ドラキュラ伯爵は徹底した愛国主義者だった
皆さんは、ドラキュラと聞くと何を想像しますか?
ぼくは、
・恐ろしい吸血鬼
・キバがあり目が赤い
・ヴァンパイア
・にんにくと十字架が弱点
・夜行性
・ルーマニア発祥
・杭で心臓を貫くと死ぬ
などですかね。
またドラキュラやヴァンパイアを題材にした漫画や映画も多いですよね。
しかし先日、ルーマニアとも関係の深いイタリア人彼女がふと口にしました。
ドラキュラ伯爵(のモデルの人物)がただの恐ろしい暴君だと思っているのは小説『ドラキュラ』のせいで、本当はそんな人じゃない!
最近では評価が見直されてきてるよ
と。
という事でドラキュラ伯爵の素顔に迫りました。
あくまで豆知識なので、なるべく簡単にまとめました↓
そもそもドラキュラ伯爵のモデルになった人物は、1431年にワラキア公国(現在のルーマニア南部の地域)の君主になったヴラド・ツェペシュである。
アイルランドの小説家ブラム・ストーカーが1897年(約450年後)に、この土地での暴君(ツェペシュ)を題材に小説『ドラキュラ』を書き上げた。
これにより「ヴラド・ツェペシュ=ドラキュラ伯爵=恐ろしい独裁者」というイメージが定着した。
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ツェペシュはと言えば、オスマン帝国の使者を生きたまま串刺しにした話が特に有名である。
当時は串刺し刑というのは珍しいものでは無かったが、ヴラドの場合はその数が桁違いで重罪を犯した農民、異常者、反逆者は貴族であっても一様に串刺しにしていた。
『ツェペシュ』とは「串刺し」を意味し、『ドラキュラ』とは「悪魔(竜)の子ドラクル」に由来する。
実は「ヴラド」が本名であり、当時から「ツェペシュ」「ドラキュラ」というニックネームも気に入っていたと言われており、その話をもとにストーカーが小説『ドラキュラ』を出版した。
ヴラドは一般市民にも 勤勉かつ道徳的に生活することを求め、秩序を乱す者や不正をはたらく者には容赦のない処罰が科せられた。
そのため、犯罪者は激減し国内の治安は安定した。
民衆の道徳心を計ろうとしたブラドが、人気のない水飲み場に黄金のコップを置いてみたところ、 それを使って水を飲む者はいても、盗む者は皆無であったという逸話が残されている。
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つまり残虐な行為は行っていても決して国を弱体化させる無能な独裁者ではなく、事実は真逆で富国強兵を徹底して行い国を守ろうとした英雄らしいのです。
なので現在のルーマニア人でヴラドを悪く思っている人は少なく、近年世界的に再評価されてきているというのも事実でした。