『迷える羊』の由来はイエスの言葉
先日「世界の三大宗教」という本を買い、その中のキリスト教の項で「迷える羊」というイエスのたとえ話が出てきたので今回ご紹介します。
あ、ぼくは無神論者です。
「迷える羊」もしくは「迷える子羊」という言葉は、聖書に記されているイエスの言葉に由来するようです↓(以下、聖書より)
あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。
そして、見つけたら、喜んでその羊を担いで、家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』というであろう。
いっておくが、このように、悔い改める一人の罪びとについては、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある
なるほど。
う~む、わかったようなわからないような・・・
という事で、著者の解説を読むとしましょう(笑)
イエスがこのたとえ話で語りたかったのは、神から離れてしまった人の救済についてである。
羊は本来、群れで行動する動物だが、何かの拍子に群れからはぐれると、飼い主が捜し出さないかぎり、立ち往生して飢え死にしてまう。
その羊のように、神からはぐれてしまった人を救うことが、九十九匹の群れに気を配るよりも重要なのだという。
もちろんこの教えは数多くあるうちの一つにしか過ぎないようですが、結構面白いですよね。
そのイエスを神の子だと信じるキリスト教徒が歴史的に異教徒を殺しまくってきたという状況を神はどう思っているんですかね?
宗教が戦争の元なんて言われたりもしますし、宗教が人間を救うためにあっても実際は争いの元になっているという事実も見逃せないですね。
うーん、難しい。
ということで「迷える羊」の由来について紹介しました。
ではまた(”◇”)ゞ
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