【新約聖書⑥】「最後の晩餐」でイエスと十二弟子は何を話したか?

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さて、本記事ではユダヤ人の聖書(=物語)である「旧約聖書」の続き、新約聖書についてなるべくわかりやすく解説してみました。

新約聖書は旧約聖書の続編として書かれているので、先に旧約聖書の内容をチラ見したい方はこちらからご覧ください↓

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参考書は【眠れないほどおもしろい「聖書」の謎】【常識として知っておきたい世界の三大宗教】です。

では始めます(”◇”)ゞ

本記事に用いるイメージはほぼ全て画像生成AIで作成したものです。
新約聖書編では趣向を変えて漫画風のイラストで進めていこうと思います。

どうぞお楽しみください!

「最後の晩餐」でイエスと十二弟子は何を話したか?

さて、前回の記事では各地で奇跡を起こしながらも敬虔なユダヤ教徒に憎まれ、最終的に自分の死に様を語るイエスをご紹介しました。


エルサレムに入城するイエス

預言どおりロバに乗ってエルサレムに入城したイエスでした。

イエスの到着をエルサレムの人々は喜びをもって迎えました。


大歓声を浴びるイエス

通り道に自分の服を敷き、木の枝を切って道を飾り、歓喜の言葉を叫んでいたのです。

ファリサイ派やサドカイ派の祭司たちもまた、イエスの到着を首を長くして待っていたのでした。

民たちの大歓迎とは裏腹に、なんとかしてイエスを陥れようと画策していたからです。

そんな中、イエスはエルサレムに着くやいなや、驚くべき行動に出たのです。


神殿の敷地内で商売をする人々

神殿に向かい、中庭で売り買いをしていた商人たちをなんと無理矢理追い出し、両替人の机や鳩を売る者の腰掛けを倒すなど、大暴れしたのです。


大暴れする救世主イエス

「『私の家は祈りの家と呼ばれるべきだ』と、聖書に書かれているではないか。それをあなたたちは強盗の巣にしている!!!!」

イエスは神殿を祈りの場所として清めたのです。

一つ思ったのですが、イエスは前回の記事【新約聖書⑤】使徒ペトロへの「受難予告」とエルサレム入城

「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない」

と言って人間中心論で反対派を論破しましたが、今回の件は神中心と真逆なのでイエスの言動に一貫性が無い気もしますね。

そして当然、これを見た神殿の祭司たちはおもしろくありません。


怒り狂う祭司たち

神殿での商売を認め、利益を得ていたのは自分たちだったからです。

祭司たちは激しい議論をふっかけますが、イエスはそれを次々に論破していくのでした。

祭司たち「人間が神殿の前で商売するのを神はお喜びになっているはずだぁ!!!!」

イエス「え、神が喜んでる?それってあなたの感想ですよね?」

祭司たち「ぐ、ぐむぅ…神がお喜びに…

イエス「“はい”か”いいえ”で答えてください。それってあなたの感想ですよね?

"ユダの裏切り"は「神のプログラムの一つ」だった?

そんな中、イエスは人々に㋐神の愛と㋑隣人愛をわかりやすく説き続け、ユダヤ教の律法主義を非難しました。

こうして民衆へのイエスの影響力が強まるにつれ、祭司たちの反感はますます強まっていきました。


ますますイエスを敵視する祭司たち(コワイ…)

と同時に、イエスと弟子たちの間にも微妙なすきま風が吹き始めていたのです!!!!

たとえば、ヤコブとヨハネはイエスに、

「神の国が実現したなら、あなたの右と左に私たちを座らせて欲しい」

と申し出ており、もちろんその願望はイエスに一蹴されました。

ヤコブとヨハネにとってみれば、全ての財産をなげうって巡礼の旅を共にしてきたのです。


巡礼するイエス一行

「それくらいの恩恵は…」ということなのでしょうが、見返りを求める行為をイエスは良しとしませんでした。

ユダもイエスに不満を覚えた一人でした。

ある時、一人の女性がイエスの足に高価な香油を塗り、自分の髪でその足を拭ったのです。


え、どういう状況?

それを見たユダは、

「その香油を売ってお金にすれば、貧しい人に施しができるものを」

と非難しました。

筆者

うん、ユダ君の非難は至極真っ当だ!

もっと言え!!

すると、イエスは女性を擁護しました。

筆者
え?なんで?

「この人のするままにさせておきなさい。わたしの葬りの日のために、それを取って置いたのだから」

弟子たち「は、はい。(え、、、?なにそれ…)

弟子たちもイエスの奇跡を信じてはいたものの、その教えを十分に理解できていたわけでは無かったのでしょう。


こうしてイエス殺害計画を立て始めた祭司長たちに対し、ユダが裏切り行為に出るのです。

ユダは大祭司カイアファのもとを訪れ、尋ねました。

「イエスをあなたたちに引き渡せば、いくらくれますか?」


イエスを売る決心をしたユダ

大祭司たちは銀貨三十枚だと伝え、ユダはそれを受け取ったのです。

この裏切りの背景には、今でも様々な憶測が囁かれています。

  1. 単に欲望に目がくらんだという説
  2. 悪魔に取り憑かれたという説
  3. イエスに失望したという説
    1. イエスこそ、かつてのダビデやソロモンのように、ユダヤに再び栄華をもたらす英雄と見込んで自分はついて行ったのに、イエスは軍事面ではなく精神面で人々を満たそうとした。そこに、ユダ自身が裏切られたような感覚を覚えたのでは。
  4. あえて悪役を買って出た説
    1. 神の計画は、イエスが自ら十字架にかかって死ぬことで成就する。ユダの裏切り行為は、神のプログラムの一つだったのでは。

など様々です。

なぜキリスト教では"パンと葡萄酒"が重要な意味を持つのか

過越祭に入った頃、イエスは弟子たちと共に食事をとりました。

これが後に「最後の晩餐」と呼ばれるものです。


レオナルドダヴィンチ作「最後の晩餐」

イエスには既に自分が裏切られ、その後に処刑されることがわかっていました。

食事の最中、イエスは弟子たちにパンを割いて分け与え、こう語ったのです。

「取って食べなさい。これは私の体である」

次に葡萄酒の入った杯を弟子たちに回し、言いました。

「飲みなさい。これは私の契約の血である」

キリスト教でパンと葡萄酒が重要な意味を持つものとして扱われるようになったのは、このことに基づいています。


キリスト教にとって「パン」と「葡萄酒」は特別なもの


それは現代でも変わらない…

続いてイエスは断言しました。

「ここに座っているあなたがたのうちの一人が、私を裏切ろうとしている」

弟子たちは驚きうろたえ、口々に、

「まさか私のことでは!!!??\(゜ロ\)(/ロ゜)/」

とイエスに問いました。

しかし「裏切り者」を知っていたのはイエスと、既に大祭司らと取引を終えていたユダのみでした。

この時の弟子たちの慌てふためく様子を描いたのが、レオナルドダヴィンチの最後の晩餐なのです。

両手を開いて無実を示す者、隣の者に話しかける者、思わず立ち上がる者。

ちなみにユダ(正式名称イスカリオテのユダ)はこちらです↓

右手に銀貨三十枚が入った袋(?)を持っているように見えます。


では次ページでは「なぜイエスは裏切りを知りながら十字架にかけられたのか?」についてご紹介します。

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