さて、本記事ではユダヤ人の聖書(=物語)である「旧約聖書」の続き、新約聖書についてなるべくわかりやすく解説してみました。
新約聖書は旧約聖書の続編として書かれているので、先に旧約聖書の内容をチラ見したい方はこちらからご覧ください↓
さて、本記事ではユダヤ人の聖書(=物語)である旧約聖書をなるべくわかりやすく解説してみました。大まかなお話は以下の記事で既に言及していますので、興味があればこちらからご覧ください↓[sitecard subtitle[…]
では始めます(”◇”)ゞ
新約聖書編では趣向を変えて漫画風のイラストで進めていこうと思います。
どうぞお楽しみください!
使徒ペトロへの「受難予告」とエルサレム入城
さて、前回の記事ではただの水を葡萄酒に変え、触れただけで病人を治癒するというイエスの奇跡的なエピソードをご紹介しました。
各地で奇跡を起こすイエス。
しかしイエスが人々に支持されていくのと反比例するように、ユダヤの祭司たちや律法学者、ファリサイ派の人たちはイエスを敵視し始めました。
「イエスだぁ?生意気な青二才が」
彼らにとってイエスの教えは、ユダヤ教を軽んじるかのようにも見えたからです。
長年の変遷を経て、ユダヤ教の律法は「思想」というよりも「行為そのもの」を重視するようになっていきました。
簡単に言えば、それに違反すると罪人扱いされる「日常生活必須マニュアル」と化していたのです。
それに対してイエスが大切にしたのは、その「本質」。
とにかく神を愛し、隣人を愛するよう説いたのです。
「神を愛し、隣人を愛しなさい。左の頬を打たれれば、右の頬を…」
律法に対する解釈の違いは、両者の溝をどんどん深めていきました。
ある安息日に、イエスとその弟子たちが麦畑の側を歩いていた時のこと。
「うーん、お腹減ったなぁ」
弟子たちは空腹のあまり、麦の穂を採って食べました。
すると、それを見ていたユダヤ教でも最大の勢力を持つファリサイ派の人々が、
「安息日に禁止されている収穫という行為ではないのか」
と(中二男子のようなイチャモンのつけ方で)イエスを非難したのです。
しかしイエスはこう切り返しました。
「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない」
安息日とは、体を休めて神に祈るためにあるもので、労働しないことに意義を見い出すものでは無いということなんです。
別の安息日に、イエスが人々に神の教えを説いていた時のことです。
「神は全ての人に平等です、なぜなら…」
説教中にイエスは、聴衆の中に手に障害がある人がいることに気付きました。
しかしこの時、聴衆に混じって何人かのファリサイ派の信者がイエスの行動を見張っていました。
「あの野郎、治療しやがったらその場でしょっぴいてやる」
もし治療行為をすれば、安息日に仕事を行ったことになります。
そうすれば違法行為を行ったとしてイエスを訴えることができます。
イエスは彼らの考えを見抜きつつも、障害のある人に治療を施したのです。
そして問いました。
「聞いてくれ、皆のもの!」
「安息日に善を行うのと行わないのとでは、どちらが良いのか。人の命を救うことと殺すことでは、どちらが良いのだ。」
別に「治療をしない=人を殺す」にはならない気がしますが…
そんなイエスの行為や言葉は、律法を遵守することこそを良しとしてきたファリサイ派の人々には届きませんでした。
イエス「私は善を行っただけだ。善と悪、どちらが良いのだ!!!」
ファリサイ派「ぐ、ぐむぅ(クッソオォォォォ、口の立つ野郎だぜ)」
それどころか、神を汚し、人々を惑わすものとして、イエスはさらに激しく憎まれるようになっていくのです。
イエスと激しく対立した"ファリサイ派"とは?
ところで、新約聖書にたびたび登場するユダヤ教の派閥ですが、
- ファリサイ派
- サドカイ派
- エッセネ派
- 熱心党(ゼーロータイ)
の大きく4つに分けられます。
ファリサイ派
イエスを激しく糾弾するファリサイ派は実は職人や農民など、中産階級の信者が多く、民衆の中で活躍してきた派閥でした。
そのため、貧困層からの支持も高かったのです。
サドカイ派
一方、サドカイ派は祭司、貴族など裕福な人物が中心になっていたため、さらに権威的な傾向があったようです。
ファリサイ派と並ぶ二大勢力でしたが、律法の解釈などをめぐって対立していました。
エッセネ派
エッセネ派は禁欲的生活の中に神の教えを見い出そうとしていました。
そのため一生独身を貫き、自給自足の生活を送っていたという…。
なんか以前見た宗教画で、ボロボロの老人(確か聖人)が自らの身体を石でめった打ちにしているというのがありましたが、それは自身の性欲を必死に抑えているシーンなのだとか。
あ、ありました↓
『荒野の聖ヒエロニムス』
伝説によると、シリアの砂漠で隠者として暮らし、厳しい禁欲的生活を送っていた聖ヒエロニムスは何度も強い熱情に襲われ、熱情が去るまで何度も胸を打ったとのことなんです。
彼もエッセネ派だったのかもしれません。
熱心党
熱心党は、ユダヤ教の「過激派」です。
ファリサイ派があまりに政治に無関心なので決別し、反ローマ帝国の武装蜂起を目指すようになります。
自分が血を流すことで神を目覚めさせるというような、現在のイスラム原理主義テロリストにも似ている面があるのです。
後述するイエスの代わりに恩赦されたバラバもその指導者だったと言われています。
そしてイエスの死後、キリスト教の誕生とともにユダヤ人の間では熱心党主導の「反ローマ」の気運が高まっていきます。
そして66年~70年のユダヤ独立戦争となるのです。
この4つの宗派に共通して言えるのは、彼らは「神の教え」を決して権力のためだけに利用していたわけではないということでした。
モーセの律法を何よりも重視し、完璧に忠実であろうとしたがために、自らを縛り、イエスとの激しい対立を生んでしまったのです。
とにかく熱心で真面目な信者たちだったようなのです。
「旧約聖書」の預言どおりにエルサレムへ出立
そもそも、イエスもユダヤ人として生まれました。
イエスは弟子たちにこんな話をしています。
「人々は私のことを何者だと言っているか?」
すると弟子たちは答えました。
「洗礼者ヨハネだという人もいますし、預言者エレミヤだ、預言者エリヤだ、また預言者のひとりだという人もいます」
イエスは再度、弟子たちに問いました。
「あなた方は私のことを何者だというか?」
「あなたはメシア、神の子です」
答えたのは弟子のペトロでした。
イエスはこの言葉を受け、自身の正体がメシア(=救世主のこと)であることを打ち明け、ペトロに他言しないよう念を押してから、まもなく自分はエルサレムへ行き、そこで罪を着せられ殺されるが、三日目に復活することを予言します。
これが「受難予告」です。
- 自分の正体は救世主
- まもなくエルサレムへ行く
- 罪を着せられ殺される
- しかし三日目に復活する
ペトロにトンデモナイ告白をしてから、イエスは自分の救世主としての役目を果たすべく、エルサレムへ向かいました。
エルサレムに近づくとイエスは、弟子に命じてロバを近くの村から連れてこさせました。
旧約聖書の預言どおり、ロバに乗ってエルサレムへ入城するためでした。
では次ページでは「「最後の晩餐」でイエスと十二弟子は何を話したか?」についてご紹介します。
さて、本記事ではユダヤ人の聖書(=物語)である「旧約聖書」の続き、新約聖書についてなるべくわかりやすく解説してみました。新約聖書は旧約聖書の続編として書かれているので、先に旧約聖書の内容をチラ見したい方はこちらからご覧くださ[…]