ティムール帝国が中央アジアを統一
中央アジアのチャガタイ=ハン国、ロシアのキプチャク=ハン国でもイスラム化が進みます。
14世紀、チャガタイ=ハン国の豪族、ティムールがティムール帝国を建てて中央アジアを統一しました。
すでに滅びていたイル=ハン国の領土を併合し、アンカラ(アンゴラ)の戦いではオスマン帝国の軍隊を破ります。
しかし、ティムールは明へ遠征する途中で病死。帝国はその後、4代目のウルグ=ベクが内乱で暗殺されて衰えます。
シーア派を国教とするサファヴィー朝
10世紀頃、イスラム教徒のあいだに、難行によって神を実感することを目指す神秘主義(スーフィズム)が広がります。
神秘教団の教主イスマーイール1世がイランに建てたのがサファヴィー朝です。
彼はイランの伝統であるシャー(王)の称号を用いて、スンナ派のオスマン帝国に対抗してシーア派を国教とします。
第5代シャー・アッバース1世の時代が最盛期で、彼はバグダードやホルムズ島、アゼルバイジャンなどを奪還し、さらに首都をイスファハーンに移します。
(世界の半分と言われたイスファハーン)
モスクや庭園などで美しく飾られたイスファハーンは当時、世界でも有数の都市として繁栄しました。
サファヴィー朝は、18世紀、アフガン人によって滅ぼされます。
インドのムガル帝国(1526~1679)
北インドにティムールの子孫バーブルがイスラム王朝を開く
・ガズナ朝、ゴール朝がインドに侵入
・インドに5つのイスラム王朝が開く
・ティムール帝国崩壊後、北インドにムガル帝国が繁栄
5王朝デリー=スルタン時代
インドは、10世紀にガズナ朝、12世紀にゴール朝が侵入したことで、イスラム化します。
インド最初のイスラム王朝は、ゴール朝の武将アイバクが建てた奴隷王朝です。以降4つの王朝を含めデリー=スルタン朝と呼ばれます。
一方、南インドではヒンドゥーの伝統を守るヴィジャヤナガル王国が海上貿易で繁栄していました。
ムガル帝国の繁栄
16世紀になると、中央アジアを拠点にしていたティムールの子孫バーブルが、デリーを占領してムガル帝国を建国、
第3代のアクバルが、アフガニスタンから北インドを統一します。
アクバル帝は、敵対していたヒンドゥー教徒のラージプート族と姻戚関係を結んで和解し、またイスラム伝統のジズヤ(非イスラム教徒に課す人頭税)を廃止するなど、ヒンドゥー教徒との融和を図ります。
また、土地を測量し、貨幣の統一、税制の整備を行いました。さらに、全国を州・県・郡に分けて中央から派遣した官吏に治めさせるなど、帝国繁栄の基盤をつくります。
第5代シャー=ジャハーンは、亡くなった王妃のためにタージ=マハル廟↓を建てたことで有名です。
第6代のアウラングゼーブは、外征によってデカン高原を支配下におき、帝国の領土を拡大しましたが、そのために財政は悪化します。
※父が重病との報せが入った時にアウラングゼーブは都を離れており、このままでは自分以外の3人の兄弟が皇帝になると焦り、すぐに都に帰り父を監禁し、他の兄弟を全員抹殺して第6代皇帝になった、らしい・・・
彼は熱心なスンナ派で、ジズヤを復活したりヒンドゥー教寺院を破壊するなどしたため、ラージプート族が抵抗、シク教徒も反乱を起こし、マラータ族はマラータ国を建ててムガル帝国に対抗します。
アウラングゼーブ皇帝は、ヒンドゥー教だけでなく、イスラム教以外の宗教(仏教やジャイナ教)も否定しました。
※イスラム教徒は大きく2つの宗派に分けられ、イスラム教徒の9割を占める「スンナ派」と、イスラム教徒の1割で構成される「シーア派」があります
こうしたことから、ムガル帝国はアウラングゼーブの死後、衰退します。
ここまでのまとめ
ではここまでの流れをもう一度おさらいしたいと思います。
【1169年】
サラディンがアイユーブ朝を建てる
シーア派のファーティマ朝の宰相サラディンが政権を握りアイユーブ朝を建てる
【1171年】
アイユーブ朝がファーティマ朝を滅ぼす
サラディンはスンナ派のクルド人
【1187年】
サラディンがイェルサレムを奪還
キリスト教徒からイェルサレムを奪い返す
【1189~1192年】
第3回十字軍
敵に対して虐殺や略奪を行わなかったことで賞賛される
【1250年】
マムルーク朝がアイユーブ朝を滅ぼす
トルコ人奴隷マムルークの軍団が実権を握りマムルーク朝を建て、アイユーブ朝を滅ぼす
【1260年】
アインジャールートの戦い:マムルーク朝が、フラグの率いるイル=ハン国軍を破る
【1299年】
オスマン帝国興る
現在のアンカラ付近にオスマン帝国が建国される
【1370年】
ティムール帝国建国
チンギス=ハンの建てたモンゴル帝国が分裂したうちの一国、チャガタイ=ハン国の豪族ティムールがティムール帝国を建国
【1399年】
ニコポリスの戦い:バヤジット1世がバルカン諸国・仏・英・独連合軍を破る
第4代のバヤジット1世の時代
【1402年】
アンカラの戦い:ティムールがオスマン帝国を破る
バヤジット1世がティムール帝国のティムールに敗れ捕虜となり、約10年間スルタン不在の時代
【1405年】
ティムール死去
ティムールは明へ遠征する途中で病死
【1413年】
オスマン帝国復興
ティムールの死後、オスマン帝国は復活
【1449年】
ウルグ=ベクが暗殺される
ティムール帝国第4代目のウルグ=ベクが暗殺され、帝国は衰えていく
【1453年】
メフメト2世がコンスタンティノープルを陥落させ、ビザンツ帝国を滅ぼす
コンスタンティノープルがオスマン帝国の首都「イスタンブール」になる
【1514年】
セリム1世がサファヴィー朝を倒す
オスマン帝国第9代セリム1世がサファヴィー朝を倒す
【1517年】
セリム1世がマムルーク朝を倒す
オスマン帝国第9代セリム1世がマルムーク朝を倒す
【1526年】
バーニーパットの戦い:バーブルがロディー朝を破る
ムガル帝国建国
モハーチの戦い:スレイマン1世がハンガリーを支配下に置く
ティムールの子孫、バーブルがデリーを占領してムガル帝国を建国する
【1529年】
スレイマン1世によるウィーン包囲
ウィーンを包囲してヨーロッパを恐怖に陥れる
【1538年】
プレヴェザ海戦;オスマン海軍がスペイン・ベネツィア連合艦隊を破り地中海の支配権を確立
地中海の制海権を獲得
【1556~1605年】
アクバルの在位
アフガニスタンから北インドを統一したムガル帝国第3代アクバル帝
【1564年】
ジズヤの廃止
アクバル帝は、人頭税(ジズヤ)を廃止し、ヒンドゥー教徒との融和を図る
【1597年】
アッバース1世が首都をイスファハーンに移す
サファヴィー朝第5代シャー・アッバース1世が首都をイスファハーンに移す
【1628~1658年】
シャー=ジャハーンの在位
タージ=マハルを建てたムガル帝国第5代シャー=ジャハーン
【1658~1707年】
アウラングゼーブの在位
熱心なスンナ派で、ジズヤ復活など他教徒を厳しく弾圧したムガル帝国第6代アウラングゼーブ
【1679年】
ジズヤの復活
非イスラム教徒に課す人頭税を復活
【1722年】
サファヴィー朝が首都をアフガン人に占領される
サファヴィー朝は、18世紀にアフガン人によって滅ぼされる
おわりに
さて、イスラム世界の流れを2回にわたってまとめてきました。
世界遺産を38件もつインドや24件もつイランですが、歴史を学んだことでようやく少しは理解できるようになりました。
と言っても、色々な王朝が興亡しているのでそれをまとめた記事も書いていきたいと思います。
コロナで自宅にいる時間が増えた時こそ、勉強の時間ですね!
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