今回ご紹介するテーマは「カノッサの屈辱」です。
なんかカッコイイ名前ですが、これは
という疑問に答えを出した一大事件と言えます。
では見てみましょう。
カノッサの屈辱(ローマ教皇最強説)
11世紀くらいにヨーロッパのキリスト教圏である勢力争いが起こりました。
それが、
という争いでした。
この時代、ヨーロッパはキリスト教一色でしたが、同時に東フランク王国から発展した(現在のドイツ連邦共和国の元となる)神聖ローマ帝国の皇帝もいたわけです。
この時代の状況を超ざっくり言うとこうです↓
キリスト教はただの宗教で軍事力を持たないので、神聖ローマ帝国を軍事的な守護者として頼っていた。
神聖ローマ帝国はキリスト教の守護者という権威や名誉に助けられて、ここまで大きくなった。
↑の意味わかりますか?
お互いがお互いを必要としていたのに、「結局はどっちがエライのか」で争いになってしまったんです↓
この当時、
キリスト教のトップ(教皇)
→この当時、キリスト教は既にとんでもない勢力になっていたので、キリスト教のトップというだけで物凄い権力をもっていた。
帝国のトップ(皇帝)
→やはり帝国のトップなのでこれまた物凄い権力をもっていた。
しつこいですが、必然的に「皇帝と教皇のどちらが偉いのか」という覇権争いが起きました。
また当時のヨーロッパでは、
ということが普通に行われていました。
もう一回読んで下さい、サラッとかなりヤバいことを書きました(笑)
これを帝国教会政策(ていこくきょうかいせいさく)と呼びます。
(↑まあこれは正しい意見(笑))
神聖ローマ帝国の皇帝ハインリヒ四世はローマ教皇グレゴリウス七世に、政治と宗教を切り離す(政教分離の原則)ように進言されたのに怒り、グレゴリウス七世に教皇の廃位を迫りました↓
とてもきな臭い雰囲気になってきましたね。
皇帝 VS 教皇
以下はイメージです↓
頭の中で想像を膨らましてお楽しみください!
信仰心のない人間ばかりが天下りして教会に溢れかえっている。
聖職者とはそういう人間がなるべきではない!!!
は?聞こえませーん(笑)
てかお前さ、そろそろ教皇の地位から降りろよ
教皇に破門を解いてもらうしか…でもそれではプライドが…
あなたはもうキリスト教徒では無いのですよ?
既にどこかに改宗されましたか?(笑)
(いづが、ふぐしゅうじてやるぅぅ)
という事で、この一連の出来事を「カノッサの屈辱」と言います。
皇帝と教皇間の争いは幾度もありますが、基本的にカノッサの屈辱から十字軍遠征の終わりごろにローマ教皇が逮捕されるまでは教皇 ≫ 皇帝という勢力図になりましたとさ。
後日談ですが、ハインリッヒ四世(皇帝)は破門撤回から4年後、大軍を率いてローマに遠征&占領し、対立教皇の手によって神聖ローマ帝国皇帝の戴冠式を挙行しました。
ところがその後、ハインリッヒ四世は2人の息子に裏切られ、次男(後のハインリッヒ五世)の手で捕らえられて王座から追われましたとさ。
おしまい。
おわりに
という事で、カノッサの屈辱についてご理解頂けたでしょうか?
フランク王国は現在の西ヨーロッパの地図の基礎を作った王国で、ヨーロッパに行く前の必須知識だと思いますよ(^ω^)
興味があれば是非↓
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