2014年の驚きと発見の連続だった1ヶ月間を振り返りつつ、今回はポーランドの古都クラクフ滞在について語る。
今思えば、右も左も分からない状態でよくそんな大胆な決断をしたものだが、この旅が人生において多くの発見や学びをもたらしたことは間違いない。
一応、前回の記事も載せておく。
2014年の驚きと発見の連続だった1ヶ月間を振り返りつつ、今回はドイツ東部の街ドレスデン滞在について語る。今思えば、右も左も分からない状態でよくそんな大胆な決断をしたものだが、この旅が人生において多くの発見や学びをもたらしたことは間[…]
アウシュビッツ強制収容所
そもそもの話だが、悪名高きアウシュビッツ強制収容所はポーランドにある。
現地の呼び方ではアウシュビッツ(これはドイツ語)ではなくオシフィエンチム(ポーランド語)と呼ばれます。
» アウシュヴィッツ強制収容所の特徴と簡単な歴史(クリックで開く)
アウシュビッツ強制収容所の特徴
・犠牲者数:約110万人
アウシュヴィッツは、ユダヤ人を中心に約110万人が命を落としたナチスによる虐殺工場。
・ホロコーストの中心地
ここで行われたホロコーストは人類史上、最も悲惨で規模の大きい大量虐殺の一つとして世界中の記憶に残っている。
・ARBEIT MACHT FREI
収容所の入り口に掲げられている「ARBEIT MACHT FREI」(働けば自由になれる)という看板は、当時の囚人たちを欺いているものとして有名。
アウシュビッツ強制収容所の歴史
アウシュヴィッツ強制収容所の設立には、ナチス・ドイツの指導者たちが深く関与している。
その中心となる人物たちには、ヒトラーやアイヒマン、ヒムラーといった悪名高い名前が挙げられる。
筆者が愛読しているGOLGO13でも彼らがしばしば登場し描かれることがあるように、歴史の中で非常に重要な位置を占める人物たちである。
1940年
ハインリヒ・ヒムラーがアウシュビッツ強制収容所の建設を命令し、所長に親衛隊将校ルドルフ・ヘスが選ばれた。
当初はポーランドの反ナチ活動家などを収容していた。
1941年
独ソで戦争が始まると、ソ連兵捕虜のために施設は急激に拡張され始めた、その中には捕虜に対する人体実験施設もあった。
ヒムラーはヘスに毒ガス「チクロンB」を用いて労働不能の捕虜の殺害を効率的に行うよう指示した。この年にアウシュビッツ第二収容所としてビルケナウ絶滅収容所の建設が開始された。
労働力はもちろんソ連の捕虜たちで、翌年まで生き残れたのはわずか2%というほど過酷な労働だった。
1942年~
本格的にユダヤ人の絶滅政策が始動し、ドイツ軍によって占領された支配地域からユダヤ人を満載した列車が終点のビルケナウに着き、その場で「選別」が行われた。
その際75%の人間が労働不能と判断され、ガス室に直行した。
「人間の皮を被った悪魔」と呼ばれたナチスのユダヤ人問題担当のアドルフ・アイヒマンがハンガリーに派遣され徹底したユダヤ人狩りが行われたのでハンガリーから移送されたユダヤ人が最も多かった。
1945年
1月27日にソ連軍がアウシュビッツを占領し、収容所を解放した。
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クラクフ滞在記
クラクフはポーランドの古都で、首都ワルシャワとは異なり、歴史的な魅力が詰まった街。
中世の街並みや壮麗な建築が残ることで有名で、観光地としても非常に人気のある場所である。
スナックの自動販売機
ヨーロッパでは、駅のホームにこういうスナックや飲み物の自販機が置いてある。
迷子になったり疲れ果てて「あ、死ぬ…」って思った時にコイツが命の恩人になることもある。
一息つきたい時に、お金を入れてガチャっと出てきたお菓子が、まるで恋人からの優しいメッセージのように感じるのがヨーロッパ流。
「あ〜、やっぱヨーロッパの駅って、こういうとこでも洗練されてるなぁ」とか思いつつ、ボタンを押すときにテンションがちょっと上がってしまう。
浮浪者に絡まれたら日本語で対応すべし
ドレスデンからクラクフに行くまでに一度乗り換えがあったので、経由地(駅)の屋台でホットドッグを買うことにした。
美味しそうなソーセージがジューッと焼かれて、いい匂いが広がっていたのである。
「よし、今日はホットドッグですね!」
テンションが上がり、意味もなく自分自身にそう話しかける。
そしてお会計のために財布を取り出したまさにその時——
……なんか、いる。
チラッと横を見ると、ポーランドの浮浪者(なかなかの年季入り)が、ジーーーッとこちらを見ている。
いや、見ているというか、筆者のパーソナルスペースにガッツリ入っており、もはや傍から見れば「あの2人できてんじゃね?」と思われそうな距離感である。
え、気のせいだよね?
お金を払って屋台の店員さんからホットドッグを受け取ろうとした瞬間、その浮浪者が、なんと横からスッと手を伸ばしてきたではないか!!
筆者は自分のホットドッグを守りながら初めは英語で
当時の筆者としては最大限の中学英語で主張する。
人生で一番必死に英語をしゃべった瞬間かもしれないが、向こうは微動だにせず、表情も変えない。
とりあえず筆者は早歩きで浮浪者を撒いてみることにした。
しかし浮浪者は片手にホットドッグを持ったまま早歩きする筆者にどこまでもついてくる。
「え、怖い。どこまでついてくるんだ?」
駅の構内に入ってみる。まだついてくる。
試しに小走りしてみる。……追ってきます。
もしかして、私のことが好きなのでしょうか???
それならそうと早く言ってくれれば良かったのに、「汚い人は無理!」とハッキリ言ってあげたのに。
そんなこんなで5分ほど歩き回った末に、ようやく落ち着こうと駅の階段に座った。
カバンを置き、ヒザの上にピエロギ(ポーランドの餃子のような料理)の皿を乗せて、さあ食べようかと思ったその瞬間。
——バッ!
目の前に立つ浮浪者が、またもや素手で奪い取ろうとしてくる!!
しかし、その時ふと気づきました。
あ、暴力的ではないのね♡
よぼよぼで、汚れた服の小柄な浮浪者。もし本気で殴りかかってきたら、小指一本でも勝てる自信はある。
(筆者:身長182cm、体重82kg、筋肉質)
なんせ相手はヨボヨボの汚いちっちゃな浮浪者である。
そこで、新たな戦略を試してみた結果、栄えある『最も効く浮浪者撃退法』は、
外国で絡まれたら、変に英語で対応しようとせず、ひたすら日本語で怒鳴るべし!
に決定。
普段は温厚で朗らかで笑顔が絶えないイケメンな筆者ですが、
「さっきからずーーーっとさぁ、うざいねん、あっち行けや!ってかお前誰やねん!!!臭いし汚いし触んなよ、マジで。喧嘩したいならやったるから表出ろや?」
と静かにぶちギレ関西弁を炸裂させたところ、浮浪者は一瞬で姿を消した。
あれ、幽霊だったのかな?一瞬で成仏しちゃったよ。
よく考えてみると当然のことである。
いきなり聞いたこともない言語で静かに怒鳴るアジア人、しかも見た目がゴリラみたいな男。
CLEAR OFF!!!!
って言うより100倍怖い気がする。
※しかし同時に知っておいて欲しいのは、ヨーロッパではホームレスに対して「助けてあげよう」という気持ちが尊重されるのも事実なのだ。
子供にお金渡して「ほら、お金入れてきてあげなさい」とかやってる親子の光景も頻繁に目にする。
だから、この浮浪者も、本当に困っていたのかもしれない。
ヨーロッパの電車は通告なく時間やプラットフォームの変更がある
さて、浮浪者をなんとか撃退して、ようやく一息ついたと思ったら、次なる試練が待っていた。
電車が時間通りに来ないのだ。
「乗り換えの電車が来ない!!!」
「いや、もしかして時間より早く出発した?え?え??」
筆者、大パニック!
とにかく、自分が乗るはずだった電車に乗っていないということは紛れもない事実である。
しかもそのアナウンス、英語ではなく現地語——例えばドイツ語やポーランド語などでしか流れないことも多い。
つまりその場合、事情を知らない外国人はどうなるか?
そう、乗り遅れるのだ。
現在の筆者のように。
一応店員さんに電車の番号を伝えると「あ、もう出発したよ」と言われて終わり。
はぁ?いつ?勝手に時刻とかホーム変更すんなや!!!!!
現地の言葉は少しくらい勉強してから行くべし
急遽駅員に相談するとどうやらクラクフへは夜行バスが出ているらしい。
まあクラクフは京都並みの古都である、夜行バスくらい出てて当然だ。
しかし、この夜行バスを探すのに一時間以上かかったのだ!!
バスセンターへ行って、なんとかチケットは予約できたのだが、肝心の「どこから出るか」がまったくわからなかったのである。
なぜなら、表示がすべてポーランド語だったから。
さらにバスセンターの係員さんも、ポーランド語しか話さない。
英語?何それ美味しいの?状態。
この夜、筆者の混乱ゲージを最大まで押し上げた単語。それが
「スタノヴィスコ」
係員さんが何度も「スタノヴィスコオシェム」と言ってくるのだが、こっちは「なんかの呪文か!?」状態。
結果的にそれが「8番プラットフォーム」のことだと判明したのは、バス出発の3分前!!!
※オシェムは8を表す。
もう汗だく。心拍数マックス。パニック状態。
筆者「スタノヴィスコってなんやねーーーん!!!!」
ヤバいヤバいヤバい乗り遅れるってばーー!!!泣
乗り遅れそうになって泣く寸前の筆者
電車に乗り遅れ、緊急で予約した夜行バスにも乗り遅れていたら…
そう思うとゾッとする。
意外に歌舞伎とか浮世絵が人気
無事にクラクフに到着できた。
あの「スタノヴィスコの呪い」を乗り越えての到着、もはや偉業とすら言える。
で、朝のクラクフで発見した「ヨーロッパに浸透する日本文化」ってやつを紹介する。
歌舞伎と浮世絵、これは割と定番なんだが…
浮世絵が漫画として捉えられている。
これ、半分正解で半分「いやちょっと待て」って感じである。
というのも、向こうの人からすると「日本の絵=漫画っぽい」ってざっくりイメージがあるから、「浮世絵=昔のマンガ」みたいな感覚で受け取っているのだろう。
現代の我々からすると「源氏物語絵巻=少女漫画」って言ってるくらいの感覚か。
でもまあ、アートとしてカッコいいし、ポップな印象もあるから、向こうでは「JAPANESE MANGA」ってノリで使われているのだろう。
もはやブランド化すらしている、浮世絵すげぇ。
普通のカフェがオシャレ
町をぶらぶらしてて、ふと入ったカフェ。
「ちょっと休憩でもするか〜」くらいのノリだったのだが。
え、なにここ…オシャレすぎん???
これが……普通のカフェ!?
いやいや嘘やろ、オシャレ雑誌の撮影場所かなんかですか???
天井から吊るされた謎の植物
センスの塊みたいな照明
テーブルの木目、磨きすぎてツヤツヤ
コーヒーカップですらなんかスタイリッシュ
そして何より
安い!うまい!なのにオシャレ!!!
ちなみに、ポーランドの物価は日本よりかなり安かった(※2014年当時)
筆者、当時の回想モードに入る。
いやいや、観光地価格であの安さって…どんだけ〜!(←古い)
ヴァヴェル城
宿の近くに、なんかめっちゃデカくて歴史ありそうな建物があったため、とりあえず観光してみたら——
はい、出ました。
ヴァヴェル城!
ポーランド・クラクフにある、由緒正しき歴代王たちの居城!
もう名前からして強そう、そして重厚感ハンパない。
「ヴァヴェル」って響き、なんかこう……旧約聖書とかに出てきそうな神々しさがある。
筆者「ヴァヴェルの塔……?えっ、神の怒りに触れて崩壊したあの……?」とか妄想を膨らませたが…
ぜんっぜん関係なかった!!!
バベルの塔とヴァヴェル城はまったくの無関係。語感だけの奇跡的偶然。
歴史ロマンって、たまにこういうズッコケがある。
しかしこのお城、ただの歴史的建造物ではない。
クラクフ、実はドラゴンが有名らしいのだ。
……え、まさかのファンタジー展開!?
しかもたまに火を噴く。
シュボッ🔥
※ガチで火を噴く仕組みになってるドラゴン像が、ヴァヴェル城の近くに存在するのである。
観光地にいるドラゴンが定期的にブレス吐いてくる国、ポーランドだけではないか?
異世界転生の入り口、もしかしたらここだったのかもしれない。
中華料理が美味しい
パンばっかり食べてたら、日本人の魂が限界を迎えた。
筆者、日本食シックに陥る。
毎日パン。パン。またパン。
オシャレだけどもう無理。胃が米を求めてる。味噌汁の幻が見えるレベル。
でも日本料理屋なんてもちろん無い。
……というわけで、せめてものアジアの魂を求めて中華料理屋へGO!!
で、出てきたのがこの酸辣湯(サンラータン)!
これがもう、めちゃくちゃ美味しかった!!!
身体にしみる酸味ととろみ、ちょっとピリ辛で心まで温まるこの一杯。
あの時の筆者には、もはや神のスープにしか思えなかったのである。
そして麻婆豆腐。
さて、そんな中華料理屋さん。
中国人シェフと、その奥さんがやってるアットホームなお店だったのだが——
奥さんがですね、めちゃくちゃ美人だったんですよ!!
筆者、ちょっとテンション上がって、
「May I take a photo?(with me?)」
って言ってみた、言ったつもりだった。
※脳内訳:
筆者「すごい美人なんで、一緒に写真撮ってもいいですか?」(キラキラ)
でも、通じなかった。
あれ?あれれ?流れ的に、なんか夫婦ツーショット撮ってあげる流れになってる??
筆者「いやいや、あなた達2人の写真はいりません!!!」
心の叫びは虚しく、カメラロールには見知らぬ中華料理屋のご夫婦の微笑ましいツーショットが保存されました。
ヨーロッパで「water」と言えば「炭酸水」のことである
はい出た、ヨーロッパ旅の初級トラップ!
ヨーロッパで「water」と言えば、炭酸水のことである。
旅人たちを次々に惑わせるこの洗礼、もはや伝統芸能の域である。
知らずに買って飲んだ瞬間——
「プシュッ!!」
筆者「……えっ、朝から口の中がシュワシュワしてるんやけど!?!?(;゚Д゚)」
そう、ヨーロッパで“water”と言うと、基本は“炭酸入りの水”=ガス水なのだ!!
しかも冷たくてシュワシュワしてて、喉越しだけは爽やかだが朝一番にコレは正直キツい!!!
筆者「誰が朝イチで炭酸水飲みたいねん!!(血の叫び)」
いやね、コーラとかスプライトなら心の準備してるのだが、水で炭酸は完全に油断してた。
スッと飲みたかったのに、口の中がパーティー状態。
皆さんも気を付けよう。
ドイツ語で
「mit kohlensaure(ミット コーレンゾイレ)」は「with gas」、
「ohne kohlensaure(オーネ コーレンゾイレ)」は「without gas」。
英語で店員さんに尋ねる場合は「Still water=普通の水」、「water=炭酸水」で案内されることが多い。
というわけで、みんな、ヨーロッパでは油断するな!!!!!
アウシュヴィッツ強制収容所
「強制収容所」と聞いて、真っ先に名前が挙がるのがやはりこの場所——アウシュヴィッツ強制収容所ではないだろうか。
ポーランド南部の町オシフィエンチムに存在したこの施設は、ナチス・ドイツによって設立され、その名は人類史上最も暗い記憶のひとつとして今も深く刻まれている。
ただ、意外に知られていないのは——
“アウシュヴィッツ”と呼ばれる収容所がひとつではなかったということだろうか。
いわゆる「アウシュヴィッツ」とされるのは主に第一収容所で、こちらは主に「労働力として使える」と判断された人々が収容されていた。
そのすぐ隣に広がるのが、より過酷な運命が待ち受けていた——
ビルケナウ絶滅収容所(アウシュヴィッツ第2収容所)である。
ここには、
高齢者、子ども、病人など「働けない」と判断された人々が収容され、
ほとんどの者が長く生き延びることはできなかった。
第一収容所の入口に掲げられた言葉——
「ARBEIT MACHT FREI」
直訳すると「働けば自由になれる」。
しかしこれは皮肉にもならない、悪意ある嘘だった。
現実には、自由など決して訪れず、
その先にあったのは過酷な労働と、理不尽な死だけだったのだ。
ここからの写真はビルケナウ収容所の写真である。
バラック(収容小屋)の内部から見える外の景色。
ただの柵と空、草原に見えるかもしれない。
しかし当時の収容者たちも、この同じ景色を絶望とともに見ていたのだろう。
収容棚の一段。
信じがたいことに、この一段に5~6人が詰め込まれて寝かされていたと言われている。
プライバシーも、清潔さも、尊厳もなかった場所。
それが「絶滅収容所」と呼ばれたビルケナウの現実である。
こうして実際に訪れ、足を踏み入れて、肌で感じることでしか得られない重みがある。
この場所の記憶は、過去のものではなく——
「今を生きる私たちが、どう次代に伝えるか」が問われるものなのだと痛感した瞬間であった。
やはり東欧は美人が多い
いや別にこれはポーランドに限った話じゃないのだが——
東欧、マジで美人率が異常。
ヨーロッパって地域ごとにちょっと顔立ちの傾向が違うのだが、東欧は基本的にエキゾチック系美人の宝庫。
もうね、街歩いてるだけで「なにこの顔面レベルの高さ…」となる。
マジでドキッとした。心臓、ちゃんと2回止まった。そのレベル。
で、筆者ここでまたやってしまいました。
この美女と一緒に写真を撮りたくて、例によって…
「May I take a photo?(with me?)」
って言ったのだ。
いや、正確には「(筆者と一緒に)写真いいですか?」ってニュアンスで聞いたつもりである。
でも——
通じなかった。
そして数秒後。
なぜかまた、
「美女+隣にいたおじさん(たぶん旦那さん)」のツーショットがカメラロールに保存されていた。
筆者「ちゃうねん!!!そのツーショットちゃうねん!!!!」
中華料理屋のときと全く同じパターンで撃沈。
もはや旅のジンクスになりつつある。
ちなみに、現地で写真をお願いする時はちゃんと
“Can I take a picture with you?”
と”with you”をはっきり入れないと、ただのカメラマン化する。
旅の中で美人に出会うたび、成長する筆者の英語力——
次回のリベンジに、期待してほしい(切実)
場外スケートリンクagain
ヨーロッパって、気づけばどこかしらに場外スケートリンクある。
もはや冬の風物詩的な存在。
で、今回もその例にもれず——
近所(ポーランドのクラクフ)の場外リンクで現地の子どもたちがキャッキャしてたので、筆者も乱入。
場外スケートリンクで遊んでた現地の子どもたち。
子どもたち、当然のように英語ゼロ。
筆者も、当然のようにポーランド語ゼロ。
でも!
ボディーランゲージとノリだけで乗り切る、謎のコミュ力を発揮!!
いやほんと、言葉が通じなくても一緒に遊べるあの感じ、尊い。
貧乏旅の良き伴侶
一瞬、女性の話か?と思った方、大間違いである。
貧乏旅の最強の味方ってなんだろうか?
答えは「ヨーグルト&パン」である。
これがもう、コスパ最強の組み合わせ。
スーパーで買ってその場で食べられる。
お腹にたまる。
そしてなにより——安い!!
「何ならこの旅、8割くらいこれで生きてた」
そう語るのは筆者。
「旅先では現地グルメを!」って声も聞こえるが、まず餓死せずに生き残ることが最優先である。
チェコのプラハへ
ポーランドともお別れして、夜行バスでチェコのプラハへ向かう。
が——またしても、トラブル発生。
「乗り場、急に変更される問題」ふたたび。
筆者「え、バス来-へんねんけど!?乗り場どこ!?ってか何語!?(絶望)」
そんなとき、近くにいた親切そうな現地のお兄さんが明らかに挙動不審な筆者を見て、何かを察して教えてくれたのである(神)
おかげで無事バスに乗車。
「お、これはもしや旅友誕生の流れでは!?」
と、ささやかな希望を抱いてたのだが——
プラハ到着と同時に、その人、無言で消えた。
まじで一瞬で視界からフェードアウト。
「……さよならもないんかい!!」
でも、旅ってそういうのの繰り返しである。
一期一会。出会いは一瞬、でも思い出は一生。
というわけで、次回からはプラハ編!
2014年の驚きと発見の連続だった1ヶ月間を振り返りつつ、今回はチェコの首都プラハ滞在について語る。今思えば、右も左も分からない状態でよくそんな大胆な決断をしたものだが、この旅が人生において多くの発見や学びをもたらしたことは間違いな[…]
2014年の驚きと発見の連続だった1ヶ月間を振り返りつつ、今回はドイツ東部の街ドレスデン滞在について語る。今思えば、右も左も分からない状態でよくそんな大胆な決断をしたものだが、この旅が人生において多くの発見や学びをもたらしたことは間[…]