RYOです(”◇”)ゞ
2014年のヨーロッパ旅の復習として、ポーランドの古都クラクフでの滞在を要約し、思い出の出来事をつらつら綴りました。
筆者が初めてヨーロッパを旅したのは2014年1~2月の一ヵ月で、本当に多くの驚きや発見・学びがありました。
今回はそのようなヨーロッパの基礎知識や面白さに絞って、紹介していこうと思います。
» 続きを読む(完全な自己満記事なので無視してもらっても構いません!!!笑)
2014年版は全10回でお届けしたいと思います。
筆者が初めてヨーロッパを独り旅しようと思ったのは、空手の大会での怪我のおかげなんです。
2013年4月、筆者はとある空手流派の世界大会に出場するために人生で初めて海外に出ました。
アメリカはコロラド州、州都デンバーでした。
意気揚々と世界大会に出場したものの、準決勝で左脚を負傷し、そのままデンバーで手術&1週間の入院になってしまったのです。
めっちゃカッコ悪い(笑)
それにより、大学を1年休学することになりました。
全治半年という事で毎日のんびり暮らしていた中、世界ふしぎ発見に出てきた透き通った緑の瞳をもつチェコ人女性に心を奪われ、急速にヨーロッパと欧米人に興味を持ち始めたのです(笑)
これが、筆者のバックパッカー人生の始まりになります。
翌年、大学復帰3か月前にヨーロッパへ独り旅立つことを決めたのです。
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ということで本記事では「〇〇時に△△行きの電車に乗り・・・」みたいなだらだら長話は避け、単純にその国で見たもの/驚いたことを中心にご紹介していきます。
では、是非お楽しみくださいませ(∩´∀`)∩
アウシュビッツ強制収容所
そもそもの話ですが、悪名高きアウシュビッツ強制収容所はポーランドにあります↑
現地の呼び方ではアウシュビッツ(これはドイツ語)ではなく
オシフィエンチム
と呼ばれます。
» アウシュヴィッツ強制収容所の特徴と簡単な歴史↓(クリックで開く)
アウシュビッツ強制収容所の特徴
約110万人が犠牲となったナチスが造った殺人工場
人類史上最大級のホロコースト(大量虐殺)が起きた
ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になれる)の看板が有名
アウシュビッツ強制収容所の歴史
この一連のユダヤ人に対するジェノサイドの主要人物は、筆者の愛読書GOLGO13でもよく登場します。
(※ヒトラー、アイヒマン、ヘス、ヒムラーなど)
1940年
ハインリヒ・ヒムラーがアウシュビッツ強制収容所の建設を命令し、所長に親衛隊将校ルドルフ・ヘスが選ばれた。
当初はポーランドの反ナチ活動家などを収容していた。
1941年
独ソで戦争が始まると、ソ連兵捕虜のために施設は急激に拡張され始めた。
その中には捕虜に対する人体実験施設もあった。
ヒムラーはヘスに毒ガスチクロンBを用いて労働不能の捕虜の殺害を効率的に行うよう指示した。
この年にアウシュビッツ第二収容所としてビルケナウ絶滅収容所の建設が開始された。
労働力はもちろんソ連の捕虜たちで、翌年まで生き残れたのはわずか2%というほど過酷な労働だった。
1942年~
本格的にユダヤ人の絶滅政策が始動し、ドイツ軍によって占領された支配地域からユダヤ人を満載した列車が終点のビルケナウに着き、その場で「選別」が行われた。
その際75%の人間が労働不能と判断され、ガス室に直行した。
「人間の皮を被った悪魔」と呼ばれたナチスのユダヤ人問題担当のァドルフ・アイヒマンがハンガリーに派遣され徹底したユダヤ人狩りが行われたのでハンガリーから移送されたユダヤ人が最も多かった。
1945年
1月27日にソ連軍がアウシュビッツを占領し、収容所を解放した。
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クラクフ滞在記
クラクフとはポーランドの古都です(首都はワルシャワ)
スナックの自動販売機
ヨーロッパでは普通ですが、駅には↑こういうスナックと飲み物の自販機が置いてあります。
たいていの大きな駅にはまあ間違いなくあります。
浮浪者に絡まれたら日本語で対応すべし
駅の外の屋台でホットドッグが売られていたので買おうと思ったら、筆者は見るからにアジア人の旅人だったのでポーランドの浮浪者がずーーーっとついてきよったんです!!
屋台の店員がホットドッグを筆者に渡そうとすると、そのホットドッグを横からその浮浪者が盗ろうとしてきたんです。
初めは英語で
など、当時としては最大限の努力として中学英語を駆使して言い返していました。
でも向こうは気にせず筆者がホットドッグ持ってどこに行ってもすぐ後ろついてきよるんです・・・
10分ほど歩いた駅の構内で、三段くらいの階段にかばん置いてヒザにピエロギの皿乗せて食べようとすると、目の前に立って素手で奪い取ろうとしてくるんです・・・
その時に思いました。
まあ本気で暴力してきよったら勝てる自信はある、当時ですら!
よぼよぼの汚いちっちゃな浮浪者ですからね。
もう一つ学んだことがこちら↓
です。
筆者はやりましたよ!
と日本語で言ったらすぐに消えました。
そりゃそうですよね。
聞いたことの無い言語であからさまに怒ってるゴリラみたいな男。。。
そらコワイわ
GET OUT!!!!
って言うより100倍怖い気がしま。笑
※しかし同時に知っておいて欲しいのは、ヨーロッパではホームレスに対して「助けてあげよう」という気持ちが尊重されるのも事実です。
子供にお金渡して「ほら、お金入れてきてあげなさい」とかやってる親子の光景も頻繁に目にしました。
ヨーロッパの電車は通告なく時間やプラットフォームの変更がある
これもヨーロッパあるある。
浮浪者を撃退したと思ったら、次は電車が時間通りに来ないのです。
乗り換えの電車が来ない!!!
いや、時間より早く出た?え?
RYOさんパニック!
とにかく自分が乗るはずやった電車に乗っていないというのは確かである。
しかもそのアナウンスを英語ではなくドイツ語とかの現地語でしかやらないんです。
つまりその場合、
↑はい、筆者です。
現地の言葉は少しくらい勉強してから行くべし
急遽駅員に相談するとどうやらチェコのプラハへは夜行バスが出ているらしいのです。
まあプラハはチェコの首都ですからね、夜行バスが出てて当然です。
↑この夜行バス探すのに一時間以上かかりました!
バスセンター行ってチケットは予約できたのに、出発する番号がわからなかったんです。なぜなら
全てポートランド語やから↓
向こうのバスセンターの係員もポーランド語しか話せなかったんです。
ほんまに忘れもしない、筆者を究極に混乱させたポーランド語がスタノヴィスコでした。
係員が「スタノヴィスコ オシェム」と何回も筆者に言うんですが、それが「8番プラットフォーム」とわかるのはバスの出発直前でした。
この時の焦りようはすごかったですよ(笑)
スタノヴィスコってなんやねん!!!!
ヤバい…また乗り遅れるよ~!!!泣
(↑乗り遅れそうなって泣く寸前の筆者)
意外に歌舞伎とか浮世絵が人気
まあ無事にバスに乗ってクラクフに到着しました(^ω^)
翌朝クラクフ市内で発見したんですが、ヨーロッパにもいくつか日本文化が浸透しています↓
歌舞伎とか浮世絵。
本来の意味は知りませんが、浮世絵が漫画として捉えらえています(笑)
これって合ってるんですか?(笑)
普通のカフェがオシャレ
町中のカフェに寄りましたが、内装がめっちゃオシャレで驚きました。
↑これが普通のカフェ!
めっちゃおしゃれやん。
安いし。めっちゃ美味しい!
ポーランドの物価は日本よりかなり安いです(少なくとも当時は)
基本ヨーロッパのカフェは日本よりオシャレ、か、異国風やからオシャレと感じやすいのかのどちらか。
ヴァヴェル城
宿の近くに歴代王の居城「ヴァヴェル城」があったのでとりあえず観光!
ヴァヴェル城はポーランドのクラクフにあるポーランドで最も大きな城です。
「ヴァヴェル」と聞くとユダヤ教の聖典タナハ(キリスト教で呼ぶところの旧約聖書)に記されている神に近づこうとして建てた塔が神の怒りに触れた話「ヴァヴェルの塔」が思い浮かびますが「ヴァヴェル城」は一切関係ないようです。
理由は知りませんが、クラクフはドラゴンが有名らしいのです↓
しかもたまに火を噴く↓
中華料理が美味しい
1週間のパン食生活ですっかり日本食シックに陥りました。
日本料理屋は無いので、せめて中華料理屋へ~
この酸辣湯(サンラータン)がめちゃくちゃ美味しかったんです↓
このメニューが何かは覚えていませんが、超美味しかった覚えがあります笑
麻婆豆腐かな?
この中華料理屋のシェフとその奥さん↓
美人な店員さんやったから「May I take a photo?(with me?)」の意味で
と言いましたが通じませんでした(笑)
あ、旦那さんいたんや。
あなた達2人の写真は、いりません(笑)
ヨーロッパで「water」と言えば「炭酸水」のことである
はい、またあるある!
ヨーロッパでwaterと言えば普通はガス入りの水、つまり炭酸水です↑
知らずに買ったら超後悔します。
皆さんも気を付けてください。
ドイツ語で
「mit kohlensaure(ミット コーレンゾイレ)」は「with gas」、
「ohne kohlensaure(オーネ コーレンゾイレ)」は「without gas」です。
英語で店員さんに尋ねる場合は「Still water」が「普通の水」、「water」は「炭酸水」のことです。
これは幾度となくミスしてきましたので、本当に気を付けましょう!
アウシュヴィッツ強制収容所
強制収容所と聞けば、一番有名なのは「アウシュヴィッツ強制収容所」ではないでしょうか。
しかしアウシュヴィッツ強制収容所はどちらかと言うと「働けるユダヤ人」を収容していたのに対し、その隣の「ビルケナウ絶滅収容所」には肉体労働ができない人たちが最悪の環境で収容されていました。
↑これが有名な"ARBEIT MACHT FREI"
「働けば自由になれる」と言う意味(←真っ赤な嘘
ここからの写真はビルケナウ収容所の写真です↓
バラックから見える外の様子。
当時の収容者も同じ景色を見ていたのでしょう。
この一段↓に収容者が5~6人詰め込まれていたらしいです。
やはり東欧は美人が多い
別にこれはポーランドに限りませんが。
ヨーロッパの各地域によってある程度の特徴はありますが、基本的にエキゾチックで美人です↓
どんな美人やねん!!!
この女性、今写真で見るとそないな気もするのですが、当時直で見たときの美しさは半端なかったです。
めっちゃドキッとしました(笑)
これも先ほどの中華料理屋同様、「(筆者と一緒に)写真いいですか?」という意味で訊きましたが、結局こうなりました(笑)
場外スケートリンクagain
ヨーロッパには場外スケートリンクが数多くあります↓
場外スケートリンクで遊んでた現地の子どもたち↓
この子らは英語を全く話せませんでしたし、筆者はポーランド語を全く話せません。
でも何だかんだボディーランゲージ含めて会話ができたところに、自分のコミュニケーション能力の高さを感じます(笑)
貧乏旅の良き伴侶
一瞬、女性の話か?と思った方、違います。
貧乏旅の良き伴侶と言えば「貧乏食」のことじゃないですか!
ヨーグルト+パン=安過ぎる
食事にお金をかけたくない方は、パンとヨーグルトを食べましょう!!
めっちゃ安いです。
チェコのプラハへ
そしてとうとうポーランドを去って夜行バスでチェコのプラハへ。
ここでも急に乗り場が変わって筆者パニック
近くにいたポーランド語分かる現地の人(?)↓が明らかに困ってる筆者を見て教えてくれ、無事にプラハに向かえました。
と思いましたが、夜行バスでプラハに着いた瞬間その人はなんの挨拶も無く降りてどこかに行きました(笑)
RYOです(''◇'')ゞ 2014年のヨーロッパ旅の復習として、チェコの首都プラハでの滞在を要約し、思い出の出来事をつらつら綴りました。 筆者 初めての独り旅です!!! 筆者が初めてヨーロッパを旅したの[…]