1878年12月21日、ヨシフ・(ヴィッサリオノヴィチ)・ジュガシヴィリと名付けられた男の子が、ジョージア(旧グルジア)のゴリという小さな町で産声をあげた。
ジョージアはロシアと隣接している
両親「生まれてきてくれてありがとう。あなたはきっと天使のような素敵な男性になるわ」
ジュガシヴィリ「だぁー、ばぶー♡」
その男の子は後に、ロシア語で「鋼鉄の人」を意味するスターリンと呼ばれ、世界を震撼させるのであった…。
さて、皆さんは現在の「ロシア連邦」という国はその前身となる、
ソヴィエト社会主義共和国連邦(=ソ連)
から出来た国ということは知っていますか?
ソ連の国旗
今回はその「ソ連」は一体どんな国だったのかを設立から崩壊まで図解多めでなるべく面白くわかりやすくまとめようと思います。
※一応詳しく知りたい方もいると思うので、ある程度小難しい話も混ざっています。
ソ連の歴史をおもしろく説明するやて!!!???
ほんまにそんなことできるんかいな、こら要チェックや〜!
「スターリン」とか「ボリシェヴィキ」とか「ゴルバチョフ」とか、慣れてない人にはピンとこない名称も山ほど出てくると思いますが、その都度丁寧に解説しますしロシアのウクライナ侵略に関するお話も混ぜてありますので一緒にゴールまで頑張りましょう( ˘•ω•˘ )
では早速始めます!
ソ連についての基礎知識
まずは初心者に向けてザっとソ連の基礎知識をまとめました(/・ω・)/
いつできた?いつ解体された?
ソ連は、1922年12月に成立し1991年12月に消滅しました。
余談ですが、ソ連崩壊と共に15の国家が独立(誕生)しました!
ソ連の広大な領土
そもそもソ連とは一つの国ではありません。
まあ連邦とか言ってるくらいですからね。
前述しましたが、ソ連は15個の共和国で構成された連邦なんです。
構成国を羅列したので興味ある方は是非一度ご確認ください(о´∀`о)
» 15個の共和国一覧
現在の呼び名で記しています↓
- ロシア
- ウクライナ
- ベラルーシ
- モルドヴァ
- ジョージア
- アゼルバイジャン
- アルメニア
- カザフスタン
- トルクメニスタン
- ウズベキスタン
- タジキスタン
- キルギス
- リトアニア
- ラトヴィア
- エストニア
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所々「え、どこ?(゜.゜)」と思いますよね(笑)
「ソ連」という名称は日本で言う「関東」とか「関西」みたいに、複数の国が集まって大きく括られた呼び名でこのソ連邦は計15カ国で構成されていました。
旧ソ連の15か国をそれぞれ別の色で塗った地図がこれです↓
その領土は超広大で、世界の国土面積の1/6を有していたようです(`・ω・´)ゞ
各共和国の力関係
ソ連は15個の共和国で構成され、それぞれの国が大統領をもち対等な立場で連邦を作っていました、表面上は!
実際はロシアが主導権を握って支配しており、つまりロシア一強の状態で、
ロシア「てめーら、カラスって白かったよなあ?」
他14ヵ国「は、はい!カラスは白かったです、確か!!!」
という感じでした。
主従関係ではなくあくまで対等関係だった、はずだが…
ソ連を構成する15カ国、見た目はあくまで対等関係でしたが…
要するに、圧倒的にロシアが強かったってことです(笑)
ではこれからソ連の成立から解体までをみていきたいと思います。
余談ですが、なんかYouTubeで「小学生でもわかるソビエト連邦の歴史」という動画を発見しました↓
まあかなり大雑把な内容ですが、先に一度目を通してもらえるとよりこの記事の理解度が増すと思ったので一応載せておきます。
個人的にはナレーションが機械音声の動画は嫌いなんですが、まあ時間がある人は先に動画を観てから本記事に戻って来てもらってもいいと思います(;^ω^)
1917年3月にロマノフ王朝終了(三月革命)
肩を組むレーニン人形とスターリン人形
ソ連の歴史を説明するにあたって、スタートはこのロマノフ王朝終了からとします。
1613年に16歳でロシアの皇帝に選出されたミハイル=ロマノフから始まったロマノフ王朝が、17世紀後半のピョートル大帝の時代で大躍進し、エカチェリーナ2世などを経ながらずっとロシアを支配し、ロマノフ王朝最後の皇帝ニコライ2世まで脈々とバトンを繋いでいました。
本編には関係ありませんが、一応系図を辿ってみました↓
ミハイル・ロマノフからニコライ二世までの系図
ロシアは、1891年にはフランスの資本導入のおかげでシベリア鉄道にまで着工し、本格的なロシア版産業革命が始まりました。
当時の皇帝(最後の皇帝やけど)はニコライ2世です↓
(出典:ニコライ2世 (ロシア皇帝))
しかしロシアは1905年の日露戦争で敗戦が続く中、労働時間の短縮や戦争の中止を請願しようとした14万人の市民の平和な行進に対し軍隊を以て鎮圧したのです((((;゚Д゚)))))))
にこらいにせー!!!!!何やってんだあぁぁ\(゜ロ\)(/ロ゜)/
その結果、1000人以上の死傷者が出ました。
ザワザワ ガヤガヤ
あな恐ろしや・・・。
この武力による鎮圧を血の日曜日事件と呼び、ロシア皇帝への崇拝の念は完全に鎮静化し、ロシア国内はひっじょーーに混乱&荒れていきました。
血の日曜日事件の様子がこちらです↓
(出典:血の日曜日事件)
子どもが槍で背中を貫かれています…
血の日曜日事件に対する猛烈な抗議がロシア全土で発生し、労働者がストライキを決行したり、被抑圧民族や農民まで蜂起したのでした(=第一次ロシア革命)
そんな中、ロシアは国力に余裕も無いのに調子に乗って1914年の第一時世界大戦にも参加しました。
ニコライ2世ーーーーー!!!!
セルビア人の青年がオーストリアの皇位継承者を暗殺し、オーストリアがセルビアに宣戦布告し両国が戦争状態に入ったんですよね( ゚д゚)
これが第一次世界大戦を引き起こしたサラエボ事件です、昔習いましたよね(о´∀`о)
その第一次世界大戦にロシアも参戦したのです!!!
そうなんです、主に労働者と兵士が重労働を強いられました。
当然、労働者と兵士は厳しい環境に苦しめられロシア皇帝に対して不満が爆発します!
「おれたちは使い捨てじゃねーんだぞぉぉ!!!!!」
「ふっっっざけんじゃねえぇぇぇぇぇ(; ・`д・´)」
1917年、レーニンを指導者としたロシア革命(=三月革命)を経てロマノフ王朝は革命軍の圧力に屈し皇帝は自ら退位しました(その後殺害された)
レーニン、滑り出しは順調のようです。
しかしそんな中、資本家だけは武器/弾薬/食料の調達で大戦中も大儲けしていたのです。
「いぇーい、戦争万歳 🙌」
労働者/兵士「もう戦争なんて二度とやるか!どうせ血を流すのは俺らだけだ」
資本家「むふふ、お金ざっくざく♡ もっと続け、戦争」
ロシアのウクライナ侵略についても同様のことが言えます。
2024年2月現在でもウクライナ情勢の展望は非常に暗いですが、絶対に忘れないでください。
大勢の罪のない市民が大量虐殺される悲惨な戦争でも、必ず大儲けする人間はいるのです。
つまり、戦争を長引かせたい&終わらせたくない人間が必ず存在するのです。
資本家が戦争で大儲けできる仕組みを知りたい方はこちらをクリック↓
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ちなみにChatGPTでの「資本家が戦争で大儲けする仕組みを教えて」の回答をそっくりそのまま載せているだけですが(笑)
- 軍需産業:
戦争が勃発すると、武器、装備、兵站、輸送などの需要が急増します。これにより、軍需産業は大規模な注文を受け、大きな利益を得ることができます。軍需産業には、兵器メーカーや軍事請負業者、輸送会社などが含まれます。 - 政府契約:
政府は戦争に備えて軍事力を強化するため、軍需品の調達に巨額の予算を割り当てます。この予算は、軍需産業による入札や契約を通じて、利益を生み出します。政府契約は、しばしば長期的で安定した利益をもたらします。 - 戦争貸付:
戦争が勃発すると、多くの国が資金を必要とします。資本家は、政府に対して融資を行い、高金利で戦争貸付を提供することがあります。これにより、資本家は大きな利益を得ることができます。 - 資源の利用:
戦争が行われる地域にはしばしば豊富な資源が存在します。資本家はこれらの資源を利用し、戦争経済から利益を得ることがあります。例えば、石油や鉱石などの資源を採掘・販売することで利益を上げることができます。
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二月革命と三月革命
このレーニンを指導者としてロマノフ王朝を倒した革命について、本記事では三月革命と書きましたが、実は二月革命とも呼ばれます。
なぜかと言うと、我々が一般的に使っている暦は「グレゴリオ暦」ですが当時のロシアが使っていたのは「ユリウス暦」で、暦上で呼び方にずれが生じるからです。
「ユリウス暦とグレゴリオ暦、なんやようわからんけど日数どれくらいちゃうの?」というのが一番知りたいところですよね、はい調べました↓
ちなみにグレゴリオ暦での2023年1月10日は、ユリウス暦ではまだ2022年12月28日だそうです(笑)
本記事では世界の標準的なグレゴリオ暦を尊重して、三月革命としています。
ちなみにイスラム教のイスラム暦(ヒジュラ暦)の場合、一年は355日で、しかも西暦622年7月16日を紀元1年1月1日としています。
それらの経緯はこちらの記事でご紹介しています↓
さて、世界の常識である宗教の、特に今回は「イスラム教」の勉強の時間です。 今回はイスラム教の開祖ムハンマドの生涯がどのようなものだったのかを勉強していきたいと思います。 おもしろいのでさらっと読めると思います。 イスラム教の開[…]
つまりイスラム暦は毎年10日ほどずれていくので、5月が真冬の時代もあれば12月が真夏の時代もあるってことです、面白いですよね(^ω^)
二重権力状態発生
対立する「ソヴィエト」と「臨時政府」
話はレーニンの三月革命から少し遡り、実はロマノフ王朝が倒されるちょっと前からロシアでは2つの権力が出現していました。
それが「ソヴィエト」と「臨時政府」(りんじせいふ)という2つの組織です。
別に過激派でもテロ組織でもなく、混乱するロシアの中で生まれ、力を持っていった2つの政党です。
ロシアはまだ第一次世界大戦の真っ最中で、ソヴィエトと臨時政府はそれぞれ正反対の方針を示していました。
ソヴィエト
労働者や兵士に寄り添った政党
ソヴィエトという組織は、労働者と兵士で構成されており、戦争終結を望んでいました。
第一時世界大戦で特に血を流した(=こき使われた)2者(労働者と兵士)でソヴィエトを結成したんですね。
⇒断固戦争反対派
⇒これ以上ロシア国民の負担を増やさないように努力=民意を獲得
臨時政府
資本家や富裕層に寄り添った政党
ソヴィエトとは異なり、臨時政府という組織は富裕層(=ブルジョワジー)や資本家で構成されており、戦争継続による軍需で莫大な利益の獲得を望んでいました。
⇒まだまだ戦争継続したい派
⇒生活の厳しいロシア国民とは正反対の考え方
もうこの時点でどちらが勝つかはわかりますよね(笑)
ソヴィエト VS 臨時政府
実は、民意の真逆をいく臨時政府はもともとソヴィエトの支持を得て樹立されました。
それに労働者と兵士で構成されたソヴィエトは政権運営などのノウハウも乏しかったので、そういう意味でも「お前らも応援してくれよ、一緒に理想国家をつくろうぜ」的に富裕層(つまり知識層)で構成された臨時政府に期待をしていました。
しかし臨時政府がロシア帝国時代の方針を引き継いで戦争継続を望んだため(←あれ?(゜.゜))、ロシア国民の間には圧倒的な不信感が広がります。
ソヴィエト「あれ、臨時政府はもっとロシア国民のために色々やってくれると思って支持したのに。話が違う、許せぬ!」
臨時政府「戦争終結したらお金儲けできないじゃん?国民の苦境?知らねーよそんなの」