古都奈良の文化財~天平文化を育んだ平城京の面影~

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はじめに

RYOです。

このシリーズでは世界遺産検定1級合格のために、まずは日本の世界遺産を全て勉強しようという企画です。

今回は「古都奈良の文化財」についてです。

古都奈良の文化財(1998年登録)

710年からの74年間、日本の都平城京として栄えた歴史を伝える歴史的遺構が『古都奈良の文化財』です。

天平文化

唐の長安↑をモデルに造営された平城京は、道が碁盤の目状に配された計画都市で、当時の推定人口は10万人で日本の政治・経済の中枢であるとともに、同時代に花開いた天平(てんぴょう)文化の中心地でした。

天平文化

奈良の都を中心に栄えた8世紀の貴族文化で、この時代に唐文化を介して世界各地の文化を受容し、各地に国分寺が創建され本格的な仏教文化が開花した。

貴族の教養として漢詩・文も重んじられ、和歌が日本人の日常的な表現手段として盛んになり多くの万葉歌人が活躍した。

登録物件

世界遺産には東大寺、興福寺、元興寺(極楽坊)、薬師寺、唐招提寺、春日大社の6つの寺社と、奈良時代をしのばせる特別史跡の平城宮跡、特別天然記念物の春日山原始林計8物件が登録されています。

これらは各物件の個別の価値が認められたのに加えて、8物件全体で奈良時代の歴史と文化を物語っていることも評価されました。

奈良時代は極めて重要な時代

奈良に点在する寺社は、天皇家や藤原氏と密接に結びつくものが多く、どれも計画的に配置された木造建築物で、8世紀の文化、芸術、技術の水準の高さを示しています。

また平城京の中心であった平城宮跡は、当時の都市設計や生活様式を伝える重要な史料とされ、現在も発掘調査や建造物の復旧作業が進められています。

こうした遺産からは、日本の文化が中国や朝鮮との交流によって大きく発展していったこと、また奈良時代が今日まで続く日本の律令国家や文化の基礎が形成された、極めて重要な時代であったことを知ることができます。

律令国家

律令(つまりルール)に基く古代統一国家のことで、天皇を中心とする中央集権的な国家機構を通じて土地・人民を支配したが、10世紀頃に解体した。

均田法・班田収授法による耕地配分、租庸調制による人頭税の導入など、国家的土地所有を基礎とした公民支配を行い中央集権を最も徹底させた。

春日山原始林

文化財として世界遺産に登録された春日山原始林は、春日大社の社叢(しゃそう=神社の森)として古くから聖域として守られてきました。

841年に神域となって以来、1,000年以上にもわたって人の手が加えられていない自然が残されています。

自然崇拝に根差した日本固有の宗教観をあらわす例として、その価値が認められています。

古都奈良の文化財の構成資産

餅飯殿センター街より引用)

地図で見ると前よりわかりやすいですね!

東大寺

743年、聖武天皇の詔により盧舎那仏(るしゃなぶつ=大仏)が建立された↓

現在の金堂(大仏殿)は1709年に再建された↓

全国の国分寺の総本山

国分寺

国分寺とは、聖武天皇と光明皇后が国ごとに建てさせ鎮護国家を祈らせた寺。

地方における政教一致を企図し、国家安穏、五穀豊穣を念願して建立。

興福寺

藤原氏によって山階(やましな=京都市山科区)に創建された、山階寺を起源とする寺。

五重塔や南円堂など、9棟の建造物がある。

元興寺(がんごうじ)

蘇我馬子建立の日本最古の仏教寺院、法興寺(飛鳥寺)から一部の建物を移築したもの。

僧智光(ちこう)の僧坊(極楽坊)が独立して発展した。

極楽坊

奈良市中院町にある真言律宗の寺。

極楽院とも。

現在の呼び名は元興寺

薬師寺

天武天皇が皇后(のちの持統天皇)の病気平癒を祈願して藤原京に建立し、平城京遷都時に現在地に移築された。

※藤原京とは、中国の都城制を模して造られた日本初の本格的な都城で、694年に持統天皇が飛鳥から藤原に遷都した。

東塔のみが創建時の建築。

唐招提寺

759年、唐から来日した高僧鑑真(がんじん)が創建した講堂が起源。

その後建設された金堂、宝蔵、経蔵はいずれも国宝。

春日大社

768年創建とされる。

藤原氏の氏神として信仰された。
※氏神とは「守護神、守り神」のこと

本殿は、春日造りの4つの神殿が横に並び、ひとつの建造物になっている。

春日山原始林

古くから人々に信仰された山。

ふもとに春日大社が建てられたのち、841年に神域となる。

1955年には特別天然記念物に指定された。

平城宮跡

710年から約70年間、日本の都が置かれた。

長岡京遷都後に放棄され土に埋もれたが、遺跡の発掘調査や朱雀門・大極殿など建造物の復元が進んでいる。

長岡京

桓武天皇時代、784年から794年までの10年間続いた都。

京都府向日市、長岡京市、京都市伏見区、西京区にわたる地域を占めていた。

784年に平城京から遷都したが、祟りといわれる不気味な事件が頻発したため、造営工事は中止され平安京に遷都した。

※祟りがなかったら平安京の代わりに長岡京が1000年以上続いていたのかも

五重塔
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