RYOです。
キューバに行く前に知っておきたい歴史を簡単にまとめました。
なぜなら2019年の4~5月にかけてもう一度キューバに行こうと思ったからです。笑
ぼくは2018年4~5月にかけて既に1週間行っているのですが、歴史についての予習が不十分でした。
旅する前に何よりもまずしておきたいのが「その土地の歴史を知る」という事です。
歴史を知ればその国の観光地も断然楽しむことができると思います。
- 1 キューバの位置
- 2 なぜ中南米ではスペイン語を話すのか?
- 3 キューバの歴史
- 3.1 キューバはずっとスペインの植民地だった
- 3.2 1898年 米西戦争が起きる
- 3.3 1903年 キューバ国内にグアンタナモ基地設置
- 3.4 1952年 バチスタの独裁政治が始まる
- 3.5 1953年 カストロが立ち上がる
- 3.6 1956年12月 カストロが再びキューバにカムバック
- 3.7 1959年1月1日 キューバ革命成功
- 3.8 1960年 ここからカストロの奔放な政策が始まる
- 3.9 1960年~ キューバとソ連が急激に親密になる
- 3.10 1962年10月 キューバ危機
- 3.11 1991年 ソ連崩壊
- 3.12 2014年12月 アメリカとキューバとの関係改善を発表
- 3.13 2015年7月 アメリカがキューバと国交回復
- 3.14 2016年3月 オバマ大統領がキューバ訪問
- 3.15 2016年11月 フィデル・カストロ死去
- 4 キューバが近代化する前に行きましょう
キューバの位置
まずキューバはアメリカ合衆国のすぐ南、メキシコ合衆国のすぐ東にある小さな島です。
このアメリカと近いということが後々のキューバ危機やらキューバ革命やらが起こる根本的な原因になってきます。
アメリカのフロリダ半島とはたった150kmしか離れていません
なぜ中南米ではスペイン語を話すのか?
↑ハバナのあるレストランのメニュー
これも結構メジャーな質問だと思いますが
「アメリカと言えば英語、じゃあアメリカ大陸は英語知ってれば行ける!!」
そう思ってる人が意外に多い(←過去のぼく
あまい!!!
確かにアメリカやカナダは英語圏です。
カナダのケベックはフランス語を話しますが、アメリカから南の国々・・・
この地図でいう、黄色の国々(メキシコ以南)の公用語はスペイン語です。一部ポルトガル語です
例の「グラシアス(ありがとう)」「ウノ(1)」「シー(はい)」などです。
なのでアメリカ大陸を旅行したい人はまずスペイン語を学びましょう。
そしてなぜスペイン語が中南米の国の公用語になったかというと↓
コロンブスの新大陸発見
の影響です。
コロンブスはスペインのイザベラ女王の援助を受け、インド到達を目標に航海を始めました。
しかし1492年に現在のバハマ諸島周辺に初めて到達し、それからも数度にわたって航海を続け中南米を探検しました。
※本人は最後までそこをインドだと信じており、先住民をインディオと名付け虐殺しまくりました。今はネイティブアメリカンと呼ぶのが通例
コロンブスの報告を受けたスペイン国が、カリブ海の島々から中南米にかけて領土を拡大したことでスペイン語が定着したと言われています。
北アメリカは開発が遅れていたので、その後に他の大国であるイギリスやオランダ、フランスなどに植民地化されたので、スペイン語が定着しなかったようです。
キューバの歴史
話し出すと長くなるので、本当に簡単にまとめました。
キューバの歴史はアメリカとソ連が大きく関わっており、その時代の流れを知るとよりキューバを楽しめると思います。
キューバの歴史で絶対に外してはいけない人物が1人います!それが↓
フィデル・カストロです。
彼が現在のキューバを作ったと言っても過言ではありません。
カストロ議長と共にキューバ革命を成功させたチェ・ゲバラも要チェックです!!!
キューバはずっとスペインの植民地だった
そもそもキューバはスペインの植民地でした←さっきのコロンブスの話です
19世紀後半、だんだんとキューバはスペインから独立したくなってくる…
けどスペインは大国なので戦っても勝てないし、独立なんて簡単にできない・・・
そんななか↓
1898年 米西戦争が起きる
アメリカがスペインに勝つ!
これが米西戦争!
キューバ近海に停泊していたアメリカの戦艦がスペイン側に攻撃され沈没する、これから米(アメリカ)と西(スペイン)が戦争を始めました。
結果アメリカが勝ち、はれてキューバはスペインから独立!
これによりアメリカとキューバは急激に仲良くなっていきました。
キューバ「アメリカ様のおかげでスペインから独立できました!!!本当にありがとう」
アメリカ「いえいえ、なんせお隣さんやからね!これからは一層仲良くやっていきましょう(^ω^)」
という事で↓
1903年 キューバ国内にグアンタナモ基地設置
これはアメリカの海軍基地で、2002年以降はアフガニスタンやイラクで拘束したテロリストを収容しています。
アルカイダやタリバンの内部情報を聞き出すための拷問が行われていたらしいのです…
アメリカの基地に収容すると法律で弁護士を付けないといけないのでこの基地に収容したと言われています。
1952年 バチスタの独裁政治が始まる
時は経ちバチスタがキューバの大統領になり、超弾圧的な独裁体制を始めました。
※一時期流行った「チームバチスタの栄光」とこのバチスタは何の関係も無いようです
1953年 カストロが立ち上がる
バチスタの独裁政権打倒を誓うフィデル・カストロが仲間を率いてバチスタ軍の兵営を襲撃!
カストロ「バチスタの独裁政権による弾圧には我慢できない!おれらで国を変えようぜ」
しかし
そこで革命家チェ・ゲバラと出会います。
ゲバラは軍医としてカストロ兄弟に力を貸しました。
1956年12月 カストロが再びキューバにカムバック
これがまたすごい。
グランマ号という8人乗りのヨットに計82人を乗せてメキシコからキューバのラス・コロラーダスへ入港。
(※「8人乗りに82人」こう聞くとスゴイですが、実際は「8人なら超バカンスで2000%くつろげるくらいの大きな船」と言った方が正しいかもしれません。「いや、82人乗れそうやん」って感じの船でした。)
このグランマ号は首都ハバナの革命博物館にあります。
でもバチスタ政権に待ち伏せされ、70人を失います。
82-70=12人が生き残り、再びこの12人からキューバ革命を夢見て着々と準備をします。
その間、カストロの大義に心打たれた様々な人が徐々にカストロのもとに集まってきます。
1959年1月1日 キューバ革命成功
再上陸から2年後、仲間を大幅に増やしたカストロがバチスタ政権を倒し、事実上キューバでトップになりました!!!
1960年 ここからカストロの奔放な政策が始まる
´60年3月
まずは農業改革を始める。
その手始めにアメリカ所有の農地を取り上げて国有化する
え、、、?(;・∀・)
これ、やばくないすか?今までずっとアメリカ所有やった農地を急に取り上げてキューバの国有地にしてしまいました。
これにアメリカは激しく反発する(まあ当然やけど)
だが、カストロは負けません!
‘60年10月(7カ月後)
キューバ革命政府(カストロたち)は銀行や工場などを含む外国企業まで国有化する
え?(゜.゜)
これにキレたアメリカが、キューバの唯一の輸出産業である砂糖を買わなくなり、石油の輸出も止めてしまう。
キューバ大打撃!!!
ここでキューバとアメリカは完全に国交断絶
1960年~ キューバとソ連が急激に親密になる
そこでアメリカの代わりにソ連が近寄ってきます。
ソ連はアメリカが買わなくなった砂糖も買ってくれるし、石油もお安く渡してくれるし。
キューバはソ連の仲間となり社会主義国家として台頭し出します。
ソ連「よし!アメリカを狙う核ミサイルをキューバにどんどん配備しろー」
アメリカ「・・・。アメリカ本土が危ない。これ以上キューバにソ連のミサイルを入れさすなー」
と、ソ連から核ミサイルをキューバに運ばせないために、キューバの周りを囲んで海上封鎖を実施しました。
アメリカは当時、ソ連のすぐ南に位置するトルコにミサイルを設置しており、いつでもソ連を火の海にできました。
その代わりにソ連はキューバにミサイルを配備したという経緯があります。
なぜなら当時のミサイルはソ連から直接アメリカまで届かなかったからです。逆もまた然り
1962年10月 キューバ危機
東西冷戦中の最大の危機と言われるキューバ危機。
第三次世界大戦の一歩手前です!
もしソ連がアメリカの海上封鎖を強行突破でもすれば米ソの全面核戦争に発展する。
この時期、キューバではアメリカ軍からの攻撃に備えて総動員令を発動。
そして起きてはいけないことが起きました。
アメリカの偵察機がソ連のミサイルに撃墜される。
この事件をきっかけにアメリカでは核シェルターが飛ぶように売れます。
しかし当時のアメリカ大統領ケネディとソ連書記長フルシチョフとの間で両首脳の妥協がありキューバ危機は無事収束。
ロシア「アメリカがトルコからミサイルを撤去すればソ連はキューバのミサイルを撤去します」
しかしそれ以降も秘密裏にアメリカ・ソ連の核開発競争が激化します。
もう現在ではICBM(Inter-Continental Ballistic Missile, 大陸間弾道ミサイル)があるのでキューバにミサイルを置く必要は無くなりました。
自国から相手国を直接狙えるからですね!
1991年 ソ連崩壊
キューバは最終的にソ連と仲良くやっていたので、現在も社会主義国のままです。
アメリカと喧嘩し国交は断絶されました。
アメリカのように社会主義を良しとしない国々にとって、キューバと仲良くするメリットはありません。
大国アメリカからにらまれるのも嫌やし、という事でキューバは超がつくほどの物資不足です。
キューバではリユースがめちゃくちゃ盛ん
西側の代表アメリカ合衆国とは国交断絶、サポーターのソ連が崩壊し、砂糖も買ってもらえず石油も手に入らない。
つまり冷戦中から経済成長がほとんどできていない国なんです
なのでキューバではリユースがめちゃくちゃ盛んです。
ソールがはがれた靴?
石が無くなったライター?
シャーペンのバネが無くなった?
車のエンジンが調子悪い?
全て直します、キューバ国民は(笑)
売ってるシャンプーに至っては中身が不明です。笑
と言うのも、様々な種類のシャンプーの使い残りを集めて水を加えて一本分にしてもう一度売るということが平気で行われています。
2014年12月 アメリカとキューバとの関係改善を発表
1961年にカストロの自由奔放な政策によってアメリカに国交を断絶されたキューバ。
しかしオバマ前大統領がとうとうキューバとの関係改善を発表します。
これは俗にキューバの雪解けと言われています。
(※これに関して、アメリカ側がローマ法王に仲介を要望したらしい)
2015年7月 アメリカがキューバと国交回復
この裏には
キューバを国際的に孤立させ、キューバの民主化促進を目指す
というアメリカの政策が失敗だと認識したからと言われています。
アメリカ「キューバ人、ヴァイタリティあり過ぎて物資不足でも全然気にせず生活できてるやん(;・∀・)」
そして互いの国の首都に自国の大使館を設置しました!!
おおーー!!!
2016年3月 オバマ大統領がキューバ訪問
3時間の旅が50年以上かかった
という名言を残したオバマ大統領。
現職のアメリカ大統領がキューバを訪問するのは88年ぶりでした。
1959年のキューバ革命以来続いていた対立の歴史にようやく終止符が打たれるかも、です。
2016年11月 フィデル・カストロ死去
そしてとうとうキューバ革命を成功させたフィデル・カストロがお亡くなりに↓
政権自体は2006年に弟のウラル・カストロに引き継いでいましたが、多くのキューバ国民がその死を悼みました。
ちらっと書きましたが、弟のウラル・カストロは一番最初の兵営襲撃から兄フィデルやゲバラと共に行動していたので人望はあるがフィデルほどのカリスマ性が無いのでどうキューバをまとめていくかが課題となっています。
キューバが近代化する前に行きましょう
キューバとアメリカ両国の国交回復が実現されつつあります。
という事は、いつキューバにアメリカを始めとする外国資本が流入するのか…もはや秒読み段階だと思われます。
コーラ?マクドナルド?スタバ?無印?ユニクロ?
キューバにはこれらの施設は一切ありません。
でも一度外国資本が入ると瞬く間にキューバという国は近代化されます。
歴史は後戻りしませんので、古き良きキューバを何よりもまず見てきてください!