イスラム教の開祖「ムハンマド」の生涯を簡単に解説!【1/5】

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さて、世界の常識である宗教の、特に今回は「イスラム教」の勉強の時間です。

今回はイスラム教の開祖ムハンマドの生涯がどのようなものだったのかを勉強していきたいと思います。

おもしろいのでさらっと読めると思います。

イスラム教の開祖『ムハンマド』

イスラム教は「偶像崇拝禁止」なのでムハンマドの肖像画もアッラーの肖像画も存在しない(←重要

王家など由緒ある家柄の出身だったり、幼い頃から神童として有名だった人物を除けば、誕生から記録がしっかりと残っている人はまずいません。

イスラム教の創始者であるムハンマド(※)の場合も、有名になるのは神の声を聴く中年になってからなので、それまでの生涯についての記録はあまり残っていません。

※以前は日本ではマホメットと呼ばれることが多かったが、最近はアラビア語の正しい発音にしたがい、ムハンマドと呼ぶ

ムハンマド誕生

まず誕生にまつわる話として、彼(ムハンマド)を妊娠中、母アミーナが、

汝が生む子は、民族の支配者となり、預言者となるであろう

という声を聞いたという話が残っています。

いやいやいや(笑)

絶対後付けやん(^◇^;)ッタク

筆者の個人的な感想です、特定の個人や宗派を誹謗中傷するものではありません。

こうしてムハンマドは、アラビア半島で繁栄していた都市メッカで生まれました↓


メッカはサウジアラビアの一都市

あの聖地メッカです!

はっきりした生年は不明ですが、西暦570年前後と推定されています。

名門部族だが普通の人生

彼の家柄は名門部族でしたが、父アブドッラーは彼の誕生前に亡くなり、母も6歳の時に亡くなってしまいます。

そこで、祖父に育てられるわけですが、その祖父もまた亡くなり、叔父のもとで暮らすようになりました。

ムハンマドの一族は商人で、彼も隊商貿易に携わるようになります。

その隊商の仕事の中で知り合ったのが、裕福な女性ハディージャでした。

彼女は当時40歳前後で、ハディージャ自身も実業家でした。

25歳の青年ムハンマドは、ハディージャに最初は商人として見込まれ、やがてふたりは結婚します。

それから15年ほど歳月が流れ、ムハンマドとハディージャの間には三男四女が生まれていました。
三男四女って、、、多すぎひんか?

ここまでの彼の生涯は、色々な苦労があったとはいえ、「普通の人」としてのものです。

奇跡もなければ伝説もありません。

ところが、610年、ムハンマドの運命、そして世界史を大きく変える出来事が起きました。

預言者になる

その頃、既にムハンマドは瞑想に入ることが多く、山ごもりを習慣にするようになっていたのですが・・・

ある日のこと、その瞑想の最中に、突然体を締めつけられ、何者かの声を聞いたのです。

その声の主というのが、大天使ガブリエルです。

※大天使ガブリエルとは、聖書で「神の言葉を伝える」時によく登場する天使で、「ノアの箱舟」や「ソドムとゴモラ」の話でも登場しました。

ガブリエルは一言、

誦め(よめ)

と言いました。ムハンマドは苦しみながら

なにを誦むのか!!!?

と尋ねると、啓示が下ったのです。

この瞬間からムハンマドは神の声を聞き、それを人間に伝える預言者(よげんしゃ)となったのです。

※未来を占う「予言者」ではなく、神の言葉を伝える「預言者」

布教を開始する

さて、ここから預言者ムハンマドの物語が始まります。

ムハンマドは突然、神の啓示を受け預言者となったわけですが、それに一番驚いたのはムハンマド自身でした。

え、わし?(。´・ω・)ナンデ

そんなムハンマドを励ましたのが、妻のハディージャでした。

彼女が最初に、それが神の啓示であると信じたのです!

つまり、彼女が最初のイスラム教の信者というわけです。

それからの3年ほどの間に、従兄弟や友人もムハンマドの教えの信者となりました。

このように、当初の布教の対象は身近な人々に限られていたのです。

それでも皆が信じてくれることに自信を得たムハンマドは、本格的に布教活動を開始します。

当初は激しく弾圧される

そうして新興宗教として目立った活動を開始すると、既存の宗教との間に軋轢が生じ始めます。

メッカの権力者たちは、ムハンマドの教えの中の偶像崇拝の禁止など、それまでの慣習を否定する内容を容認できず、弾圧し始めたのです。

筆者
まあ後からポッと出てきたイスラム教に「偶像崇拝禁止だゴラアァ」なんて言われてもね~…

この時代のメッカでは多神教信仰が盛んで、多くの神殿があり様々な信者が訪れる宗教都市でもありました。

※イスラム教の教えには「アッラー(神)は唯一の存在である」という項目があり、多神教は認めない

また、メッカは隊商貿易の中継地点として、商業都市としても栄えており、人とモノとお金の集まる街だったのです。

そうなるとどうしても貧富の差が拡大していきますが、ムハンマドの教えは

全ての人は平等である

という内容だったので、ある種の社会改革運動の意味合いも含んでおり、権力者たちは一種の危険思想ととらえ、激しい弾圧の対象としたのです。

聖遷(ヒジュラ)

619年になると、ムハンマドは妻と有力な後ろ盾であった叔父を亡くしてしまいます。

迫害はより厳しくなり、ムハンマドはメッカを引き払い、北西400kmほどにあるメディナ(※)に向かいました。

メディナは当時ヤスリブと呼ばれていました。

この移住を聖遷(せいせん=ヒジュラ)と呼び、ムハンマドがメディナに到着した西暦622年7月16日がイスラム歴であるヒジュラ歴元年の元旦となります。

町の名も「光り輝く町」という意味の「メディーナ・ムナッワラ」に変えられ、これが今日のメディナとなりました。

メディナに落ち着いたムハンマドは、預言者の役割を超え、政治家・軍事指導者としての役割を兼ねるようになります。

さて、ここからムハンマドの好戦的で恐ろしいエピソードが連続します。

正直筆者はドン引きしました、ムハンマドに(笑)

ウンマ結成

当時のメディナでは、アウス族とハズラジ族という2つの部族が暮らし、互いに仲が悪かったのです。

さらに、ユダヤ教徒も加わり、三つ巴の状態となっていました。

なんとそこにムハンマド達も加わったのです。

アウス族 VS ハズラジ族 VS ユダヤ教徒 VS イスラム教徒

トンデモナイ争いになりそうですが、ムハンマドは各勢力を調停し町全体をひとつの共同体(ウンマ)とする協定を結ばせました。

その基本となったのは➀相互扶助➁協力関係の考え方です。

それまで血縁で結ばれていた部族社会を、信仰を土台にしたひとつの社会に変革したのです。

この信仰共同体をウンマと呼びます、オソマではありませんのでご注意を。

こうしてムハンマドはメディナの人々をイスラム教徒とし、次にメッカをどうするかを考えました。

ムハンマドの怒りは相当なもんです。

メッカで権力を握っているのは、多神教の神々を雑居させて祭るカーバ神殿を守護するコライシュ族だ。

あいつらが、自分たちの権威や利権が脅かされるとして私を迫害し、故郷メッカから追い出したのだ。許さん!

しかしコライシュ族もバカじゃありませんからね、当然こう考えるわけです↓

なにぃぃ!?
あのムハンマドがメディナで成功しウンマを結成しただとおぉぉ!!
やられる前にやらなければ・・・

こうした動きをつかんだムハンマドは先手を打つことにしました。

コライシュ族に打撃を与えるには、彼らの隊商を襲うのが効果的で、しかもメディナは隊商が通過するルート上にあったのです。

メッカ入城

西暦624年、戦いは始まり、コライシュ族の隊商はイスラム軍に襲われ、大打撃を受けました。

コライシュ族は軍勢1000人で反撃し、その当時のイスラム兵は300人しかいませんでした。

両者が激突したのはバドルという土地で、このバドルの戦いでムハンマドの軍は3倍もの敵を蹴散らし大勝利をおさめました。

しかし翌年のウフドでの戦いは引き分けとなり、さらにその2年後のハンドク戦役でようやくイスラム軍は勝利しました。

軍事的勝利を背景に、ムハンマドは630年に遂にメッカに入城しました!

ムハンマドは多くの神々が雑居するカーバ神殿に参拝すると、祭られている偶像を次々に破壊し、

「真理が来て、虚偽は消えた」

と叫んだと言われています。

その時のムハンマドの様子、筆者にはありありと目に浮かびます。

イスラム教は偶像崇拝禁止ですよー?(笑)
なんだこの偶像まみれの神殿はあああぁぁぁぁぁぁ(; ・`д・´)

つまり、今まで地元民が信仰していた全ての宗教を否定し、崇拝の対象の像を「偶像崇拝禁止」の名のもとに全て打ち壊したのです。

あな恐ろしや。

ムハンマド逝去

ムハンマドの完全勝利を知ったアラビア半島の各部族は次々とイスラム教に改宗し、半島は統一されました。

だが、彼にはもはや時間が残されていませんでした。

メッカ占領後も、メディナで暮らしていたムハンマドは、死期を悟りメッカへ巡礼を行いました。

このときに連いていった信徒は12万人とも言われ、「別離の巡礼」とも呼ばれます。

そして西暦632年、ムハンマドはメディナで亡くなりました。

40歳で神の啓示を受けてから22年、62年の生涯でした。

イスラム教の経典

では次にイスラム教の経典について説明します。

イスラム教の聖書は「コーラン」です。

※正しい発音は「クルアーン」

コーランに書かれている内容は全て「ムハンマドが神から預かった言葉」なので、つまりムハンマドの口から出た言葉が聖書に書かれているんです。

そんなお話です↓

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