厳しい苦行を始めるブッダ
こうした師匠の教えに満足できなかったブッダは、別の修行者たちと出会い、山にこもって厳しい苦行を始めます。
当時のインドでは、肉体をいじめ、その苦痛に耐え続けることによって、超人的な力を得られると信じられていました。
そこで、絶食や呼吸を止めるという修行に取り組み、口にする食べ物は、わずかな果実や球根、コケぐらい。
こうしてシッダールタは体が衰弱して死に直面することもありました。
体を苦しめるだけでは悟りを開けない
こうした苦行を6年間も続けたため、ブッダは骨と皮だけになってしまいましたが、結局分かったことは、
ということでした。
スジャータに救われ体力を回復
身も心もボロボロになったブッダは、山を下り、ナイランジャナー河で身を清めます。
そして、トボトボと歩いているとき、村長の娘スジャータにミルク粥(がゆ)の施(ほどこ)しを受けたと言われています。
体力を回復したブッダは、付近に茂っていた大木の下に東を向いて座り、
と決心して、瞑想に入りました。
そのとき悪魔の大軍が襲ってきたと伝えられており、これはブッダの煩悩との闘いを表現していると言われています。
要するに心身的な欲望のことですね。
「疲れた」「お腹減った」「セックスしたい」「ツラい」「喉が渇いた」「暑い/寒い」「眠い」「腹が立つ」
とかのことですね。
しかしブッダは日が暮れるまでにこれらの煩悩を克服。
翌12月8日の明けの明星が輝く頃、ついに、宇宙、人生の真理を得て悟りを開きました。
ブッダガヤの大木
仏教では、悟りを開いた者を「仏陀(ブッダ)」と呼びますが、このとき出家修行者のゴータマ・シッダールタは初めて「仏陀」となったのです。
また悟りを開いた時、ブッダが座っていた大木は、梵語(ぼんご)で「迷いを断ち切って悟りを得た」という意味の「ボーディ」という言葉から、その後「菩提樹(ぼだいじゅ)」と呼ばれるようになりました。
この場所はインド北東部のガンジス川の南にあって、現在は「ブッダガヤ」という地名となっています。
このブッダガヤが仏教の聖地となっています。
布教活動を始めたブッダ
悟りを開いたブッダは、自分の考えを広めようと、布教活動に乗り出しました。
はじめて説法したのは、ブッダガヤに近いサルナートという場所で、五人の比丘(びく=修行僧)に対して行いました↓
決して近くはないです(笑)
これをきっかけに次第に弟子が増え、信者となった各地の王侯や商人たちから寄付も集まるようになりました。
なかでも有名なのが、コーサラ国の大金持ちであるスダッタから贈られた「祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)」という広大な園林です↓
ブッダはこの祇園精舎を気に入り、大勢の弟子たちを連れてきては説法をしたと言われています↓
ブッダ亡くなる
ブッダは80歳で亡くなりますが、それまで各地を周って自分の悟った教えを説き続けました。
当時としてはかなりの長命だったのは、35歳で悟りを開いてから心穏やかに暮らしたためとも、仏教を広めたいという使命感のためとも言われています。
仏教ではブッダの死を入滅と呼びます。
加齢とともに体力が衰え、肉体が衰弱していたブッダは、田舎町クシナガラの沙羅双樹(さらそうじゅ)の下で、
頭を北にし(これが北枕)、右半身を下にして、永遠の眠りについたのです。
以上で、ブッダの生涯の説明は終わりです。
次は、仏教の経典について説明していきたいと思います↓
仏教の経典
まずキリスト教には「聖書」、イスラム教には「コーラン」というように聖典は一つしかありません。
しかし仏教には3000以上の経典があり、般若心経や法華経はそのうちの一つなんです。
なぜならブッダの教えは約8万4000あったと言われており、一冊にまとめるには無理があるからです(笑)
次はそんなお話です↓
さて、世界の常識である宗教の、特に今回は「仏教」の勉強の時間です。では前回の記事【仏教の開祖「ブッダ」の生涯を簡単に解説!】に続いて、仏教の経典について説明します。仏教の経典まずキリスト教には「聖書」、イスラ[…]
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