今回は、ゲルマン人が生み出したロマネスク建築発展の前段階「プレ・ロマネスク建築」についてお話します。
「プレ」とは、英語"previous"の略で、主に接頭辞として使われます。
意味は「前の、以前の」という感じで、プレ・ロマネスクで「ロマネスク建築の前段階」つまり初期ロマネスク建築という意味になります。
以降、初期ロマネスク建築と呼びますね。
初期キリスト教建築編の記事を読まれているのを前提でお話をする部分もありますので悪しからず。
ヨーロッパを旅する前に知っておくべき西洋建築の知識として、今回は初期キリスト教建築について説明します。 [show_more more=恒例の挨拶(クリックで開きます) less=折りたたむ color=#0066cc lis[…]
例えば「アプス」「身廊」「側廊」など聞いてもふぁっ⁉(゚Д゚;)状態の方は、先に上の記事を読まれた方がいいと思います。
では始めます。
初期ロマネスク建築
時は西暦800年、カール大帝(↑のおじさん)は西ヨーロッパを統一し、現在のイタリア・フランス・ドイツにまたがる大帝国を建設します。
これ以降、10世紀まで続くこの大帝国を「カロリング帝国」と呼びます。
しかしカロリング帝国も長続きはしませんでした。
ロマネスク建築は、カロリング帝国の滅亡や蛮族の侵入による混乱でヨーロッパが最も悲惨な時期を迎えた後に開花した、11世紀ヨーロッパのキリスト教建築です。
そんな悲惨で無秩序な世界からの立ち直りが、人々に活気と創造性を生み出す原動力となったのです!!
その様子は、この時代に生きた生き証人の一人、ラウル・グラベール修道士が記した次の有名な記事からも理解することができます↓
紀元千年の少しのち、世界のほとんどの至る所、主としてイタリアとガリアにおいて、教会堂が再建されることとなった。
大部分の教会堂は、まだ十分使用に耐え、何も手を加える必要がなかったにもかかわらず、全てのキリスト教徒たちは、強い競争意識から、他より堂々としたものに仕上げようとした。(後略)
とあります。
つまり、混乱の時代を乗り越えたバイタリティー溢れる世代が、新たな建築様式を創造しようと一致団結したということですね(実際には競争意識があったのですが(笑))
(ここから少し難しい話になるので適当に読み進めてくださいね(・ω・)ノ)
フランスの美術史家であるルイ・グロデッキは、紀元1,000年を縁取る1世紀間の建築における2大傾向として
➀カロリング朝の手本から派生したオットー朝形態の幾何学的完成を遂げた建築
➁カタルーニャやアルプス地方の明らかに拙い粗野な割石造りの建築
を挙げていますが、既に意味不明です。
「難しい単語を使って読者を混乱させるのはやめろ!!」と言いたい気持ちを抑えて先に進みます。
前者は「北方の木造天井建築圏の中で育まれ、「ゲルマン的」オットー朝の建築文化に含まれるもの」を指し、
後者は「南方のヴォールト建築圏の中で育まれ、「ラテン的」初期ロマネスク建築に含まれるもの」を指します。
筆者「だーかーらー、どーゆーこと!!?(。´・ω・)」
なるほど。
ヨーロッパの北と南では気候が全然違うから、その地域的な差異によって全く異なる2つの建築様式がそれぞれ発展した。
ってことだよね?
は、天才かコイツ。
そう、まさにその通りなんです。
沖縄には沖縄の気候にあった建築物が、北海道には北海道の気候に合った建築物があるのと同じです!
あの説明文からここまで推測できる人は恐らくいないと思うので、筆者が理解できた範囲で両建築様式の特徴を一言で表します↓
➀ゲルマン的オットー朝建築:
北方の日差しの弱い地域を基礎にしているので、なるべく日差しの入る明るい教会堂を目指した。
➁ラテン的初期ロマネスク建築:
南方の日差しの強い地域を基礎にしているので、暗い静かな光を楽しめる教会堂を目指した。
実はこれらの話は既にこちらの記事で軽く触れているので一度ご覧になってから、また戻ってきてください。
RYOです 今回は西洋建築を学ぶ上での基本中の基本、一見建築には直接関係なさそうな、しかし重要な基礎知識を先に書いておきます。 単にギリシア建築、ローマ建築、ゴシック建築などを学ぶよりも建築様式の種類や風土の特徴を頭に入れている[…]
ではこれら2つの建築様式の特徴をみていきましょう!
ゲルマン的オットー朝建築
ここに含まれる建築は、北方ゲルマンの木造建築の伝統を基礎にして発展したものであり、森の文化の中で育成された宗教観を反映した聖なる空間を追求した教会堂です。
それはどんよりした風土の中で、そそり立つ森の茂みに天上から差し込む一条の光に神を見出そうとするものだったのではないか、と著者は言っています。
例えばヒルデスハイムのザンクト・ミヒャエル教会堂に代表されます↓
この教会堂には、カロリング朝建築との深い結びつきをにおわせるいくつかの要素(特徴)があります。
それが↓
・二重内陣式プランを採用している
・木造天井
・(大)バシリカ式教会堂
・多塔構想
・正交差式
・強弱のある身廊構成
などです。
でも安心して、ちゃんと説明します。
では解説していきます。
二重内陣式
二重内陣式、初めて聞きましたか?(笑)
本書には「東西にアプスをもつ二重内陣式」と書いてあるので、そういうことなんでしょう。
ではこの教会堂の平面形式(プラン)を見てみましょう↓
確かにアプスが東西に2つありますね(゚Д゚;)
バシリカ式はその通りですが、平面形式がなんか気持ち悪いですね(←筆者の感想
木造天井
天井は木造天井です↓
そう言えば初期キリスト教建築も木造で同じような絵が描かれていましたね↓
まあ初期ロマネスク建築なので、当時残っていた初期キリスト教建築をそのまま使ったんでしょうね。
多塔構想
では外部に目を向けてみましょう↓
いくつから多塔なのだ!?
とも思いますが、確かに初期キリスト教建築には塔は無かったはずなので、3本以上は多塔と呼べそうです。
Google Mapのストリートビューでザンクト・ミヒャエル教会堂まで旅行をしてきました。
教会の周りを歩いてリサーチした結果↓
なんと6本の塔を確認できました。
たしかに6本もあれば多塔構想と言っても差し支えない気もしますね。
正交差式と身廊構成
また初めましてのワードです、正交差式。
本書には「身廊と袖廊が同一の高さで交差する正交差式を採り」と書いてあるので、まあそういうことです。
残念ながらわかりやすい写真が無かったので、ここからは想像を膨らませてください。
身廊(しんろう)と袖廊(そでろう)についての説明は不要かもしれませんが、一応下のGIFを見てください↓
赤の範囲を身廊、青の範囲を袖廊と呼ぶんですよね?
この身廊と袖廊が同じ高さで交差しているんです。
今あなたは扉口から教会堂に入っての位置にいるとします。
そして、画像左側の方向(東側アプスの方向)を見ていると思ってください。
この身廊と袖廊の高さが同じ交差部のことを正交差式と呼ぶんです。
そして内部の身廊構成は↓
身廊柱間のピア(角柱)の間に2本の円柱を配列させて、強弱のあるリズミカルな身廊構成を作り出しているのが特徴です。
さて、一応「ゲルマン的オットー朝建築」の説明はこれで終わります。
次は「ラテン的初期ロマネスク建築」です。
ラテン的初期ロマネスク建築
ここに含まれるタイプの建築は、地中海の石造建築文化圏の伝統(ギリシャ建築とかローマ建築)を基にした建築で、屋外の明るい日差しを避けて厚い石積みの中の暗い静かな光を求めて教会堂空間が形成されました。
そして、地中海を媒体とする多種多様な文化的交流を経て、ビザンティンと初期キリスト教への回帰とイスラムの影響が特徴的である、と著者は言っています。
このタイプの代表例としては、フランスのサン・マルタン・デュ・カニグー修道院付属聖堂やサン・フィリベール教会堂などが挙げられます↓
この教会堂には、暗い静かな光を求めたいくつかの要素(特徴)があります。
それが、
・カロリング朝の規模の大きな教会堂の影はない
・バシリカ式プラン
・粗石積み
・ずんぐりしたプロポーション
・小さなクリヤストリー
・ロンバルディア帯
などです。
でも安心して、ちゃんと説明します。
このタイプの建築家は古代ローマの石造建築の工法を研究し、石材の優れた組積法(そせきほう)を考案し、その建築の特徴は、小さく割った石や粗末な材料を低くて長い石層にして積み上げた壁体と粗石造の太いピアがヴォールト天井を支える構造とロンバルディア帯と呼ばれる小アーチの帯を外部装飾に用いることでした。
では解説していきます。
規模が小さい?
代表例のサン・フィリベール教会堂を見てみましょう↓
この教会堂の平面プランは↓のようになっています。
本書には、「どちらの教会堂もカロリング朝の規模の大きな教会堂の影は全く見られない」と書いてありますが・・・。
ん?どれのこと言ってる?(゜-゜)
って感じです。
十分デカいですが…
(↑サン・フィリベール教会堂)
Google Mapで先ほど出てきた「ザンクト・ミヒャエル教会堂」と上の「サン・フィリベール教会堂」を比較したのですが、大きさはほとんど変わりません!!
この参考書、あまり詳しい説明がないのでわかりません(-_-;)
どれのことを言っているのだ・・・。
粗石積み
粗石(あらいし)積みとは、石を積み上げる方式で下のような感じのやつです(←適当
ほら、石を積み上げるだけの(見た目は)超単純なやつです。
さすがに写真では粗石積みとはわかりませんが、
先ほどのゲルマン的オットー朝建築は天井が木造だったのに対し、今回は天井も石造です。
より重厚感のある教会を建てたかった、という気持ちの表れです。
小さなクリヤストリー
天井が石造になったので、それを支える壁も分厚くせざるを得ませんでした。
壁が分厚いので、ずんぐりしたプロポーションになってしまいました。
しかも強度の問題で、その分厚い壁に大きな窓を開けることはできないので、必然的に小さな開口部になりました↓
まあ結果的にはこの小さな窓が、彼らが狙っていた「暗い静かな光」を採り入れることになるので怪我の功名ですね。
ロンバルディア帯
ロンバルディア帯とはこんな感じの↓
連続アーチの壁面彫刻の装飾を指すようです。
そして建物外観には、北イタリアのコモで組織された石工たちの技術と彼らが発明したロンバルディア帯が見られます↓
(↑サン・フィリベール教会堂の正面)
なので初期ロマネスク建築時代のゲルマン的オットー朝建築にはロンバルディア帯は確認できません。
おわりに
以上のように、紀元1,000年期に建設された2つのタイプの教会堂建築は、北と南の地域的差異によって全く異なる傾向を示しているわけですが、ヨーロッパが一つにまとまるのと同時に、これらの建築の指向、形態と技術が結合し、次のロマネスク建築を誕生させることになったのでした。
さて、ということで初期ロマネスク建築の説明が終わりました。
ではロマネスク建築についてみていきましょう↓
ヨーロッパを旅する前に知っておくべき西洋建築の知識として、今回はロマネスク建築について説明します。 [show_more more=恒例の挨拶(クリックで開きます) less=折りたたむ color=#0066cc list=[…]