【ヨーロッパ旅行記】ドイツ、ハノーファー【5/12】

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3度目のヨーロッパ、2度目の独り旅(2016年)の思い出を振り返る。

今回はドイツのハノーファーでの滞在をサクッと要約し、印象的な出来事をシェアしようと思う。

筆者が初めてヨーロッパを独りで旅したのは2014年の初旬。あの時の驚きや発見は今でも鮮明に覚えている。

今回の旅では、ヨーロッパの面白さや基礎知識に絞ってお届けする。無駄な話は極力省いて、ガイドブックには載っていないこと、実際に見たものや感じたことに焦点を当てる。

前回の記事はこちら。

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ハノーファー滞在記

さて、ついにやって来た…ハノーファー!

ここはアンネ・フランクが最期を迎えた場所。

アムステルダムではスケジュールの都合で「アンネの家」には寄れなかったが、実はもう2回も行ってるので問題なし。

アンネの家2回行ったらベルゲン・ベルゼンも来とかなあかんやろ理論、発動である。

なんかもう、旅というより巡礼。

自分でもだんだん何のカテゴリの旅してるのか分からなくなってきたが、心はめちゃくちゃ動いている。

静けさが重い。風が冷たい。

でも、それがまたいい。

ベルゲン・ベルゼン収容所へ

今回の旅のメインは、アンネ・フランクが命を落としたとされる『ベルゲン・ベルゼン収容所』である。

ナチス・ドイツによって建設された収容所は、実に約二万カ所。

その数にも驚くが、このベルゲン・ベルゼンは中でも劣悪な環境だったことで知られている。

ガス室こそ無かったが、逆に言えば「じわじわ死んでいくタイプ」の地獄。

感染症と飢えが最大の処刑人だったらしい。

現代の潔癖男子だったら、まず入所2時間で精神崩壊して即死するだろう(※筆者調べ)

アクセスとしては、まずハノーファー中央駅から「ツェレ」という小さな町へ向かい、そこからバス。

ハノーファーの都会っぷりに比べて、ツェレは拍子抜けするほどのんびりした石畳の町。

観光客もほぼゼロ。

「えっ、ほんまにこっちで合ってるん?」という不安感と、「これぞヨーロッパ地方都市旅の醍醐味やな」というテンションが入り混じる。

そして、そんな気分のまま、バスを待つ。
このバスもまた、驚くほど静か。

行き先は記憶の奥深く——。

ヨーロッパ人の人情

バスには体感1時間くらい揺られていた気がする。

30〜45分と言われても納得できるし、「いやもっと乗ってたぞ」と言われても異論はない。

田舎のバス移動って、時間の感覚がシュレディンガーの猫状態になる。

乗客はまばら。ほぼ貸切。

バス運転手も暇だったのか、筆者にめっちゃ話しかけてくる。

運転手「どこから来たの?」

筆者「あ、日本っす」

運転手「ええっ、そんな遠くからこんなド田舎に!?観光で?」

筆者「あー、ベルゲン・ベルゼン収容所を見に来ました」

運転手「おーそれはとても良いことやね!!!戦争の悲惨さを世界中のみんなにもっと知って欲しいからね~。あ、バスはここで降りて。最終バスは16:30やからね、乗り損ねたらもうバスは無いから野宿確定やで!!!じゃあまた後で」

筆者「わかりましたーー!!バス代いくらですか?」

運転手「いいよいいよ!日本からわざわざ来てくれたんやろ?そんな人からバス代取ったら俺の先祖が泣くわ!」

筆者「おおぉー…ダンケ シェーン」

こんな男前な運転手いる?

もう完全に「村の顔」って感じで、運転中でも知り合いの親子が通ればプッとクラクション鳴らして手を振る。

ディズニー映画の序盤にしか出てこないタイプの人間だった。

ということで、ついに到着。

あの、静かで、重たく、忘れてはならない場所に——。

ベルゲン・ベルゼン収容所

入口の様子は、想像以上に静かでひっそりしていた。観光地というより、記憶と祈りの場所という空気感が漂っていた。

中に入るといきなりドンと現れるモニュメント。

1940年から1945年まで、この収容所が使われていたことを示す大きな石碑が目に入る。

その周りには、小さな石ころが無数に積まれていた。

ユダヤの文化では、墓に石を置くことが弔意の表現。

My Jewish Learning

Why Stones for Jewish Graves. Graveside Service in Judaism. …

つまりこれは、誰かが「あなたのことを忘れていない」と伝えに来た証だった。

積まれた石の数だけ、想いがあった。
たぶん、泣いてた人もいたんだと思う。見えないだけで。

敷地内には、墓石のような記念碑が点在していて、名前や生没年が記されている。

歩きながら一つひとつを眺めていた。

「VATER(父)」の文字を見た時に、急に現実味が増す。
そこには「誰かの家族の物語」が、名前ひとつでぎゅっと詰まっていた。

そして――

静かに、慎重に、ようやくその名前を見つけた。

アンネの墓

アンネ・フランク
Anne Frank

ここで、彼女は最後の時を迎えた。
物語ではなく、歴史の中の「事実」として、確かにこの場所で。

アンネの墓

上には姉マルゴー・フランク、そしてその下にアンネ・フランクの名前が刻まれていた。

ふたりはここで、ほとんど同じ時期に亡くなったらしい。
アンネが命を落としたのは、解放のほんの一ヶ月前――なんともやるせない。

※もちろん、ナチスの犠牲になったのはアンネひとりではない。無名のまま命を落とした人たちが何百万人もいた。その上で、彼女は「名前が知られている」というだけ。ただ、それだけでも、こうして語り継がれる機会が増えるのは大事なことだと思う。

そう自分に言い聞かせながら、ひたすら無言で敷地内を歩く。

先にも書いたが、ベルゲン・ベルゼン収容所は中でも特に衛生状態が劣悪だった。

ナチスの非道はどこも似たようなものかもしれないが、ここでは病気で亡くなった人がとにかく多い。

チフス、コレラ、飢え、衰弱。

人間らしい死に方すら許されなかった場所。

観光客はほとんどおらず、静かに一人で歩く時間が続いた。逆に言えば、そのぶん深く考える余白があった。

が、正直、かなり心が重たくなった。

「一人で来る場所ではないかもしれない」と思ったのは、その帰り道だった。

先述したが、ユダヤ教の文化では訪れた遺族や関係者が、墓標のような記念碑に小石を供えていく習わしがある。

その石の数と配置が、どれだけ多くの人がここに祈りを捧げたかを物語っていた。

敷地的には結構広いので一時間くらいでは全く周れません

敷地は想像以上に広く、一時間ではとても周りきれない。

気づけば、3~4時間ほど滞在していた。

観光というより、黙祷と記録と反省の旅だった。

ベルゲン・ベルゼン収容所内の資料館

また、入口近くには資料館があり亡くなった人たちの詳細情報や当時の収容所の様子を知ることができる。

犠牲者の名前や年齢、当時の状況などが丁寧に記録されていて、「一人ひとりにちゃんと人生があったんだ」と、当たり前だが改めて実感する。

そりゃそうやんな、映画のエキストラじゃないねんから。全員が主役だったわけで。

もちろん、世界的に知られるアンネ・フランクのことは大きく取り上げられていたが、それも「特別」だからというより、「多くを語れるだけの記録が奇跡的に残ってた」という意味合いが強いのだろう。

帰りは行きと同じく、例の陽気なおっちゃんバスに乗ってCelle(ツェレ)駅へ。

再び電車でハノーファー駅へと戻る。

そして、ここで声を大にして言いたい。

筆者のことを知ってる先輩方、後輩たち〜〜!!

おれはヨーロッパで、ただ美味しいパン食べて昼からビール飲んでるだけのプータローバックパッカーではありませーーん!!!

こうやってね、ちゃんと歴史的な大事件を自分の眼で見、耳で聞き、肌で感じ取っているのです。

なので!
「え、社会人やのにヨーロッパ旅行!?」とか「まだ学生気分が抜けてないようですね」とか「わたしの周りでは先輩くらいですよ、社会人なのに学生と同じ頻度で遊び回ってる人は」などという誹謗中傷はやめてください(;・∀・)

……ふう。言ったった。すっきり。

ドイツのバス停のマークは"H"

ドイツのバス停のマークは "H" です。

そう、謎のH。最初見たとき「え、病院?ヘリポート?ヒュンダイ?」ってなった人、正直に手を挙げてください。

これはドイツ語でバス停を意味する「Haltestelle(ハルテシュテレ)」の頭文字。

しょーもない豆知識だが、これ知ってるだけで街中ウロウロしてる時に「あっここバス停やん!」と地味に助かるのである。

知らんかった頃の自分に教えてあげたいランキング第7位ぐらいに入ります(微妙)。

何度も言いますが、路線図は必ず撮影するように

もう何度でも言うし、これからも100回くらいは言います。

Wi-Fiなんて甘え。地図は心で読むもの。

文明の利器に頼らず、己の方向感覚と勘ピューターだけで旅を続けようなんて酔狂な人間にとって、路線図は三種の神器の一角である。

まさに旅人のエクスカリバー、ポケモンで言えばマスターボールである。

ポケットWi-Fi?
国際ローミング??
聞いただけで震えが止まらない。

月末の請求書と一緒に魂も送られてくるレベル。

地図を片手に「ここがこうで……たぶんこっちや!」って言いながら反対方向に全力で歩くのが旅の醍醐味。

路線図こそが、迷える旅人の命綱であり、心のナビゲーターなのである(ドヤ)。

世界一美しい町「チェスキークルムロフ」へ

晩ごはんは栄養バランスなんて知らん顔の、糖質まつり・菓子パンフェスティバル開催!!↓


筆者のディナー

そして舞台は再び動き出す。

ハノーファーから、あの「世界一美しい町」とやら、チェコのチェスキークルムロフへ向かう。

2年前にも行ったが…また行くことにした。
なぜかって?

美しかったから(←語彙力皆無)。

人間、感動した景色は脳が勝手に「もう一回見に行け」と命令してくるんです。

もはやこれは旅じゃない、再会です。

てことで、再びあの「絵本みたいな町」へ、いざ!↓

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