ヨーロッパを旅する前に知っておくべき西洋建築の知識として、今回はビザンティン建築について説明します。
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※明言しますが、西洋建築の勉強をしてからヨーロッパに行けば無学で行くより100倍楽しめます。
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本記事は「シャルルマーニュとカロリング朝建築」を解説しています。
シャルルマーニュとカロリング朝建築
この章の特に重要な点を挙げると以下の3点になります↓
➀カール大帝とは
②アーヘンの王室礼拝堂
③サン・リキエ修道院付属聖堂
それぞれ解説します。
➀カール大帝とは
6世紀中期から約半世紀にわたる建築活動の停滞が終わった後に、新しい時代の幕開けを準備するためにこの世に生まれてきた偉大な支配者が現れます。
↑シャルルマーニュ(=カール大帝)である。
768年に国王、800年から814年にかけて皇帝となり、現在のフランス・ドイツ・イタリアにまたがる大帝国を建設します。
これ以降10世紀まで続く王朝をカロリング帝国と呼び、この建築的に不毛だった時代において唯一の注目すべき建築を残した貴重な王朝でした。
この時代を代表する建築としてはアーヘンの王室礼拝堂があります。
②アーヘンの王室礼拝堂
この建築はラヴェンナのサン・ヴィターレを模範として建設された八角堂でしたが、模範の作品に比べて、その軽快さと優雅さが失われ、薄暗く重厚なものとなりました↓
確かにすごく重厚な感じですよね。
ラヴェンナのサン・ヴィターレは前記事で既に説明していますのでご参考に。
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もう一つバシリカ式の教会堂として建てられたものにサン・リキエ修道院付属聖堂があります↓
③サン・リキエ修道院付属聖堂
カール大帝の子アンギルベルトが院長となって建設したものですが、残念ながら現存しません。
17世紀の版画から判断すると、東西に袖廊が張り出し、その交差部にそれぞれ塔が立つ、二重内陣式・多塔形式の教会堂です。
ドイツや北フランスに普及するロマネスク教会堂のひとつのタイプを予言するものであり、建築史の上で貴重な史料(らしい)です。
さて、ということでビザンティン建築編は終了です。
お疲れ様でした。
では次に、ロマネスク建築のお話をしていきたいと思います。
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