代の方針を引き継いで戦争継続を望んだため(あれ?(゜.゜))、ロシア国民の間には圧倒的な不信感が広がります。
ソヴィエト「あれ、臨時政府はもっとロシア国民のために色々やってくれると思って支持したのに。話が違う、許せぬ!」
臨時政府「戦争終結したらお金儲けできないじゃん?国民の苦境?知らねーよそんなの」