【世界史】イスラム教世界の成立からセルジューク朝分裂まで~第1部~

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【570年頃】

ムハンマドメッカで生まれる

この頃、ビザンツ帝国とササン朝ペルシアの抗争によって、シルクロードの通行が困難になり、代わりにアラビア半島を経由する貿易ルートが栄えていた

【610年頃】

ムハンマドが神の啓示を受ける

40歳前後から毎日山にこもり瞑想するようになり、ある時急に神の啓示を受けたらしい

【622年】

メディナへ移住する(ヒジュラ=聖遷

地元メッカではイスラム教が受け入れられず、逆に迫害されて信者とともにメディナへ避難する

【630年】

メッカを征服する

ヒジュラ(聖遷)から8年後、武装信者とともにメッカに還り、メッカを占領する

【631年】

アラビア半島を統一する

もともと多神教の神殿だったカーバ神殿の神々の像をぶっ壊して、イスラム教の聖殿とした。並行して、武装信者とともにアラビア半島をイスラム教一色に染めて統一

【632年】

ムハンマド死去

アブー=バクルが初代カリフになる

ムハンマドの死後、選挙によってアブー=バクルが初代カリフに選ばれ、それから第4代カリフのアリーまでを正統カリフと呼ぶ

【642年】

ニハーヴァンドの戦い

正統カリフ時代、ムスリムは異教徒に対して聖戦(ジハード)を繰り返し、ニハーヴァンドの戦いでササン朝ペルシアを撃破して滅ぼし、その広大な領土を手に入れる

【651年】

ササン朝ペルシア滅亡

ササン朝ペルシアはニハーヴァンドの戦いでムスリムに完敗し事実上は642年に滅亡したが、名目上は最後の王が逃亡先のメルヴ近くで暗殺された651年に完全滅亡となっているらしい

【661年】

第4代カリフのアリーが暗殺され、ムアーウィヤがウマイヤ朝の初代カリフになる

イスラム教が「シーア派」と「スンナ派」の2つの宗派に分かれ、シーア派はムハンマドの子孫のみをカリフと認めるイスラム教徒全体の1割を占める少数派で、スンナ派は世襲制の代々カリフを認める多数派

【711年】

西ゴート王国を滅ぼす

モロッコ(北アフリカ)とスペイン(西ヨーロッパ)を結ぶジブラルタル海峡を越えてイベリア半島に進撃し、ウマイヤ朝が現在のスペイン・ポルトガルを支配していたゲルマン人国家「西ゴート王国」を滅ぼした・・・イスラム勢力恐るべし

【732年】

トゥール・ポワティエ間の戦い

西ゴート王国を滅ぼし、勢いに乗ったウマイヤ朝が現在のフランス周辺を支配していたフランク王国に攻め込んだが、さすがに敗北。フランク王国はこれにより「イスラム勢力からキリスト勢力を守った」と評価され、さらに影響力を強めた

【750年】

アッバース朝がウマイヤ朝を滅ぼす

アラブ人ばかりを優遇するウマイヤ朝のやり方が「ムスリムは皆平等」というアッラーの教えに背くとして、アッバース家が反ウマイヤ勢力を率いてウマイヤ朝を滅ぼした

【751年】

タラス河畔の戦い

実はこの頃、アッバース朝が「タラス河畔の戦い」で中国の唐を破っていた

【756年】

イベリア半島に後ウマイヤ朝が成立

アッバース朝に滅ぼされたウマイヤ朝の一族が、イベリア半島に後ウマイヤ朝を開いた

【763年頃~809年】

ハールーン=アッラシードの在位

アッバース朝の第5代カリフ、ハールーン=アッラシードの時代にアッバース朝が最盛期を迎える

【875年】

イランにサーマーン朝が興る

さっきの「ハールーン=アッラ・・・」の死後、アッバース朝からサーマーン朝が独立する

【909年】

チュニジアにファーティマ朝が成立

また、北アフリカのチュニジアにシーア派のファーティマ朝が興る

【932年】

ブワイフ朝が興る

さらに、イラン系でシーア派の軍事政権がブワイフ朝を建てる

【946年】

ブワイフ朝がバグダードに入る

カリフの保護を条件に、アッバース朝の首都バグダードにブワイフ朝が入城する

【969年】

ファーティマ朝がエジプトを征服、首都をカイロに移す

ファーティマ朝はシーア派国家

【1038年】

トルコ系王朝セルジューク朝が興る

アッバース朝が登用した、戦闘能力に優れた騎馬民族であるトルコ人奴隷(マムルーク)が徐々に力をつけ、独自の王朝を建てていく

【1055年】

トゥグリル=ベクがバグダードへ入り、ブワイフ朝を滅ぼしスルタンの称号を受ける

ブワイフ朝の脅威を退けたセルジューク朝のトゥグリル=ベクにアッバース朝のカリフが世俗君主(スルタン)の称号を授ける。(カリフは宗教上の権威を維持)

【1071年】

マンジケルトの戦い

セルジューク朝がビザンツ軍に勝利し、小アジアを支配下におく

イスラム世界の実質的な主導権を握ったトルコ人が、マンジケルトの戦いでビザンツ帝国軍を破って領土を拡大し、聖地イェルサレムも占領する。

【1194年頃】

セルジューク朝分裂

分派となるルーム=セルジューク朝が成立

おわりに

ということで、ムハンマドのイスラム教の成立からセルジューク朝が分裂するところまでをまとめました。

結局、イスラム教もキリスト教もその覇権争いのためにすごく争ってますよね。

同じ神を信仰している、兄弟のような宗教同士で、というより同じイスラム教同士ですらシーア派とスンナ派に分かれて争ってますからね。

宗教も難しいですね。

興味があれば是非次回も↓

【世界史】イスラム教世界の展開~第2部~

イスラム世界の動向
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