【おもしろいヨーロッパ旅行記】オーストリアの首都ウィーン【8/10】

この記事を読むのにかかる時間: 3

2014年の驚きと発見の連続だった1ヶ月間を振り返りつつ、今回はオーストリアの首都ウィーン滞在について語る。

今思えば、右も左も分からない状態でよくそんな大胆な決断をしたものだが、この旅が人生において多くの発見や学びをもたらしたことは間違いない。

一応、前回の記事も載せておく。

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チェコ チェスキークルムロフ 旅行記

ウィーン滞在記

音楽の都ウィーンは、チェコとスロヴァキアの国境にも近い、オーストリア北東部に位置している。

そしてここ、ただの首都ではない。

ウィーン少年合唱団発祥の地でありながらハプスブルク帝国のお膝元でもあるのだ。

…と、なんかもう貴族の香りがする場所なのだ。

そこら中に「モーツァルト」や「ベートーヴェン」の名前があふれ、コンサートホールは多いし、街を歩くだけで「あ、音楽の授業で見たやつ…」ってなりそうな像や建物だらけ。

筆者はいま、ちょっとしたクラシック通みたいな顔で歩いてるが、実際は日本から来たただのパンに飽きたバックパッカーである。

ウィーンはただの観光地ではなく、歴史と文化がガチで重たい街なのだ。

しかしそんな荘厳な空気の中、スーパーで「寿司あるかな…」って棚を物色してる自分がものすごくシュールに感じる。

路線図は必ず写真で撮るように

まずはこれ、地下鉄の中に貼ってある路線図。

ウィーンに限らず、パリでもプラハでも、これが命綱である。

「路線図さえあればどこへでも行ける」=「なければどこにも行けない」

マジでそのレベルである。

特にヨーロッパの大都市って、意外と路線図がシンプルで見やすいことが多いので、とりあえず1枚スマホで撮っとくのが旅人の鉄則である。

ウィーンの日本料理屋「天満屋」閉店のお知らせ

なんと、ウィーンには1992年創業の安くて有名な日本料理レストラン「天満屋」がある。

地球の歩き方にもばっちりその情報が載っていた。

クレヨンしんちゃんのすき焼きで胃がキューーーってなってからの、念願の和食ダッシュ!!

着きました(*´ω`*)(*´ω`*)(*´ω`*)

当時のFBの投稿。

丼〜♪麺類〜♪鉄板…

ん…?

(2014-01-30 投稿)

「閉店のお知らせ」

まさかの展開。

1992年創業、22年前から営業しており地球の歩き方にもバッチリ載っていた名店が…

筆者が到着する一週間前に閉店。

「え……うそだろ……
にほん……りょうり……?
これ以上……歩けない……」

体の奥から響くコーラス。
\ 日本料理を食わせろー!!! /

胃袋は完全に白旗モード。
魂が抜けもぬけの殻となった体を引きずり、ウィーンの街をさまようことにした。

ヨーロッパの日本料理屋はやはり高い

「もう無理だ、心も体も尽きた…」
と、セリヌンティウスの元まで走りきったメロスのごとく、ボロボロの身体でよろよろと宿へ向かおうと歩き出したその瞬間――

\ おおぉぉぉぉーーー!!!!!! /

そこにあったのは……
天満屋ではないが、確かに日本料理屋!!!

──神、ここに降臨──

ご飯はちゃんと日本米!

味付けはあの懐かしきおふくろの味!
そしてデザートに和菓子まで…!!
味噌汁は心に染み渡るぬくもり!!!

価格はまぁ、2,000円(当時は日本の倍くらい)と、ヨーロッパクオリティではあったが。

「その価値は十分にあった!」

この日、ウィーンの空に向かって小さくガッツポーズを決めた筆者であった。

貧乏バックパッカーの親友「LIDL」

出ました、リドル!!!

ヨーロッパ全土で愛される、最安スーパーの守護神・LIDL(リドル)降臨。

日本で例えるなら、業務スーパーとラムーがフュージョンしたみたいな存在。

筆者にとってはもはや親友。もはやパートナー。もはやソウルメイト。

店内はこんな感じである↓

そんなリドルで、いつものように晩ご飯を調達。

ヨーグルトとパン。

そう、バックパッカー界の不動のセットメニューである。

そして翌朝、ユースホステルの朝食ビュッフェ。

またもやズラリと並ぶパン、パン、パン。

「いやどんだけパン食べたら気が済むねん!!!」

と、自分にツッコミを入れつつも…

「いや、でも朝から無料でパン食べ放題やで…?」

と、ちゃっかりお腹パンパンになるまで食べるという、貧乏バックパッカーあるある大全。

街中に馬車は普通

日本で馬車と言えば、シンデレラかおとぎ話の世界だが、ヨーロッパには…

\ はいドーン /
街中を普通に馬車がパカラパカラしている!

街中に馬車?Σ(・ω・ノ)ノ!

観光客が「わ~ロマンチック~」とか言う前に、現地の人は「お、今日も渋滞作ってるね~、馬車くん!」くらいのノリである。

でもこれにはちゃんとした理由がある。

何かというと、ヨーロッパでは馬がめっちゃ大事にされてきた歴史があるのだ。

戦争も物流も貴族の優雅なお散歩も、ぜ~んぶ馬。
だから今も「街の景観に馬車が似合う」とか言って、堂々とカツカツ歩いているのだ。

「え、馬車も信号待ちするん?いやいや、そこの馬!!!ウ〇コすな!!」

──そう、ヨーロッパ馬車あるあるは、ロマンと現実のギャップがすごいのも特徴だ。

豆知識だが、

日本の公道で馬車を走らせる場合は小型車両として扱われる。

馬に乗る人がお酒を飲んでいたら飲酒運転、

馬にお酒を飲ませた場合は整備不良になるそうだ(笑)

モーツァルトはウィーン出身

ウィーンの街を歩いていたら、本当にそこらじゅうにモーツァルトがいる。

看板、チョコレート、土産物、果てはTシャツまで──

モーツァルトの顔面、大渋滞やないか!!?

とツッコミたくなるレベルである。

さすが音楽の都。
というか、ウィーンにとってモーツァルトはもう文化遺産どころか商業コンテンツの神様と言ってもいいだろう。

ウィーン国立オペラ座

ついに来た!!

クラシック好きの聖地、憧れの舞台!

ここって、筆者みたいな人間が入っていい場所なのだろうか?

一歩踏み込むだけで「場違い指数」が爆上がりしそうな雰囲気。
入口に立っただけで背筋ピンッってなるの、人生でここぐらいかもしれない。

この2年後、オーストリアのザルツブルグで宮殿でのクラシックコンvサートに参加した筆者はトンデモナイ目に遭ったのである。

外にはその日の演目スケジュールが堂々と掲示されていた。

内容はわからないが、きっと観賞するだけで知能指数(IQ)を10くらい上げてくれそうな気がする。

豆知識だが、単にオペラ座と言えば=パリのオペラ座を指す。

神宮と言えば=伊勢神宮を指すのと一緒だ。
わざわざパリのオペラ座とか伊勢神宮と呼ぶ必要はないのである。

ヨーロッパのユースホステルにはビリヤード台がほぼ必ずある

ヨーロッパのユースホステルにはだいたいこんなビリヤード台が置いてある。

友達かブロンドの彼女と一緒に、のんびりビリヤードを楽しみたい。

お酒を片手に、ブロンドの女の子たちと乾杯しながら、まるで映画のワンシーンのように「これが運命か?」なんて思って、心の中で完全に舞い上がりたい。

だが、現実に戻ると、鏡に映った自分の顔を見て思わず引いてしまうという、切なすぎるオチが待っている。

 

モーツァルトがマリーアントワネットに求婚

ウィーン市内のシェーンブルン宮殿は、ハプスブルク家の歴代当主が夏の間に過ごした離宮として有名である。

壮大なバロック建築が広がるこの宮殿は、オーストリアの歴史を感じることができる名所として名高い。

庭園や美しい建物が見どころで、訪れる人々にその華やかさと歴史的な重みを伝えている。

当時、神童と呼ばれていたモーツァルト少年が宮殿内の広間で演奏を終えると、マリーアントワネット少女に近づいて「君をぼくの花嫁にしてあげる」と上から目線で求婚したと言われている。

一説では、はしゃぎ過ぎてホールで転んだモーツァルト少年にアントワネット少女が近付いて助けたときに「将来ぼくの花嫁になってくれませんか?」と求婚した、という説もある。

ちなみに公園内は入場無料です。

ハプスブルク家の歴史に興味ある方はこちらの記事を参考にしてください↓(別タブで開きます)

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チョコレートケーキの王様「ザッハトルテ」

シェーンブルン宮殿内にあるカフェでは、ウィーンならではのさまざまなケーキを楽しむことができる。

その中でも特に有名なのがザッハトルテである。

ザッハトルテは、オーストリア発祥のケーキで、ハプスブルク家にも愛された歴史的なデザートだ。濃厚なチョコレートとほのかな甘さが絶妙に組み合わさり、「チョコレートケーキの王様」と称されるほどの人気を誇っている。

上の写真で言うと、右の皿の一番右にある真っ黒のチョコレートケーキがザッハトルテ(筆者の大好物♡)

※ちなみにオリジナルのザッハトルテを名乗れるのは「ホテル・ザッハー」の商品のみ。

塩の町「ザルツブルク」へ

オーストリア ザルツブルグ

ウィーンを後にして、次に向かうのはザルツブルクである。

ザルツブルクはその名の通り、「塩の町」として知られ、かつては白い宝石とも称された塩の産出で栄えた場所だ。

塩はかつて非常に貴重な資源であり、その交易によってザルツブルクは繁栄を極め、今もその歴史が町の至る所に色濃く残っている。

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