②古代エジプト建築とは?ピラミッド・神殿などをわかりやすく解説

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古代エジプト建築

わたしは西洋建築を勉強するにあたり、最初にあるテキストを購入した。

その本では、「西洋建築の基本はギリシャ建築」という前提で説明されていた。

ところが、別の参考書で古代エジプト建築を勉強してみて驚いた。

古代エジプト建築の遺構を見てみると……まさにギリシャ建築そのものだったのだ。

柱が並び、梁が載り、軸線があり、巨大な神殿空間がある。

わたしはこれまで、

ギリシャ建築 → 西洋建築の始まり

と思っていたわけだが、実際は

古代エジプト人からしたら「その構造、先にワイらがやってるで。」という状態だったのである。

つまり、ギリシャ建築は突然生まれたわけではない。

そのはるか前に、エジプトで既に原型が完成していたのである。

そう考えると、西洋建築の大元は

  • 古代メソポタミア建築
  • 古代エジプト建築

この二つにあると言っても過言ではない。

では古代エジプト建築について解説していこう。

古代エジプト建築とは

古代エジプト建築 ギリシャ建築

まずは古代エジプト建築の特徴とギリシャ建築との共通点について紹介していこう。

エジプト文明と共に発展した

エジプトも、メソポタミアと同様に世界四大文明のひとつであり、ナイル川流域に展開した文明である。

その範囲は幅が10~20kmと狭いものの、長さは1,000kmほどに及ぶ。

細長すぎて、文明というより超ロングな「川沿いの街」みたいな状態である。


エジプト文明が栄えたのがナイル川沿いの1,000kmくらい

余談だが、地図上は北から南に川が流れているように見えるが、実は南が上流で北が下流である。

(これ、実は誤解している人が多い)

ちなみにwikipediaには「ナイル川の長さは6,650 km」との表記があり、日本列島の本州(大間~下関)までが約1,600kmと考えると桁違いの長さであることが伺える。

ancient-egyptian-architecture (1)

つまりエジプト文明は、その超長大なナイル川のうち、「いい感じに住める部分」だけを使っていたのである。

人々がこの地で生活を始めたのは紀元前5,000年紀頃。

ナイル川は毎年周期的に氾濫し、肥沃な土を運んでくる。

この天然の農業システムのおかげで、エジプトは古代世界最大級の穀倉地帯となった。

その結果生まれた名言がこれである。

エジプトはナイルのたまもの

コトバンクによると、これはギリシアの歴史家ヘカタイオスの言葉らしい。

要するに、ナイル川がなければ、エジプト文明はほぼ成立していない。

という、わりと身も蓋もない真実を言っているのである。

非常に長い歴史がある

「古代メソポタミアの歴史に続いて、古代エジプトの歴史ですか!!?」

そう思うのも無理はない。なぜならエジプト文明はとにかく長い。

紀元前のエジプトの歴史は、主に次の7つの時代に分けられる。

  1. 先王朝時代(紀元前5000~前2950年頃)
  2. 初期王朝時代(前2950~前2654年頃)
  3. 古王朝時代(前2654年~2145年頃)
    →ピラミッドができたのがこの頃(後述する)
  4. 中王朝時代(前2050年~前1786年頃)
  5. 新王朝時代(前1567年~前1085年頃)
    →ハトシェプスト女王葬祭殿ができたのがこの頃(後述する)
  6. 末期王朝時代(前1085~前332年)
    →ギリシャ建築が発展したのがこの紀元前700~600年くらいから
  7. プトレマイオス王朝時代(前305~前30年)
    (紀元前30年以降のエジプトは、かの古代ローマ帝国の属領時代が始まる。)

つまりエジプトは、

紀元前5000年頃に文明が始まり、

ピラミッドを作り、

王朝をいくつも経て、

最終的にローマに吸収される。

という、壮大すぎる歴史フルコースを歩んでいるのである。

これを見るだけでも、古代エジプト建築がギリシャ建築より遥かに古いことがわかる。

紀元前5,000年頃から初期の建築が始まり、やがてピラミッドやハトシェプスト女王葬祭殿といった巨大建築が生まれ、その流れは後のギリシャ建築へと受け継がれていくのである。

ギリシャ建築に大きな影響を及ぼした

この時代、建築材料はもともとは日乾煉瓦(ひぼし/にっかんれんが)だった。

住宅は、ほぼ例外なくこの日乾煉瓦で作られていた。

西洋建築 基礎[:

レンガについては古代メソポタミア建築編で言及済みだが、覚えているだろうか。

まだ読んでいない方はこちらから。

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さて、古代メソポタミア建築について説明しよう。人類史上最初期の都市文明として知られるメソポタミアでは、すでに高度な建築文化が発展していた。石材の乏しい土地で、人々はレンガを使い巨大な神殿や都市を築き上げていく[…]

古代メソポタミア 建築

ただし、すべてがレンガだったわけではない。

ピラミッドや王宮などの巨大建築になると、材料は石造へと変わる。

主に使われた石材は

  • 石灰岩
  • 花崗岩(御影石)
  • 砂岩

などである。つまり、

住宅 → レンガ

巨大建築 → 石

という、非常にわかりやすい使い分けがされていた。

ただし問題がある。

石の梁は、長くすると普通に折れる。あっさりと、ポキッと。

ギリシャ建築 わかりやすく
石は圧縮には強いが引っ張りには弱いという性質がある。

「石はレンガよりはるかに強度が高いので是非とも使いたい。でも崩落したら命にかかわる。どう使えばいいんだ…」

「え、木を使えばいいんじゃね?」と思った方もいるだろう。

では一旦冷静になって、まずはエジプトの風景を思い浮かべてくれ。

さて、そこに木は生えているだろうか。

おそらくあなたの頭の中には砂漠とピラミッドが広がっていることだろう。

そう、エジプトには木なんて生えていないのである(←これは言い過ぎ)

その結果どうなるかというと、スパン(柱と柱の間隔)が短くなる。

古代エジプト建築

そして構造として採用されたのが、まぐさ構造である。

まぐさ構造とは

まぐさ構造とは、下の図のように


(出典:ミカオ建築館

開口の上の石やレンガが落ちないように水平に入れる部材を指す。

ギリシャ建築編では梁(はり)と表現している。

ギリシャ建築 解説
これはパルテノン神殿

先述したように、石の梁はポキッと折れて大事故に繋がりかねないので、なるべく柱の間隔を短くしなければならない。

つまり……柱がめちゃくちゃ増える。

結果として古代エジプトの神殿は、柱、柱、柱、柱、柱。

という、ほぼ柱の森みたいな空間になったのである。

上の写真は、エジプト建築の遺構「ルクソール神殿」や「カルナック神殿」に遺されていた神殿だが、どう見てもギリシャ建築に影響を及ぼしているではないか。


(パルテノン神殿)

これでもなお、「ギリシャ建築と古代エジプト建築は無関係です」などと言おうものなら、権利侵害で訴えられるだろう。


む、権利侵害で一つ思い出したのだが、2025年2月に旧ソ連構成国のアルメニアという国に行ってきたのだが、あの国ではこんなキャラクターが大活躍していた。

アルメニア エレバン パクリ

「なんだトムじゃないか」

と思っただろうか。いや、実は違う。

これは旧ソ連の人気アニメ「プロストクヴァシノ村の3人」に登場するキャラクターで、「トムとジェリー」とは全く関係ないと謳っている。

ちなみに「トムとジェリー」は1940年製作、「プロストクヴァシノ村の3人」は1978年製作なので完全にパクリ、いや盗用されていることは間違いないのだが。

この猫のキャラクターと同様に、ギリシャ建築が古代エジプト建築と無関係だと主張するのなら、出るとこに出てもらうしかない(←誰もそんな主張はしていないが)

メソポタミアとエジプト

古代エジプト建築 軸線

ではここで、古代エジプト建築の最大の特徴とも言える「軸線の明瞭さ」について説明しよう。

いきなり専門用語が出てきたので、「軸線ってなんやねん」と思われたかもしれない。

だが安心してほしい。

そんなに難しい話ではない。

古代文明では「王=神」

古代は社会体制が王を中心とする専制体制で、さらにエジプトで顕著なように、王(ファラオ)はすなわち神であり、大規模建造物はその王を象徴する意味を持っていた。

「え、王様が神様なんすか?それってファラオの感想ですよね?」

そうなのである。

現代の感覚で言えばなかなか大胆な設定だが、当時のエジプトではそれが公式設定だった。

当然ながら、そんな神様が支配している国である。

建物もショボいわけにはいかない。

そこで造られたのが、あの巨大建築、ピラミッドである。

あれは単なるお墓ではない。

「ファラオすげえだろ」という国家的メッセージ装置でもあったのである。

建築的に言えば、こうした巨大建築の目的は「権力の力そのものを視覚的に表現する」ことにあった。

そのため建築では、マッス(mass)、つまり「ドーンとした塊の迫力」が非常に重視された。

「なんかよく分からんけど、とにかくデカいし統一感あるしスゲェ…。さすがファラオ!」

と民衆に思わせれば成功である。

その意味では、ピラミッドはプロパガンダ満点の建築とも言える。

ちなみにここまで説明したことは、参考書にはこう書かれている。

建築的構成の目的は、この権力を表象するため実体のもつ力を表現することにおかれてあり、マッス(絵画・彫刻・建築作品において、全体の中で一つのまとまりとして把握される部分)が建築表現の中心となり、建物とその外部空間の関係が構成上重要でした。

グググ、難しい…。

数学と単純な造形

さらにエジプトでは、数学の発展や抽象的思考も進んでいた。

その結果生まれたのが、極めて単純で、しかし精緻な造形。

そう、ピラミッドである。

古代エジプト建築

三角形をスッと立てただけのように見えるが、実際には角度・方向・寸法などが非常に厳密に計算されている。

当然のことだ。

神様と同義であるファラオが「とりあえず、バカでかい正四角錐の建造物を造ってくれ」という小学生みたいな注文をしたわけがない。

ちゃんと角度や方向、寸法などを厳密に決めたうえで着工したに決まっている。

この数学的思考は、後のギリシャ建築を理解するうえでも重要なポイントになる。

つまり、

エジプト

ギリシャ

という流れの中で、建築と数学の関係がどんどん深まっていくのである。

(ギリシャ建築では比例を最重要視している)

装飾とリファインメント

またエジプト建築には、すでに装飾への強い志向が見られるのも驚きだ。

興味深いのは、建物をより美しく見せるための視覚的調整も行われていたことである。

これを建築用語でリファインメント(視覚補正)という。

この話はギリシャ建築編で本格的に登場するので、今は「なんかカッコよく見える工夫があったらしい」くらいで大丈夫だ。

軸線の明瞭さ・不明瞭さ

さて、ここで重要なキーワードが出てくる。

軸線(じくせん)である。

「じ、く、せん…とは?」

安心してほしい。これも難しい話ではない。

「軸線が明瞭」とは簡単に言うと「直線的な方向性がハッキリしている」ということだ。

古代エジプト建築では、この軸線が非常に明確である。

一方、古代メソポタミア建築の傑作であるジッグラトは軸線という概念からみるとかなり不明瞭である。

ジッグラトはどちらかというと、「階段があって段があって上に登れて…」という感じで、方向性がごちゃごちゃになっている。

つまり建築的に言うと、

メソポタミア建築
→ 軸線がやや不明瞭

エジプト建築
→ 軸線がかなり明確

という違いがある。

軸線を強調するために、ピラミッドはとても単純な形をしている。

だからこそ、直線的な方向性がハッキリしている。

早い話、子供でも描けるくらいシンプルな軸線なのである。

もちろん屁理屈を言えば、「ジッグラトにも軸あるやん」と言えなくもないが。

古代エジプト建築の傑作『ピラミッド』

古代エジプト建築 ピラミッド

ではピラミッドの歴史と形の推移をご紹介しよう。

ピラミッドは形が変わっていった

古王朝時代を象徴する建築といえば、もちろんピラミッドである。

だが実は、ピラミッドは最初からあの完成形だったわけではない。

建築史的に見ると、大きく3つの段階を経て進化している。

➀階段状の形態から始まり、続いて➁屈折ピラミッドと呼ばれる稜線が中途で折れ曲がる形を経て、③四角錘のものへと展開していった。

と、わかりやすく並べたのだが、

「いや、そんな演出いらんねん。単独ででっかい写真見せろや」

という短気な人のために、下に3枚とも載せておく。


➀階段状ピラミッド

➁屈折ピラミッド

古代エジプト建築 屈折ピラミッド

③四角錘ピラミッド

ピラミッドとファラオ

前述したように、この時代のエジプトでは国王=神とみなされていた。

そのため、人々は霊魂の不滅や来世の存在を強く信じており、王(ファラオ)が死ぬと巨大な墓としてピラミッドが築かれたのである。

そして王の遺体はミイラとして保存され、来世でも困らないように大量の副葬品が一緒に納められた。

要するに、「あの世でも王様ライフを続けられるようにしておこう」という、かなり本気の死後対策である。

さらにピラミッドは単体の建物ではなく、

  • 葬祭神殿
  • 参道
  • 河岸神殿

などが組み合わさった巨大な建築複合体として造られていた。

「ピラミッド単体では寂しいので(と言っても十分に巨大なのだが)、周りの建造物とも関連付けた複合体にしよう」というやり過ぎ感の否めない構成になっているわけだ。

このようにピラミッドとは、ただの三角形の石の山ではなく、王のための超巨大宗教施設なのである。

ちなみに「そもそも、なんでピラミッドって四角錐なん?」と気になった方のために、「ピラミッドはなぜ四角錐になっているのか」という子ども向けのPDF資料を見つけたので念のため貼っておく。

マスタバと階段状ピラミッド

ピラミッドの起源を理解するには、まずはマスタバという構造物を知る必要がある。

マスタバとはアラビア語で「腰掛け」という意味で、平面が矩形(長方形)で、壁が上に向かって少し内側に傾いている台状の構築物のこと。

図にすると、こんな感じ。

そしてエジプト人はある日こう思ったのだろう。

「これ……上にもう一個乗せたらカッコよくない?」

その結果生まれたのが、階段状ピラミッドである。

つまり階段状ピラミッドとは、マスタバを拡張して上に積み重ねたものなのである。

サッカラにある階段状ピラミッドは、第三王朝(紀元前2620〜2600頃)の遺構で、規模は底面で約121m×109m、高さが約60mと、とにかくバカでかい。

東京ドームの野球グラウンドの面積(13,000㎡)に、20階建て(約60m)のビルが建っているようなものと考えると少しはデカさがわかるのではないだろうか。

しかもこれは単なる墓ではなく、(前述したが)周囲には

  • 葬祭神殿
  • 王のパヴィリオン
  • 神殿群
  • 宮殿

などが配置された、巨大な建築コンプレックスになっている。

さらに、この複合体に使われている柱にはパピルスの花の形をした柱頭が用いられているので、次の項目で解説しよう。

ギザの三大ピラミッド

ピラミッドの完成形として最も有名なのが、ナイル川の河口付近(下エジプト)のギザにある第四王朝(紀元前2545~前2450年頃)の3つのピラミッドだろう。

ピラミッド

ギザのピラミッドでは、

  1. クフ王(第一ピラミッドで最大規模)
  2. カフラー王(第二ピラミッド)
  3. メンカウワー王(第三ピラミッド)

の三人の王のピラミッドが並んでいる。

規模は以下の通り。

クフ王のピラミッド:底辺230.364m、高さ137.18m

カフラー王のピラミッド:底辺215.8m、高さ143.5m

メンカウワー王のピラミッド:底辺約108.5m、高さ約66.5m

特にクフ王のピラミッドは驚異的である。

クフのピラミッドは各辺が正しく東西南北を向き、また各辺の長さもほぼ完全に一致しており、工事の精確さが示されている。

つまり、4,000年以上前の建築なのに測量精度がヤバいのである。

しかもピラミッドは単体ではなく、

ピラミッド

葬祭神殿

長い参道

河岸神殿(ナイル川)

という一直線の構成をしている。

Google Mapsで本当に一直線かを一応調べてみたのだが、正直わからなかった。どこのことを言っているのか、参考書には地図が載っていないので何とも言えない。

ピラミッドは上から作られた?

ギザのピラミッドについて、内部は石灰岩が、表面の仕上げは白色石灰岩が張られている。

とんがり頭の部分だけ少し色が違う(白っぽい)のがわかる↓

egypt-pyramid (1)
カフラー王のピラミッド

この白色石灰岩は上部から張られていったので、「ピラミッドは上から作られた」などと言われたりもする。

もちろん完全に上からというわけではないが、施工方法としてはかなり独特である。

この後これほど大規模なピラミッドが構築されることはなかった。

スフィンクス

ギザの近くには、有名なスフィンクス像もある。

これは「神の化身ファラオの顔」+「百獣の王ライオンの体」という姿をしており、「神の化身ファラオ」の守護神として造られたと考えられている。

世界最初の石造の柱頭

また先ほど出てきたサッカラの階段状ピラミッドの複合体に使われている柱には、パピルスの花の形をした世界で最初の石像の柱頭が用いられており、これはのちのギリシア古典建築を想起させる。


おおおお、めっちゃ現物見てぇぇ

柱頭とは、柱の頂部に載せられる装飾のこと。

ギリシャ建築の「コリント式」の柱頭はアカンサスという多年草の葉をモチーフにしているのだが、これも古代エジプト建築のパピルスの柱頭をオマージュしているのだろう。

ギリシャ建築 オーダー
ギリシャ建築の柱頭

これを見ると、「エジプトの植物柱頭 → ギリシャの柱頭」という流れを感じずにはいられない。

最古の建築家イムホテップ

ちなみに、このサッカラの階段状ピラミッドを設計した人物はイムホテップという人物である。

この人物、しばしば「人類最古の建築家」と呼ばれている。

egypt-imhotep (1)
(出典:イムホテプの像を着席

サッカラの階段状ピラミッドを設計した人物であり、建築史的にはかなりのレジェンドである。

ところがである。

日本人が「イムホテプ」と聞いてまず思い浮かべるのは、建築家ではない。

おそらくこれだろう、映画「ハムナプトラ 失われた砂漠の都」の呪われたミイラの人である。

作中では、古代エジプトの大神官イムホテプが禁断の恋をした結果、とんでもない呪いを受けてミイラとして蘇るものの、最終的に「アムン・ラーの書」の封印呪文に敗れるという、なかなかハードな人生(?)を歩んでいる。

紀元前2,600年頃の古代エジプトにすでに建築家がいたという事実。

建築の歴史の深さに、改めて驚かされるところである。

ギリシャ建築に影響を及ぼしたエジプト建築の実例

古代エジプト建築

ここまでピラミッドを見てきたが、ギリシャ建築との関係という点でさらに面白い建物がある。

それがハトシェプスト女王葬祭殿である。

ハトシェプスト女王葬祭殿

ハトシェプストとは、古代エジプト唯一の女性ファラオの名前である。

なんかよくわからんが、名前からしてわたしの脳内ではかなりの美女を想像してしまっている。

暇なのでChatGPTに「古代エジプト女王のハトシェプストをリアルに描写して」と命令してみた。

結果がこちら。

Cleopatra-egypt (1)
画像生成AIによる架空の人物

ん、わたしが思っていたような美女ではなかった…(残念)

さて、話を戻して「ハトシェプストは古代エジプト唯一の女性ファラオ」という点について、読者の方はこう思ったに違いない。

「え、クレオパトラは…?女王ちゃうかったっけ?」

と。そんな声も聞こえてきそうだが、ハッキリ言っておこう。

わたしもよくわかっていない!!!

詳しくはわからないが、クレオパトラは紀元前69年-前30年に在位していた。

つまり建築史の文脈で言うと、「古代エジプトの黄金期とはちょっと時代が違う」という扱いになっていることが多いらしい。

この辺りはややこしい。

歴史はだいたいこういうところがややこしい(知らんけど)

余談だがクレオパトラ七世は世界三大美女の一人で、性にも非常に奔放で「フェ〇チオの由来」とか「裸で絨毯に包まれてカエサルにプレゼントされた」とか「護衛100人全員にお口で奉仕し全員を満足させた」みたいな不名誉な逸話までまことしやかに広まっている。

真偽のほどは不明。


えーとにかく、そのハトシェプスト女王を祭る神殿がハトシェプスト女王葬祭殿である。

じゃーーん。

egypt-architecture (1)
ハトシェプスト女王葬祭殿

もはやピラミッドの面影を1mmたりとも残していない…。

ピラミッド以降の神殿建築をみてみると、テーベのディール・アル=バハリーにある

  • メンチゥヘテプ2世葬祭殿(紀元前2045-前2020年頃)
  • ハトシェプスト女王葬祭殿(紀元前1490-前1468年頃)

では、列柱とテラスを組み合わせた構成が特徴となっている。

egypt-architecture (2)
ハトシェプスト女王葬祭殿

このうち、ハトシェプスト女王葬祭殿は、軸線的構成がより明瞭で、テラスも3段となっており、より壮大な構想がうかがえる。

以下、参考書の説明は画像を見ながらお読み頂きたい。

ハトシェプスト女王葬祭殿は、「列柱廊が前面でその上のテラスを支え、その中央に斜路が設けられて、上段のテラスへ至る」という構成で、2段目のテラスを上ると、前面が4列の列柱廊となっており、その奥に3段目のテラスが設けられており、それに続いて聖所が作られています。

上の文章をもっとかみ砕いて解説したのがこちら↓

ハトシェプスト女王葬祭殿の正面を見ると、まず巨大なテラスがあり、その前面には長い列柱廊が並んでいる。

そして中央には斜路(スロープ)があり、それを上ることで上段のテラスへと進んでいく。

二段目のテラスに上がると、そこには四列の列柱廊が広がっている。

さらに奥には三段目のテラスがあり、その先に聖所が配置されている。

つまりこの建物は、「軸線+テラス+列柱」で構成されている。


3段のテラス


列柱廊

なぜ柱頭が無いのか

ここで一つ、ちょっと不思議なことがある。

この神殿の柱は十六角形や三十二角形の断面を持つのだが、柱頭装飾がないのである。

つまり柱の上部が、わりとシンプルなのである。

ところが、約1200年前のサッカラの階段状ピラミッド複合体では、パピルスの柱頭装飾がすでに存在していた。

古代エジプト建築

つまり時系列としてはこうなる。

紀元前2600年
→ 柱頭装飾あり

紀元前1500年
→ 柱頭装飾なし

イムホテップ時代から1200年経ったハトシェプスト女王時代の柱にはなぜ柱頭装飾が無いのか。

不思議だ。

どう考えても柱頭装飾がある方が見栄えもいいし王の権力を示威できるはずなのだが。

列柱で囲まれた神殿という形式は後のギリシャ建築家たちも参考にしたのだろう。

他の神殿群の軸線の強調

ではもう少しギリシャ建築との繋がりを確認できる「ルクソール神殿」や「アモン神殿」の解説に移ろう。

ハトシェプスト女王葬祭殿に続く重要な神殿に、カルナックのアモン大神殿が挙げられる。


カルナックのアモン大神殿

第十八王朝(紀元前1567-前1320年頃)から古代ローマ時代まで建造が行われ、スフィンクス像をならべた「参道」から、「塔門(ピュロン)」を通ると列柱廊の囲む中庭、柱を林立させた「多柱室」が並んでいる。

この直線の構成を確認して欲しい。

スフィンクスの参道

塔門(ピュロン)

中庭

巨大な多柱室

聖所

情報を詰め込み過ぎている気もするが、上記の軸線構造を頭に入れた上で、以下の画像をしっかりと眺めて欲しい。

このように軸線に沿って建物を配置する構成はルクソールの神殿や、カルナックのアモン神殿の神域に建てられたコンス神殿(紀元前1166-前1004年頃)にもみられる。

エジプト建築 古代 ピラミッド
ルクソール神殿

コンス神殿では、スフィンクスの参道から塔門をへて、前庭、多柱室、聖舟室(舟は太陽神がのって毎日天空を渡ることの象徴)、至聖所が軸線に沿って整然と設けられている。

軸線は後の時代でも重要

ちなみに、この軸線という概念。

実は建築史のかなり後の時代、バロック建築を勉強するときにも登場する。

つまり

エジプト

ギリシャ

ローマ

バロック

という長い歴史の中で、「軸線で空間を構成する」という考え方は何度も登場するのである。

エジプト柱とギリシャ柱

「エジプト柱」とか「ギリシャ柱」と書くと、つい鬼滅の刃の「○○柱」みたいな印象を与えるかもしれないが、鬼滅の刃と本記事の内容とは一切関係がない。

さて、エジプト神殿の柱には、

  • パピルス
  • ナツメヤシ
  • 花の蕾

などの植物をモチーフにした柱頭が付いている。

egypt-achitecture (3)

egypt-achitecture (4)
これは蓮(はす)の茎を模しているらしい

柱身には縦の線刻があり、その上に太い石の梁が乗っている。

この「列柱廊+装飾柱頭」という構成は、後のギリシャ建築でも非常によく見られる。

つまり、エジプト建築の柱空間が、ギリシャ神殿の列柱空間へとつながっていくのである。

ここまで見てくると、ギリシャ建築は突然現れたわけではなく、エジプト建築という巨大な先輩の影響をかなり受けていることが分かってくる。

オベリスク

古代エジプト建築 オベリスク

さて、最後にオベリスクについて紹介しておく。

オベリスクとは何か

オベリスクとはなにか?

この問いにパッと答えられる人は、たぶん古代エジプトマニアか建築オタクくらいだろう。

だが安心して欲しい。

わたしもつい最近まで「遊戯王カードのあの巨神兵みたいなやつ」くらいの理解だった。

だが写真を見ると、多くの人がこう思うはずだ。

「あ、これか」と。

そう、これがオベリスクだ。

オベリスクとは、一本の石から彫り出された細長い四角い柱で、上が少し細くなり、先端がピラミッド型の四角錘の形をしているものである。

古代エジプトでは太陽神を象徴する神聖なモニュメントだったようだ。

つまり宗教的にはとても重要なものだが、形だけ見ると「巨大な石のつまようじ」に見えなくもない。

いや、怒られそうなので聞かなかったことにしてくれ。

オベリスクの世界への普及

実はこのオベリスク、今や世界中に存在している。

エジプトのオベリスクがなぜ世界中のあちこちにあるのか」を少しお話しよう。

その理由はとてもシンプル。

ローマ人が気に入って持って帰ったから、だ。

もともとオベリスクは、古代エジプトで太陽神を象徴するもので、エジプトを占領した古代ローマ人はこれをローマに運び、競技場の中央などに立てていた。

グラディエーター

ローマ人「お、オベリスクかっけー。我が国の闘技場にも建てようぜ」

古代ローマで大人気になったオベリスクだったが、ローマ帝国の滅亡とともにオベリスクの存在意義も次第に薄れ、中世の間は放置され、壊れたり埋まったりしたものも多かったようだ。

今の感覚で言うと「海外旅行で気に入った置物を買って帰る」みたいなものだろう。

え、サイズ? そりゃあ、数百トンはあるだろうが、そこはさすがのローマ帝国である。

しかしルネサンス時代になると、「これ、めちゃくちゃカッコよくない?」と再評価され始める。

そしてバロック時代になると都市デザインの手法として

  1. 広場
  2. 噴水
  3. オベリスク

というセットが流行し、街づくりの手法として確立される。

今で言うと「とりあえず映えるモニュメント置いとこう」みたいな感じだろう。

やがて近代にかけてパリ、ロンドン、ニューヨークなど各地を飾るためにエジプトからオベリスクが運び出されることになり、現在エジプトには5本しか残っていない


世界各地のオベリスク

この形はその後、世界中の記念碑のデザインとして使われるようになっていく。

有名なのがアメリカのワシントン記念塔だろう。

washington-monument
記念塔(ワシントン)

つまりオベリスクは

  • 古代エジプト
  • 古代ローマ
  • ヨーロッパ都市
  • アメリカ

と、世界を旅しながら生き残った建築デザインなのである。

ちなみに日本でも、明治以降の軍人墓碑などにオベリスク型の石碑がよく使われているらしい。

気づいていないだけで、意外と身近なところにもエジプト文明が潜んでいるのかもしれない。

おわりに

egypt-achitecture (5)

ということで、古代エジプト建築の解説はここまでだ。

基本的にはテキストに忠実に進めているが、正直なところ「これはさすがに説明が雑すぎるのではないか」と思う部分も多かったため、そのあたりは自分で調べて多少書き足している。

もし間違いがあれば、そっと教えていただけるとありがたい。

egypt-achitecture (6)

さて、ここまで見てきたように、古代オリエント建築は「軸線(建物の中心線)」という概念をそれほど強く意識していない構成が多かった。

それに対して古代エジプト建築では、神殿の入口から奥へ一直線に続く強い軸線がはっきりと意識されている。

この「軸」という考え方は、その後のギリシャ建築 → ローマ建築 → 西洋建築全体へと受け継がれていく重要な概念である。

つまりエジプト建築は、単に巨大な石造建築を生み出した文明というだけではなく、西洋建築における空間構成の思想の出発点の一つでもあると言える。

……などと偉そうにまとめているが、実は建築史としての本番はこのあとである。

次はいよいよギリシャ建築である(本番)。

柱、比例、秩序、そしてあの有名なパルテノン神殿。

ギリシャ建築 パルテノン神殿

建築史の教科書も、このあたりから急にページ数が増えてくる。

覚えることも増えるが、ここを乗り越えれば建築史の面白さが一気に見えてくるはずである。

ということで、次はギリシャ建築である。

一緒にがんばろう。

古代エジプト建築
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