RYOです
みなさんはスイスのツェルマットという町をご存知でしょうか?
実はこの町、マッターホルンが麓の町として世界的にも大人気で、さらに有名なスキーリゾートでもあるのです!!
今回はそんなツェルマットの歴史や絶景をお伝えできればと思っています。
ツェルマット
ツェルマットという町を一言で表すとするなら「美しい」です。
底抜けに美しい町!
ぼくが今まで訪れた都市や町のなかでダントツで大好きな町、それがツェルマット(Zermatt)です。
語源
「Zermatt」と書いて「ツェルマット」と呼びます。
正確な語源はわかりませんが「Zer + matt」の造語だと思われます。
「Zer-」はドイツ語で「破壊/分離/区分/分散」という意味を表す接頭辞
「matt」はドイツ語で「牧草地」という意味の名詞
らしいです。つまり語源的には
とか
というような感じだと思います。
マッターホルン(Matterhorn)やマッター谷(Mattertal)の「matt」も恐らくこれらから名付けられています。
マッターホルンについては後で説明します。
位置
先ずはこの地図↓をご覧ください。
地図上の黒い線はアルプス山脈を表しており、ヨーロッパで最も異彩を放っている山脈で、これが「ヨーロッパアルプス」です
(ちなみにフランス/スペインの国境線の山脈はピレネー山脈です)
でもまだイマイチわかりづらいですね。
なのでもうちょっと小さな地図にしてみます↓
さてこの地図からもわかるように、Zermattはスイスの南部にありほとんどイタリアとの国境近くです。
歴史
まずZermattはとても小さな町で山の奥にあるので、かなりマイナーな町でした。
しかしマッターホルンの初登頂を機にその状況は劇的に変化します。
「ヨーロッパアルプスの角」「魔の山」と呼ばれるマッターホルンの挑戦は1857年から、スイス側から3回、イタリア側から15回ありましたがすべて失敗してきました。
結局ヨーロッパアルプスの4000m級はマッターホルンを残して全て制覇されていたので登頂不可能な山として考えられていました。
しかしマッターホルンの初登頂は1865年7月14日、ロンドン出身の登山家エドワード・ウィンパーやツェルマットの山岳ガイドを含めた計7名のパーティーが成し遂げました↓
しかし初登頂を成し遂げた下山時、パーティーの中の4人が足を滑らせ北壁に滑落して死亡しました。
数日後、氷河から3人の遺体は発見されましたがダグラス卿というイギリスの貴族の遺体だけ今も見つかっていません。
これ(自国の貴族が滑落死したこと)を受けてイギリスのビクトリア女王が「マッターホルンの登山を禁止しよう」という動きを見せると「今しかない!」と、大勢のイギリス人がZermattを訪れました。
皮肉にも、これによってマッターホルンの麓の町であるZermattが劇的に有名なりました。
惹かれる理由
この町が好きな理由は幾つかありますので列挙していきます。
・ガソリン車乗り入れ禁止なので空気が澄んでいる
・町から見えるマッターホルンの角度が最高
・町のど真ん中を流れている川が澄み渡っていて美しい
・夏はトレッキング、冬はスキーが楽しめる。
・どの季節に行っても感動できる
太字にした3点は、特に僕が注目している理由です。
美しいマッターホルンの朝焼け
マッターホルンを観るに当たってのおススメは
「無理してでも日の出前には起きてベストスポットでカメラを構える」
です↓
夜明けと共にマッターホルンは赤く染まり、陽が昇るにつれて金色に輝くマッターホルン
これを見ないなんて、どうかしてるぜ!
是非頑張って早起きしてください。
おまけに
マッターホルンに陽が差すタイムラプス動画を20秒でまとめました。
これ見ればみんながツェルマットという町に、そしてマッターホルンに興味を持ってくれると信じています。
場所はスネガ展望台から(Zermattからケーブルカーでおよそ3分、夏ならハイキングがてらのんびーーり歩いても1時間半あれば着けます)、2017年の2月後半に撮っています↓
おわりに
今回はスイスのツェルマットという町を簡単にですが紹介しました。
実際行ってみないとわからないことも多いので、是非ツェルマットに足を運んでください!!!
今までZermattに訪れた人の中であの町を悪く言う人に出会ったことがありません。
是非Zermattを訪れ、素敵な時間を過ごしてください。