西暦132年、当時ローマ帝国に虐げられていたとある民族が故郷を奪われ世界中に散り散りになった。
その民族は約1800年もの間世界中で迫害され続けたが、1948年に父祖伝来の地パレスチナに集い、様々な苦難の末に晴れて国家を建国することができた。
そう、それがイスラエルである。
しかし、その1800年の間にその地域に定住していた別の民族から大きな反感を買い続け、それはやがて中東戦争・パレスチナ紛争として世界を震撼させるのであった…。
皆さんこんにちは、RYOです。
今回は名前からしてとっつきにくい「中東戦争」についてなるべく簡単にまとめました。
ある程度の基礎知識は無いと理解しにくいんですが、なるべく知識0の人でもわかるように解説していますので、是非最後までご覧ください。
最近、あっちゃんの中東戦争の動画観て「お、筆者の記事の補足になるやん(笑)」って思ったので、より理解度を深めるためにそれも載せときますね。
この記事読み終わってからでも、まあ観てやってください(←え、何様?(゚Д゚;))
まあ筆者としましてはこの記事の方が深く中東戦争について解説しているとは思いますが、あっちゃんも別の視点で解説しているので面白いと思いました。
人それぞれ伝え方や観点が違うので、同じテーマに関していくつかの記事や動画を観る方が理解度は圧倒的に深くなると思いますよ。
中東戦争とは
中東戦争とはザックリ言うと
と言えます。
と思った方、大丈夫です、これからわかりやすく説明します!
まずは下の地図をご覧ください↓
上の地図では対立している両者、アラブ諸国(黄色)とイスラエル(点滅している赤茶色)を表しています。
は!!!??
赤茶色(=イスラエル)絶体絶命ですやん!!!!
パッと見ただけでもどれくらいイスラエルがヤバい状況かわかりますよね、イスラエルは地理的には孤立無援状態なんです。
各国で強い弱いの差はあれど、イケイケのヤンキー集団に囲まれた四面楚歌の状態です。
圧倒的に不利に見えるイスラエルですが、トンデモナイ軍事力でアラブ連合国と対等以上にやり合っています。
(その話はまた後で( ^ω^ ))
自分たちの縄張りでイキってるガキがいたから取り囲んでリンチしようと思ったらまさかの朝倉未来だった、って感じです。
※「マイクタイソン」もしくは「メイウェザー」と書いていないことに注意
その答えが「聞いたことあるけど詳しくは説明できないワード」のパレスチナです。
※一言で「パレスチナ」と言っても、「自治政府としてのパレスチナ」と「地域の名称であるパレスチナ」があるので混乱しないようにしましょう。
重要なのは地域の名称であるパレスチナの方なので、そのつもりで読み進めてください。
パレスチナという地域は彼らの信仰する宗教にとって非常に重要な場所(=つまり聖地)で、
を4度にわたって争ったのが中東戦争です。
「東京ディズニーランド」という名称でありながら千葉県にあるディズニーランド、東京都が千葉県に侵攻・合併して名実ともにモノホンの「東京ディズニーランド」にしたい、みたいな感じです(笑)
アラブ人もユダヤ人もパレスチナを占領したくてしてくてたまらないんです(´っ・ω・)っ
「アラブ人 VS ユダヤ人」とはつまり「イスラム教 VS ユダヤ教」とイコールです。
簡単な図式で表すとこうなります↓
=パレスチナの領有権争い
=イスラエル VS アラブ諸国
=ユダヤ教 VS イスラム教
では次に、なぜパレスチナがそれほどまでに重要なのかを説明します。
パレスチナとは
↑パレスチナとは上図の赤色の範囲を示す地域の名称で、パレスチナ地域の一都市としてエルサレムがあります。
もう少し大きな地図で見てみましょう↓
見にくくてすみませんが世界地図からエルサレムまでズームインしてみました↓
そしてこのエルサレムは、ユダヤ教&キリスト教&イスラム教の3宗教共通の聖地になっています。
そうです、血の雨が降りますε=ε=ε=ε=ε=ε=┌(; ̄◇ ̄)┘
ザックリ言うとこうです↓
=ユダヤ教&キリスト教&イスラム教の聖地
=みんなが自分のものにしたい
=争いの種
ユダヤ教&キリスト教&イスラム教は非常に近い存在なのですが、本記事では詳しくは説明しませんので興味があれば先にどうぞ↓(別タブで開きます)
初めまして、RYOです!今回は、日本から出る前に知っておくべき「宗教」の知識をご紹介します。皆さんご存知の通り、日本人の宗教観はかなりあいまいです↓「え、私の家?うーん、浄土宗...かな?ん、真言宗やった[…]
つまり、パレスチナ地域を自国の領土として主張しているイスラエル(ユダヤ教国家)が、他のアラブ諸国(イスラム教国家)からの反感を買っているという構図なんです。
ということで、自分たちの宗教の聖地が絡んでいるのでそう簡単には解決しませんよね。
(筆者を含めて)宗教への理解が乏しい日本人にはなかなか理解できませんが、令和のこの時代でもまだまだ世界には「宗教どっぷり」の人たちが多くいるのです。
「神がこの世の全てを作った、ダーウィンの進化論なんて嘘だ」「本当は地球は平面なのだ、丸いわけがない」と本気で信じている人たちも数えきれないほどいるのが事実です。
自分と宗派が違うというだけで相手を激しく攻撃する、そんな人たちも山のように存在するのです。
そういう人らにとっては「自分たちの宗教の聖地を他の宗教に支配される」なんてあってはならないことなんです。
中東戦争の登場人物
さて、ではここから少し難しい話に入りたいのですが、わかりやすく説明するために先に中東戦争の登場人物2名を紹介します↓
それが
1. ユダヤ人
2. アラブ人
です、先ほども出てきましたね。
大雑把に言うと、ユダヤ人が信仰しているのがユダヤ教で、アラブ人が信仰しているのがイスラム教です。
=ユダヤ教 VS イスラム教
中東地域は基本的に アラブ人が多いので、イスラム教国家が多いと言えます↓
青がイスラム教国家、黄色がユダヤ教国家
ここまでは先ほどの復習も兼ねた内容ですが、重要なので繰り返しました。
ではそろそろ次のステップに移ります!
帰ってきたユダヤ人
「なるほど、ユダヤ人とアラブ人がパレスチナの領有権を巡って"対等な立場で"争っているのか」
と思ったかもしれません。
が、実は違うのです。
いきなり超重要なことを言いますが、アラブ人とユダヤ人が領有権を争っているパレスチナ地域は、実は・・・。
元々ユダヤ人が住んでいた土地です!!!
ずっとずーーーっと前の、トンデモなく大昔の話になりますが、確かにパレスチナはユダヤ人が領有していた土地だったんです!!!!
ユダヤ教の歴史はかなり古く、キリスト教よりもイスラム教よりもはるか昔から信仰されていた宗教なのです。
そのユダヤ教の聖典(=タナハ)によると、紀元前1,700年にユダヤ人の最初の預言者アブラハムが神から「パレスチナは永遠にお前たちに与えよう」と言われたのです。
※厳密には神が与えたのは旧名の「カナン」の地のことで(現パレスチナ地域)、この話はユダヤ教の聖典に載っており、キリスト教徒もイスラム教徒もその記述の妥当性を認めています。
アブラハムってあの人ですよね、神から忠誠心を試すために「息子を生贄に捧げよ」と言われ、迷った挙句に息子の命を絶とうとした時に「おぬしの忠誠心、しかと見届けたぞ」と神から認められたスゴイ人ですよね。
アブラハムが息子を生贄にするシーン
つまりキリスト教徒もイスラム教徒も、神がユダヤ人にパレスチナ地域を与えたことは「うん、それはもちろん知ってる」という状態なのです(`・∀・´)
そして紀元前1,000年にはここパレスチナに、イスラエル王国(≒ヘブライ王国とも)があり、ユダヤ人が実際に王国を築いていました。
しかし時は経ち、長きにわたって弾圧されていたユダヤ人はヨーロッパを支配していたローマ帝国内で繰り返し内乱を起こし、ついにブチギレたローマ帝国が西暦132年にパレスチナからユダヤ人を追放し、ユダヤ人はそれ以降世界に散り散りになりました(=これをディアスポラと呼びます)
その長きにわたる迫害のゴール地点が、ナチスドイツによるジェノサイド(=大虐殺 or 民族浄化)でした。
ユダヤ人の迫害の歴史はこちらを参考にして下さい↓(別タブで開きます)
RYOです今回はユダヤ人迫害についての歴史をなるべくわかりやすくまとめてみました。我々が知っている最も有名なユダヤ人と言えば、物理学者アインシュタインやアンネの日記の作者アンネ・フランクでは無いでしょうか?ユ[…]
長い歴史に渡って、ずっと迫害を受けてきたユダヤ人が一様に考えることはただ一つ↓
ということでした。
※シオニズムとは、エルサレムの別称「シオンの丘」に戻ろうという主張に基づきます。
このシオニズム運動についてもう少し考えてみましょう。
たとえば日本という国が突然滅ぼされた、と考えてください。
日本列島はもはや他の国が占領し、日本語しか話せない我々日本人は世界中に散り散りになりました。
当然「日本人」として一箇所に集まって暮らすことはもうできません。
世界各地で我々日本人は差別されまくります。
子どもは学校で悪質なイジメを受け、日本人というだけで給料は最低賃金を大きく下回る始末。
そんな日本人にとって最悪な時代が1,000年も続いた頃、「いつか日本列島を再び日本人の手に取り戻そう」「我々日本人だけが住む国を作ればもう2度と迫害されなくて済む」と思っても不思議ではないでしょう。
世界各地のユダヤ人がパレスチナ地域に集まったのもそんな感じです。
余談ですが1594〜1597年に書かれたシェイクスピアの「ベニスの商人」では、ユダヤ人のシャイロックが紆余曲折ありながらも最終的には様々な人間にボッコボコに虐げられて「めでたしめでたし♡」と終わります。
※当時の人たちの間では「ユダヤ人には何をしてもいい」と考えられていたのです。
そうなんです、ユダヤ人の悲願は自分たちの国を作ることだったのです。
西暦132年のディアスポラ以降、ユダヤ人はキリスト教の敵として迫害されながら世界中に離散していきましたから。
そんな中!!
第二次世界大戦後、ユダヤ人は3,700年前に神から与えられた土地「パレスチナ」に続々と集まり、ついに1948年にユダヤ人国家「イスラエル」を建国したのでした。
パレスチナ分割
『パレスチナは元々はユダヤ人が神から与えられた土地』と言いましたが、それは3,700年前の話です。
ローマ帝国にパレスチナの地から追い出された西暦132年のディアスポラ以来と考えても1,800年前の話。
もちろん、その1,800年の間には様々な人種・民族がパレスチナに出たり入ったりしていました。
第二次世界大戦後にユダヤ人が続々とパレスチナに帰り、
「ここはもともと我々の土地だ!だからここにイスラエルという国家を建設するぞー」
と言っても、既にパレスチナに住んでいたアラブ人が納得できないのも当然です↓
あー長い長い迫害の歴史にようやく終止符を打てるぜ~。
大昔に我らの先祖、アブラハム様が神から頂いた地パレスチナに帰ってきたぜ
あんだお前ら?
ここは俺らアラブ人が先祖代々ずっと住み続けてる土地なんだぜ?
お前らイスラム教徒なら、聖書に載ってる内容知ってるよな?
パレスチナは誰のもんだ?
我々ユダヤ人のものだろうがよおぉぉ
それは今から3,700年以上前の話だろうがよお?笑
そんな大昔の話なんざ、現代では通用しねーんだよおぉぉぉぉ
という感じです(あくまでイメージです)
ここまで読んでどう思いましたか?
ちょっとユダヤ人勝手すぎるやろ、ったく!
ずっと昔には自分らの先祖の土地やったと言っても、急に戦後(1948年)にそこに自分らの国家を建設するなんて自己中心的過ぎる!!!
と思いましたか?
では、次のステップです。
この両者の争いの原因を作ったのがイギリスでした。
イギリスの矛盾外交
さて(時系列が少し前後して申し訳ありませんが)第一次世界大戦中、中東地域を牛耳っていたオスマン帝国という大帝国がありました。
オスマン帝国を倒すためにイギリスは、
「オスマン帝国に支配されているアラブ人」
「迫害されているけどお金持ちのユダヤ人」
の両者に、別々にある交換条件を持ち掛けました。
ではイギリスの三枚舌外交の中身を軽く見てみましょう。
まず登場人物は
➀ユダヤ人
➁アラブ人
③フランス
④イギリス
の4者で時は第一次世界大戦中です。
第一次世界大戦時の超大国と言えばイギリスで、そのイギリスは現在の中東~トルコ辺りを支配していたオスマン帝国打倒を夢見ており、ユダヤ人・アラブ人・フランスの3者とそれぞれ矛盾する約束を交わします。
ほんとイギリスには呆れ果てました。
ムフフ、舌先三寸とはまさにこのこと(笑)
戦後にユダヤ人とアラブ人がどうモメようが知ったことか!!!
ユダヤ人には
ディアスポラ以来、自分たちの国をもたないが故に迫害されていたユダヤ人の心情を逆手に、
いやーユダヤ人さん、もし戦争資金を援助してくれるなら、第一次世界大戦後にはパレスチナの地にユダヤ人の国家を建設しますよ!
だって元々はあなた達の土地ですもんねーーー
だからお金ちょうだい。ね?ね、ね、ね?
→ユダヤ人からの金銭援助狙い(バルフォア宣言)
アラブ人には
自分たちの国がオスマン帝国の支配を受け不満が溜まっていたアラブ人の心情を逆手に
いやーアラブ人さん大変ですね。
今はオスマン帝国領になってますけど、本当は自分たちの国が欲しいでしょう?
こんなオスマンなんかに任せてていいんすか?
もし内紛を起こしてくれたら、オスマン打倒後にはパレスチナに自分たちの国を作っていいですよ。
だから内紛起こして。ね?ね、ね、ね?
→アラブ人の反乱狙い(フセイン=マクマホン協定)
この時点で既に矛盾しているのがわかりましたか?
フランスには(当時は同盟国)
しかもイギリスは同盟国のフランスに対しても
え、戦後のパレスチナの領有権?
おれらが第一次世界大戦で勝ったら領地は山分けっしょ!当然
→同盟国としての協力/援軍狙い(サイクス=ピコ協定)
結果、イギリスの三枚舌外交が功を奏し、オスマン帝国は1922年に滅亡し、第一次世界大戦後はイギリスがパレスチナを統治しました。
つまりアラブ人もユダヤ人もパレスチナに自分たちの国家を建設したがっていたので、それをエサにイギリスにまんまと協力させられたわけなんです。
これによりアラブ人とユダヤ人の深刻な殺戮劇場の幕が上がりました。
お互いが「パレスチナは自分たちの土地だ!」と思っているからです。
どちらも本当に当時の超大国イギリスと正式な契約を交わしているんですからね。
これが「パレスチナはユダヤ人のものか、アラブ人のものか」という問題の発端(ほったん)になりました。
分割賛成のユダヤ人と分割反対のアラブ人
アラブ人とユダヤ人を上手くだまして、オスマン帝国を解体させたイギリスでしたが、第一次世界大戦が終わってすぐ、再び第二次世界大戦が始まりイギリスはヘトヘトになってしまいました↓
(イギリスの矛盾外交のせいで)ユダヤ人とアラブ人がパレスチナの領有権を争う中、パレスチナにいるイギリス人が次々に殺害されるようになりました。
そこでイギリスは一方的にパレスチナから撤退し、パレスチナでのユダヤ人-アラブ人間の問題を出来立てほやほやの国際連合(国連)に丸投げしました。
国連「じゃあ我々が一度調査団を派遣して調査してくるので、その調査結果をもとにパレスチナをどう分割するのが最適か決めますね(*´ω`*)」
そうなんです。
国連は1947年に「パレスチナ分割決議」を採択し、パレスチナ地域を㋐ユダヤ人国家と㋑アラブ人国家に分割することを決めたのです。
「我ら国連が中立的な立場で判断するからさ、分割案が決定したらお互いに相手を尊重して不満もグッと堪えて仲良くやっていってください。」
という流れになったのです。
これに対しユダヤ人とアラブ人では正反対の反応をしました↓
調査団を歓迎します
調査団は帰れや
このパレスチナ分割決議に関して、かつてのバルフォア宣言が不十分ながら実現したということでユダヤ人側は大いに歓迎しましたが、逆に自身(アラブ人側)の居住範囲が分割されることにアラブ人側は強く反対したのです。
こうして国連の調査団にお供したのはほとんどがユダヤ人でした。
これによりパレスチナ分割はユダヤ人に有利に進み、ユダヤ人は調査団に提案し、ネゲブ砂漠という一見何の資源もないただの砂漠を獲得しました↓
↑ネゲブ砂漠
普通のなんでもない砂漠を獲得したユダヤ人でした。
しかし後に、このネゲブ砂漠の地下にはウラン(核兵器の材料)が大量に埋蔵されているということがはっきりします。
パレスチナ地域がどう分割されたのかは次項で説明します↓
パレスチナ分割決議案
さて、イギリスがパレスチナ問題を国連に丸投げし、ニューホープの国連が提案したパレスチナ分割決議案は以下のようになりました↓
↑赤い領地がユダヤ人、黄色の領地がアラブ人
なぜこのような複雑な形状で分割したのか、筆者は皆目わかりません(笑)
ユダヤ人の人口はアラブ人と比べて半分なのに、土地はアラブ人よりわずかに広く獲得することができました↓
パレスチナに住むユダヤ人の人口は全体の33%ですが、土地面積はパレスチナ地域全体の56%を獲得しました。
逆に、パレスチナに住むアラブ人の人口は全体の67%を占めますが、獲得したパレスチナ地域の土地面積は全体の44%でした。
そして最も大事なエルサレムはどうなったのか。
エルサレムをどちらの側のものと決めてしまうと宗教上の激しい対立が予想されたので、『国際管理都市』として国連が管理することになりました。
ここまでのまとめ
ではここまでのまとめを簡単に書いていきたいと思います。
» ここまでの流れをある程度理解できているか確認してください(クリックで開く)
紀元前1,700年
神「アブラハム、そなた達ユダヤ人にカナンの地(パレスチナ)を永遠に与えよう」
アブラハム「おお神よ!なんとありがたいお言葉。このご恩は一生忘れませぬ」
紀元前132年
ローマ帝国「てめえら(ユダヤ人)何回も懲りずに反乱起こしやがってえ!今度こそパレスチナから追放だあぁぁ!二度とこの地に帰ってくるなああああ(=ディアスポラ)」
ユダヤ人「ぐはあ。ついに我々ユダヤ人は父祖伝来の地(パレスチナ)を去らなければならいのか。無念・・・」
〜1948年
1,000年以上もの間、我々ユダヤ人はイエスを裏切った民族として(主にキリスト教に)迫害されてきた。
それもこれも、自分たちの国(ユダヤ教国家)が無いからこんなことになったんだ!!
念願かなってついに神から与えられた地(パレスチナ)に帰ってこれたし、ユダヤ教国家としてこの地にイスラエルという国を建国しよっと
いや、長い間住んでたのおれたちだし。
神がおまえらに与えたって言ったの3,700年前の話っしょ?笑
今実際に住んでんのは俺らアラブ人なんだよおぉぉぉぉ
イギリス「第一次世界大戦中の矛盾外交のせいで、最近パレスチナにいるイギリス人が次々に殺害されてるって?ヤバいな~もうパレスチナについては最近できた国際連合に任せるわ」
国連「わかりました。調査団送ってなるべくアラブ人もユダヤ人も納得するようなパレスチナ分割案を提出しますので任せてください!」
パレスチナ分割?
まあ仕方ないか。歓迎しよう
は?なんで分割前提の話になってんの?
おれたち怒っちゃうよ?
ユダヤ人とアラブ人の対立はまだまだ続くのであった…
» 折りたたむ
こうして、国連の調査団にはユダヤ人が主に同行したことで、アラブ人よりも有利な条件で分割を進めることができました。
イスラエル建国と第一次中東戦争~1948年~
1948年5月14日
遂にユダヤ人の悲願、ユダヤ人国家イスラエルを建国することができ、世界中で迫害を受けてきたユダヤ人が自分たちの国イスラエルに続々と戻ってきます。
前年の国連の分割決議を踏まえた上での建国なので、さすがにイスラエル建国を非難する国はありませんでした。
しかし悲劇は建国翌日から始まります。
それが第一次中東戦争です。
やった!
遂に自分たちの国イスラエルを建国することができた!!
アラブ人側とはアラブ連盟加盟国の「シリア&レバノン&ヨルダン&イラク&エジプト」のことです↓
イスラエル建国の翌日に、アラブ連盟が一斉にイスラエルに侵攻します。
これをパレスチナ戦争(または第一次中東戦争)と呼びます。
皆さんはどちらが勝ったと思いますか・・・?
イスラエルの全面勝利!!
イスラエルが圧倒的に不利に思えたパレスチナ戦争ですが、結果としてイスラエルの全面的な勝利で終わり、イスラエルは事実上パレスチナを占拠し、国連から認められた土地より更に広い土地を獲得しました↓
第一次中東戦争においてイスラエルがパレスチナ地域のより広い土地を獲得したということは、、、?
そこに元々住んでいた民たち(パレスチナ人)はどうなるのでしょうか?
そうなんです、元々パレスチナにいたアラブ系住人(=パレスチナ人)は難民となって近隣のヨルダン&レバノン&シリアなどに逃れました(=パレスチナ難民)
この戦争で70万人のパレスチナ人(パレスチナに住むアラブ系住民)が居住地を追われ、住民がいなくなった町や村は完全に破壊されるか、ユダヤ系住民が住むようになりました。
一方、難民となったパレスチナ人は、難民キャンプの粗末なテントや洞窟などで困窮を極めた生活を強いられます。
(出典:パレスチナ難民キャンプ)
エルサレムはどちらの領地?
↑第一次中東戦争後、もうパレスチナのほとんどはイスラエルの領地になりました。
下に示した地図の黄色で塗られた範囲がアラブ人側の領地です↓
↑こうして地図左側のちっこい黄色の領地が「ガザ地区」、
右側の広めの領地が「ヨルダン川西岸地区」と呼ばれ、
この2カ所のみがアラブ人がギリギリ死守した領地になりました↓
ガザ地区はエジプトが、ヨルダン川西岸地区はヨルダンがギリギリ死守したというわけです。
さて、ここで一度「ガザ地区」に注目してみましょう。
最近話題のハマスはこの「ガザ地区」を実効支配しているイスラム系武装組織で、ハマスはガザ地区周辺にテロを仕掛けイスラエル人(民間人)を大量に虐殺したり人質に取ったりしているんです。
しかし一概にハマスだけが悪いわけでは決して無いというのが今回の事件なのです。
なぜならイスラエルもその10倍100倍の火力で報復攻撃をし、大勢のパレスチナ人を虐殺しているからです。
それにイスラエルは2007年にテロ防止やイスラエル側の安全のためにガザ地区に壁を建設し、以来ヒトやモノの往来を厳しく制限したのです。
これによりガザ地区は「天井のない監獄」「青空監獄」とも呼ばれるようになりました。
(出典:壁に囲まれた「天井のない監獄」)
ハマスについては別の記事(【ガザ地区=青空監獄】イスラム系武装組織「ハマス」とは何者か?)で解説しています。
さて、話を戻します。
第一次中東戦争後、最も大事なエルサレムは休戦協定によりアラブ人側(=ヨルダン)が占領する東エルサレムとイスラエルが占領する西エルサレムに分けられ、分割統治されることに決まりました。
ここでもう一度エルサレムの場所を確認しましょう↓
実はエルサレムもベルリン同様に東西に分けられたんです↓
(出典:「エルサレム」とはどんな場所か? 地理的、歴史的に振り返る)
実は3宗教の聖地は全て東エルサレム側にあるので、西エルサレムを獲得したイスラエルはまだご立腹です。
恐らくですが、西エルサレムはイスラエルの国境と隣接しているからだと予想しています。
東エルサレムをイスラエル統治にすると、その間に挟まれた西エルサレム地域も(オセロのように)すぐにイスラエルに占領されてしまう恐れがあったからでしょう。
お互いの妥協案がこの形になったと考えるべきですね(´⊙ω⊙`)
そしてイスラエルはこの翌年の1949年に西エルサレムを首都と宣言し、首都機能をテルアビブから西エルサレムに移しました。
では第二次中東戦争に移ります。
第二次中東戦争~1956年~
第二次中東戦争は、エジプトのナセル大統領がスエズ運河国有化を宣言したことに端を発し、今まで便利なスエズ運河を通って貿易を行っていたイギリス・フランスが利権喪失を恐れ、イスラエルと共にエジプトを攻撃し、
↑シナイ半島(上図の半島)を占領しました。
ったく!!
大国のエゴってやつぁ、たまんねえぜ
スエズ運河
では先にスエズ運河について解説します↓
スエズ運河とはエジプトのシナイ半島北西部にある運河で、ヨーロッパ諸国はアジア地域へ行くためにこのスエズ運河を通ります↓
↑こんな感じですね。
スエズ運河を通って近道できないなら、アフリカ大陸の南側を超遠回りして迂回しなければなりません↓
スエズ運河を通れなければ、イギリスやフランスにとっては致命的です↓
スエズ運河はめちゃくちゃ重要なんです。
スエズ運河をさらに拡大したのがこちらです↓
わかりましたね?
エジプトのナセル大統領は「このスエズ運河を国有化します」と宣言したのです。
つまり「もうイギリスとかフランスにデカい顔して通らせねえぜ?運河を通りたければ出すもん出しな!!!」ということです。
今まで便利なスエズ運河を通って貿易を行っていたイギリス・フランスが利権喪失を恐れ、イスラエルと共にエジプトを攻撃し、シナイ半島を占領したのです。
エジプトは戦争には負けましたが、国際世論がイギリス&フランスを厳しく非難し(それはわかる)、逆にナセル大統領がアラブ世界の英雄となりました(え?汗)
アラブ世界の英雄?なんで…
めっちゃ領地奪われてますけど…
恐らくは「大国イギリス・フランスに一矢報いたアラブ世界の英雄」というアラブ人からの賞賛という意味ですね。
そうです、結果的にエジプトは惨敗し、またもや多くの領土を失ったのでした↓
シナイ半島まで失ったエジプトであった…
第三次中東戦争~1967年~
第三次中東戦争、別名を六日戦争と言います。
その名の通り、6日で戦争が終わりました。
「エジプト・シリアがイスラエルを攻撃しようとしている」
という情報を得て、攻撃こそ最大の防御と機先を制したイスラエルがアラブ諸国をたったの6日間で壊滅状態にし、決着。
とうとう最後の砦、「ガザ地区」と「ヨルダン川西岸地区」までイスラエルに占領されてしまいます。
第三次中東戦争前後です↓
こうです。
この戦争で圧勝したイスラエルは、ヨルダン川西岸地区と東エルサレム、ガザ地区、 シナイ半島及びゴラン高原を軍事占領下に置きました。
第三次中東戦争後、ガザ地区はイスラエル軍が軍事占領し、以後ユダヤ人の入植が進み、パレスチナ人との間の衝突が続きました。
ガザ地区の広さは約360平方km、(静岡県の伊豆市や岡山県の倉敷市ほどの面積に)約90万人のパレスチナ人が難民が生活し、その地をイスラエルの入植者が奪っていることで人口密度は世界で最も高い地域になっているのです。
また、イスラエルの軍事占領下に置かれたガザ地区では困窮を極めた生活が強いられ始めました。
軍事占領下では、パレスチナ人の基本的人権は保障されず、社会・経済の発展も阻害されました。
また難民キャンプでは基本的な生活インフラも整備されず、生活環境は劣悪なまま放置されました。
1970年代に入るとイスラエルによる西岸・ガザ地区への「入植地」建設の動きが強まります。
90年代までには25万人以上のユダヤ人が入植し、パレスチナ人の危機感が高まりました。
(出典:第三次中東戦争 軍事占領の始まり)
この敗北を経て、エジプトのナセル大統領の権威は(さすがに)失墜し、間もなく死去します。
この第三次中東戦争で東エルサレムも占領したイスラエルは1980年に東西の統一エルサレムを恒久的な首都とする法律を制定しました。
イスラエルの念願がついに叶ったわけです。
が!!!
その年の国連総会はこれを非難する決議を143ヵ国の圧倒的多数で採択しました。
反対はイスラエル一国、棄権は米国など4カ国だけでした。
繰り返しになりますが、世界中の大使館はエルサレムではなくテルアビブにあります。
つまり国際的にはエルサレムを首都と認めていないということなんです。
PLO(パレスチナ解放機構)設立
ここまで第一次第二次第三次と、イスラエルの圧倒的な軍事力に全く歯が立たなかったアラブ諸国でしたよね?
しかし、
と、周辺の国々がPLO(パレスチナ解放機構)という組織を結成しました。
PLOの結成自体は第三次中東戦争直前の1964年のこと。
当初は平和的な組織だったのですが、「ヤセル・アラファト」が議長になってからPLOは戦闘的な組織に生まれ変わり、イスラエルに対し様々な軍事攻撃や爆弾テロを仕掛けるようになります↓
第三次中東戦争でも大量のパレスチナ難民が生まれ周辺のアラブ諸国に逃れたわけですが、「パレスチナ難民救済のためにはパレスチナの地を奪還しなければならない」と再認識したアラブ諸国だったのです。
第四次中東戦争~1973年~
1973年10月6日から始まった第四次中東戦争でしたが、わずか19日後の10月25日には戦争が終結しました。
失脚し死去したエジプトのナセル大統領に代わってサダト大統領はシリアと組んで、1973年にイスラエルに対して南北から奇襲攻撃を展開しイスラエル軍を打ち負かしました↓
これには世界中が驚きました。
当初イスラエルはボロ負けし国難の危機に瀕しました、それはなぜか。
第三次中東戦争が始まった1973年10月6日(土)はユダヤ人にとって最大の祝日である「贖罪の日」であり、「働いてはいけない」安息日として一般市民のみならずイスラエル軍の大半ものどかに祭日を過ごしていたのです。
イスラエル軍はなおも反撃しますが、そこで第二の矢をアラブ人側が放ちます。
それが石油減産でした。
結局この石油戦略を用いてアラブ人側に有利な条件で休戦することになり、イスラエルは「エジプトのシナイ半島」を返還しましたが、ガザ地区とヨルダン川西岸地区からイスラエル軍を撤退させることはありませんでした。
これを経て石油原産国でもあるアラブ諸国は気付きました↓
「石油が武器になる」という恐ろしい事実に気付いたアラブ諸国でした。
石油危機(オイル・ショック)
石油危機とは、第四次中東戦争でイスラエル及び西側諸国に対してアラブ諸国が展開した石油戦略によって世界経済に大きな衝撃を与えたことを指します↓
↓
石油価格が高騰
↓
先進国の燃料不足
↓
生産低下
↓
物価上昇
↓
世界経済が大ダメージ
という桶屋方式で、イスラエルを応援していた西側諸国が大ダメージを受けます。
と同時に(既述ですが)アラブ諸国側も気付きます。
え、まじか。
もしかして石油が出るおれらの国って、、、最強?
まるで「カノッサの屈辱」で、空威張り的に皇帝を破門にした教皇のようですね(笑)
こうして第一次中東戦争から第四次中東戦争まで4度の戦争を経て現在に至っているのです。
ここまでお読み頂いた方には、2017年12月6日にアメリカのドナルド・トランプ前大統領が、
「アメリカはエルサレムをイスラエルの首都として正式に認める!」
と発言し、アメリカ大使館をテルアビブからエルサレムに移転したのがいかに恐ろしい独断的な行動かがわかると思います。
パレスチナ国家の建国は?
ここまで読まれて気付きましたか?
パレスチナ地域に㋐ユダヤ人国家と㋑アラブ人国家の両国家を争いなく建国させるために仲介役として国連がパレスチナ地域に派遣され、その調査結果をもとに「パレスチナ分割決議」が1947年に提案されたんですよね?
そして翌年の1948年にはユダヤ人国家としてイスラエルが建国されました。
早く建国すればよかったのに。
と思いませんか?
結論から言うと、調べてみましたが筆者も真相はわかりませんでした。
筆者もわかりませんでしたが、このようにアラブ人国家が建国されていないという事実も現在のパレスチナ問題の大きな原因となっているのです。
一応ChatGPTに質問した回答を載せておきます。
アラブ側が国家を建国しなかった主な理由は以下の点が挙げられます。
ChatGPTの回答を筆者が要約しています。
- アラブ側は分割決議自体に反対し、パレスチナ全土を一つの国家として独立させることを主張したから。
- アラブ側は提案された国境線に不満を持ち、自分たちの土地を割譲することを拒否したから。
- この時期、パレスチナではユダヤ人とアラブ人の間で緊張が高まり武力衝突が頻発し、この状況下で国家を建国することは難しいと考えた可能性があるから。
うむ、なるほど、一定の説得力はありそうですね。
一応参考までに!
おまけ~イスラエルとPLO~
本記事では中東戦争がメインでしたが、第四次中東戦争が終結してからのイスラエルとPLOの歴史を一応簡単に追っていきます。
ちょっと長いのでおまけ程度に、興味のある方はどうぞ。
» 続きを読む(クリックで開く)
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エジプトとイスラエルが和平交渉成立
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エジプト側に向けていた戦力をPLO粉砕に向ける
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PLOを中心としたパレスチナ人ゲリラ組織とイスラエルが激しく衝突する
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徐々に世界的に「イスラエルもPLOも相手の言い分を少しは認めようよ。和平して共存しましょう」的な考えが広まる
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しかし「相手を徹底的に排除するまで戦うべし」という原理主義組織が台頭し、平和ムードを吹き飛ばす
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遂にイスラエルがPLOを全力で潰し始める
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PLO逃げまくる
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ガザ地区でインティファーダ(民族蜂起)が起きる(※注1)
(※注1:インティファーダとは、武器を持たない民衆の民族蜂起のことで、武器を持たない女子供を含む非力な民衆が平和を願って立ち上がったことで、イスラエル兵士もさすがに一般市民には手が出せず国際的な和平ムードを無視することができなくなった)
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PLOが急に方向転換をし(※注2)「2国共存」を唱える
(※注2:アラファト議長は思い切って「二国家共存構想」を唱えて、イスラエル国家を承認し、妥協案を出した)
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オスロ合意でイスラエルとPLOがしぶしぶ仲直り(※注3)
(※注3:イスラエルとPLOのトップが顔を合わせ、イスラエル軍が占領地のヨルダン川西岸やガザ地区から撤退し、パレスチナ側が暫定的な自治を始めることで合意したもの)
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PLOがイスラエルを国家と認めながらもパレスチナ国家樹立を宣言する(※注4)
(※注4:何の準備も無くパレスチナ国を建国するのは不可能なので、現在はパレスチナ自治政府として国家建設の手前の段階まできている)
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PLOがテロ活動停止を宣言
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イスラエルもPLOも和平ムード
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共存を嫌う勢力が両方に存在し、テロを続ける
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もはや「共存」と言うよりは「相手を完全に抹殺して我らの単一民族の国家を作ろう」的な動きになる
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現在も続く・・・
» 折りたたむ
ふう。
なっげ!!
つまり一言で言うと、「まだ争いは続いている」ってことだな
という感じなのです。
ゴルゴ13から学ぶパレスチナ問題
さて、ここまでだいぶ詳しくお勉強して頂きました。
では最後にパレスチナ問題なども頻繁に取り扱うゴルゴ13(漫画版)のワンシーンから今回の記事の総復習をしましょう!
1948年に、ユダヤ人国家としてパレスチナ地域にイスラエルという国家が誕生しました。
首都はもちろんエルサレム(国際的には未承認なので対外的にはテルアビブ)です。
ここでゴルゴ13のワンシーンです↓
余談ですが、ゴルゴ13にはイスラエルの話がやたら多いです。
このお話は反イスラエル派の依頼シーンなので内容はこんな感じです↓
われわれは、どんな困難があろうと、父祖伝来の地、パレスチナをユダヤの手から奪回せねばならぬ!
1,900年前この地を捨てたユダヤ人が、(=ディアスポラのこと)
今ごろになって帰って来て土地の先住権を主張しおる!(=1948年イスラエル建国のこと)
1,900年前の所有権が生きるなら、アメリカはインディアンのものだし………..
ちょっとわかりました?
これがいわゆる中東戦争の原因でもあり、イスラエルという国が大いに周辺諸国ともめている理由なのです。
おわりに
ということで、中東戦争は終わったもののパレスチナでは未だに、
というゲリラ組織が未だに争い合って大勢の民間人が殺されています。
やはり元の元をたどれば、全ては宗教戦争という事になります。
宗教とは世界に平和をもたらすものなのか、不幸をもたらすものなのか。
ご自身でじっくり考えて答えを出してください。
ここまでお読み頂きありがとうございました!
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