20世紀最初のジェノサイド「アルメニア人大虐殺」って知ってますか?

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RYOです。

最近「教科書には載せられない黒歴史」という表紙からして真っ黒の何やら恐ろしい本を買いました。

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筆者
興味津々で買ったわりには・・・

別に中身は特にSFめいた感じでは無く、まあ「目を背けたくなる事実」くらいですがなかなか興味深かったので、自分でも調べたのちに各黒歴史を紹介していこうと思います。

5人に3人が殺された「アルメニア人大虐殺」

皆さんはアルメニアって国知ってますか?

旧約聖書のノアの箱舟が辿り着いた(といわれる)場所で、世界で初めてキリスト教を国教とした国として知られアジアとヨーロッパの中間地点なので独特な美人が多い国として(特に筆者は)昔から注目していた国です(笑)

コーカサス

いきなり余談で申し訳ありませんが、美人で言えばアルメニアだけでなく、ジョージアとアゼルバイジャンを含めたコーカサス三国はヨーロッパとアジアを足して2で割ったような美人が多いのです。

大きな地図でのアルメニアの場所はこちらです↓

もう少し詳しく見てみると、トルコと接し黒海とカスピ海に挟まれた小さな国です↓

そんなアルメニアで、実は第一次世界大戦中の1915年に当時のオスマン帝国(トルコ)でアルメニア人大虐殺が起きていたのです。

この事件は現在でも未解決となっており、責任問題も棚上げされているので実際の犠牲者の数や詳細が今もはっきりしないままなのです。

しかし一般的には1915-1923のおよそ8年間で、250万人の人口のうち150万人が虐殺されたと言われています。

オスマン帝国(=オスマントルコ)

ガラス

オスマン帝国とは、14~20世紀初頭まで存在したイスラム教スンニ派の大帝国です。

※イスラム教は大きくスンニ派とシーア派に分かれ、スンニ派が圧倒的多数(約9割)を占めています。

オスマン帝国は別名「オスマントルコ」とも呼ばれ、その名の通り現在のトルコ共和国の前身の帝国↓で、1299年の小国家独立から1922年のオスマン帝国滅亡まで絶えず激しい征服活動を行っていました。

(オスマン帝国の勢力図↓)

オスマン帝国

滅亡前のオスマン帝国(上図赤色地域)は、ヨーロッパの列強各国に押されて弱体化しており(それでもこれだけの領地を有してるんですが)、その国内の不満を他民族になすり付ける必要があったのです。

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筆者
考えてみりゃあほんまヒドい話なんですが、過去の世界の強国が同じようなことをしていました。

そう、まるで第一次世界大戦で負けて経済がガタガタになったドイツ国民の不満を「ユダヤ人」になすりつけ、圧倒的な支持を得たヒトラーのようです。

アルメニア人大虐殺

戦い

1915年、第一次世界大戦に参加したオスマントルコはこうして、

トルコ系民族統一によるオスマン帝国の強大化

のために、アルメニア人大虐殺を始めました。

ではなぜ虐殺を始めたのでしょうか?

大きく4つの理由がありました。

自分たちの領土に異教徒のアルメニア人がいる事が許せなかったから=民族浄化

一応アルメニア人のスーパー美人の友人にも詳しく話を訊いたところ、一般的な最大の理由は「民族浄化」だと言うのです。

つまり「ナチスとユダヤ人」の関係と一緒で、イスラム系のオスマン帝国に異教徒のキリスト教徒がいること自体を憎んでいたらしいのです。

さっきも言ったように、アルメニアは世界で初めてキリスト教を国教とした国ですからね。

経済&商業的にアルメニア人はトルコ人より高い能力を有していたから

2つ目の理由は、当時のオスマン帝国はアルメニア人がいないと成り立たなかったから、です。

いわゆる嫉妬ですね!

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筆者
これも代々金融業で財を成してきたユダヤ人(=ユダヤ教徒)に嫉妬したキリスト教徒と似ていますね。

アルメニア人が自治権獲得運動を起こしたから

3つ目の理由は、アルメニア人が独立運動を起こし、オスマン帝国内のその他の民族にも独立の機運が高まるのを恐れたからです。

南下政策を取るロシアに協力する恐れがあったから

4つ目の理由は、

ロシアに占領された地域にもアルメニア人がおり、オスマン帝国内のアルメニア人とロシア帝国内のアルメニア人が共謀する可能性があったロシアとオスマンは国境を接する敵国同士

でした。

虐殺の手順

オスマン帝国はアルメニア人大虐殺に際して、なるべく武器弾薬を使わないローテク&ローコストなやり方で虐殺を行いました。

①反抗したり、逃亡したりする力を持っている健全な成人男性を真っ先に招集し、町から連れ出して人気のない所で殺した。

②次に女性&子供&老人を衰弱死目当てでシリアの砂漠へ強制移住させたり、教会に集めて火を放って焼き殺したり、労働現場に行くと言って船に乗せて生きたまま海中投棄した。

※その後、虐殺や追放から生き延びたアルメニア人たちが、アメリカやフランスをはじめとして、世界中に離散することになりました。

これもユダヤ人の乱離拡散(=ディアスポラ)と似ていますね。

ディアスポラとは「移民」「植民」を意味する思想用語。

ギリシャ語のディア(分散する)とスピロ(種をまく)を語源とする。

かつては主にユダヤ人・ギリシャ人・アルメニア人の歴史的離散に限定して使用されていたが、現在ではより広義に移民コミュニティ一般を指し示すようになった。

ディアスポラ|現代美術用語辞典より引用)

トルコ政府が言う「虐殺した理由」

基本的にオスマン帝国は、ジェノサイド直後に報道管制と国内通信網の一部遮断という「情報流出への対策」をしっかり行っており、それがアルメニア人大虐殺の動かぬ証拠となっています。

しかしトルコ政府はアルメニア人虐殺の事実を否定しています。

そのトルコ政府の言い分を挙げておきます↓

・アルメニア人が反乱を起こしたので、鎮圧しただけだ!

・ソ連との国境にいるアルメニア人を帝国内部に集団疎開(避難)させている最中に暴漢に襲われたのだ!

素人目に見ても後者の理由はあり得ないでしょ、と思います。

そもそもなぜアルメニア人だけ集団疎開させたんでしょうかね?

多くの謎が残るトルコ政府の言い分でした(`・ω・´)

おわりに

ちょうど記事投稿2日前の2019年10月30日、アメリカ下院が

1915年のオスマン帝国のアルメニア人大虐殺は存在した

と虐殺から104年後に歴史的に認定しました。

これはアメリカ-トルコ間の外交関係が悪化しているという事も関係していそうですが・・・。

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筆者
しかしアルメニア人の友人はとても驚いていました。

オスマン帝国の「計画的大虐殺」だったのか「反乱鎮圧&不可抗力」だったのかはわかりませんが、アルメニア人大虐殺が起きたのは事実です。

20世紀最初のジェノサイドと呼ばれている「アルメニア人大虐殺」、あなたはどう思いましたか?

ちなみにユダヤ人のディアスポラを詳細に記した記事もありますので、興味があれば是非ご覧ください↓

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