ヨーロッパを旅する前に知っておくべき西洋建築の知識として、今回は初期キリスト教建築について説明します。
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※明言しますが、西洋建築の勉強をしてからヨーロッパに行けば無学で行くより100倍楽しめます。

※「この部分がわかりにくいです」とか「これはどうなんですか?」などの質問やコメント等ありましたら遠慮なく下部のコメント欄からお問い合わせください!
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初期キリスト教建築で学ぶポイントは以下の4つです↓
・イエスの生涯と教会建築の誕生
・バシリカ式教会堂のプランと構造
・実在する初期キリスト教建築
・集中式聖堂の意味と特徴
全ての内容を書くとかなり長くなりますので、各章ごとに図解入りの詳細記事を用意していますので理解を深めるために是非お読みください!
今まで各章ごとに記事を分けていましたが、逆に何記事もまたいで読みにくいかと思い、試しに1ページに全てまとめました。
読みにくいようなら改めて記事を分けるので、その際はコメント欄をご活用ください。
イエスの生涯と教会建築の誕生
まずはイエスの生涯と教会建築の誕生を解説します。

イエスの生涯
参考書「西洋建築様式史」には詳しく載っていますが、さすがに全部書いたら最後まで読んでもらえないと思うので、かなり要約しました↓
イエスは今からおよそ2000年前に現在のイスラエルのナザレという村でユダヤ教徒として生まれましたが、30歳頃からユダヤ教とは違う新たな考えを広める中で妬み疎まれ、結果十字架に磔にされて殺されたものの3日後に復活したとされます。
イエスの死後、ユダヤ教徒とローマ皇帝の激しい迫害を受けながらも、313年のミラノ勅令によりキリスト教が公認されてヨーロッパ中に急速に広まりました。
ふう(-_-;)
ありふれた一般人の生涯をこの量に要約するだけでもほぼ不可能なのに、イエス・キリストの生涯をわずか2行にまとめました(笑)
教会建築の誕生
イエスの死後、(かなり紆余曲折ありながらも)約300年後にローマ帝国の国教として公認されたキリスト教でした。
それまで地下に潜っていた隠れキリシタン的な信者たちは公の場で集会を行うことができるようになったことで、キリスト教の教義と典礼に最も適した新しい建築様式をつくり出すことが大きな課題となりました。

もう地下に隠れてこそこそキリスト様を拝まなくてもいいんだ!
でも、どんな教会にしたらいいんだろう?
ということで、突如として教会建築が誕生したわけではなく、彼らはひとまず古代ローマの各都市に建てられていたバシリカ(後述します)という集会施設を教会堂の代用としました。
バシリカとは
さて、古代ローマが残したバシリカがキリスト教に最も適した構造だったとの事ですが、バシリカとは何でしょうか?
バシリカについて詳しいことはまだ解明されていませんが、裁判所とか商業取引所などの多目的なホールで、大勢の人たちを細長い部屋に集めて議長が演壇の上で演説ができるような形式を採っていたものです。
イメージ的にはこんな感じです↓
つまり先ほどの答えになりますが、このバシリカがキリスト教の聖書朗読とミサ典礼を行うのに都合が良かったのです。
詳しいことは後々述べていきますが、早い話「信者に入り口から奥まで廊下を歩かせる方が厳かな感じがするから」という理由で長方形平面のバシリカを代用しました。
このようにして、初めての教会堂建築はバシリカの平面形式(プラン)と構造を基本として形式化されたので、バシリカ式教会堂と呼ばれるようになりました。

では次に、バシリカ式教会堂のプランと構造についてお話したいと思います。