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鄧小平が行った「改革開放路線」とは

RYOです。

ここでは1980年代に中国の鄧小平が行った改革開放路線、いわゆる「人民公社」と「経済特区設置」について軽く触れようと思います。

人民公社解体

建物

毛沢東はソ連の五ヵ年計画をそのまま真似をして、農業の集団化を行い大勢の国民を餓死させました。その際、集団化したある一定の範囲の農民を管理する組織として人民公社が設置されました。

農民が収穫した食糧は人民公社が一律で管理し、それを国に納めたり農民たちに分配したりしていました。

つまり「どれだけ必死に働いても、収穫物は全て人民公社に取られる」という意識が農民にはあり、生産性ガタ落ちだったのです。その人民公社を解体したという事は、

「収穫物のうちいくらかは国に納めてもらうけど基本的には自分たちで好きにしていいよ。頑張ったら頑張った分だけ自分たちのものさ!」

という方針を取りました。これにより中国の農業生産高が爆発的にアップし、餓死者は一気にいなくなりました。

経済特区を設置

お金

「豊かになれる人間から豊かになればいい」とする先富論を掲げた鄧小平は、外国系企業が自由に経済活動を行える「経済特区」を設置し、インフラの整備や税制面の優遇措置などの法的整備を行いました。

中国地図

最初は厦門(アモイ)、深圳(シンセン)、珠海(シュカイ)、汕頭(スワトウ)の四都市を経済特区にしました。(現在は五つ)

主な経済特区の目的とは「対外貿易拡大」「外資利用」「先進技術の吸収」でした。

対外貿易拡大:外国企業は現地の中国人を安く雇えるので経済特区にどんどん工場を建てて活発に生産活動を行います。

外資利用:雇われた中国人労働者はどんどん裕福になっていきます。

先進技術の吸収:外国企業の下で働いている中国人労働者は先進国の技術を学ぶことができます。

いつの間にかこの四都市は高層マンションが立ち並ぶ近代的な都市に変貌しました。
※経済特区には中国人は自由に入れません。

つまり「経済特区」とは

外国資本と外国技術に依存し、合弁企業(中国企業+外国企業)や外国単独企業が中心となって生産活動を行い、棚ぼた的に中国がお金と技術を獲得すること

を目的として設置されました。

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