さて、本記事では、ユダヤ人の聖典である「旧約聖書」の続編――その名も新約聖書についてなるべく噛み砕いて解説していく。
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なにせ旧約の続きである。
いきなり続編から観るのはちょっと…という慎重派の読者諸君、まずは前作をざっくりチェックしてからのほうがいいかもしれない。
以下のリンクからどうぞ↓
さて、本記事ではユダヤ人の聖書(=物語)である旧約聖書をなるべくわかりやすく解説してみました。 大まかなお話は以下の記事で既に言及していますので、興味があればこちらからご覧ください↓ [sitecard subtitle[…]
今回はちょっと趣向を変えて、漫画風のイラストで新約の世界を案内していくつもりだ。
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とりあえず堅苦しい話はナシ。
笑って読んで、ふと「へぇ~」とつぶやけたらそれで本望である。
では、いざ開幕。
新約の世界へレッツゴー٩( ”ω” )و
なぜ「山上の説教」は人の心を一瞬でとらえたのか
前回の記事ではイエスに洗礼を授けるヨハネと、そのヨハネの悲劇的な死についてご紹介した。
さて、四十日間の断食というデトックス修行を完遂し、悪魔という“神のアルバイト面接官”を旧約聖書のフレーズ引用によってフルボッコで撃退したイエスは、ガリラヤ地方を中心に本格的な宣教活動を行うようになった。
そこで起こした➀奇跡と➁説教の評判は日に日に高まっていった。
イエスが起こした奇跡として有名なものに、母マリアや弟子たちとともに招かれた結婚式の宴で、水を葡萄酒に変えた話がある。
舞台は結婚式の宴。
宴の最中、客のために振る舞うべき葡萄酒が足りなくなってしまい、台所を仕切っている女性たちが慌て始めたのである。
台所班が右往左往する中、マリアがイエスにそっと耳打ちすると、イエスは召使を呼んで、清めのための水瓶六個を水で満たし、主賓の前に持って行くように告げたのだ。
すると不思議なことに水は全て最高級の葡萄酒になっており、主賓たちは
最高級のワインを飲んでご満悦の主賓
「最後まで一番いい葡萄酒を取って置くとは素晴らしい!!!」
と口々に花婿を褒め称えたという。
花婿、まったく身に覚えのない大絶賛を浴び、空気を読んで感謝の笑顔。
この奇跡を目の当たりにした弟子たちは、イエスにますます傾倒するようになっていった。
ザワザワ…ワイワイ…
他にもイエスは数々の奇跡を起こしている。
- 湖を船で渡る最中、襲いかかってきた嵐を鎮めた
- 湖の上を歩いた
- わずかな魚とパンで大勢の人の空腹を満たしたなどなど
「ヨハネによる福音書」には、こうも書かれている。
情報量がダム決壊レベルである。
だが、民衆の心を真に掴んだのは、こうしたエンタメ系奇跡ではなかった。
イエスの最大の魅力は、病気の治療だった。
イエスのもとに皮膚のただれた患者がやってきた時のこと。
イエスは深く憐れみ、迷うことなくその人の身体に触れ、
「清くなれ」と告げた。
すると、たちどころに男の皮膚は元のように戻ったのである。
➀他にも「人よ、あなたの罪は赦された」と告げられただけで、運ばれてきた担架を自らかついで帰るほど元気になった男性もいる。
②十二年間も出血に悩まされ、蓄えていた富を治療のために全て使い果たして途方に暮れていたところ、イエスの衣に触れただけで治った女性もいる。
➂悪霊に憑りつかれ、口がきけなくなっていたところ、イエスに一喝されただけで瞬く間に回復した少年もいる。
と、まるで神のパワースポット巡業のような展開が続く。
死人を生き返らせるイエス
イエスの行った奇跡の中でも、最もインパクトの大きいものといえば死者を蘇らせたことだろう。
ある日、エルサレム近郊のベタニアという村から二人の姉妹がやってきて、弟のラザロの病を治して欲しいと懇願してきた。
しかしイエスは、
「その病気は、死で終わるものでは無い」
※つまり「死ぬほどのことはない」という意味
と言い、二人を帰らせたのだ。
ところが数日後、イエスが弟子たちと共に姉妹のもとを訪れると、ラザロは既に亡くなっていた。
弟子たち「先生、”死なない”って言ってましたよね!?」
イエス「……計画通りだ」
※本当にそう言ったかは知らないが、顔にはそう書いてあったはずだ。
神の子、ここで本気を出す――。
イエスが墓の前に立って天を仰ぎ、
「ラザロ、出てきなさい!!!!」
と大声で呼びかけると、なんと手と足を布で包まれたラザロがよろよろと生きて出てきたのだ。
周囲の人々の目は点。
姉妹は号泣。
弟子たちはガクブル。
まるでホラー映画と感動ドラマの中間地点のような光景が広がった。
「イエスの教え」と「ユダヤ教」の"決定的な違い"
さて、ラザロのゾンビ…いや、生き返り奇跡ショーで一躍ヒーローとなったイエスだが、彼の真骨頂は何も「死人を立たせる」ことだけではなかった。
実は、病気治療そのものに深〜い意味があったのだ。
ユダヤ教では「病人=罪人」だった?
この奇跡がとりわけ衝撃的だったのは、当時のユダヤ教における「病気=神に背いた証拠」という社会通念ゆえである。
「皮膚の病は罪の結果」で、「心の病は悪霊の仕業」だったのだ。
つまり、病人は社会的に「罪人」として見なされ、差別の対象であった。
今は「風邪引いた?ゆっくり休んでね♡」みたいな時代だが、当時のユダヤではそうはいかない。
- 熱が出た?→お前、なんかやらかしただろ?
- 皮膚がただれた?→神の怒りじゃないか?
- 心の病?→あ、それ悪霊入ってるね!
みたいな、なんでも罪のせい理論が横行していたのである。
つまり、病気=社会的アウト。
ガチで村八分である。
人々は病人を「罪を背負った者」として忌み嫌い、寄っても来なかった。
そんな中でイエスは、病人や貧者、蔑まれた人々のもとへ積極的に近づき、癒しを与え、さらには死者さえも蘇らせたのだ。
そんなイエスの考えは、有名な「山上の説教」の一節からも垣間見れる。
(当時の人々にとっては)心にズドンと響く名言オンパレードだったのだろう。
心貧しい人は、幸いである。
天の国はその人たちのものである。悲しむ人々は、幸いである。
その人たちは慰められる。柔和な人々は、幸いである。
その人たちは地を受け継ぐ
この世で悩み、苦しんでいる人こそ、天の国で救われるという意味である。
イエスは続ける。
復讐してはならない。
右の頬を打たれたら、左の頬を差し出しなさい。
敵を愛しなさい。
人を非難してはいけない。
求めなさい。
そうすれば、与えられる。探しなさい。
そうすれば、見つかる
群衆たちはイエスの言葉を感激をもって迎え入れたと言われている。
これは当時としては超ド級のカウンターカルチャー。
なぜならその時代、愛されてたのは「金持ち・健康・律法ガチ勢」だけだったから。
そして…
律法が極端に重視されていた当時、ユダヤ人が一日で守るべき条項は630項目もあり、ユダヤ教の祭司たちにそれを遵守させられていたのである。
宗教版「細かすぎて伝わらないマナー集」が延々と課されていた。
しかも祭司や律法学者たちが「お前、それ今日守った?」とチェックしに来る。
これで病気にならないわけがない。
そりゃストレスで胃に穴もあくわ。
皮膚病にもなるわ。
心の病にもなるわ。
イエス、民衆を解き放つ
そんなガチガチの宗教ルール社会の中で、イエスの言葉はまるでオアシスだった。
「いいんだよ。間違っても。神は決してお前を見捨ててない。」
「病気でも、罪人扱いされてても、お前は大事な存在だ。」
その言葉にどれだけ多くの人が救われたか――
イエスは律法よりも「人の心」を重視した。
これこそが、ユダヤ教との決定的な違いなのである。
イエスは彼らの気持ちをほぐし、解き放ったのだ。
イエスの教えに感動した人々は次第に増え、彼はますます民衆のヒーローとなっていく。
しかし、その人気の高まりは、既得権益にどっぷり浸かったユダヤ教指導者たちにとっては、完全に脅威だった――。
次回「使徒ペトロへの“受難予告”と、運命のエルサレム入城」
お楽しみに!
さて、本記事では、ユダヤ人の聖典である「旧約聖書」の続編――その名も新約聖書についてなるべく噛み砕いて解説していく。 [show_more more=続きを読む less=折りたたむ color=#0066cc list=»][…]