さて、本記事では、ユダヤ人の聖典である「旧約聖書」の続編――その名も新約聖書についてなるべく噛み砕いて解説していく。
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なにせ旧約の続きである。
いきなり続編から観るのはちょっと…という慎重派の読者諸君、まずは前作をざっくりチェックしてからのほうがいいかもしれない。
以下のリンクからどうぞ↓
さて、本記事ではユダヤ人の聖書(=物語)である旧約聖書をなるべくわかりやすく解説してみました。 大まかなお話は以下の記事で既に言及していますので、興味があればこちらからご覧ください↓ [sitecard subtitle[…]
今回はちょっと趣向を変えて、漫画風のイラストで新約の世界を案内していくつもりだ。
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とりあえず堅苦しい話はナシ。
笑って読んで、ふと「へぇ~」とつぶやけたらそれで本望である。
では、いざ開幕。
新約の世界へレッツゴー٩( ”ω” )و
洗礼者ヨハネによる「洗礼」と宣教活動のスタート
さて、前回の記事では神の子として産まれた天才少年イエスが様々な災難に遭いながらも、神殿でしれっと学者たちを論破していたという天才っぷりを発揮するエピソードをご紹介した。
時を少しさかのぼり――
イエスが生まれるほんの数カ月前に、イエスに洗礼を施した洗礼者ヨハネも同様に誕生していた。
父の名はザカリア、母の名はエリザベト。
父は祭司ザカリアで、母はマリアの親戚のエリザベト
つまりヨハネとイエスは従兄弟ということである。
「いや、おれら老夫婦よ?普通に考えて無理っしょ」と返して一時的に喋れなくなるというなかなかパンチの効いた経歴を持っている。
(ルカの福音書 1章5〜25節)
若き頃の洗礼者ヨハネはヨルダン川西方の荒野でたった一人、過酷な修行を行っていたが、神の言葉を受け、預言者として民衆に
「悔い改めよ、神の国は近づいた」
と終末論を説き聞かせ、洗礼を行っていた。
ちなみにこの頃の洗礼は、罪を告白し洗い流す「悔い改めの象徴」としての行為で、現在のキリスト教でみられるような、信者になるために行う「洗礼」とは少し意味合いが違う。
ヨハネの洗礼は、預言者を待ち望む民衆たちから大変な支持を受けていた。
民衆A「ってか、もはやヨハネ様が救世主なんじゃね?」
民衆B「確かに、神々しさとか半端ないもんね(゚Д゚;)」
民衆C「ヨハネ様ぁぁ、おらたちを救ってくだせぇぇ!!」
当時、救世主を待望していたユダヤの人々から「ヨハネこそ救世主ではないか?」と尋ねられていたほどである。
…しかしヨハネは、涼しい顔でこう言う。
ヨハネ「いや、俺じゃないから。俺は“道を整える人”だから。
もっとすごいヤツがあとから来るから。俺?ただの前座ね。」
そこに現れたのが神の子イエスだった。
ヨハネは洗礼を施して欲しいと言うイエスを見て「彼こそが救世主だ」と気付き、洗礼を授けることをおこがましいと一度は固辞した。
イエス「ヨハネ様、私に洗礼を施してください」
ヨハネ「(まさかこのお方は…)いや…え?私が??
そっちが神の子でしょ!?逆でしょ!!」
イエス「ヨハネ様、どうか、どうか私に洗礼を!」
イエスの懇願もあり、ヨハネは結局イエスに洗礼を施すことになった。
この時のシーンを描いたのが、ヴェロッキオ工房の「キリストの洗礼」である!
ヴェロッキオ工房作「キリストの洗礼」
ヨハネがイエスに洗礼を施すや否や、突然天が開け、神の霊が鳩のように地上に降りてきて
「これは私の愛する子、私の心にかなうもの」
という声が響き渡っていたと言われている。
白い鳩は世界的にも平和の象徴とされている。
こうして、イエスの物語は一介の大工青年から神の子としての“公の人生”へと大シフトする。
救世主としての布教活動、ここからスタート。
名作『サロメ』を生んだ洗礼者ヨハネの最期
イエスに洗礼を施したことで名高いヨハネだが、まるでそれだけが彼の使命であったかのような、あまりにも切ない最期を遂げることになる。
バカ息子のヘロデ・アンティパス
ヨハネがイエスに洗礼を行って間もなく、亡き父ヘロデ大王の後を継いだヘロデ・アンティパスによって逮捕・投獄されてしまう。
罪状は反逆罪。
いや、お前が反省しろやと言いたくなる内容だ。
というのも、アンティパスはなんと自分の弟の妻へロディアと結婚しており、それをヨハネに
「それ、律法違反ですよね?」
「常識ないんすか?やめた方がいいっすよ。」
「ってかダメです。禁止!」
「十戒に『他人の妻を欲するな』ともあるんですが」
とガチ説教されてしまったのである。
当然、アンティパスとへロディアのカップルは不機嫌になる。
そりゃそうだ、不倫を堂々と批判されているのだから。
息子アンティパスとへロディアの不倫現場
「まあ紀元前やから不倫とかの概念もないのか…」
と一瞬思ったが、ユダヤ教の十戒にしっかりと書かれているのだ。
「他人の妻を欲しがるな」と。
つまりアウトである。
紀元もクソもない。
普通にアウト。
もちろん日に日に高まるヨハネの名声と影響力に恐怖を覚えたことも要因の一つなのだろう。
へロディアもまた、結婚に反対したヨハネを恨んでいたため、さっさと殺せばいいと考えていた。
筆者「この項の登場人物ヤバいやつしかいねぇ( ゚Д゚)」
しかし夫のヘロデは民衆の目もあり、なかなか手を下せずにいた。
そんな折、ヘロデの誕生日を祝うパリピ全開の盛大な祝宴が開かれた。
宴を最も盛り上げたのは、へロディアの連れ子である娘(つまりアンティパスの義理の娘)の優雅な踊りだった。
パリピな連れ子
めっちゃ踊った。
キレッキレだった。
気分をよくしたヘロデは娘に言い放つ。
「欲しいものがあれば、何でも好きなものを与えよう」
このセリフ、紀元の政権者が言っていいセリフではない。
盛り上がったからってなんでも言えばいいってもんじゃない。
「え、欲しいもの…?」と困り果てた娘は、母へロディアに何を願ったらいいのか相談した。
筆者「おいおい大丈夫か、この流れ…」
母へロディアはここぞとばかりに娘に「ヨハネの首を!」と答えさせたのだ。
「ヨハネの首を持って来てちょうだい」ザワザワ
娘に告げられたヘロデ・アンティパスは(さすがに)困惑したが、大勢の客人の前で約束したこともあり(←え?(;・∀・))、へロディアの願いを叶えようとした。
こうしてヨハネは執行人の手によって斬首刑に処され、その生涯を終えたのだった。
聖ヨハネの不遇な人生…
この物語は聖書の中でも特異なストーリー性を持つことから、多くの芸術作品のモチーフになっている。
イタリアのティツィアーノやドイツのデューラーの絵画でも有名だが、最も世に知らしめたのは19世紀の劇作家オスカー・ワイルドの作品『サロメ』だろう。
オスカー・ワイルド(出典:Oscar Wilde)
物語は、へロディアの娘サロメ(ただし聖書にはサロメという名は出てこない)がヨハネに恋心を抱くという設定で進行する。
そして、自分に振り向いてくれないヨハネを手に入れるため、サロメは父に首を所望するのである。
ヨハネの首を持つサロメ(出典:MEISTERDRUCKE)
洗礼者ヨハネの死にまつわるエピソードとして、特に首を盆にのせるというショッキングな事件が有名だ。
手に入れた首を愛おしそうに抱き、キスをするサロメを見て恐怖を感じた王は、娘も処刑してしまうというドン引きの結末となる。
このワイルドの物語は、オーブリー・ビアズリーが挿絵を担当し、現在も熱狂的なファンを持っている。
さらにギュスターヴ・モローの絵画や、R・シュトラウスのオペラなど、影響を受けた芸術家は数多いのである。
"悪魔の誘惑"は実は「神からの試験」だった?
さて、ヨハネから洗礼を授かったイエスは、布教活動に入る前に「ちょっと荒野で断食してくるわ」という謎ムーブに出る。
イエスは死海の北に位置するクムラン周辺のユダの荒野に向かったのである。
四十日間の断食に入るためだ。
スケジュール的にも胃腸的にも過酷極まりない。
実はこの40日断食には元ネタがある。
かのモーセもシナイ山で神と面談した際、十戒の書かれた石板を受け取るために40日40夜の断食チャレンジを行っていたのである。
つまりイエスも、いわば「モーセ方式」で神との真剣勝負に臨んだわけである。
モーセのお話はこちらで↓
さて、本記事では、ユダヤ人の“聖なる物語”――そう、旧約聖書という名の一大叙事詩を、なるべく分かりやすく、そしてちょっぴり笑える感じで解説していく所存である。 [show_more more=前置き(クリックで開く) less[…]
ちなみに断食のギネス世界記録は当時27歳のスコットランド出身の青年で、記録は382日である。
※医学的には砂糖と水だけで生きれるのは最長でも30日程度だと言われていた。
ちなみに、水も食べ物も一切取らない完全な断食の最長記録は、18歳のオーストリアの少年が打ち立てた18日間だ。
やがてイエスが空腹を感じ始め、それに耐えていると、突如としてラスボスが登場。
その名も悪魔。
悪魔は、
「グヒヒヒヒ!!神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだぁ?」
と挑発する。
するとイエスは旧約聖書の神の言葉を引用し、
「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」
とはねのけたのだ。
まさかの旧約引用返し。
悪魔「ぐぬぬ……」
次に悪魔はイエスをエルサレムの都まで連れ出し、神殿の屋根の端に立たせて挑発した。
「ギャハハハ神の子なら飛び降りたらどうだぁ?神は天使たちに命令してお前を助けてくれるだろ?」
イエスはまたしても旧約聖書の言葉から、
「聖書には、あなたの神を試してはならないとある」
と退けたのだ。
まるでFAQ対応マニュアルでも仕込んであるかのような完璧な切り返し。
悪魔、再び撃沈。
それでも悪魔は諦めない。
イエスを山の頂上まで連れて行き、この世の栄華を見せ、
「なんじゃこの世界は…」←約2,000年前の人間が高層ビル群を見ている
「もしひれ伏して私を拝むなら、これをみんなお前に与えよう。」
このセリフ、だいたい詐欺師か悪徳商人が言うやつである。
悪魔がこうそそのかしたところ、イエスはこう言い放った。
「退け。『あなたの神である主のみを拝み、ただ主に仕えよ』と聖書に書いてある」
これには悪魔もさすがに撤退。
悪魔「千の策を用いしが、一つも通らぬとは…いやはや、まこと剛の者。」
撤退する悪魔、宮本武蔵のような立ち姿。
相当な実力の悪魔だったようだ
この一連の流れ、実は「悪魔が勝手に挑んできた」のではなく、神自身がイエスを試すために悪魔を使わせたのではないかという説もある。
いわば、神からの入社試験だったわけである。
筆記(聖書引用)、体力(断食)、倫理(誘惑回避)すべて満点。
合格である。
さて、荒野での壮絶な“信仰耐久バトル”をくぐり抜けたイエスは、ついに布教活動を本格始動させる。
次回は、人々の心を一瞬でつかんだ名演説「山上の説教」について紹介する。
お楽しみに!
さて、本記事では、ユダヤ人の聖典である「旧約聖書」の続編――その名も新約聖書についてなるべく噛み砕いて解説していく。 [show_more more=続きを読む less=折りたたむ color=#0066cc list=»][…]