【世界史】イスラム教世界の展開~第2部~

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世界遺産1級取得に向けて、「世界史」の必要性を感じ始めた今日この頃です。

今日のテーマは「イスラム世界の展開」です。

今回は紀元前のまとめとして、キーワードを追っていきながら世界の流れを包括的にまとめたいと思います。

一緒に頑張りましょう!

参考書は

「2時間でおさらいできる世界史」

「いちばんやさしい世界史の本」

「世界史要点 図解整理 ハンドブック」

の3冊です。

前回の記事を読んでおられない方は先にこちらを読んでください↓

【世界史】イスラム教世界の成立からセルジューク朝分裂まで~第1部~

エジプトのイスラム王朝とアフリカの国々

エジプトにアイユーブ朝、マムルーク朝が成立。アフリカにもイスラム王朝ができる

・アイユーブ朝がファーティマ朝を滅ぼす

・サラディンが十字軍を破ってイェルサレムを奪還

・アフリカにも多くのイスラム王朝ができる

十字軍と戦ったアイユーブ朝

エジプトのファーティマ朝はシーア派で、スンナ派のアッバース朝に対抗して独自にカリフを立てます。

12世紀に宰相のサラディン(サラーフ=アッディーン)が政権を握りアイユーブ朝を建て、ファーティマ朝を滅ぼします

サラディンはスンナ派のクルド人です。

彼はキリスト教徒からイェルサレムを奪い返し、第3回十字軍と戦います。

敵に対して虐殺や略奪を行わなかったので、キリスト教徒もその寛容さを賞賛したといいます。

エジプト、シリアを支配したマムルーク朝

アイユーブ朝では、トルコ系マムルークの軍団が実権を握るようになります。

彼らはアイユーブ朝を倒し、マムルーク朝を建てます。

第5代スルタンのバイバルスは、首都カイロに滅亡したアッバース朝のカリフを擁立します。

スルタンとカリフ

もう一度説明しますが、スルタンは「イスラム教の保護者」を、カリフは「イスラム教の指導者」を指します。

カリフは宗教的な指導者ですが武力面ではスルタンに護ってもらうので、スルタンは武力はあっても宗教的な権威はカリフが持っています。

持ちつ持たれつ、って感じです。

これによってカイロはイスラムの中心になるとともに、貿易の中心地として栄えます。

またバイバルスは、西アジアに侵攻してきたフラグ率いるモンゴル軍を撃破し、シリアから十字軍勢力を一掃し、マムルーク朝の全盛期をつくり出します。

アフリカの国々にもイスラム国家

アフリカで最も古い黒人の国はナイル川上流のクシュ(メロエ)王国で、エチオピアのアクスム王国に滅ぼされます。

クシュ王国は紀元前920年頃~後350年頃までおよそ1270年繁栄し、アクスム王国は紀元前120年頃~後572年頃までおよそ700年繁栄した王国

北アフリカでは11世紀、ベルベル人がイスラム教に改宗してムラービト朝、ムワッヒド朝を建てます。

西アフリカに古くからあったガーナ王国はムラービト朝によって滅ぼされます。

ムラービト朝の西アフリカ進出によってイスラム教が伝わり、西スーダンのマリ王国もイスラム教を取り入れます。

マンサ=ムーサ王は、メッカに巡礼して大量の金を使ったとされます。

マリ王国を滅ぼしたソンガイ王国はイスラム王朝です。

スワヒリ語

「スワヒリ」は「海岸」という意味のアラビア語が語源で、東アフリカ海岸地方では古くからアラビアとの交易が行われていました。

そこで用いられていたバントゥー語とアラビア語が混じってできたのがスワヒリ語。

現在でも、母国語の他にスワヒリ語を使う人が多く、数多くの部族の住むアフリカでの共用語といえます。

600年の繁栄オスマン帝国

トルコ系イスラム王朝がビザンツ帝国を滅ぼし、一大帝国を築く

・オスマン帝国がビザンツ帝国を滅ぼす

・16世紀にヨーロッパ・アフリカ・アジアにまたがる大帝国になる

・緩やかに衰退しながらも20世紀初めまで存続

オスマン帝国の建国・復活

小アジアでは13世紀の終わりにトルコ系のオスマン1世(オスマン=ベイ)がオスマン帝国(↑地図中薄緑色)を建てます。

この国は、西に隣接するビザンツ帝国を圧迫して領土を拡大し、バルカン半島に進出してコンスタンティノープルを孤立化させます。

第4代のバヤジット1世は、ニコポリスの戦いでバルカン諸国・仏・英・独の連合軍を破りますが、アンカラの戦いではティムールに負けて捕虜となり、約10年間スルタン不在となります。

ティムールの死後、オスマン帝国は復活し、第7代のメフメト2世は、コンスタンティノープルを攻め落とします。

これによってビザンツ帝国(東ローマ帝国)は滅び、コンスタンティノープルはオスマン帝国の首都イスタンブールとなりました。

オスマン帝国の最盛期

第9代のセリム1世は、サファヴィー朝、マムルーク朝を倒してメッカ、メディナを支配下におきます。

このとき、亡命してきていたアッバース朝のカリフからカリフの地位を得て、スルタン=カリフ制をしき、宗教的指導者かつ政治の指導者という地位を築きます。

第10代のスレイマン1世のとき、領土は最大となります。

彼はハンガリーを支配し、ウィーンを包囲してヨーロッパを恐怖に陥れ、プレヴェザ海戦ではスペイン・ヴェネツィア連合軍を破って地中海の制海権をその手に握ります。

17世紀に入ると帝国は衰え始め、領土を徐々に失いますが、20世紀の初めまで、イスラム帝国として存続します。

オスマン帝国の社会

オスマン帝国は、国内にいるたくさんの非イスラム教徒に対してミッレトという共同体をつくらせ、自治と信仰を認めます。

また、オスマン帝国内にやってくるヨーロッパ人には、居住や通商の自由を与えて治外法権を保障するカピチュレーションという特権を与えました。

イェニチェリ

オスマン帝国は、バルカン半島の白人キリスト教徒の少年の中から、身体強健で容貌に秀でた者を集め、イスラムに改宗させて軍事訓練をしました。

彼らによって編成されたオスマン常備軍がイェニチェリで、世界最強の軍団としてオスマン帝国を支えました。

ティムール帝国とサファヴィー朝

イランへ進出したイル=ハン国によって、モンゴル族もイスラム教徒に

・フラグの建てたイル=ハン国がイスラム教を国教とする

・ティムールが中央アジアにティムール帝国を建てる

・イランにはサファヴィー朝ができる

モンゴル帝国の分裂

モンゴル帝国は、チンギス=ハンによって建てられた、史上最大領域を支配した帝国

チンギス=ハンの建てたモンゴル帝国は、彼の死後4つに分裂します。

「オゴタイ=ハン国」「チャガタイ=ハン国」「キプチャク=ハン国」「イル=ハン国」の4つ

そのうちの一つイル=ハン国は、フラグがアッバース朝を滅ぼしてイランに建てた国です。

第7代のガザン=ハンは、イラン人との融和をはかるためイスラム教に改宗してこれを国教とします。

※何かどこかで聞いたことのある話ですね(笑)

フランク王国のクロヴィス1世が地元民との融和を図るためにキリスト教カトリックに改宗したのと一緒ですね。

そしてイラン人のラシード=ウッディーンを登用して、モンゴル式の税制をイスラム式に変えたり、イクター制を導入するなどして社会を安定させます。

さらに学問や文芸を奨励したため、イラン=イスラム文明が花開きます。

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