さて、本記事ではユダヤ人の聖書(=物語)である旧約聖書をなるべくわかりやすく解説してみました。
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さて、遂にこの単元にやってきたかという感じです。 世界を周るうえで必ず知っておくべき知識の一つ、それは宗教の基礎知識で宗教上のルール違反等を勉強せずに世界を旅することは危ないし勿体ないです。 今回はユダヤ教の歴史をわかり[…]
さて、本記事ではユダヤ人の聖書(=物語)である旧約聖書をなるべくわかりやすく解説してみました。 大まかなお話は以下の記事で既に言及していますので、興味があればこちらからご覧ください↓ [sitecard subtitle[…]
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では早速始めます(”◇”)ゞ
「バビロン捕囚」で再び訪れた、忍耐の時
前回までのおさらいです。
初代王サウル、二代目王ダビデ、三代目王ソロモンと続いてきたヘブライ王国でした(・ω・)ノ
さて、ソロモンの死後二つ(=北のイスラエル王国と南にユダ王国)に分裂したヘブライ王国でしたが、、、その後両国が再統一されることは二度とありませんでした。
- 北のイスラエル王国:ヤロブアム(十の部族が支持)
- 南のユダ王国:レハブアム(二の部族が支持)
まず姿を消したのは北イスラエル王国でした。
上図青色(出典:神のことばの選り好み)
そもそも、分裂のきっかけとなったのはダビデとソロモンの時代に民に課せられた重税でした。
確かに王国は繁栄していましたが、その反面、民の生活は困窮を極めていました。
重税に苦しむヘブライ王国の民
そこで、ソロモン亡き後、人々は後を継いだ息子のレハブアムに重税や重労働の軽減を訴えましたが、レハブアムはさらに重い使役を課したのです。
そこで十の部族はヤロブアムを王にした北イスラエル王国を興したのです。
ところが、十戒が刻まれた石板を収めた「契約の箱」など、信仰の対象は南のユダ王国のエルサレム神殿に安置され続けていました。
すると北イスラエル王国の人々は、どうしてもユダ王国まで巡礼に出かけることが必要になります。
それは国力の低下にもつながりかねません。
江戸時代の参勤交代と一緒ですよね。
「江戸幕府への忠誠を見せろ」ということで定期的に江戸まで来させて地方大名の力を削ったんですよね~
ヤロブアムはエルサレム神殿との分離を果たすべく、新たな神殿を建立しました。
しかし新神殿には金の子牛が鎮座していたという…。
なんかモーセがシナイ山で神と契約していた時に麓で民が偶像崇拝していたのも金の子牛でしたよね?
その時は神がぶちギレてイスラエルの民3,000人が抹殺されたんですよね。
この子牛は台座に過ぎなかったとされていますが、人々はこの子牛に祈りを捧げ始めていました。
イスラエルの民にとって「偶像崇拝」は最大の罪です。
この行為は「ヤロブアムの罪」と称され、のちのイスラエル王国滅亡の原因ともされています。
また、ヤロブアムにも直接、不幸が襲いかかります。
息子が謎の病死を遂げ、この時代でヤロブアムの一族は滅亡。
にもかかわらず、北イスラエルの人々は異教の神バアルを崇めるなど、罪を犯し続けたのです。
バアルの像を崇める人々(←偶像崇拝禁止なのに、ってか他の神ですし…)
そもそも、バアルとは?
バアルとは古代シリア・パレスチナ地域の男神で、元来は雨・嵐または戦闘の神。
穀物の死と復活を体現する神でもある。
(出典:バアル)
偶像崇拝してたらダメでしょ~今回も神に抹殺されるパターンすわ、完全に。
と思いきや、神はエリヤやアモス、ホセアなどの預言者らを使い、北イスラエルの民を導くメッセージを送り続けました。
しかし人々は耳を貸さず、ついに紀元前722年に大国アッシリア帝国の侵入によって北イスラエルは滅亡してしまいます。
アッシリアはまじで強かったんです、この時代は無双してました。
ほら↓
世界の歴史まっぷさんの年表からも、アッシリアがイスラエル王国を滅ぼしたことがわかりますね。
そして「ユダ王国」が「新バビロニア王国」に滅ぼされる未来も見えてしまいました…
北のイスラエル王国滅亡、建国からわずか二百年の出来事でした。
ところで、この北イスラエルの十部族は囚人としてアッシリアに連行されたと考えるのが自然ですが、明確な記述は残されておりません。
そのため彼らは、行方知れずになった「失われた十部族」と称され、世界各国に散ったとする説があります。
アフガニスタン、インド、ミャンマー、イギリス、アメリカ、、、様々な仮説がある中に、日本へたどり着いたと主張する説もあります。
そこでイスラエルと日本の文化の共通点を比較研究する人々もいて、なかなかおもしろいのです。
一方、南のユダ王国はアッシリアからの侵攻を受けながらも独立を保っていました。
北イスラエル同様、異教の神を拝み、偶像を造るなど、悪しき王も出現しますが、ダビデの血筋を保ち続けたこともあったのでしょう。
他国からの攻撃にさらされ、衰退しつつも、なんとかその血筋を継承していくのです。
"強い方"に加担したつもりが捕囚の憂き目に!
しかしアッシリアの支配下にあった新バビロニア王国が台頭し始めると、ユダ王国は、当時大国だったエジプトとの板挟みに遭ってしまいます。
基本的にユダ王国はアッシリアとエジプトとの緩衝国家として独立を維持しました。
アッシリアがユダ王国に攻め込むとエジプトが支援する、エジプトがユダ王国に攻め込むとアッシリアが支援する、といった形で微妙な関係性を維持し、一応独立していたのです。
しかしどちらにつくか厳しい選択をせまられる中、ユダ王国がとったのは「強い方に加担する」ことでした。
その結果、ユダ王国はバビロニア軍に攻め込まれ陥落。
紀元前597年、王族を始め、エルサレム市内の若者たち約一万人がバビロニア軍に強制連行されてしまうことになりました。
これが有名なバビロン捕囚です。
この時はバビロニアの支配下に置かれながらも、国家の存続は許されました。
しかし当時の王ゼデキア(←ユダ王国最後の王)がエジプトの支援を期待してバビロニアに反旗を翻したため、ついにエルサレムは陥落、破壊されてしまいました。
預言者エレミヤの忠告に反してバビロニアへの隷属の誓いを破ったため、自身も捕虜となったのです。
エルサレムが陥落し逃げ惑う人々
紀元前587年の出来事でした。
この時、第二回目のバビロン捕囚が行われ、ユダ王国は滅びます。
ほら↓
ユダ王国滅亡の時…
バビロン捕囚によりディアスポラ(離散の民)となったイスラエル人。
後にシリアやローマ帝国など、時の大国に支配された彼らは、イスラエルの地を離れて各地に移住しますが、このバビロン捕囚はディアスポラの起源と言われています。
ちなみにイスラエル民族の別名をユダヤ人と呼ぶようになったのはこの頃からみたいです。
ところで捕囚といっても、厳しい奴隷労働を課せられたというわけではなく、ユダヤ人たちは割と自由に過ごすことができたようです。
しかし彼らを最も苦しめたのは宗教的な心のよりどころ、エルサレム神殿の消失でした。
そのため、この不遇の時代には多くの預言者が出現し、神の言葉を民に授け、神に祈り続けるよう励まし、奮い立たせています。
紀元前539年にアケメネス朝ペルシアが新バビロニア王国を滅亡させると、バビロンのユダヤ人たちはエルサレム帰還を許されたのです。
イエスが登場するのはここから五百年後のことになります。
ユダヤ人の物語編ー完ー
おわりに
ということで、全11回にわたってユダヤ人の聖典「旧約聖書」について解説をしてきました。
アダムとエヴァの話から始まり、ノアの箱舟やアブラハム、エジプト移住からエジプト脱出、カナン奪還からバビロン捕囚まで、長い長いユダヤ人の物語でしたね。
- 世界一有名な神話「天地創造」と「アダムとエヴァ」
- 人類初の殺人!「カインとアベルの悲劇」
- 神による怒りの制裁「ノアの箱舟」伝説
- なぜ「バベルの塔」は神の逆鱗に触れたのか?
- アブラハムが"信仰の父"と呼ばれる理由
- "神との戦い"に勝利!「イスラエルの祖」になったヤコブ
- 「苦難」はヤコブ一家の"エジプト移住"から始まった!
- 『旧約聖書』のハイライト!モーセの「出エジプト」と「十戒」
- 「約束の地」カナン奪還とイスラエルの初代王サウル
- イスラエル全盛期を築いたダビデ王とソロモン王
- 「バビロン捕囚」で再び訪れた、忍耐の時
お楽しみ頂けたのではないかと思います。
次はキリスト教の物語「新約聖書」についてご紹介していこうと思います。
ここまでお読みくださりありがとうございましたm(__)m
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