本記事は、2017年に行ったヨーロッパ一人旅の記録を振り返るものであり、チェコの首都プラハでの滞在を中心に、当時の思い出をゆるりと綴っていく。
西洋建築を無学のまま入り、何がスゴイかもわからずに5分くらいで退出したプラハ城の大聖堂
旅の期間は2017年初頭、およそ1か月。
東欧・バルト三国・アイスランドなど、これまで訪れたことのなかった国々を巡る冒険だった。
今回の旅には、
- 旅仲間(以下「エリ」)との同行
- 初めてのレンタカー運転
- 人生初のテント泊
という3つの大きな挑戦があり、まさに忘れがたい出来事の連続であった。
本記事では、その旅の始まりから順に振り返っていきたい。
- 1 チェコの首都プラハ滞在記
- 2 世界一美しいマクドナルド、再び登場
- 3 ホームレス=危険ではない
- 4 貧乏旅行者はバスで行こう
- 5 ヨーロッパはパン食文化
- 6 プラハ城とゴシック建築と、雪見だいふくと
- 7 チェコはガラスが有名
- 8 世界一美しいスタバ、だと…?
- 9 チェコの名物料理、未知との遭遇
- 10 プラハでマトリョーシカ??
- 11 ヴルタヴァ川とEの突然の告白
- 12 カフェで2度目の昼食
- 13 600年以上も精確に時を告げる天文時計
- 14 近未来的な公衆トイレ
- 15 マーネス橋を渡って
- 16 ホステルでのひとコマ
- 17 ホステルの朝食
- 18 チェコ最古の橋「カレル橋」
- 19 いよいよ登場、カレル橋!
- 20 リトアニアの首都ビリニュスへ
- 21 【出発】バス旅の玄関口「Florenc C」からリトアニアへ!
チェコの首都プラハ滞在記
※本記事は前回の続きである。
本記事は、2017年に行ったヨーロッパ一人旅の記録を振り返るものであり、スロベニアでの滞在を中心に、当時の思い出をゆるりと綴っていく。 旅の期間は2017年初頭、およそ1か月。 東欧・バルト三国・アイスランドなど、これま[…]
というわけで――
ブダペストにて、両親の「危ないから行ってはダメ!」という愛ある圧力を軽やかにかわし(もしくは正面突破で押し切った?)、ヨーロッパへと飛び出してきた友人エリとついに合流した。
筆者はそれに先立ち、ひと足早くヨーロッパ入りしてスロヴェニアを一週間ほどレンタカーで爆走してきたわけだが、ここからはエリとの新章が幕を開ける。
恋か?友情か?トラブルか?
その答えは、まだ誰も知らない――
世界一美しいマクドナルド、再び登場
時は2017年1月31日(火)午前11時53分。
再度お伝えするが、我々が待ち合わせたのは――
世界一美しいマクドナルドである。
初めて聞いた方には「何を言っているんだ」と思われるかもしれないが、そうなのだ。
このマクドナルド、外観も中身も「どう見ても高級博物館か、国立の何か」なのである。
場所はブダペスト西駅(Budapest Nyugati)の構内。
うっかりしていると「次の展覧会は何かな」と間違えて入ってしまうレベルの荘厳さ。
ホームレス=危険ではない
世界一美しいマクドナルドを後にすると、目の前には駅が広がっていた。
というか正確には、駅構内にマクドナルドがあるといった方がしっくりくる。
さて、我々はハンガリーの首都ブダペストから、チェコの首都プラハへ向かう予定である。
そのため、まずは地下鉄に乗って大きめのバスターミナルへ移動することになった。
地下鉄構内――これはハンガリーに限らず、ヨーロッパの地下鉄ではわりと「定番の景色」と言える。
ちなみに写真は無いが、エリは筆者の横にずっと存在感を放っていた。
そして地下鉄を降り、バスターミナルへ向かって歩いていると――
筆者「おっ、早速いるな。駅で寝泊まりしているホームレスの方々だ」
実を言うと、ヨーロッパではこういった光景はそこまで珍しくない。
旅行初心者だと驚くかもしれないが、ホームレス=即危険ではないというのは声を大にして言いたいところだ。
海外のホームレスと聞くと、「ナイフ持って金品要求されるんちゃうんか!?」みたいな映画的イメージが頭をよぎるかもしれない。
しかし、実際のところはというと――
「お恵みを~~」と、もはや時代劇の門前町かというテンションで話しかけてくる程度である。
過去に何度か絡まれた経験もあるが、いずれも大人しく、むしろ“気弱な懇願タイプ”が大多数だった。
なので、必要以上に怖がる必要はない。
無理に関わる必要はないが、怯えすぎて露骨に避けるのも、逆に失礼というものである。
貧乏旅行者はバスで行こう
2017年1月31日(火)15時発、プラハ行きの長距離バスに乗り込んだ。
ブダペストからプラハまではおよそ525km。
自家用車なら5~6時間ほどの距離である。
筆者は当然ながら貧乏旅行スタイルなので、ここは迷わず長距離バスを選択。
ヨーロッパ内を安く移動したいのであれば、まずはGoogleで
“Cheapest way from ○○ to △△”
と英語で検索するのが最も手っ取り早い。
残念ながら英語が読めない人に、格安交通手段は少々ハードルが高い。
とはいえ英語が多少読めれば、ルートや料金の選択肢は一気に広がるので、旅人たる者、Google英語検索は必須スキルである。
当然だが、電車より長距離バスの方が圧倒的に安価だ。
ただし、時間はそれなりにかかる。
このときも休憩を挟みつつ、7時間ほどの旅路となった。
目的地・プラハへの到着は22時ごろ。
宿泊先は安宿として有名な「LITTLE QUARTER HOSTEL」である。
Cosy hostel located near the Prague Castle…
この宿については、過去記事でも触れたことがある。
実はこのホステル、筆者にとっては少々因縁のある場所なのだ。
2015年のヨーロッパ旅、親友と一緒に訪れたチェコの首都プラハ。 美しい街並みと歴史的な建物が立ち並ぶこの都市で、私たちの旅はどんな思い出を作り上げたのだろうか。 プラハの街を歩きながら感じたこと、出会った人々、そして忘れられな[…]
というのも、2年前の旅で親友と宿泊予定だった際、23時の門限に間に合わず――旅行初日から野宿を余儀なくされたという黒歴史がある。
そのときの様子は今でも鮮明に思い出せる。
「23時05分に宿の前に着いて、ガラス扉をゴンゴン叩きながら
『はろぉぉぉ、だれかぁ〜(´;ω;`)』って叫んでも、誰も出てこんかった薄情な宿である」
しかし――
筆者「ん?この宿、今は24時間対応になってるやん!!」
時代は変わったようだ。
ホステルの前の通り。
静かで雰囲気の良いエリアである。
この日は宿に着くなり、シャワーを浴びてそのまま爆睡した。
長距離バスの疲労感は、予想以上に体にくる(←実はまだ24歳)
ヨーロッパはパン食文化
翌朝(2017年2月1日(水))、プラハの朝は、曇天で幕を開けた。
筆者「もうね、びっくりするぐらい天気が悪い」
朝起きた瞬間からどんよりグレー。
これがもし絵の具だったら、絶対フタ開けて確認しないレベルの地味カラーである。
だがここはヨーロッパ。
この永遠に晴れない空が、かの荘厳なゴシック建築やロマネスク建築を生んだのだと考えると、ちょっとだけ感謝の気持ちも湧く。
「雨よありがとう。おかげで聖堂が暗くてかっこいいです」と言いたい。
ちなみにヨーロッパの気候風土は、アルプス山脈を境にガラリと性格が変わる。
少々極端な表現だが、
㋐アルプス以北:天気が終わってる。だから建物の内部を盛り盛りに装飾。
㋑アルプス以南:まあまあ天気が良い。だから外観も楽しめる。
つまり、天気が悪い=内装ガチ勢なのである。
詳しくは下記を参照のこと(←急に先生ぶる)
RYOです 今回は西洋建築を学ぶ上での基本中の基本、一見建築には直接関係なさそうな、しかし重要な基礎知識を先に書いておきます。 単にギリシア建築、ローマ建築、ゴシック建築などを学ぶよりも建築様式の種類や風土の特徴を頭に入れている[…]
で、そんな感じでどんよりテンションで街を歩くことになったのだが、とりあえず腹が減っては観光もできぬ。
ということで、朝ごはんタイムである。
当然ながら、看板はすべてチェコ語。
読めるわけがない。
むしろ逆に、なんか書いてあることが悔しい。
わかりそうで全くわからない。
そんな呪文看板をかき分けて入ったのはパン屋。
ヨーロッパはどこへ行ってもパン屋、パン屋、パン屋。
もういっそ「パンタウン」って国名にしてほしいレベルである。
日本のなか卯や吉野家がどれだけ神か、こういう時に痛感する。
だが、そんなパン天国でキラリと光る女性が一人。
エリである。
旅行2日目にして、自力でパンを選び、購入している。
これは地味にすごい。
チェコ語わからない+英語が片言でも勇気でなんとかする精神力、尊敬に値する。
で、宿に戻って朝食タイムである。
パッと見、ポテンシャル的にはオシャレでインスタ映えしそうなパンたち。
が、しかし…
筆者のカメラの前ではどんなインスタ映えも意味をなさない。
カメラを買い直した方がいいかもしれない(←いやお前の技術不足のせいやろ)
しかも、しかもである。
「栄養の“え”の字もない、乾いたモソモソ朝食である(´;ω;`)」
旅の高揚感でなんとか胃に収めたものの、正直テンションは上がらない。
パンって、見た目が90点でも中身が25点の時がある。
天気はどんより、パンはモソモソ、でも――
それが旅である。
プラハ城とゴシック建築と、雪見だいふくと
「プラハに来たなら、とりあえず城でしょ!」
ということで、やって来ましたプラハ城。
いきなり補足しておくとこのお城、ギネス公認「世界最古で最大の城」である。
もうこの時点で城界(しろかい)のラスボスみたいな存在。
築城開始はなんと870年、
完成まで実に600年オーバー。
もはや「建設中に文明1つ終わった説」ある。
今はチェコ共和国の大統領府が置かれており、現役でバリバリ使われてるのがまたすごい。
城へのルートはいくつかあるのだが、われわれは「絶望の階段ルート」を選んだ。
道のりはハード。
天気はグレー。
そして空気は冷たい。
筆者「…うーん、晴れないな」
(心も若干、曇ってきている)
本来プラハは、中世の街並みがそのまま残る「おとぎの国」みたいな美しさで有名なのだが…
この日は天気がドンヨリ。
加えて筆者のカメラ技術が中学生の林間学校レベルだったため、まさかの「全編グレー」仕上げになってしまっている。
筆者「絵になる街並みを撮ってるはずなのに、なぜか全写真が『霊界通信』みたいになってる…」
この結果、映えない、映らない、テンション上がらないの三重苦。
読者の皆さま、そしてエリへ、
この冴えない街歩きの様子にお付き合い頂いていること、ここに深く深く、三回深呼吸してから土下座する勢いでお詫び申し上げます m(__)m
ようやく到着、プラハ城の正門!
さすが大統領が出入りする門だけあり、衛兵がピシッと交代制でガード中。
12時になるとファンファーレ付きで交代儀式が行われ、観光客がわらわら集まるらしい。
荷物チェックを経て中に入ると、さっそくお庭へ。
まさかの金属探知機までご用意しているとは。
筆者はJAPANと書かれたパスポートを警察手帳みたいに見せて「お疲れっす~」と通ってみたいな、と思っていた。
そして庭園へ。
雪がうっすら残る庭園を見て、エリがポツリ。
エリ「うっわー、なんか…雪見だいふくみたいですね…」
かわいい。
だが筆者「たけのこの里ちゃうんかい」
庭を抜けると、
突如として現れるバカでかい教会。
筆者「うおおおおぉぉぉおおおお!!!!」
…と、今なら叫ぶが、当時は建築の知識ゼロだったので普通にスルーした。
聖ヴィート教会
・天井高:34m
・幅:60m
・奥行き:124m
・建設開始:925年
・チェコ最大にして最重要の大聖堂
そしてその外観。
「燃えさかるような炎の装飾」が施されたバラ窓が印象的。
この「炎がぼわーっと燃え盛っている」ようなデザインをフランボワイヤン式と呼ぶ、余談だが。
筆者(当時)
「ゴシック?バロック?ロマネスク?…全部ポケモンの名前みたいやん」
筆者(現在)
「おぉ…リヴ・ヴォールトによる天井補強、尖頭アーチによる垂直性の強調、そして外には飛びまくるフライング・バットレス!実に軽快かつ構造的…ふむふむ…(メガネクイッ)」
ちなみにこの聖堂、内部にはあのミュシャ(アルフォンス・ミュシャ)のステンドグラスもある。
しかもめっちゃきれい。
ミュシャファンは感涙モノ。
これ、何度でも言いたい。
「ヨーロッパを旅するなら、西洋建築の基礎知識は必須である」
なぜなら知識がないと、
「わーでかいね」で終わるから。マジで。
600年かけて建てた人々に失礼すぎる。
もしこれを読んで「建築、気になるかも」となった方は、こちらをどうぞ。
ヨーロッパを旅する前に知っておくべき西洋建築の知識として、今回はゴシック建築について説明します。 [show_more more=恒例の挨拶(クリックで開きます) less=折りたたむ color=#0066cc list=»[…]
筆者はこの反省を生かし、帰国後に中古で『図解 西洋建築の歴史』を購入。
その後の旅の“見え方”が完全に変わった。
なにも面白くありません、なにも感動しません。
チェコはガラスが有名
ステンドグラス。
この単語だけでテンションが上がるのは、筆者だけではないはずだ。
いや、むしろ筆者が一番テンションが上がっている自信がある。
「……で、これはいったい聖書のどのシーンなんでしょうか?」
(ガチで誰か解説してくれ)
とはいえ、ステンドグラスの美しさに関しては、文句なしである。
ガラスのくせに、人の心をここまで鷲掴みにしてくるとは、やりおる。
ちなみに筆者、大学時代はガラスをテーマに研究していた。
粉をメノウバチですりすりし、試薬をちょいちょい混ぜ、溶融炉にボンと入れては「おっ、今回はいい色出た!」と自己満足に浸っていたあの頃が懐かしい。
(まあ一応卒業研究の一環だったのだが)
つまり、ステンドグラスがどうこう以前に、筆者にとってガラスとは青春そのものなのだ。
さて、そんな筆者が本場チェコで驚いたことがある。
チェコ――実はガラスの本場である。
これ、豆知識ではなくて完全に本気の話。
その名も「ボヘミアグラス」。
フレディ・マーキュリーもきっと間違える。
ボヘミアグラスとは何者か
ボヘミアガラスとは、13世紀頃にチェコ西部のボヘミア地方で誕生したガラス工芸である。
かわいい♡
無色透明なカリクリスタルに、えげつないほど手の込んだカットや彫刻を施した逸品。
これが17世紀には、あのベネチアングラスを押しのけてヨーロッパ中を席巻した。
筆者「ベネチアよ、よくぞ王座を譲った……!」
実物を見ると、その輝きに言葉を失う。
手に取ると、「割ったら終わり」というプレッシャーに襲われる。
値札を見ると、「買ったら財布が終わり」という現実が押し寄せる。
だが、それでもお土産にひとつ欲しくなるのが、ボヘミアグラスの魔力である。
このガラス、実はワイングラスや花瓶だけでなく、アクセサリーやシャンデリアにまで使われている。
「おまえ、なんでもできるな……!」と声をかけたくなるほどの万能っぷりだ。
ということで、チェコに行くならパンより先にガラスを見よ。
パンは食べたら終わりだが、ガラスは一生モノである。
(ただし、落としたら一瞬で終わる)
世界一美しいスタバ、だと…?
さて、プラハ城もひと通り見学を終えた。
いや、正確には「ササッと流した」と言った方が誠実かもしれない。
深みゼロ、感動やや控えめ。申し訳ない。
ということで、次はお昼ごはんである。
が、その前に、ちょっと気になる情報が耳に入ってきた。
プラハ城の敷地内には「世界一美しいスタバ」が存在するらしい。
ふっ……笑わせてくれる。
筆者「どうせ日本のおしゃれ女子たちが“映え”目的で勝手にそう呼んでるんだろう」と斜めから見ていたのだが――
念のため欧米圏でもそう言われているのか調査してみた。
すると、あった。あったのである。
しかも――筆者が住む京都のスタバも、なぜかリスト入りしていた。
※念のため補足しておくが、これは“世界で最も美しいスターバックス25選”のリストであって、順位はない。
どこが1位とか言ってないので、「世界一」とか言ってるのはやっぱり誰かの主観なのだろう。
しかし侮るなかれ、世界には本当に「なんじゃこりゃ」という美しさのスタバがいくつか存在する。
教会と融合していたり、宮殿の一角にしれっとあったり、もはやコーヒー屋の皮をかぶった文化財である。
チェコの名物料理、未知との遭遇
さて、とりあえず天気の悪さは無視して歩き回ることにした。
お腹が減ったので、そろそろチェコ名物とやらをいただくことにするか。
……が、筆者もエリもチェコの伝統料理については何も知らなかった。
完全に知識ゼロである。
「チェコ 料理 おすすめ」みたいな検索をする気すらなく、勢いでレストランに入り、英語でこう伝えた。
「チェコの伝統料理、ぷりーず。」
すると出てきたのがこれだ。
Svíčková(スヴィチュコヴァー)
さて、一品目がSvíčková(スヴィチュコヴァー)という料理である。
まずはこちらをご覧いただきたい。
色合いがどうにも奇妙だが、これは筆者の撮影スキルの問題である。
筆者「おい、当時の俺、ケルビン(=色温度)って単語知らんかったんか……?」
ということで、正しい色合いに直してみた。
うーむ、さっきよりはマシになったがまだよくわからん。
ということでググってみた。
(出典:CZECH SVÍČKOVÁ SAUCE RECIPE)
白いのはチェコ名物のパン(クネドリーキ)であり、その奥にあるオレンジ色の物体は、牛肉にかけられたクリーミーな野菜ソースである。
さらにその上には、なぜかホイップクリームとベリーがトッピングされている。
何を言っているかわからないと思うが、本当にそうなっているのだ。
ホイップクリームとベリーのソース
しかし――これが、うまい。
「牛肉の煮込み」「濃厚ソース」「パンをちぎって浸す」
というヨーロッパにありがちな三点セットだが、絶妙にバランスが取れており、意外にもクセがない。
Goulasch(グラーシュ)
続いて登場したのが、筆者的には「ヨーロッパで食べた料理で最もうまかった(当時)」と断言できる一品、グラーシュである。
またしてもケルビンが暴れまくっており、非常にわかりにくい。
正しい色温度に戻すとこうだ。
(出典:Goulash Soup with Fresh Crusty Bread)
これは本来ハンガリー発祥の料理だが、中欧~東欧諸国では広く親しまれており、チェコでも定番メニューとなっている。
現地では「グヤーシュ」「ゴウラーシュ」など様々な発音があるが、
筆者はスロヴェニア人の友人が教えてくれた「グラーシュ」を正式採用とする。
呼び方問題で戦争が起きないことを祈るばかりだ。
グラーシュはパンの中に盛られて提供されることが多く、これは日本人の感覚では「パンシチュー」に近い。
だが、シチューなどと軽んじるなかれ。これはスープ界の重戦車である。
牛肉の旨味、パプリカの香り、ほんのりスパイス――全てが絶妙な濃度で押し寄せてくる。
美味い。とにかく美味い。それ以上の言葉は必要ない。
さて、チェコの名物料理でお腹いっぱい――になるはずもなく、旅の勢いというやつで早くも2度目の昼食である。
これもまた旅。
スケジュールが胃袋に優しいとは限らないのだ。
プラハでマトリョーシカ??
その前に、少し街をぶらついていると――
なんと、お土産屋にマトリョーシカ人形がズラリと並んでいるではないか。
「ん?ここチェコやんな?旧ソ連ではないよな?」
……いや、確かに冷戦期にはチェコスロヴァキアは旧ソ連(東側)陣営だったが、それにしてもマトリョーシカの主張が強い。
なんならチェコ産よりロシア産の方が多そうな勢いである。
ご存知の通り、マトリョーシカとは相似形の人形が入れ子構造で無限に出てくるアレだ。
余談だが、マトリョーシカは英語で「Russian Doll」と呼ばれる。
ヴルタヴァ川とEの突然の告白
プラハ市内にはヴルタヴァ川という、まるで呪文のような名前の川が流れている。
これがまた街を緩やかに囲むように流れており、地元の人々の生活と観光客のカメラロールを潤している。
この川沿いを歩いていると、同伴者エリが急にこんなことを口にした。
エリ「実は私、街中を見たいっていうより、もっといろんな人とお話とかしたいんです。」
筆者「え?今なんと?」
エリ「観光もいいんですけど、どっちかと言うと友達を作りたいと言うか…」
筆者「えーっと…ですねぇ。あのー…うん。」
……心の中で、完全に動揺した。
そもそも今回の旅のコンセプトは「ヨーロッパを周る旅」だったはずだ。
全力でルートを組み、移動時間まで詰め込んで組んだ筆者の努力とは一体。
筆者(心の声)
「……あ、そうか。君は人とのつながりを求めてたやつか……
なのに俺は街並みに全振りしてもた……」
まさかの方向性のズレ。
いや、もうこれは仕方ない。
旅とは常に誤解と発見の連続である。
筆者としては笑顔でする―するしかない。
筆者「ごめんやけど、もう遅い!行程はできてる!予定は進む!」
カフェで2度目の昼食
そして、そんな気まずさ(?)を紛らわせるかのように、たまたま見つけたおしゃれなカフェに吸い込まれる我々。
気づけば2度目の昼食タイムである。
誰も止めないので、誰も止まらない。
胃袋も旅人の一部なのだ。たとえ2度目のランチであっても、
それが「今ここでしか味わえない」ものなら、食べねばならぬ。
それが旅の礼儀である。
Chlebíček(フレビーチェク)
さて、ここでいきなりクーイズ!!
この食べ物、何だかわかるだろうか?
正解は――Chlebíček(フレビーチェク)。
チェコの伝統的オープンサンドである。
5センチほどの厚切りフランスパンの上に、ローストビーフやレタス、玉ねぎなどがドンと乗っている。
パンで挟んでいない。あくまで「乗せてるだけ」。
この潔さ。実にチェコらしい。
「お前、もうちょい挟んでやれよ」と思わないでもないが、挟まない主義なのだ。
サンドされる側にプライドがあるのかもしれない。
しかも種類が豊富で、日本で言うおにぎり的ポジション。
コンビニ感覚で気軽に買えるが、しっかり美味い。
やるな、チェコ。
ザッハトルテ
さて、続いて出てきたこの黒光りするスイーツ――
見覚えがある読者も多いはず。
これはザッハトルテに極めて酷似している。
ウィーン発祥のチョコレートケーキで、マリー・アントワネットやエリザベートが「これ、マジで美味い」と言ったかは定かでないが、宮廷でも愛された高貴な菓子である。
「うちは“風”だからセーフ!」みたいな甘えは許されない。
筆者にとってもお気に入りのチョコケーキ。
濃厚なのにくどくない、絶妙な甘さが実にいい。
Kremrole(クレムローレ)
続いて登場したのがこちら、Kremrole(クレムローレ)。
見た目は中空の筒型スイーツで、要はクリームロールである。
バームクーヘンっぽさもあり、ドーナツっぽさもあり、しかし何よりも――
甘い・あったかい・デカい・うまい!
この4拍子がそろえば、スイーツとして無敵である。
カフェで出されようものなら、筆者は間違いなく笑顔になる。
ちなみに名前は"Cream Roll"→" Kremlore" みたいな変化形だと思っているが、真相は不明。
あくまで筆者の適当な語感分析によるものである。
真っ赤なビーツのスープ
最後にこちら。見るからに赤いスープ。
「お、これはパプリカか?!」と一瞬思ったが、正体はビーツ。
そう、つまりボルシチと同じである。
「ちなみにボルシチはロシア料理ではなくウクライナ料理である」
この辺りは非常に重要なので、繰り返す。
ボルシチはウクライナ料理である。
誤解が多いのでここでしっかり訂正しておく。
真っ赤な見た目に騙されることなかれ、味はとても優しい。
酸味と甘味のバランスが秀逸だ。
詳しくはこちらの記事にまとめてあるので、知識欲が湧いた方はぜひどうぞ。
ボルシチ、それロシアちゃう。ウクライナや。 「ボルシチ」と聞いて、どんな料理を思い浮かべるだろうか。 真っ赤なスープに野菜ゴロゴロ、肉がドン、で、ちょっとピリ辛っぽい… そんな“見た目勝負”のシチューである。 だ[…]
600年以上も精確に時を告げる天文時計
ではプラハの一大観光名所「プラハの天文時計」へ向かう。
旧市庁舎に取り付けられた天文時計である。
この時計、なんと製作は1410年。
日本で言えば室町時代。
足利義満が金閣寺を建ててた頃である。
そんな大昔に造られたにも関わらず、今もなお精確に時を刻み続けているというから驚きだ。
筆者「中世のくせに、やけに几帳面やな」
何度も修復されてきたとはいえ、600年以上現役稼働というのは、もはや人間で言えば不老不死の域である。
プラハの天文時計
・15世紀初期の傑作
・現役で動いている天文時計としては世界最古級
・時を刻むだけでなく、1時間ごとにからくり人形が踊る
・時間だけでなく、天文や暦に関する細かな情報も表示している
・毎正時に行われる「死の舞踏」という12人のからくり人形の踊りが有名
・太陽と月の位置が分かったり、星座の確認までできるとか
筆者「なんで時間と太陽と月がリンクしてんの?中世人、やりすぎやろ」
一応、天動説ベースの構造らしいが、そんな知識無くても見て楽しめる。
ギミック好きな人なら、間違いなくテンション爆上がりである。
ちなみに、この時計は映画『鑑定士と顔のない依頼人』(英題:The Best Offer)にも登場している。
筆者のお気に入り映画の一つだ。
芸術と孤独とサスペンスが絶妙に交差する作品で、静かな緊張感が心地よい。
観たことない人はぜひ一度観てほしい。
近未来的な公衆トイレ
そしてなぜか、エリが突然、公衆トイレの写真を撮り始めた。
場所はプラハの街中。
観光名所でもなんでもない、ただのトイレである。
筆者「いや、なぜに……?」
確かに見た目は異様にスタイリッシュだった。
もはや「それ、Apple製ですか?」と訊きたくなる近未来感。
自動ドア、音声案内、清掃まで全自動という噂まである(知らんけど)
だが、それでもやはり撮る対象はトイレである。
マーネス橋を渡って
その後、我々はプラハ城へと続くマーネス橋を渡る。
ホステルでのひとコマ
宿に戻ると、エリは2段ベッドの上段、筆者は下段を割り当てられた。
夜も更け、旅の疲れが出てきた頃の話だ。
エリ「RYOさん、爪切り持ってませんか?」
筆者「え、おーん、持ってるで」
筆者(内心)「え、俺が使ってるやつでいいんか?しかも貸してほしいもんがよりによって爪切りって…わりとパーソナルやぞ…」
筆者「はい、これ。」
エリ「え…?これ十徳ナイフですやん」
筆者「それに爪切りもやすりも付いているし」
エリ「あー、あざます!」
後になって冷静に考えたが、「爪切り持ってるで」って言いながらナイフ渡すやつ、普通にヤバいやろ。
ホステルの朝食
翌朝。
詳細な記憶はもはや霧の彼方であるが、写真によればどうやら一人で朝食を取っていたようである。
孤独という名のスパイスが効いている。
見てほしい、この栄養価に対して限りなく謙虚な朝食を。
パン、ハム、チーズ。以上。
ビタミンはどこへ行ったのか。
本来であれば、貧乏バッパーにとって「卵と肉が無限に摂取できるビュッフェ」は、もはや神の恩寵のような存在である。
旅先でのタンパク質補給は生命線だ。
…なのだが、現実はこの通りである。
ハム、チーズ、ハム、チーズ、チーズ、ハム。
3回目の往復でもう飽きた。
筆者
「くっ…なぜあれほどまでに期待していたビュッフェ形式の朝食が、こんなに切ないのだ…!」
それでも、空腹は満たされた。
そして腹を満たせば、人間の機嫌は8割ほど回復するものである。
チェコ最古の橋「カレル橋」
2017年2月2日(木)。
天気は曇り。気温はそこそこ。
朝食を終えた我々は、再びプラハ城の近辺を散策することとなった。
その道中、筆者の頭の中では、あるフレーズが無限ループしていた。
「実は私、街中を見たいっていうよりは、もっといろんな人とお話とかしたいんです…」
まちなかを見たい…というより…
もっといろんな人と…おはなし…
昨日不意に食らった「旅程全否定パンチ」をド正面で受け止めていた。
筆者「……え、あ、うん……街メインで組んでもた……ごめんエリ……」
まさかの“交流型ヒューマンドラマ希望”。
こちらは石畳ガチ勢観光ルートを用意していたというのに。
完全なる需要と供給のミスマッチ。
旅における悲劇の典型である。
だが、もう引き返せぬ。
サンティアゴ・デ・コンポステラの巡礼路でも案内できればよかったが、今いるのは中欧のプラハ。しかも真冬。
スペインの世界遺産「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」をご紹介。世界遺産への旅行なら阪急交通社におまかせ!…
人とのふれあいなど期待する方が間違っている。
今求められているのは滑り止め付きの靴と観光根性のみである。
調子乗った口が祟る
気を取り直して街歩き。
そして、事件は起きた。
筆者「滑るから気ぃつけや〜」
この直後、スッテンコロリンの見本のように派手に転倒したのは他でもない筆者自身である。
忠告した本人が滑るという高度なギャグ。
誰も望んでいないのに身体でオチを取っていくスタイル。
なお、プラハの道はガチで石畳。
冬の冷え込みにより、もれなくアイススケートリンク状態となる。
各位、くれぐれも「自分だけは転ばない」などと思わぬことである。
歴史の街は、転倒者にも容赦ない。
いよいよ登場、カレル橋!
そして現れたのがプラハ最古にして最も有名な橋、カレル橋である。
建設開始:1357年
完成:1402年
そう、徳川家康すら影も形もない頃から存在している超・古株。
だからなんだと言われればそれまでだが、歴史オタクにとってはおいしいネタである。
この橋、かつてはプラハ城と旧市街を繋ぐ唯一の橋だった。
つまり中世の人々にとっては、ここを渡るか川に沈むかの二択だったのだ(知らんけど)
今みたいにGoogleマップもない時代、勇気と方向感覚が命を分けていた。
ゴシック建築の門と、現代のリアル
門は典型的なゴシック様式。
尖頭アーチが「おれゴシックやで」と全力で主張している。
この門をくぐれば旧市街、背中側にはプラハ城。
まさに中世RPGのスタート地点のような構図だ。
だが、そんな風情ある橋の上には……
物乞い多すぎ問題。
そして筆者を震えさせたのが、欧米人カップルが小さな子どもに小銭を渡し、こう言った場面だ。
「あの人に入れてきなさい」
……教育って、深い。
筆者「ひざまずいて物乞いする時間があるなら、なんか芸でもやってくれ…せめてジャグリングとか……」
なお、アメリカはコロラド州デンバーの路上で出会ったホームレス曰く、
「一日必死に働いて得る賃金より、座ってもらえる恵みの方が遥かに高いんだぜHAHA!」
これを聞いた時、筆者は「もう資本主義詰んでる」と思った記憶がある。
資本主義は本来、努力すれば報われる自由競争を前提としているが、現実には、資産を持つ者がさらに富み、労働者は搾取され続けるループになっている。
このセリフは、その矛盾や限界が露呈していることを示している。
リトアニアの首都ビリニュスへ
時は来た。
プラハを後にし、ついにバルト三国へ突入するその時が――。
背中には重すぎるバックパック。
その姿はもはや旅人というより「放浪系ファンタジーRPGの中盤」である。
というわけで、次なる目的地は…
リトアニアの首都ビリニュス
出発手段:長距離バス。
距離:約1,200km。
所要時間:聞かないでくれ。
「距離1,200kmか。東京から福岡くらいか……バスで移動する距離ではないな」
とは思いつつも、すでにチケットは手にしている。
バッパーの宿命、それは移動手段は最安の一点主義である。
バルト三国、いざ突入!
バルト三国とは――
リトアニア、ラトビア、エストニアのこと。
「もうバルト三国って響きが中二心くすぐるやん。魔法学校ありそうな名前やん。」
ちなみに今回訪れるのはその中の長女感あふれるリトアニア。
下の地図の赤い国ね。
バス乗り場へGO!
バス乗り場に向かうエリのザックには、LIDL(リドル)のビニール袋が。
あの破壊力。
このLIDLの袋ひとつで、「あ、あの人ら絶対バッパーやん」という印象を、半径50mにアピール可能。
一種の“経済的バックパッカーの証明書”である。
しかも中身はパンとチーズと水だけ。
はい、生存特化構成です。
エリ、両替を悩むの巻
ここでエリが何やらスマホで真剣な顔。
エリ「余ったコルナ(←チェコの通貨)、ユーロに換金した方がいいかな…」
と言うのもチェココルナはその名の通りチェコ国内でしか使えない。
→もう二度とチェコには戻ってこない。
→つまり…?
→コルナは永遠に不要。
筆者の心の声
「いや、それ換金してもジュース1本分くらいやろ…」
むしろそのコイン、記念に持って帰って「海外行ってきた感」出した方が価値あるんちゃうか…?
たとえ1コルナでも、旅の記憶にはプライスレス。
通貨は金額で測れぬ――それが旅人の哲学である。
【出発】バス旅の玄関口「Florenc C」からリトアニアへ!
さてさて、プラハから他国へ長距離バスで旅立つ人々が集う場所――
Florenc C(フローレンツ)バスターミナル
プラハ発着の国際長距離バスの乗り場といえば、もうここ一択。
まるで全ヨーロッパのバスがここから始まるレベルのターミナル。
バスの時刻表を確認すると…
目指すはこれだ!
プラハ(チェコの首都)
→クラクフ(ポーランドの古都)
→ワルシャワ(ポーランドの首都)
→ビリニュス(リトアニアの首都)
まさに「バスで巡る中欧→バルト縦断ツアー」
想像以上に国をまたぐ予感だ。
筆者たち「行ってきまーす。」
そう軽やかに出発したのも束の間、もはや飛行機乗って日本帰った方が早い説。
バスの揺れで眠れない。
Wi-Fiが途切れる。
謎のトイレ休憩(しかも真っ暗)。
ポーランドのどこかの街並みに思わず見とれる。
そんなことを繰り返しているうちに…
やっと到着した!!!!
ってことでビリニュス編に続く。
本記事は、2017年に行ったヨーロッパ一人旅の記録を振り返るものであり、リトアニアの首都ビリニュスでの滞在を中心に、当時の思い出をゆるりと綴っていく。 ウクライナ人の元軍人で、このおっちゃんのおかげで楽しい食事の場が地獄と化した。[…]